勇者は討伐に来るけれど、私は今日も虫王とお茶会。

瀬戸ゆかり

第1話 諦めの境地

今日も朝起きて、仕事に行く。

なんのモチベーションもない、なんの目標もない、なんの意味もない。

ただ屋根のある場所で眠るために、毎日風呂に入ってご飯を食べるために、

寝る前にネットを使って動画を見てティッシュを消費出来る環境を維持するために。

そのためだけに毎日仕事に行く。


最近、職場でうけた健康診断で高血圧とコレストロールを注意された新田にった

昨年の健康診断から大幅に体重も増加し、気付いたら髪も減り始めてる…。

若者というにはとっくに厚かましい年齢になっており、おじさんの中に入れば若いが、若者からはおじさんだと思われている。


余りにも暑いこの日、現場で問題が起きてしまい新田は謝罪のためにクーラーの効いた事務所を出て灼熱のアスファルトを歩き、駅まで向かっていた。

「なんで俺が…あそこの現場の奴きらいなんだよな…」

そう文句を言いながら安い革靴の底を溶かし歩く。


環状線の駅にて次の電車を待つ。

燃え盛る太陽を見上げ、背中を流れる汗が冷たく感じた。

すると、太陽を見たせいか…急に目の前が真っ白になって目眩がして、「あ、ヤバい…」そう思った時にはもう遅く、前のめりに倒れてしまった新田…。

電車のブレーキは…間に合わない。


***


「いてぇ…」何か余韻の痛みを感じ、起きた。

「こんにちは、お兄さん♡」

「は?誰ですか?」


このおじさんサラリーマン・新田をお兄さん呼ばわりした女。

どうみても現世の人間ではない…

白い肌にピンクの髪、身体は小柄で黒い服と黒い帽子を被っていた。

“まさかそんな”夢を見ているのかと思い、自分の顔面を叩いてみるが…しっかり痛い。


「わたしはリュミラ、魔法族の女王です!あなたは勇者に選ばれたのです!」


これは…よく知っている。

ここ数年流行っているよくある異世界転生の始まりの言葉だ。

何百何千回もこすられて耳にタコのセリフと言ってもいい。

でも顔面を叩いても痛かったから、きっと夢ではない。


「え、俺…勇者に転生したんですか?こんな事あるんだ。あ、でも…てことは…」

老けてきたとはいえ、まだぽっくり行く歳ではなかったから覚悟なんてものをしてなかった。そしてパソコンの履歴を消してほしいと頼むのも忘れていた。

というか、そんな事を頼める身近な人間はいなかった。


リュミラは手元のノートをペラペラ捲りながら、

「No.1132…あなたは確か…えーっと…日本から来た…あ、日本かー!いいねいいね。日本からきた新田さん…ですよね?」


新田「あぁ、はい…」 (No.1132 ?…1132番って事か?)


リュミラは続けた…

「まだ転生はしてないですよ、これからするかもねーってところです。さて、本題なんだけど…あなたには私の勇者になって私のいる世界で助けてもらいたいことがありまして…」


状況を説明はじめたリュミラの話をまとめると

数年前まで彼女の世界では彼女たちブルーメリアという国では魔法族が長年統べていて、みんな平和に暮らしていた。

なのに突然…巨大人型昆虫族が襲来。

その巨大人型昆虫族の王・コレウスの主導で、全昆虫族が一丸となって首都のリンデーゼに攻め込んで来たという。

魔法族は人間族と団結をし、両陣営から軍隊を出してそれを阻止しようとした。

しかし鎮圧を図ろうとしていた人間軍の1人、しかも女を狙って攫ったコレウスはその女を人質にし、まずはその首都を支配した。

その後も彼女の命を奪うという脅しをかけて、支配を広げていったのだという。


「でも…おかしな話だ。そんな女兵士1人のためにそんな大事な街を引き渡した?そんな特別な女性なんですか?」

「ま、ま、魔法族は優しいからね?女1人でも見捨てられないってね♪」


リュミラは更に続けた。

「で、悪虫の王…コレウスは現在リンデーゼの城にいます。その中に人質の女もいる。その子を助け出してきてほしいんです。その中にいる唯一の人間なのですぐ分かると思います。噂によると…黒い髪でこれくらいの身長。」


