最後の修行編

 時は戻って場所は変わり、ここは冒険者ギルドのある町。3日前の晩、ネメアがクレタから真実を打ち明けられた後。彼は泣き疲れてそのまま寝落ちし、彼女の腕の中で一晩を明かした。日が昇って目を覚ますと、ベッドの横に『クレタ』が立っており、声をかけてきた。


「おはよう、ネメア」


「おはよう姉さん。結局変装中の姿に戻っちゃったの?」


 しょんぼりと眉を下げてネメアが尋ねると、彼女は申し訳なさそうに首を縦に振った。


「えぇ。やっぱりテュポンが襲来するまではこの姿でいないと、大地の大精霊に襲われる可能性があるから。いつどこで、あいつが私達を見張っているか分からないもの」


「そっか……じゃあ俺、姉さんって呼ぶのやめた方がいいかな?」


「それは大丈夫! だってあいつ、私に弟がいるなんて知らないもの。それにネメアは今、ネメア・ヘリクルスじゃなくて、ネメア・レオと名乗っているでしょう? だから姉弟として接しても、私がオリーブだとバレる心配はないわ」


「あっ、確かに! 叔母さんの名字を名乗ってて良かったぁ」


 彼女と姉弟でいられる事が嬉しくなり、ネメアは破顔した。クレタもまた、心底嬉しそうに目を細める。それから彼女は話を切り替えて、今後の予定について話し始めた。


「直に私の仲間達もこの町に来ると思うから、前にエリュマが提案した通り、皆でネメアに稽古をつけるわ。全員揃うまで14日はかかるでしょうけど、アイちゃんが予言したテュポンの出現日まで、6日の猶予があるわ。時間一杯修行をしましょう。


 それからテュポンが出現した時、この町の住人に危害が及んでしまう事についてなんだけど、私が国王に手紙を出した時、住人を避難させてほしいと頼んだから、騎士団を派遣して別の町へ誘導してくれるはずだわ。


 それと、万が一私達がテュポンを倒しきれなかった時のために、周辺の町に騎士を配置してほしいとも頼んだの。なるべく犠牲者が出ないよう手を打ってあるから、私達は戦いに集中しましょう」


 ネメアは真剣な顔で頷いた。


「うん、分かった。今日は姉さんと修行するの?」


「えぇそうよ。朝食をとったら、町外れの空き地で武術を教えるわね」


 二人は身支度を整えると、部屋の隅で寝ていたオルとロスを起こし、朝食をとって宿屋を出て、空き地へ移動した。ここはよく冒険者が剣の素振りをしたり、魔法の試し撃ちをしたりしている場所だ。オルとロスは邪魔にならないよう、二人から充分に距離を取る。


 一歩空けて向かい合うと、クレタはネメアに修行の内容を伝えた。


「ネメアは今、防御力のステータスが他と比べて少し低い状態だったわね。だから今日は、私の攻撃を受け流す特訓をするわよ。できるなら反撃してもいいわ」


「反撃!? テュポンとの戦いが迫ってるのに、姉さんに怪我を負わせるのは気が引けるんだけど……」


「随分自信があるのね。ネメアの方こそ、大怪我しないように気を付けなさい」


 言葉を返した直後、クレタは目にも留まらぬ速さで地面を蹴り、ネメアの顔面目掛けて飛び膝蹴りを食らわそうとした。彼は不意打ちに驚きつつも、反射的に腕を前に出して顔を守る。鉄球が当たったかのような衝撃に襲われ、彼は「うっ!」と呻き声を上げた。骨がミシッと軋んで、足が後ろへ下がる。


 着地した彼女は考える暇も与えず、腕を右足で強く蹴りあげた。痛みで思わず彼は腕を下ろしてしまう。その隙に顎の下へ拳をいれようと、彼女は右腕を強く振り上げた。ヒュッと喉の奥を鳴らしつつ、彼は頭を上げてアッパーから逃れ、今度は彼女の右腕を掴んで動きを止めた。


 彼女は拘束を解こうと、空いている左手で拳をつくって頬を殴ろうとした。しかしそちらの腕も彼にがっしりと掴まれてしまう。同時に両足の爪先を踏まれて、足技も封じられてしまった。不利な状況に陥ったものの、彼女はニヤリと笑う。


「やるじゃない。でもそれじゃ、自分から攻撃することもできないわよ」


 自分の腕をネメアの腕ごと内側へ捻り、手を離せないようしっかりと甲を密着させると、クレタは彼の体を持ち上げて勢いよく地面に薙ぎ倒した。肩を強打した彼は、痛みと反撃された悔しさで低く唸る。


 こんな調子で、ネメアがクレタの猛攻を止められても、形勢逆転されてまた守りのターンに入るという事を繰り返し、彼は一度も反撃できなかった。単純な実力だけで言えば、彼女の方がずっと上なのである。反撃するには何か作戦を練らなければならない。日が暮れて修行を終えた後、彼はその作戦についてずっと思考を巡らせていた。


 翌日も同じように、ネメアとクレタは空き地で武術の特訓をした。ネメアは昨日と戦術を変えて、彼女の猛攻を一旦止めてから反撃するのではなく、避けたり受け流したりして、隙ができるタイミングを見計らってから反撃することにした。砲撃のように強烈な蹴りからはバク転で距離を取り、マッハの速度で迫る連続パンチは平手で振り払った。


 拳を払い続けていると、彼女は左手を払われる寸での所で止め、動揺した隙に右手の拳を腹に食らわせてきた。フェイントに対応できず、彼は体を吹き飛ばされて尻餅をついてしまう。そこへ追撃の飛び膝蹴りが顔面目掛けて飛んできた。素早くブリッジして、彼は顔を反らす。


 すると、クレタはネメアを通り越して地面に膝を強打し、痛みに顔を歪ませた。今が攻撃のチャンスだ。ブリッジの状態から足を上げると、そのまま後ろに回転して彼女の頭を蹴り飛ばした。


