第一章7 そして、君は目を覚ます
セルシアが王宮へと再び戻ってきたのは、約一時間が経ってからだった。
かつてよりもわずかに強い表情を宿している。しかしその瞳の奥には、まだ揺らぎが残っていた。
玉座の前に膝をつくと、セルシアは私——シデラを真っ直ぐに見上げた。
「……父上。報告を伝達しに、戻りました」
「うむ。顔を見る限り……何かを悟ったようだな」
私は静かに立ち上がり、娘へ歩み寄った。
セルシアは唇を強く結んでいた。何かをこらえるように。
記憶を覗くという行為は、一瞬で他者の人生を背負うことと同義だ。その心労は想像以上に深い。
「父上……あの少年は……ラークは……」
言葉が震えていた。無理もない。年齢は十五、王家の中でもまだ幼い。
だが——その肩には今、一人の人生が乗っている。
私は右手を彼女の頭に置き、軽く支えた。
「……言わずともよい。お前の顔がすべてを物語っておる」
「……!」
「セルシアよ。よくぞ、その者の記憶を見届けた。そして——その痛みに耐えた」
娘の肩がわずかに揺れた。セルシアは王族の血を継ぐ強さを持つが、他者の痛みに涙を流せる心も持っている。私はそんな娘を、誇りに思った。
そして本題を告げる。
「ラークという少年を、この世界に連れてきたのは……他ならぬ“お前”だ」
「……はい。全て、私の未熟さゆえ……」
「未熟さは罪ではない。しかし——その結果生まれた責務は、果たさねばならぬ」
セルシアは息を呑み、背筋を伸ばした。
「……責務。私は……何をすれば」
「お前が責任を持って、ラークを保護せよ」
その言葉を聞いた瞬間、セルシアの瞳が強く揺れた。
「っ……わ、私が……?」
「ああ。転移魔法で異世界から連れ来た以上、ラークの魔力はネサロンの記憶格子と相性が悪い可能性もある。さらに制御を誤れば、魔力暴走を起こし、彼自身の身が危うくなるやもしれぬ」
「……!」
「ゆえに——お前が見てやれ。支え、守り、導くのだ」
セルシアは俯きそうになりながらも、必死に堪えていた。王家に生まれた者としての責任。そして、少女として芽生えた感情。それら全てが、胸の内で強く揺れている。
「……父上。私は……ラークを……」
「どうした。申してみよ」
「——私は、ラークを……どうしても幸せにしたいのです」
その言葉は震えていたが、真っ直ぐで、揺るぎなかった。私は目を細めた。
「……そうか。それでよい。その想いこそが、責務を果たす力となる」
セルシアは驚いたように顔を上げた。父として、私は娘の心の成長を確かめたかった。十五という年齢でここまで言い切れるのなら——もう、立派な王族だ。
「それとな。ラークの身分をどう扱うかだが……」
「……そこで父上に、一つ進言させてください。私はその者の新たな家族として、"姉"として振る舞わせて欲しいです」
セルシアの目には、とても強い信念を感じた。家族……か、これが何か大切なキーワードであることを読み取れた。
「……よかろう。その者と家族になる許可を与えよう」
「そしてもう一つ、お願いがあります。このことは世間には公表しないで欲しいです」
確かに異星の者などと公表すれば、保全派、排他派、そしてアビスのような連中が騒ぎを立てることは明白だった。
セルシアは拳を握り、息を整えてから私へと視線を向けた。
「ラークは……私の弟として、なんとしても守り抜きます。彼が、もう二度と喪わなくていいように」
その覚悟の声を聞きながら、私は静かに微笑んだ。
「——十五の少女がここまで言えるとはな」
「え……?」
「セルシアよ。お前は立派に育っている。その強さ、その優しさ。父として誇りに思う」
「私に、本当にできるでしょうか……」
「できなければ、周りを頼れば良い。私やお前の世話役であるメルヴィナ、他の臣下達も手を貸してくれるだろう」
「……!」
セルシアの瞳に、ほんの少し涙が溜まった。それからすぐに、彼女は誇らしげに胸を張った。
「ラークが目を覚ましたとき……胸を張って迎えてやれ。お前は、今この瞬間から“姉”なのだからな」
「……はいッ!」
その返事は力強く、清々しかった。
そのままセルシアは一礼をし、その場を転移魔法で去っていった。
さて、ここからはセルシア自身の力量にかかっている。公表しないと私に進言し宣言した以上、そして私がそれに対して許可を与えた以上は見守らなければならないな。大事が起こった時、私は対応できるように動かねばなるまいか。
―――――――――――――――――――――
