4.「ようこそマリー……ここが我が国の心臓、“ヴァナルガンド”だ」

 馬車に揺られながら、私はルドルフ様と向かい合うように座っていた。

 車窓の外には、まだ見ぬ帝国へと続く景色が広がっている。


「まさか……本当に話に乗ってくれるとは。マリー、君には感謝してもしきれない」


 ルドルフ様は穏やかに微笑みながらそう告げた。


「……い、いえ。薬を完成させたいのは、私も同じですから」


 自分でも驚くほど、声が震えていた。

 あの澄んだ青の瞳に真っ直ぐ見つめられると、どうしても落ち着かない。

 揺れる馬車の中で、鼓動の音だけがやけに大きく響いている気がした。


(とはいえ……気持ちを切り替えないと)


 私は軽く両頬をパンと叩き、心を引き締めて真面目モードへと切り替えた。


(そうよ、私は遊びに行くわけじゃない。薬を完成させるためにヴァスタ帝国へ向かっているの。

 自分の知識や経験を伝え、帝国の研究者たちと協力し、最新技術を駆使して――あの病、クローナペストに絶対勝ってみせる! それが、私の役目であり、私自身の願いでもあるのだから)

「……それにしても、ルドルフ様もここまで、熱心に協力してくださるとは思いませんでした」


 そう言うと、ルドルフ様は一瞬だけ視線を逸らした。

 そして、ふと窓の外へ目をやる。

 その横顔に、ほんのわずか、影が落ちていた。


「……私は、私なりにできることをするまでだ」


 穏やかに返されたその言葉。

 けれど、その瞳はどこか遠くを見つめているようで――放たれた声音の奥に、別の想いが滲んでいるようにも見えた。

 ルドルフ様の憂いに満ちた顔を見ると――胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


(……何か、抱えておられるのかしら)


 尋ねる勇気は出なかった。

 けれど、窓越しに映るその横顔が、しばらく頭から離れなかった。


 ***


 そして――数時間後。

 灰色の雲の切れ間から、黒と銀で彩られた“狼の紋章旗”がはためくのが見えた。

 そこが、帝都ヴァナルガンド。

 大陸の半分を治める、ヴァスタ帝国の中心であった。


「ようこそマリー……ここが我が国の心臓、“ヴァナルガンド”だ」


 ルドルフ様の声に促され、私は窓の外へ視線を向ける。

 そこに広がっていたのは、まるで別世界のような光景だった。

 白石と黒鉄で造られた荘厳な建物が整然と並び、空には無数の魔導灯が浮かんでいる。

 早朝でありながら、淡く銀色の光が街を包み込み、どこか神秘的な輝きを放っていた。


「マリー、あの高くそびえる塔を見てくれ」


 ルドルフ様が指さすと、ひときわ高くそびえる尖塔が目に入った。

 その塔は、神秘的でありながら、どこか機械仕掛けな造りを思わせる。


「あの塔の名は“エーデルシュタインの塔”。帝国のすべての学問と研究が、あそこに集約されている」

「……すごい」


 思わず声が漏れた。

 ヴァスタ帝国は、理と技術を重んじる国家。

 世界に誇るその叡智が、まるでダイヤモンドのように、あの塔に結集している。

 一介の研究者として、そこで研究できることに胸の高鳴りを覚える。


「マリー、今回は“技術提携”という名目で君に来てもらった。だが、君を中心に研究を進めて構わない。ヴァスタの技術も、研究員も、遠慮なく使ってくれ」

「えっ……本当にいいんですか!?」

「もちろんだ」


 ヴァスタの最新技術と研究に触れられる――それは私にとって、この上ない喜びだった。

 けれど、私はあくまでも他国の人間。

 機密にも触れるに等しい行為なのに、そこまで許されていいのだろうか。

 ルドルフ様の器の大きさに、ただ感心するばかりだった。

 その横顔を見つめながら、胸の中で呟く。


(……この方のためにも、必ず成果を出さなきゃ)


 私は改めて心に誓う。

 私が成すべきこと――そして、ルドルフ様の期待に応えるために。

 今度こそ、失敗は許されない。

 やがて、馬車はゆるやかに速度を落とし、エーデルシュタインの塔の前で停まった。

 扉が開くと、白衣をまとった数人の研究員が、すでに待ち構えるように整列していた。


「お待ちしておりました。ルドルフ様、そしてマリー様。お話は、ルドルフ様の手紙にて伺っております」

「ロベルト、マリーを頼むぞ……」

「承知いたしました。それではいつも通り、除菌を」


 ロベルトと呼ばれた、眼鏡をかけた男性の研究員が手をかざす。

 すると、掌の前に大きな魔法陣が展開し、虹色の光がふわりと放たれた。

 その光がルドルフ様を包み込み、やがて静かに消える。


「除菌魔法……クローナペスト対策ですね」


 私は思わず口にする。

 この魔法は“除菌魔法”と呼ばれる、感染予防のための基本的な術式。

 手洗いやうがいよりも効果が高く、どの国でも生活の一部として定着し始めている。

 それでもなお、クローナペストの流行は止められていないのですが。


「これで除菌完了です。ご協力感謝いたします」


 ロベルト様が丁寧に一礼し、今度は私に手を向ける。

 そして私も除菌魔法を浴びた。柔らかな光に包まれ、清浄な空気が肌を優しく撫でる。


(……いよいよ、始まるんだわ)