「いっっったぁぁぁ!!」


 叫び声を上げ、彼女は両手で頭を抱えた。最初は反撃できた喜びを感じていたものの、彼は悲鳴を聞いて不安になった。


「姉さん大丈夫!?」


 声をかけると、彼女は回復魔法の呪文を唱えてダメージを回復した。それから立ち上がって、彼に満面の笑みを向けた。


「よくやったわね、ネメア! なかなか手痛い一撃だったわ」


 彼女はビシッとグッドマークを出した。元気な様子に安堵すると、彼は気持ちを切り替えて己の成長を思い切り喜んだ。


「アハハッ、やったー!!」


 ステータスに大きな差があっても頭を使えば対抗できると実感した彼は、大きく自信をつけた。その後も修行を続ける中で、攻撃の上手い流し方やかわし方を学習していき、更に反撃するタイミングやフェイントを仕掛けるタイミングのコツも掴んだ。


…………


 クレタとの修行を始めて、4日目の夕方。稽古を終えた後、町へ戻る最中にクレタがネメアへ話しかけた。


「ネメアの防御力と身体能力のステータス、もう100に達したんじゃないかしら。この4日間、一生懸命修行に取り組んでいたし、私に反撃できる回数がどんどん増えていたもの」


「そうかもしれない。フフッ」


 努力を認められた彼は頬を薔薇色に染めた。照れくさそうに頭をかきつつ、彼女の言葉を受け入れる。彼女は、自分が強くなったと自信を持って同意できた彼に、精神的な面での成長も感じた。


「本当に、ネメアは強くなったわね。再会したばかりの頃は、俺なんかに全ステータスマックスは無理って言ったり、ファイヤースネーク討伐の時も、俺じゃ絶対に敵わないって言ったり、自己否定が酷かったもの。ネメアが自分の力を信じられるようになって嬉しいわ」


「俺が自信を持てるようになったのは、姉さんと修行して強くなれたからだよ。ありがとう、姉さん」


 弟子としてはこれまで何度も礼を伝えていたものの、ネメアが弟として修行の礼を伝えるのは、これが初めての事であった。厳しい修行を弟に強いていた事を、心の内で苦しく思っていた彼女は、その言葉で救われた。感極まって目頭がカッと熱くなる。


「良かった……私の選択は間違っていなかったのね」


 涙を人差し指で拭って鼻をすすると、彼女は話を続けた。


「私、最初はネメアと再会する事に躊躇していたの。10年も会っていなかったから、どう接していいか分からなくて。それでも、貴方が冒険者として上手くやれているか心配だったから、次世代の強い冒険者を育てるために頻繁にギルドへ通っていたキャンサに、様子を見てきてもらう事にしたのよ。


 ある時キャンサから、ネメアが加入していたパーティーに、自分も加わる事になったという内容の手紙を貰ったの。より近くで貴方の様子を見るために、リーダーへ声をかけてくれたんですって。その手紙を読んだ時、自分の弟の事なのに、ここまで友人に任せきりになるのは駄目だと思って、私自身も様子を見にいくことにしたの。


 そしてあの日偶然、貴方がパーティーから追放されている所に出くわしたのよ。まさか、キャンサと入れ替わりで貴方が追放される羽目になるとは思わなかったわ。


 あの光景を見て私は、オリーブ・ヘリクルスとしてではなく、クレタ・トーラスとして接しようと心に決めたの。姉として甘やかさず、他人として強くなれるよう厳しく指導する事が、貴方のためになると考えたのよ。追放した奴らに馬鹿にされたまま、悔しい思いをしてほしくなかったの」


 彼女が正体を隠していた理由を改めて聞かされたネメアは、深い愛情を感じて心が温かくなった。


「姉さんは、どうすれば俺が一番幸せになれるか考えてくれたんだね。俺、強くなって自分を誇りに思えるようになって、凄く幸せだよ」


「貴方を幸せにできて、私も幸せだわ」


 胸に手を当て、彼女は彼に微笑んだ。その顔は夕日に照らされて、温かなオレンジ色に輝いていた。


 会話しながら歩いている内に、ネメアとクレタは冒険者ギルドのある町から目と鼻の先ほどの距離まで来ていた。そこには停留所があり、ちょうど馬車が停車した所だった。そこから降りてきた二人の人物を見て、クレタとネメアはにこやかに声をかけた。


「エリュマ、ケネイア! 来てくれたのね!」


「エリュマさん、ケネイアさん、こんにちは」


 声をかけられた二人は、クレタ達に手を振って歩み寄ってきた。


「4日ぶりね、クレタ、ネメアさん」


「私はヒュドラ討伐以来だね、クレタ、ネメア君」


「待ってたわ二人とも。早速だけど、色々と話したいことがあるから聞いてちょうだい」


 四人は道の端に寄った。オルとロスは、ネメアの後ろをトコトコと付いていく。二匹を初めて見るケネイアは不思議そうな顔をした。クレタはまず、彼女に二匹の事を紹介した。


「ケネイア、ネメアの後ろにいるあの子達は、死の大精霊の使いよ。オルとロスっていうわ。ネメアの実力を認めて付いてきたのよ」


「へぇ、死の大精霊の使いか。私はケネイア・オリオン、よろしく頼むよ」


 ケネイアはしゃがんでオルとロスに視線を合わせた。二匹がそろりと近づいてくると、彼女は軽く握った手を鼻の近くに差し出した。二匹は匂いを嗅ぎ、同時にこくりと頷く。それから仲間として認めた証に「キャン!」と吠えると、ネメアの背後に下がっていった。


 次にクレタは、自分の正体をネメアに明かした事を二人に告げた。


「私の正体をネメアに教えたわ。この子は賢いから直にバレてしまうだろうし、テュポンとの戦いで万が一何か起こって、真実を打ち明けられなくなる前に伝えておかなきゃと思って」