「ラークが目を覚ましたとき……胸を張って迎えてやれ。お前は、今この瞬間から“姉”なのだからな」
父上の言葉が胸の奥に深く染み込んだ。
「……はいッ!」
私は一礼し、転移陣を展開する。魔力の光が足元から走り、視界が白紫色に満たされた。
(ラーク……君の記憶を見た今なら、もう迷わない……絶対に。今度は私が君を守る番だから)
光が弾け、次の瞬間、私は別荘の前に立っていた。
息が少し乱れ、胸はまだ痛む。さっきまで見ていたラークの記憶の残滓が脳裏にこびりついている。だが、立ち止まっている暇はない。
私はドアを勢いよく開け、自室へと足早に向かった。扉を開けると、そこには変わらず穏やかな寝息を立てる少年――ラークがいた。
薄い布団の中で小さな胸が上下し、青ざめていた顔色も幾分ましになっている。額の包帯を外してみると傷はすでに塞がり、腕の擦り傷も魔法によって完治していた。
私はベッドの側に膝をつき、そっと彼の髪を撫でた。
「……ラーク。君は……本当によく生きていてくれた」
ぎゅっと胸が締めつけられ、再び涙が滲みそうになる。でも私は笑っていた。
「今日から君は……私の弟なんだ。父上が許してくれた。だから……もう、一人じゃないよ」
ラークの細い指がわずかに動いた気がした。私はその手をそっと包み込む。
「……君が痛いときは、私が癒す。怖いときは、私が抱きしめる。寂しいときも、全部……私が受け止めるよ」
その声は自然にこぼれた。まるで、ずっと前からそうしてきたかのように。私はラークの額に軽く治癒魔法の光を重ね、深呼吸をした。
「……起きてくれるのを、待ってるよ。君の“姉”として」
私は再び、ラークに誓いを立てた。
―――――――――――――――――――――
この日の夜、私はラークの隣で共に同じベッドで眠りにつくことにした。昨日と一昨日は同じベッドで横になるのではなく、看病していたため気がついたら椅子の上で寝落ちしていた。
そのため、今日が初添い寝という訳だ。私は異性と共に睡眠をとった事は無いため、ずっと眠っているとはいえ少しドキドキとしていた。
しかし、同じベッドで布団を被ると、隣に誰かがいる暖かみの良さに、ドキドキは自然と安心感へと変わっていった。
「すまない、今はこうさせて欲しい」
私はラークの腕を抱きしめた。私はここで改めてラークが経験してきた記憶を思い起こす。私にはあまり無かった、かけがえのない家族との思い出。外側から見てもとても微笑ましい関係だった。それが突然奪われ、壊されたんだ。今の彼は家族のことを頭から切り離し、思い出さないようにしているだろう。
私はこれを伝えるべきではないと感じた。父上は魔力暴走を懸念していた。そう、この悲惨な記憶を思い出してしまえば、悪辣な魔力で暴走を起こしかねないだろう。ましてや異世界から転移してきたのだ。何が起こるのか私にはわからない。だから今は勘違いのまま、私やこの世界で楽しい記憶を、思い出を紡いでいかなければならないと判断した。
私は眠りにつく前、彼が目を覚ました際、どのようにして家族となるのかを何度もシミュレーションをした。
記憶の中の彼はとても純真無垢で、人のために気を遣える子だった。そんな子に二度と同じ“喪失”を背負わせたくない。
「……ラーク。私は君を……守るよ。姉として」
思わず漏れた言葉は、夜の静寂の中へ溶けていった。
ラークの小さな肩を抱く腕に、自然と力が入る。
すると——眠っているはずのラークが、かすかに動いた。
彼の指先が、私の服の端をそっとつまむように握ったのだ。
「っ……」
胸の奥に、熱いものが込み上げた。まるで“助けを求める子供の手”のようだった。意識はなくとも、彼の心は確かに誰かを必要としている。
「大丈夫だよ……ここにいるよ……」
私はその小さな手を包み込み、指を絡めた。すると、ラークの表情からほんの少しだけ苦しさが抜けていく。
この温もりを離してはいけない——
私の胸に芽生えたその感情は、もう揺らぐことはなかった。
やがて、私の意識もゆっくりと闇へ沈む。
ラークの体温を感じながら、そのまま彼を抱いた姿勢で眠りに落ちていった。
―――――――――――――――――――――
鳥のさえずりが、薄く差し込む朝の光に混じり響く。
部屋の中のランプは消え、窓の外は静かな青の気配を帯びていた。
私はいつも通りの時間に目を覚ました。隣には、未だ目を覚ましていないラークがいた。もちろん私はラークの腕を抱いた状態だった。
