第2話 流れ着く先

 宿屋の受付の卓上には、日付を示す木札が立てられている。薄い溝のある台座に差し込まれ、手垢で角がつるりと丸い。


 【春夏はるなつ みずの週 1日】


(……もう、そんなに経ったんだ)

 札ひとつで今日という日が現実味を帯びる。春夏の月の最終週。夏の月が、もう目前に迫っていた。


「あら、おはよう。毎朝早いのね」


 ステラさんが帳簿から目をずらすように上げる。年季の入ったエプロンの胸元に指先で頁は押さえたままだ。視線はすぐに紙へと落ちた。羽根ペンの先が、かりかりと忙しなく数字を追いかけていた。


 マルスは反射的に背筋を伸ばし、「おはようございます」と小さく返す。


(ステラさんの突進が、頭をよぎるんだよな……)


 別に苦手なわけじゃない。家族思いできもの据わった母親だ。だけど、あの日の衝撃は強かった。身体にも、脳裏にも。


「彼ならもう下にいるわよ」


 マルスは階段を足早に降り、朝の酒場へ踏み入れた。


 空気の底から漂う甘い匂い。窓から差し込む朝日が木の床に淡い陰影を描き、夜の喧騒が嘘みたいに引いている。食器の触れ合う音さえ遠慮がちだ。


 窓際の席で、ダイが大きな欠伸をしていた。


「ふぁーあ……マルス、いつも早ぇな」

「村の暮らしが染みついちゃってさ」

「わかる。俺も牛の世話してたから。はは」


 一週間。同じ依頼を受け、同じ道を帰った。言葉の距離はずいぶん近くなった。

 

 それでも、マルスは迷い子であることも回帰のことも、黙ったままにしている。余計な変化を加えて、この時間を乱したくなかった。


 朝の湿った外気が流れ込み、背の高い影がどしんと床を鳴らす。


「……ふぅ」


 シシドだ。汗を光らせ、肩がうっすら赤い。来る前に一汗かいてきたのだろう。


「なんだか気合入ってね……?」

「いつも通りだ」


 続いて階段が軽く鳴る。


「おっはよー! 待たせた?」


 アイカが降りてくる。少し余所行きの服で、目がきらきらしていた。その横でロロが、半分眠った顔のまま引っぱられている。


「ロロ、歩ける?」

「……ねむ……」

「外の空気吸ったら起きるって!」


 四人が揃い、ダイが立ち上がる。


「よし。行くか!」

「「おー!」」

 

 明るい声が店内に響いた。他の宿泊客に白い目で見られると、ダイが頭を下げ、アイカが舌をぺろっと出す。みな、そそくさと酒場の外へ出た。


「なんで南側行くのに、そんな服装なの?」


 ダイとシシド、マルスも普段と変わっていない。布の服に革のベルトホルダー。駆け出しの冒険者とも、山へ向かう村人とも言える恰好だ。


「装備を買うのに必要かー?」

「これしか持ってないし……」

 

 アイカが大きな溜息をつく。ふわりとした生地の淡い水色のワンピースが揺れる。確かに山登りには向いていない、綺麗な服だ。


(服装の違いって、そんなに大事?)


「かー! ひさしぶりの〝泥んこにならない日〟なのよ。ほらほら、ロロの服も見てよ」


 いつものローブではなく、大きめなシャツ。自然と視線は下へと向かう。短いズボンからのぞく白い肌。朝の光を吸ってやわらかそうに見えた。


「運動不足だな。俺と走るか?」

「……ハア?」


 今日は捕食菌の討伐じゃない。装備を買いに行く日。先頭を歩くダイが、ケラケラと笑う。


「ほら、マルス。可愛いって言ってやんないと失礼だぞ?」

「あのね~!」

「えっ、ああ……!」


 ふいにミリアとのやりとりを思い出す。彼女が髪を切った日、マルスはいつも『似合ってるね』と言わされていた。もちろん、それだけじゃ足りない。具体的に似合っているのかが重要なんだ。


「活発なアイカに淡い色のワンピースって、優雅さが足される感じだよね。……物語のお嬢様みたいで。似合ってるし、可愛いよ!」


 みなが声を失い、静寂が生まれた。街の雑音が嫌に大きい。マルスは〝やりすぎた?〟と焦る気持ちをこらえて反応を待つ。下手に傷口を広げるのは避けたい。過去の経験から得た知恵の一つだ。


「あり、がと」


 陽の影に隠すように、アイカは横顔をそっぽへ向ける。表情は見えない。けれど、少なくとも怒らせはしなかったらしい。


「へへ、意外と才能あるかもしれねーな……」

「マルス……私は?」

「二人ともからかっているでしょ!」


 幅の広い木橋を渡り、南側の街に入る。

 マルスにとっては初めて訪れる場所のはずだった。それなのに酷く既視感があった。


 石畳の地面、彩りのある街並み。店先のテーブルで小休憩する人。置かれた透明のグラスには、紫色の液体。見たこともないはずなのに、なぜか〝名前〟がわかる。口にしていないのに舌の奥で甘さまで思い出される。


(――あれはジュースだ)


 遅れて、鼻の奥に匂いまで立ち上がってきた。


 小綺麗な人たちが、訝しむような目を向ける。冒険者と呼べるのはマルスたちだけで、居心地は良くない。ダイも同じなのか、歩く速度が明らかに早くなっていた。

 アイカが「だから言ったじゃないの」と、ぼそりと零す。


 既視感は次第に強くなる。マルスは『南側へ装備を買いに行くぞ』としか聞いていないのに、この道も――通ったことがある。直感が〝怖い〟という感情を連れてくる。


「え、あっ……」


 そして――マルスは言葉を失った。黒い鍛鉄の門扉の前に、白髪を撫でつけた老人が立っている。こちらを認めると、老人は深々と一礼した。


(夢に出てきた……あの老人)


「ララーナ冒険隊だ。装備を受け取りにきた。お金もちゃんとある」

「ダイ様ですね? 支配人がお待ちです。こちらへ」

「ちょ、ちょっと待って! こんなの聞いてないわよ?」


 アイカが責めるように問いただす。ダイは頭を掻き、「商館に行ったとき、たまたま声かけられたんだよ。『いい装備がある』って」と小声で言った。


「見るからに怪しいぜ? 大丈夫か?」

「……シシドが言うからよっぽど」


 老人の顔がくしゃりと皺を深め、一笑が飛ぶ。


「はっはっは。疑い深いのは冒険者に必要な能力ですな。ですが……みな様、ここから丘の上に見える大きな建物が見えるでしょう? あの建物を経営されているのが、支配人のカジアシ様でございます」


 〝ホテル〟という言葉は馴染みがない。それでも丘の上には、大きな建物が見えた。あそこなら湖畔が一望できるはずだ。そんなお屋敷を持っている人物。


 ――危険だ。だが、話は見る見るうちに進んでいく。


(でも、どう止めればいいんだ)


「ほらな! すげえ人だろ?」

「まっ、行ってみて考えりゃいいな」

「もう知らないわよ!」

「くれぐれも失礼のないようにお願いいたします」


 老人の口調も態度も終始穏やかだった。ただ、正面を向いたとき、片側の頬が薄っすら赤いのが目に留まる。ダイは意気揚々と、三人は渋々と歩き出した。


(日焼け? ……にしては、なんで片側だけ?)


「マルス??」


 ロロの声で我に返る。ひとり遅れた形で、マルスは追いかける。些細なことまで脅威に見える。けれど、その感覚こそが大事だと直感が告げていた。


(何かあったら自分が止める)


 危機感を胸に沈め、マルスは屋敷の中へ足を進めた。

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