 私はルドルフ様に目を合わせる。

 お互いに小さく頷き合い、エーデルシュタインの塔の入口へと歩き出した。


 中は、空調魔法によって一定の温度が保たれ、中央の円形廊には無数の魔導灯が柔らかく輝く。

 壁一面には研究記録を映し出す光の板が並び、魔力を感知して情報を常に更新しているようだった。

 そして、びっしりと並ぶ魔導書の本棚の数々。


「……すごい。これが、帝国の研究施設……」


 そこは、世界に誇る叡智にふさわしい、荘厳で清らかな空間だった。


「……こちらが、我々の研究室です」


 ロベルト様に案内されて中へ入ると、実験をしていた研究員たちが一斉に手を止め、こちらを振り返った。


(皆にじっくり見られている……どう思っているのかしら? やっぱり、部外者が急に来たら、歓迎できないわよね……)


 人の目なんて気にしない性格ですが、こうして一斉に注目を浴びると、さすがに少し居心地が悪いですわね。

 その時――


「ヒーリング……癒しのヒーリング錬金術師アルケミスト……! 癒しのヒーリング錬金術師アルケミストだぁ――っ!!」


 研究員の一人が叫ぶと、一斉に研究員たちが私に迫ってきた。


「お会いできて光栄です! あなたの伝説は伺っております! キュリス王立魔法学院で数々の偉業を成し遂げた方ですよね!」

「あっ、私もキュリス王立魔法学院のOBです! あなたのような方の活躍は、OBとして鼻が高いです!」

「論文、拝見しました! いやぁ、こう言っては何ですが……王族としてのお立場より、研究者として歩まれたのは正解でしたね! 研究者にあなたの名を知らぬ者などいませんよ!」

「まさか、あなたと一緒に研究できるなんて……これは夢なのでしょうか!?」


 まさかの熱烈な歓迎。

 歓迎されるのは嬉しいけれど、あまりのテンションの差に、どう反応していいのか分からない。


「こらこら……その辺にしなさい! マリー様が戸惑っているでしょうが!!」


 ロベルト様が前に出て、私の前に立ちふさがるように声を上げた。

 その声で、場の熱気がようやく少しだけ落ち着いた。


(……帝国の研究者って、もっと無口で冷静な人たちばかりだと思っていたけれど……どうやら、思っていた以上に情熱的ね)


 軽く自己紹介を済ませたあと、私は早速、これまでの研究成果ノウハウを皆に伝える。

 薬草モカミールやアンバーグリスを初めとした素材の調合、生命素子と魔素媒介液の融合比によって生じる強制再活性化の理論。

 しかし問題は、その強制再活性化によって生じる身体機能の維持――つまり、患者の命の安定化がまだ確立できていないという点だった。

 これを克服するには、生命素子と魔素媒介液の“正確な融合比”を導き出す必要がある。


「……凄い。これほどの理論構築、我々の頭脳を総動員しても、まったくたどり着けなかった」

「これが……癒しのヒーリング錬金術師アルケミスト……!」

「ここまで進んでいるなら、本当に作れるかもしれない……治療薬が」


 研究員たちの感心する声が続々とこぼれる。

 褒められるのは悪い気がしませんが、これだけは伝えておかなければなりません。


「ですが……この“正確な融合比”、これがネックとなります。いくら計算しても、私ごときの頭脳では未だ辿り着けません」


 私は頭を下げ、さらに続ける。


「ですから……どうか皆さんの知恵をお貸しください! 私は名声もお金も要りません! 薬さえ完成できれば――それで十分なのです!!」


 私の言葉のあと、研究室にはしばし沈黙が支配した。


(ガッカリさせたかしら……癒しのヒーリング錬金術師アルケミストと持ち上げられても、結局はこの程度か……と思われているかもしれない)

(けれど……私自身がどう思われようと構わない! 大事なのは薬を一刻も早く完成させること! そのためなら、いくらでも頭を下げられる……元々没落令嬢として、とっくに地に落ちた身分ですもの)


 しばらくの沈黙のあと。


「顔を上げてください……マリーさん、薬を完成させたいのは我々も同じです!」

「そうです! 名声や富が欲しいなら、こんな研究室にいるよりも、もっと効率的な方法がいくらでもあります! 私たちは研究が大好きで……そしてその研究結果が人の役に立つことに喜びを感じるのです」

「そもそも、頭を下げるのはこちらの方です……マリーさん、ご協力をお願いします。

 クローナペストを治す薬……絶対に完成させましょう!」


 研究員たちの暖かい言葉に、私は思わず頭を上げる。

 婚約破棄されたときは、どの貴族からも民からも蔑んだ目で見られました。しかし、ここの研究員は誰ひとりとして私を蔑むことなく、笑顔で見つめてくれる。

 その姿に、思わず、涙がこぼれる。


「……はい、是非ともよろしくお願いします」


 ――パチパチパチパチッ!

 拍手が部屋に響き渡る。まるで先ほどの沈黙が支配していた空気を、一気に打ち破るかのようだ。

 私の居場所はここにある――そう実感させるほど、感謝の気持ちと、この人たちと薬を完成させたいという思いが強くなる。

 拍手の中、隣のロベルト様が私にそっと呟いた。


「……なるほど。ルドルフ様があなたを頼った理由が、よくわかります。あなたなら、彼を助けられるかもしれない」

(ルドルフ様? 彼?)


 思わず、ロベルト様の方へ顔を向ける。


「彼とは誰のことですか?」

「ええ。実は――」


 ロベルト様は少し言葉をためらったが、すぐに真剣な表情へと変え、続けた。


「ルドルフ様の弟君であるアルブレヒト様が、クローナペストに感染されているのです。症状はかなり重く……正直、我々も手の打ちようがない状態でして」


 その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 あの時、馬車の中で見せたルドルフ様の寂しげな横顔――あれが何を意味していたのか、私は理解しました。あれは、アルブレヒト様を案じてのことでしたのね。

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