 報告を受けたエリュマとケネイアは、感慨深い気持ちになった。


「私達、魔物の討伐で忙しかったり、大地の大精霊の復活に備えて別人に成り済まさなきゃいけなかったりして、家に帰れる機会がなかったわよね。クレタはずっとネメアさんのことを気にかけていたから、姉弟として再会できて安心したわ」


「あぁ、ネメア君が寂しがっていないか、よく心配していたしね。そう思うなら早く本当の事を言えばいいのにと、私はジリジリしていたよ。ゴーレム討伐の時、つい君達が姉弟な事を口走ってしまいそうになった。あの時は、まだ話す時じゃないと言っていたけれど、本当はいつ話すつもりだったんだい?」


 クレタはケネイアからの質問に答えるついでに、話を変える事にした。


「ネメアが全ステータスをマックスにできた時よ。そこで話は変わるんだけど、手紙に書いた通りケネイアには、ネメアの攻撃力と武器を扱う技術のステータスを鍛えてほしいの。明日からお願いできるかしら?」


「もちろん。エリュマ、店から武器や装備を色々持ってきたと言っていたよね。ネメア君に見繕ってやってくれないか」


「任せて。もうすでに、ネメアさんに合う武器と装備を考えてあったの。ここで渡すのも難だし、宿屋で部屋をとってからにするわね」


 端に寄っているとはいえ、道で話し続けるのは通行人の邪魔になってしまうので、続きは宿屋でしようという事になり、四人と二匹は冒険者ギルドのある町へ入っていった。すると、何やら焦り声があちこちから聞こえてきて、慌ただしい雰囲気が漂っていた。


 何事かと思ってネメアが周囲を見渡すと、王国のシンボルが描かれたマントを羽織った騎士達が、家を訪ねて住人に何かを伝えている所を発見した。話の内容に聞き耳を立てると、16日後に大雨が降って近くの河川が氾濫し、町が流されてしまう危険があるので、近隣の町へ避難するよう指示していた。


「え、雨で町が流されるって話、本当かな……?」


 心配そうにネメアがクレタに尋ねると、彼女はクスリと笑って首を横に振った。

「違うわ。正直にテュポンが出現すると伝えれば、戦おうとする冒険者が現れるから、嘘を吐いてほしいと手紙に書いておいたの。昔テュポンが暴れた時、家族の命を奪われた復讐をするため、冒険者になった人が沢山いたわよね。この町はギルドがあるから、そういう人が沢山いるわ。テュポンは並大抵の強さで勝てる相手じゃないから、他の冒険者を巻き込みたくなくてそう頼んだの」


 クレタの話にケネイアが続いた。


「弱い者がいると足手まといだからな」


 棘のある彼女の言葉に、ネメアは眉をピクリと上げた。事実とは言え、もう少し柔らかい言い方はできなかったのだろうか。表情から彼の考えを汲み取って、苦笑しながらエリュマがケネイアの言葉の意味を解説した。


「ケネイアは、テュポンとの戦いで犠牲になる人を増やしたくないと言っているのよね。フフッ、素直じゃないんだから」


 エリュマがチラリとケネイアの方を見やると、彼女は顔を反らして頬をかいた。その気恥ずかしそうな反応が、エリュマの解説の正しさを証明している。


 真意を知ったネメアは顔を緩ませた。そして、ケネイアと初めて会ったゴーレム討伐の時の事を思い出した。あの時は素気無い態度を取られていたが、それは戦いで命を落としてしまわぬよう、ゴーレムに太刀打ちできるという過信から目を覚まさせるためだったのだ。


 彼女の優しさに気が付いた彼は、胸が熱くなった。実のところ、彼は彼女の事を戦士としては尊敬していたが、初対面での対応が気にかかり、少し苦手に感じていたのだ。しかし今は、心の底から好感を抱ける人物だと思えるようになった。


 クレタは改めて町の様子を観察し、ホッと胸を撫でおろした。


「避難誘導が始まって一安心だわ。でもこの様子だと、宿屋に泊まれなくなっちゃうわね」


 今日から野宿をしようか、そんな考えが彼女の頭に浮かんだ時、一人の騎士が四人と二匹を見て、ピシッと動きを止めた。それから頭の天辺から足の先まで注視すると、一行の元へ近づいてきた。


「そこの赤いドレスを着た黒髪の方、国王様に手紙を送ったのは貴方ですね?」


「えぇ、そうよ」


 尋ねられたクレタが返事をすると、騎士は軽く頷いた。


「国王様から皆様の話を伺っております。皆様を我々の野営地へ案内するよう申し付けられておりますので、ご同行いただければと存じます」


「私達を連れていく目的は?」


「かの魔物との戦い方をご教授いただきたいのです。何しろ我々は対人専門なので、魔物との戦闘経験がほとんどございません。そのため、野営地に宿泊していただき、詳しく話をお聞かせ願いたいのです」


「なるべく、貴方達の出番は無い方が良いのだけれどね。分かったわ、野営地まで案内してちょうだい」


 一行は騎士の先導で、冒険者ギルドのある町から北に4キロ離れた場所にある、騎士団の野営地まで移動した。そこには一塊にテントが建てられた地帯とは別に、6張だけテントが建てられた場所があった。一行はその6張のテントの場所へ案内された。


「ここが、皆様のために用意したテントです。どこでもお好きな所をお使いください。今日はもう遅いので、話は明日聞かせていただきます。朝になったら迎えの者が来ますので、その者と共に騎士団長のテントへ向かってください」


 案内を終えた騎士は去っていった。4人はそれぞれのテントを決め、オルとロスは、ネメアと同じテントで寝泊まりする事になった。


 宿が見つかって一段落着いたので、武器と装備を貰いに、ネメアはエリュマのテントへ入れてもらった。残りの者達は、彼の新しい姿がお披露目されるのを外で待っている事にした。


