喫茶店の中、珈琲の香り
田中
Episode:酒田くらげ
どうも、斎藤くんのゼミ仲間だった酒田くらげです。
えっと、コーヒー頼んでもいいですか? ……ありがとうございます。
すみません、ブレンドを。
それで、今日はなんで呼ばれたんですか? 斎藤くんがって言ってましたけど。……ああ、斎藤くんのこと聞きたいなら、私よりも岩谷くんのほうがいいですよ。
なんでって……私より斎藤くんと話してたからですけど。
ああ、すいません。また爪いじってましたね、癖なんですこれ。爪とか逆剥け弄るのも自傷行為の一つって言いますけど、知ってました? 私、心理学も齧ってたんでちょっと知ってるんですよね。
あ、ありがとうございます。
いい香り。シュガーポット、取ってらっていいですか? どうも、ありがとうございます。
斎藤くんのことって言っても……いつも黒くて短い、針金みたいな髪をピンピン立てて、銀色の縁が薄い眼鏡に厚ぼったい瞼をしてたことくらいしか覚えてないですよ。
結構見てるって、そりゃ見ますよ。ゼミでは長テーブル挟んで向かいにいましたし。いつも黒いリュックからってましたね。
何見てるんですか? ああ、砂糖。いつも山盛りで三杯いれるんです。私、好きなんです、甘ったるいコーヒーが。
斎藤くんの斎って、どういう字? ってゼミの教授に聞かれた時、斎藤くんいつもきもちわるーい笑顔でイヒイヒ言いながら「レベル2のサイ」って言ってましたよ。
あ、いまの彼のモノマネです。
結構似てる~って友達にはウケてたんですよ。レベル2のサイって何? って聞いたら、斎藤って、えーっと……ペン、ペン……。
ありがとうございます。ナフキンって柔らかいからちょっと書きにくいですね。
サイトウって、“斉藤”と“斎藤”と“齋藤”がよくいるサイトウじゃないですか。その中の、二番目に難しいサイトウだから、レベル2のサイトウ。らしいですよ。
あとは、字が結構汚かったです。ぎゅって握り拳でペン握ってて、ミミズがのたくったような字って、多分ああいうの言うんでしょうね。
斎藤くんの後が私だったんで、毎回サインの欄が重なってて少しストレスでした。
ああ、ほら。サイトウとサカタで。間にもう一人いたら良かったんですけどね。
ゼミの研究で……私たちは近現代文学を専攻してたんですけど、そのゼミではよく班になって文豪の小説を読み解いて、その心理を解き明かすっていう研究があったんです。そこでも、斎藤くんが筆記役になると大変でしたよ、読めなくて。
なので、必ず私とか香山さんが筆記役になってました。
え? 香山さん? 香山さんは、別に仲良くはなかったですよ。同じ班に良くなるから話してたくらいで。
そういえば、斎藤くんはよくゼミの途中で帰ってましたね。両親が共働きで、妹の迎えに行かないと行けないって、よく言ってました。
一度妹さんの写真見せてもらったというか、見せられたことがありましたけど、斎藤くんには似てなくて可愛かったですよ。茶色いふわふわの髪と白い肌と赤いほっぺたで、天使みたいな子でした。
斎藤くんの妹にしては、年齢差があるなとは思ったんですけど、年の差があるのって最近だと少なくないかもしれないし、そういうものだと思ってました。
他に斎藤くんのことで知ってることって言っても、本当にこれくらいですよ。
あ、すいません。髪がコーヒーに浸かっちゃった。ああ、サイアク。
髪の毛が浸かったコーヒーって、嫌じゃないですか? なんか汚く感じるっていうか。このコーヒー美味しいのに、残念。
服に付かなくて良かった。
あ、バイトしてるって言ってましたよ。居酒屋で、妹迎えに行ってから深夜までバイトして帰ってきて大学って言ってました。
両親が共働きなのに変だなとは思ってたんですけど、まあそれって家庭の事情じゃないですか。
髪からコーヒーのニオイするし、ほんとサイアク。
いつも大きい黒いリュックからってて、それもなんでだろって思ってました。別にウチらの大学って、教科書とかもそこまで必要じゃないし、地下の個人ロッカーに教科書置いてることの方が多かったですし。
岩谷くんが「なんで?」って聞いた時も、斎藤くんは「別になんでも」ってイヒイヒ笑ってましたね。
ああ、すいません。ずっと髪からコーヒーのニオイがしてるのが気になって。
あのリュックに何が入ってるとかは知らないんですけど、重そうだなとは思ってましたね。
岩谷くんが一回、あのリュックに触ろうとしたらすごい剣幕で「触るな!」って言ってたんですよ、斎藤くん。そんなに大事なものなら家に置いてくればいいのにって、みんなで笑ってました。
リュックはすごい膨らんでたんですよ。もうパンパン。
しかもオタクっぽくて気持ち悪いから、ちっちゃい女の子でも殺して詰めてるんじゃないかってもっぱらの噂でしたよ。
流石に、殺した死体詰めてるリュックを持ち歩きはしないだろうし、変なニオイもしなかったから、そうじゃなかったんでしょうけど。
もういいですか? 私、もうすぐ就活の面接なんで……。
はい、ありがとうございました。
コーヒー、ご馳走様です。
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