これもまた古からあるよくある話。

つまり…勇者になって囚われの姫(今回は普通の女性らしいが)を助けるという事。

しかも「もし勇者になってくれるなら、転生した時にはイケメンの勇者にしますよ!高身長でハンサム!あ。もちろん聖剣もお渡しします!どうです?」


新田は考えた…

「なんか…いい話すぎませんか。それにNo.1132って言ってましたよね。No.1131まではどうなったんですか…?」


「ん、気付いちゃいましたか、目ざといですね。あの…確かにこれまで何名かの勇者を召喚してきました。新田さんが始めてではありません。」

「1131人も…?で、その人達は…」

「彼らは…も、戻ってきません…」

「な…マジか…そんなに危険な任務なんですね。」

「そう、だからあなたに与えられるだけの物資、知識、あなたが使える魔法も全て与えます。それに、急いで行く必要はありません。ゆっくり作戦を立てて行きましょう!あ、あと…今その虫政府から与えられて住んでる私の屋敷はさほど大きくありませんが、それまではうちで過ごして貰って結構です!で、衣食住も全部面倒みます!アットホームな職場です♪」


「…絶対ブラック企業だろ!!!既に1131人被害者出てるじゃねーか!」


「違うんです、そんなんじゃないんです!それに…私とひとつ屋根の下…ですよ?♡」


この自称魔法族の女王はなまじ可愛い。

新田にはこの桃色髪でぷりんぷりんボディのかわいい女からの願いを跳ね除ける程の理性は残ってなかった。

さっき知らされた現世では死んでいるという事実を受け入れ兼ねているのもあるが、現世の新田ではなく、イケメン勇者になってチート武器を持って魔法を使って姫を助けるという…苦しい人生を生きてる現代人なら一度は夢みた“異世界転生”が出来て…

そしてなにより、男としてヒーローになるチャンスがあるのなら…やってみたい。

そう思ったのだ。


「まあ分かった、やりましょう。」



***


「勇者・新田!現れよ!!」


新田の身体に電撃のような痛みが走った。

「やっぱ痛いんだ…!いてぇ。」


気づけば魔法陣の中に片膝をついて座っていた新田。

目の前にいたのはさっき見た桃色髪のかわいい魔女、魔法族女王・リュミラ。

「来てくれたの、嬉しい♪」

「女王様…こんにちは。あ、鏡あります?イケメンじゃなかったら話はなかった事に…」

「大丈夫!心配しないで!私好みのイケメンにしてますから♪」


そういって大きな鏡の前に案内するリュミラ。

新田は自分の身体を確かめてみた…

高くなった身長、きれいな銀髪、青い目、毛穴一つない肌、割れた腹筋に長い脚…

「これは…すごい…」

「ね?勇者様♡」


***

それから新田はリュミラから腰を据えて詳しく昆虫族による襲撃の話を聞いた。

その悲惨さ、悪どさ、野蛮さ…

新田より先にブルーメリア・リンデーゼに送られ1人も戻って来ないという勇者の話。

そして数日間で家族・友人をその襲撃で亡くしたという他の魔法族も訪ねてきた。

彼らは新田の前で涙を流し、悲惨な物語を語った。


そんな話しを聞くたび、新田は自分の事のように怒りを感じ始めていた。

「なんてひどいんだ、クソ虫ども…俺が駆逐してやる!」

そんな思いを抱えていたら、自然と訓練にも力が入った。


***


数カ月後…

たくさんの訓練をして、立派に聖剣を扱えるようになってきた。

若く軽い身体で運動神経も転生前に比べれば桁違い、鍛えれば鍛えるほど筋力を付けていく。

普通の人間では数カ月で剣術を習得できるわけがないのだが、そこは魔法使いの協力もあって…である。


そして毎日聞く昆虫族の蛮行を聞くたび、昆虫族への憎しみが増加していった。

リュミラはたくさんの協力、そう…夜の訪問までしていた。

新田が簡単な魔法が使えるようになってるのもそのためらしい。


冴えないサラリーマンはイケメンの勇者に転生し、毎日鏡を見るたびにその自分の見た目偏差値を自覚し、転生に選ばれたという特別感や魔法族の女王と称するかわいい女と毎日褥を共にするようになり、更には簡単だが魔法まで使えるような生活をする事も慣れはじめていた。


***


ある日の朝、同じベッドの中で目覚める2人。


「そろそろいいかしらね…」

「女王様は容赦ないのな…恋人まで戦いに向かわせるんだから。」

「私、自信があるの。あなたなら必ずあの女をここに連れてこられると。そして奴らの支配を終わらせられると…」


そして次の満月の夜、新田はリンデーゼに向かう事になった。



***


「明日だな」

「そうね、すぐ帰ってきて…くれるんでしょう?」

「あぁ、人質を救ってすぐ帰ってくるさ。待っててくれよな。」

「もちろん、待ってるわ。」

しっかり勇者がいたについてきた新田。


馬車に向かって歩く、涙ぐみながら見送るリュミラ。

走り去る新田の乗った馬車をみえなくなるまで見送ったリュミラ。


「はあ…誰が恋人よ。」


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