 エリュマは頭に着けたヘアネックレスに付いた緑の宝石に触れ、呪文を唱えた。すると、かなり大きな宝箱が二人の間にドカンと現れた。


「さぁ、開けてみて。そこにネメアさんのために選んだ、武器と装備が入っているわ」


 派手な宝箱を前に緊張感が湧き、ネメアはゴクリと唾を呑み込んだ。両手でゆっくり箱を開けると、鏡のようにピカピカな金属の胸当てとブーツ、分厚い金色の毛皮の腰巻き、丈夫な生地でできた黒い服とズボンとグローブ、そしてダイヤモンドが付いたシルバーの額当てが入っていた。


 あまりに豪華な装備に、彼は度肝を抜く。一瞬、カッと目と口を開けながら静止してしまった。我に返ると、彼は声を震わせながらエリュマに問いかけた。


「あ、あの、こんなに凄い装備、全部でいくらするんですか……? 俺に払えるとは、到底思えないんですが……」


 質問しながら、彼の顔は徐々に青ざめていった。彼女はにっこり笑って答える。


「お代はいらないわ。人類を救ってくれる英雄にお金をねだるなんて失礼だもの。それに、金属製の物はタダでもらったものだから、そんなに懐は痛まないわ。また世界がテュポンの危機にさらされた時のためにって、ムパリの旦那さんのパトスさんから、造った武器や装備を貰っていたのよ」


「へぇ! パトスさんが造った物もあるんですね。ムパリさんや姉さんが、パトスさんは鍛冶の腕前が一流で、造った武器や防具は世界一優れていると言っていました」


 ここで彼はある事に気がついた。


「あれ? そう言えば武器はどこにあるんですか? 宝箱を召喚した時、武器も入ってるって言ってましたよね」


「それはこの額当ての中に封印されているわ。頭に着けて、欲しい武器を思い浮かべてみて」


「分かりました」


 ネメアは額当てを着け、短剣を思い浮かべた。すると、ダイヤモンドがピカッと光り、手に短剣の柄が握られていた。切っ先は鋭く、岩をも切り裂けそうである。次に斧を頭に浮かべると、短剣はダイヤモンドの中に吸い込まれていき、替わりに斧の握りが手中に収まっていた。


「うわぁ、凄い! これ、他にはどんな武器が入っているんですか?」


「大体何でも入ってるわよ。例えば弓矢とか投げ槍とか、遠距離系の武器もあるわ。ネメアさんは一つの武器に絞って戦うより、状況に合わせて武器を変えながら戦う方が向いてると思ったの」


「なるほど、確かにそうかもしれません。多彩な戦い方ができるのが、俺の長所ですから」


「自分の長所を見つけられたのね、ネメアさん」


 パーティーを追放されたばかりで意気消沈していた、最初に出会った頃の様子と比べ、今の彼は自信に満ちている事を、彼女は喜ばしく思った。彼は「はい」と芯のある声で応え、誇らしげな笑みを浮かべた。


「私も外へ出て待ってるから、装備を着けてみてくれないかしら?」


「分かりました!」


 彼女がテントから出ていくと、ネメアは貰った装備に着替えた。黒い服とズボンとグローブは、身に付けると体の一部であるかのようにしっくりきて、毛皮の腰巻きはずっしりとした安定感があり、胸当てやブーツは金属でできているにも関わらず、軽くて動きやすかった。最後に額当てを被って前髪をビシッと上げると、彼は外で待つ皆の前に姿を現した。


 皆の目には、ネメアが気高き獅子のように映った。クレタとケネイアは感心し、エリュマは自分の見立てが正しかった事に高揚感を抱く。オルとロスは頭を高く持ち上げて、彼の勇ましい様相をじっくりと見つめながら尻尾を振った。


「とても似合ってるわよ、ネメア。格好いいわ」


「あぁ、様になっているね。強くなった今の君に相応しい装いだ」


「二人ともありがとうございます。エリュマさんも、俺のために武器と装備を選んでくれて、ありがとうございました」


「どういたしまして」


 立派な姿の彼を前に、エリュマは満足そうに微笑んだ。


 ネメアの新装備のお披露目が終わった後、皆は騎士団から振舞われた夕食を食べ、各々のテントで一晩明かした。


 翌朝、4人と2匹が泊まっているテントの元に、騎士団長の元へと案内する迎えの騎士がやってきた。ネメアとケネイアは修行するため、共に付いていく事はできないという旨を説明し、クレタとエリュマだけその者に付いていった。オルとロスはネメア達に付いていった。


 ネメアとケネイアは、騎士団の野営地周辺に草原があったため、そこで修行をする事にした。ケネイアはネメアに稽古の内容を伝えた。


「今日の稽古は試合にしよう。ルールは、先に膝をついた方が負け。決着がついたら今日の稽古は終わりだ」


 内容のシンプルさに、彼は驚いた。


「えっ、それだけでいいんですか? 攻めを重視するとか、守りを重視するとかもなく? しかも、決着がついたら終わっていいんですか!?」


「あぁ。まずは君の実力が見たい。どんな風に鍛えるか考えるのは、それからの方が良いだろう? 武器は何を使ってくれても構わない。さっそく試合を始めよう」


 彼女は彼から間合いを取り、腰から剣を抜いた。ネメアは話の早さに戸惑いつつ、どんな武器を使おうか考えた。


 ケネイアは硬いヒュドラの首をバサバサと切り落としていたため、一振の威力が非常に高く、一撃でも食らえばすぐに膝をついて負けてしまうだろう。だが彼女の剣さばきは素早く的確なため、避ける事も難しい。クレタは大技を避ければ大きな隙がうまれたものの、剣術に隙ができる技は無いため、攻撃する暇も無さそうだ。


 考えられる対策はただ一つ、彼女の間合に入らない事である。それならば、距離を取りながら攻撃できる、槍を使うのが適切だろう。考えがまとまると、彼の額当てに付いたダイヤモンドがキラリと光り、手の中に槍が収まった。