朝目を覚ました時、隣に誰かがいる。これは過去、幼かった頃に世話役のメイドから抱きしめてもらったまま眠りにつき、そのまま朝を迎えた時の感覚に似ていた。
「おはよう。……ラークはお寝坊さんだな」
ラークが転移してから三日目になった。流石に心配ではあったが、寝息は規則正しくすぅすぅと立てていたため私の杞憂であるだろう。
私はラークの頬を突いてみた。すると、ラークはくすぐったいのか少し身じろぎを起こした。私はこれは予兆だと感じとった。
眠りが浅くなったのか……?いや——
「——目を覚ますかもしれない……!」
私は急ぎ起き上がると、いつもの朝のルーティンを迅速に行なうことにした。そして私はラークがいつ起きてきてもいいように、様々な下準備を行なった。
まず、私の世話役のメイドの元へ転移し、ここからの食事を一人前多くしてほしいことを伝えることにした。
「メルヴィナ、次の昼食からもう一人前分食事を用意してほしい」
「かしこまりました。セルシア様がお食事の際、もう一人前用意させていただきますね」
「ありがとう」
メルヴィナは頭を下げ、にこやかな顔を絶やさなかった。幼少期から私を世話しただけあり、明確な意図を伝えなくても了承してくれたことに感謝した。
私の物心がついた時から、お世話役は専属メイドのメルヴィナだったため、私にとっての母上とはこのメイドさんのことでもあった。才色兼備のメイドで非の打ち所がないメイドだ。私の憧れの一人でもある。
私は母上についてはあまり知らされておらず、面識もなかった。父上曰く、第一王子の兄上である、『メリオス・ラグナロク』と第二王女の姉上である、『エルメリア・ラグナロク』の二人と共に別世界に転移し、次期王の器でもある二人のお目付け役として旅を見守っているのだと聞いている。
しかし、その二人とは面識もあるため、母上が一体どこで何をやっているのかは今は真偽不明だ。知っているのは父上か兄上、姉上くらいだろう。
母上がいなくても私の心が荒むことはなかったのはこのメイドのメルヴィナのおかげであるだろう。
私はメルヴィナから、血の繋がりはなくとも家族になることができることを学んだ。その経験が今、ラークのために役立つ時が来たため感謝をしている。
次に私が行なったことは服の新調だった。ボロボロの服か私のお下がりしかないため、服を新調する必要があった。取り急ぎ町の服屋に行き、ラークに似合いそうな服をいくつか新調した。
お昼前に私はひとまず息をつくため、自室の椅子に座り、ラークを眺めて休憩をしていた時だった。
「……う、……んぅ…………」
ラークの身体が動き、彼のまつ毛が震え、閉じられていた瞼が薄く上がった。
「……!!?」
そう、ラークが目を覚ましたのだ。私は目を見開き、胸を撫で下ろした。目を覚ましてくれたことにひとまず安堵した。
そこでとあることに気づいた。私は先まで息を切らしていたため身だしなみを気にしていなかったのだ。咄嗟に、髪がボサついてないか、服は整っているかなどを確認した。
多分、大丈夫そうだ。私はこれからこの子の"姉"となるのだ。だらしない格好をしてはいけない。
私は目を覚ましたことに対して感極まりそうになったが、狼狽えてはいけないと何度も自分に言い聞かせた。
「ん……?あれ、僕の部屋じゃ…ない…?」
やはり、記憶が欠落しているのだろう。なぜなら彼の部屋はもう壊されてしまい、跡形もなくなってしまっているからだ。彼は自分の部屋で起きると思い込んでいたようだった。すると私の方へと目を向け、視線が交差した。君にとっては初めましてだろう。
「……起きたのか。初めまして、蒼き星の生命体であるアストレア」
今は姉らしく、背伸びをするようにカッコつけ、難しい言い回しから初めてしまった。目覚めたばかりのラークはぽかんとした顔で私を見つめていた。
まずい……このままでは“頼れる姉”どころか“変な人”に見えてしまう……!
私は胸の前で手をそっと握り直し、一呼吸。
そして——
自分の中で一番落ち着いた“王女としての口調”に乗せて、今度こそちゃんと言葉を紡ぐ。
「……自己紹介をしようか、私の名はセルシア・ラグナロク。ここ、ネサロンという星の第三王女でもある」
私は努めて笑顔を作って見せた。
ここから私たちの、新たな”姉弟”としての、家族の物語が動き出すのだった。
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