「準備はいいかい?」


 彼が武器を手にしたのを見て、彼女はそう尋ねる。


「もちろんです!」


 彼は大きく返事をして、槍を構えた。二人の戦いの幕が上がる。しかし両者は相手を真っ直ぐ見つめたまま、動こうとしなかった。互いに相手の出方を窺っているのだ。辺りは静寂に包まれ、サワサワと風に揺れる草同士が擦れる音だけが微かに響く。


 それまで草原を駆け回って遊んでいたオルとロスは、周囲の気配が変わったことを察知して、ピタリと動きを止めた。それから二人の方へゆっくりと近づき、どちらが先に動くか注視した。


 二匹の耳が、地面を踏みしめる僅かな音を拾う。オルは興奮気味にピンッと尻尾を立て、ロスの髭がピクリと動いた。


 先に動いたのはケネイアだった。ネメアが反応する間もなく一気に距離を詰め、剣身で両手を強く叩いた。衝撃で彼は手を離し、槍を落としてしまう。その刹那、彼の腹に重い衝撃が走った。彼女が素早く剣の持ち方を変え、柄頭で鳩尾を突いたのだ。「オエッ」と嘔吐き、彼は腹を押さえて地面に膝をつけてしまう。


 あっという間の決着に、ネメアは放心して立ち上がることができなかった。勝負を見守っていたオルとロスも、ガッカリして耳を下げる。


 頭が真っ白になってしまったネメアに、ケネイアは声をかけた。


「立つんだネメア君。いつまでも地面に膝をつけているのは、戦士としてみっともないよ」


 そう言われ、彼はヨロヨロと立ち上がった。なぜ、一瞬で決着がついてしまったのか、訳が分からず彼は目を回している。そんな彼に答えを解らせるため、彼女はまず質問した。


「君はなぜ、私と戦う武器に槍を選んだんだい?」


 彼は震える声で答えた。


「ケネイアさんは剣術の達人だから、攻撃を喰らったらひとたまりもないし、避けるのも困難だと思ったんです。だから、剣の間合に入らず攻撃できる槍を選びました」


「やはりそうか。なぜ私に負けたのか、今自分で説明していて気づかなかったかい?」


「……分かりません、教えてください」


 彼は迷子のような顔で教えを乞うた。


「君は攻めに対して弱気になっていた。だから負けたんだよ」


 彼女の指摘は、彼の胸に深く突き刺さった。確かに自分は、攻撃を食らわないようにする事ばかり考えて、自分から攻撃しようと考えていなかった。攻めに対する気持ちの強さで、彼女に負けてしまったのだ。


「明日の稽古も試合にしよう。どうすれば勝てるようになるか分かるね?」


「はい!」


 気持ちを切り替え、ネメアは力強く答えた。それから二人は別々の場所で自主練習に取り組んだ。ネメアはケネイアとの戦いを脳内で何度もシュミレーションし、どのような攻撃が有効か探った。それが見つかると、今度はその方法を実際に行う練習をした。


 ケネイアとの修行2日目。ネメアは彼女からの攻撃を恐れず、自分からガンガン攻めていく方針で試合に挑んだ。武器は、高い威力の攻撃を繰り出せる斧を使用した。まず結果を言えば、彼は敗戦した。


 斧は重い打撃を与える事ができるものの、振るう時の俊敏さには欠ける。そのため攻撃を容易く剣で払われてしまい、隙をついて腰を剣身で叩かれ、地面に倒れてしまったのだ。


 しかし、彼は確かな手応えを感じていた。彼女が剣で斧をいなす瞬間、僅かによろめいている事に気がついたのだ。受け流せてはいるものの、やはり強い衝撃は耐え難いのだろう。


 この事を踏まえ、彼は3日目の試合で俊敏さと攻撃力を兼ね備えた武器を使う事にした。選んだのは長剣だった。


 自分と同じ武器を選んだネメアに対し、ケネイアは冷たい笑みを浮かべた。


「へぇ、剣で私と戦おうなんて、随分と挑戦的じゃないか」


 そう言うや否や、斬擊の雨が彼に降り注いだ。攻撃を受け止めるのに精一杯で、反撃している暇がない。


 剣は、槍などの遠距離武器に対しては攻撃が届きにくく、斧などの攻撃力が高い武器には威力で押しきられてしまうため、あまり強く出られない。そのため彼女は今まで本気を出せていなかった。だが、同じ中距離武器、しかも長剣相手となれば話は別だ。実力差でもって圧倒されてしまうのは当然の事だった。


 実力で勝てないのなら、頭で勝つしかない。彼はクレタとの修行で学んだ事を活かし、奇策を練ろうと頭を回転させた。だが、長剣はトリッキーな戦い方ができないため、何も思い付かなかった。しばらく地獄のような猛攻に耐えていたものの、いつしか限界が来てしまい、彼はギブアップを宣言した。


 試合後、ネメアは反省点を洗い出した。初日に考察した通り、やはりケネイアの間合に入るのは危険だ。彼女に勝つためには、遠距離から攻撃できて、なおかつ重い打撃を与えられて、さらに意表をつける武器でないといけない。意表をつける武器と言えば、鎌だろうか。


 槍と斧と鎌が合体したような武器があればいいのに、と彼は思った。その時、額当てのダイヤモンドがキラリと輝き、先端には槍、右側には斧の刃、左側には鎌の刃が付いた武器が召喚された。


 自分の思い描いた武器を額当てが産み出したのかと思い、彼は驚いて目をしばたたいた。だが一旦冷静になると、その武器は見たことがあるものだと気がつき、すぐにホッとした。


「なるほど、ハルバードか!」


 しっくりきたので、彼は4日目の試合に使う武器をハルバードに決めた。それから、適切な距離を保ちつつ、攻めの姿勢は忘れない事を意識して、ハルバードを使う練習をした。さらには搦め手も考案しておいた。


 ケネイアとの修行4日目。雲一つない清々しい青空の下、二人は武器を構えて向かい合った。オルとロスは、お行儀よくお座りして様子を見守っている。初日は緊張気味に凝視していたが、二匹はネメアが努力する姿をずっと見ていたため、彼ならやり遂げるだろうと確信し、落ち着き払っているのだ。


 最初に仕掛けたのはネメアだった。試合が開始するや否や、彼はハルバードの槍で乱れ突きを繰り出した。こうする事で、ケネイアは簡単に距離を詰められなくなる。彼女は高速で繰り出される槍の刺突を剣で払いながら、少しずつ接近してきた。


 二人の距離が縮まるに連れ、ネメアがハルバードを持つ角度は急になり、攻撃できる範囲が狭くなっていく。傾きが90度に迫り、攻撃が手薄になった所で、ケネイアは剣を大きく左に振り、彼の脇腹へ打撃を与えようとした。それが彼の狙いだった。


 彼は一歩後ろに飛び下がると、ハルバードの斧を右に振って剣を迎え撃った。ガキンッと、激しく金属同士がぶつかり合う音が響く。与えられた衝撃により、よろめいた彼女の右足が僅かに宙へ浮く。その瞬間を逃さず、彼は膝の裏にハルバードの鎌を素早く差し込んで、両手で柄を持ち、グイッと後ろに引っ張った。前方へ体勢が崩れた彼女は、右膝を地面に付く。


 試合のルールは、先に膝を付いた方が負け、つまりネメアは勝ったのだ。ついに勝利を収めた彼は、「よしっ!」とガッツポーズを決めた。


 戦いに破れたケネイアは、立ち上がるとネメアに拍手を送った。


「やられたよネメア君。やっぱり君は戦術を練るのが上手いね」


「はい。3日間の試合を踏まえて、ケネイアさんと戦うのに相応しい武器を考えたんです。ハルバードが額当ての中に封印されていてラッキーでした」


「なるほど。しかしお目当ての武器が手に入ったからと言って、それを使いこなせるとは限らない。それなのに君は、斧でも剣でもハルバードでも、何だって使いこなしてみせた。これは君だけの、唯一無二の才能だよ。こんな器用な事ができる者は中々いない」


 普段は厳しいケネイアに手放しで褒められたネメアは、嬉しくなって頬を赤く染めた。


「エヘヘ、ありがとうございます。次はどんな修行をすればいいですか?」


 尋ねると、彼女は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。


「私から教えられることは、もう何もないよ。テントに戻って休息を取ろう」


 彼が頷くと、二人は草原を出て自分達のテントが建っている所へ戻った。クレタとエリュマは騎士団長との話し合いで留守にしている。だが、今朝まで空いていた5つ目のテントから、ピンク色の髪を2つ結びにした女性が現れた。


「ケネイア、ネメア君、おはよう。クレタと天空の大聖霊様から手紙を貰って大急ぎで駆けつけたら、冒険者ギルドのある町にほとんど人がいなくなっててビックリしたよ。クレタも国王も仕事が早いね」


 キャンサは感心した様子で、自分が来た時の事を話した。


「おはようキャンサ。テントには今来た所かい?」


「うん。最初見た時誰もいなかったから、場所を間違えちゃったのかなって不安になったよ。二人が来てくれて安心した。


 あれ? ネメア君の足元にいる二匹の白い犬って、死の大聖霊様の使いだよね?」


 オルとロスに気がついたキャンサは目を丸くした。


「はい、この子達はオルとロスです。俺の事を気に入ったみたいで、仲間になってくれたんですよ」


 ネメアが紹介すると、オルとロスは自らキャンサの前に進み出て、ペコリと頭を下げた。珍しく礼儀正しい二匹の様子に、今度はネメアが驚く番だった。初対面の相手には足の後ろに隠れているか、酷ければ唸っていたのに。こんな態度を取ったのは、大海の大精霊ぐらいだった。


「キャンサさん、もうオルとロスに認められるなんて凄いですね。この子達が自ら進み出て挨拶するなんて、滅多にない事ですよ」


「へー、そうなんだ。私が精霊だから、自分達より偉い奴だと思って挨拶してくれたのかな。初めまして、可愛い番犬さん達」


 キャンサは二匹に微笑みかけた。挨拶を返すように、二匹は「キャン!」と吠える。


「えっ、キャンサさんって精霊だったんですか!?」


 さらっとキャンサが話したのでスルーしていたが、よくよく考えると衝撃の事実だったため、時間遅れでネメアは驚嘆の声を上げた。


「うん、私は国の精霊なんだ。精霊と言っても、私は完全に人間の見方だよ。人間がいないと国は成り立たないからね。


 ところでネメア君、私がクレタに仲間として呼ばれたって事は、もう誰が君のお姉さんなのか分かるよね?」


 キャンサからの質問に、ネメアは大きく頷いた。


「はい。前にキャンサさんからヒントを貰った時、答えに辿り着けました。でも、見た目も性格も記憶の中の姉さんと全く違うから、信じられなくて答えから除外しちゃってたんです。だけど9日前の夜に、姉さんの方から真実を告げられました」


 クレタがオリーブであるという真相に辿り着いていたのに、信じられずにスルーしていたと聞いて、キャンサは苦笑いした。


「アハハ、私の魔法で全くの別人の姿になってたもんね。それにクレタは昔と随分性格が変わったし、違うと思っちゃってもしょうがないよね」


 クレタの性格がガラリと変わったという話に、ケネイアも同調した。


「あぁ。昔のクレタはおとなしくて地味だったな。冒険者として成果を上げ始めてから、徐々にあか抜けていったね。おっと、噂をすれば本人が来た」


 騎士団長との話し合いに一区切りつき、休憩時間になったクレタとエリュマが戻ってきた。


「あら、どんな噂をしていたのかしら?」


 クレタが問いかけると、キャンサが答えた。


「クレタって変わったよねって話してたんだよ」


「ふーん、そうだったの。ご足労様、キャンサ。ケネイアは、ネメアに稽古をつけ終わったの?」


「あぁ。とうとう試合に負けてしまってね。彼が私から学ぶことはもうないよ。ちょうどキャンサが来たことだし、次は彼女と修行するのがいいんじゃないかな」


「そうね。ネメアに魔法の稽古をつけてもらえるかしら、キャンサ」


「いいよ」


 キャンサはこくりと頷いた。


 ネメアはキャンサのテントに招かれ、修行の内容を説明してもらった。彼女が鍛えようとしていることは2つあり、1つは魔法の射程範囲を広げること、もう1つは高火力な魔法を使えるようにすることだ。


 共闘したのはヒュドラとの戦いの時だけだったが、それでも彼女は彼の伸ばすべき点を見抜いていた。


「せっかくデメリット無しで回復魔法を使える事だし、もっと射程範囲を広げるべきだと思うんだ。それに、ネメア君はサポート特化な魔法の使い方をするけど、1つぐらいは大技があっても良いと思う。


 サポーターは魔物からも、大して強くないから前線に出ないんだと思われて、油断されやすい。そんな人が強力な技を放ったら、相手の意表を突いて大きなダメージを与えられるでしょ?」


 キャンサの意見にネメアは感銘を受けた。だが、同時に懸念も湧いた。


「なるほど、確かにそうですね! でも、強力な魔法は詠唱が長いし、魔力と体力を大きく消耗しますよね。俺の役目は気転作りが主ですし、あまり合わないんじゃないですか?」


 不安そうな彼の肩に、彼女はポンッと手を置いた。


「大丈夫、ネメア君は同時に2つの魔法を使えるでしょ? それを応用すれば、低コストで高火力の魔法が撃てるよ」


「本当ですか!? ぜひ教えてください!」


 自分でも強力な魔法を撃てると聞き、ネメアの心は沸き立った。実の所、彼も強い魔法を盛大に放ってみたいと思っていたのだ。ただ、それは自分に求められている役割ではないと分かっていたため、今までサポートに徹していたのだ。


 昼休憩を挟み、時刻は午後1時。二人は草原に赴いて修行を始めた。まずは、魔法の射程範囲を広げる特訓から始めた。キャンサが魔法で氷柱を召喚し、頬を切り裂いて傷を付ける。それからネメアと3メートル距離を取った。


「私の頬の傷を回復してみて。徐々に距離を取っていくから、今日は6メートルを目指そう」


「分かりました」


 返事をすると、ネメアは回復魔法の呪文を唱えた。3メートルなら届いた事がある範囲だ。キャンサの傷はあっという間に塞がる。次に彼女が1メートル下がると、傷が塞がるまでに少し時間がかかった。更にもう1メートル下がると跡が残り、6メートル距離を取ると回復する事ができなかった。


 これを踏まえて、彼女は4メートル地点に戻り、再度彼に回復魔法を使うよう指示した。傷が塞がり始めた所で、彼女はゆっくりと後ろに下がっていく。すると、先ほどは跡が残ってしまった5メートル地点でも、綺麗さっぱり傷が無くなった。


「うん、少しずつ距離を離せば届くみたいだね。この調子で射程範囲を広げていこう」


 それから彼の魔法は伝い歩きを始めた赤子のように、少しずつ遠くへ届くようになった。一時間かけて、とうとう6メートル離れた所にいる彼女の傷を瞬時に回復できるようになると、その場は歓喜に満ちた。


「わぁっ! やりましたよキャンサさん!」


「おめでとうネメア君! 今日の射程範囲を広げる特訓はこれぐらいにして、次は大技を使う特訓をしようか」


「はい! 2つの魔法を同時に使う事を応用するって言ってましたけど、具体的にどの魔法とどの魔法を使うんですか?」


「今からやるから当ててみて」


 いたずらっぽく笑うと、キャンサは拳大の岩を落とす魔法の呪文を口で唱え始めた。拳大の岩を落とす魔法は、魔力のステータスが30あれば使える簡単な魔法で、呪文も5秒で唱え終わる。こんな簡単な魔法をどう大技に変えるのか、ネメアは興味津々に観察した。


 詠唱が終わった時、上空から光輝く物体がとてつもない速さで落ちてきた。ドゴーンッと言うけたたましい音と共に、地面にクレーターができる。あまりの衝撃にネメアは言葉を失った。


「どう? どの魔法を組み合わせたか分かった?」


 目を細めて尋ねてきた彼女に対し、彼はブンブンと首を横に振った。


「いやいやいや、分かるわけないですよ! こんな魔法見たことありません! 1つは岩を落とす魔法でしょうけど、もう1つは全く見当がつかないですよ。俺にこんな魔法が使えるようになるんですか?」


「なれるよ。光の球を生み出す魔法は使えるよね?」


 意外な魔法の名前が出てきて、ネメアは困惑した。


「使えますけど、どういう仕組みで強化してるんですか?」


「光の球のエネルギーを物体に付与して、素早く動かせるようにしてるんだ。水の魔法に付与すれば、魔物の体を貫通できるよ」


「へ~。そんなに手軽に強力な魔法を撃てるんですね。もっと早く知りたかったなぁ」


「ううん、早くから知っててもできなかったと思うよ。ステータスが低いと魔法の同時発動はできないし、魔法の効果を別の魔法に付与するのは、高度なコントロールが求められる。つまり、高ステータスな人じゃないとこの技は使えないんだよ」


「世の中、そう上手い話は無いんですね」


「そう言うこと。それじゃあ、ネメア君も今の技をやってみて」


「分かりました!」


 キャンサとの特訓の日々は、クレタやケネイアの時と比べて穏やかに過ぎていった。だが、テクニックを要する分、目標を達成するのは非常に難しかった。4日間の修行の末、彼女の的確なアドバイスと彼の懸命な努力により、射程範囲の大幅な拡大と大技の習得に成功したのだった。


 テュポンが襲来すると予言された日まで残り6日。早朝、ネメア達の眠るテントが並ぶ場所に、軽快な足音が迫ってきた。目を覚ましたクレタがテントを出ると、足音の主は彼女に飛び付いた。


「ごめんクレタ! 遅くなっちゃった!」


 ムパリは心底申し訳なさそうな顔をしてそう言った。彼女の髪はまとめられておらず、急いでここに駆けつけた事が伺える。クレタは彼女に抱擁を返すと、首を横に振った。


「謝らなくていいわ、ムパリ。アンドロメダ島からここまで来るのは大変だったでしょう? 貴方が無事に到着して良かったわ」


 ハグをやめると、クレタはムパリをテントに招き入れ、再会するまでに起こった出来事を語った。激動の冒険譚に彼女は感情を高ぶらせたが、中でもネメアの成長に強く心を動かされた。


「ネメアさん、ヒュドラや天空の大精霊と戦ったり、アイちゃんの使いに認められたり、随分強くなったんだね。ずっと頑張ってて偉いよ。ステータス全マックスのための最後の一押し、誠心誠意やらせてもらうね」


「えぇ、よろしく頼むわ。長いこと話していたし、そろそろ皆起きてくる頃ね。貴方が来たことを報告しなくちゃ」


「そうだね。あたし、皆に会えるの楽しみにしてたんだ」


 テントから出ると、クレタは皆に声をかけた。


「皆、ムパリが到着したわよ!」


 彼女の呼び掛けに、元仲間の3人はサッとテントから出てきた。ムパリは彼女達とハグを交わした。


「エリュマ、ケネイア、キャンサ、久しぶり!」


「久しぶりね、ムパリ。元気そうで何よりよ」


「フフッ、君は相変わらずスキンシップが激しいね」


「また会えて良かった、ムパリ」


 四人が再会の喜びを分かち合うと、オルとロスを抱えたネメアがテントから遅れて出てきた。


「おはようございます、そしてお久しぶりです、ムパリさん」

「久しぶり、ネメアさん! その子達はアイちゃんの使いの、オルちゃんとロスち

ゃんね。クレタから聞いたよ、実力を認めてついてきたんでしょ? 大精霊の使いから認められるなんて、ネメアさんやるじゃん!」


「へへ、ありがとうございます。でも実は、アンドロメダ島で自主練習中に初めて会った時から、なぜか懐かれてたんです。何がきっかけで認めてくれたのか、俺自身も分からないんですよね」


 褒められて頬を赤くしながらも、ネメアは疑問を口にした。すると、二匹が腕の中から飛び出して、前足で絵を描き始めた。


 オルは、旗の立った半月形の物体と、8本の足が生えた丸い何か、それに長い棒を持って立ち向かう棒人間を描いた。ロスは、海でそりを引く2つのフワフワした物体と、その手綱を握る棒人間を描いた。


 何を伝えたいのか分からず、ネメアはエリュマに頼んで、二匹の絵を読み解いてもらうことにした。賢い彼女なら解読できると思ったのだ。顎に手を当てて少し考えた後、彼女はにっこりと笑った。


「オルの方は、ネメアさんが船でクラーケンと戦っている所、ロスの方は、その様子を見守る自分達とアイさんを描いたんじゃないかしら?


 アイさんはお化けクジラの事を伝えるために、ネメアさんとクレタが護衛する船を、オルとロスを連れて追っていたんだと思う。その時、クラーケンに立ち向かうネメアさんの姿を見て、実力者だと認めたんじゃないかしら。そうよね、オルとロス?」


 エリュマが確認すると、オルは尻尾を振って「キャン!」と鳴き、ロスは深く頷いた。二匹がついてきた理由を知ると、ネメアは感慨深くなった。


「そっかぁ、クラーケンとの戦いの時だったんだ。クレタさんが拘束されて、一緒に戦ってくれた船員の皆さんも倒れちゃって、立ち向かえるのが俺しかいなくなった時は、凄く不安だったな。それでも勇気を出して立ち向かったから、オルとロスは認めてくれたんだね」


 しゃがんで目線を合わせ、彼は二匹に話しかけた。オルは彼の膝をポンポンと叩き、ロスは頭を擦り付け、その通りだと肯定した。


 ムパリはオルとロスを見やると、とある提案をした。


「ねぇ、オルちゃんとロスちゃんもあたし達と修行しない? 一緒にテュポンと戦ってくれるんでしょ?」


 オルは「キャン!」と鳴いて肯定し、ロスも大きく頷いた。ネメアは二匹を抱え上げると、修行の内容について尋ねた。


「オルとロスも一緒にできる修行って、どんな事をするんですか?」


「それはね、あたしの攻撃を回避するって修行だよ。テュポンは体が大きくて攻撃の威力が高い上に、一撃一撃の間隔がとても速いの。それを防御し続けるのは難しいから、回避の修行をしようと思ったんだ」


「なるほど、それはとても大事な修行ですね。オル、ロス、一緒に頑張ろう!」


 ネメアが声をかけると、オルは自信満々な笑みを浮かべ、ロスは彼の胸に頭を擦りつけた。


 支度を整えると、二人と二匹は草原に向かった。ムパリは靴と靴下を脱ぎ、腕を大きく広げて、両腕を翼に、両足を鉤爪のある鳥の足へと変化させた。オルとロスは首輪を前足でポンポンと叩き、名前の書かれた部分をなぞるよう、ネメアに催促した。彼がそこを撫でると、二匹は馬と同じぐらいの大きさに変化する。


 ムパリは深く膝を折り曲げて力強くジャンプし、羽ばたきながら5メートル上昇した。彼女はそこから修行の開始をネメア達に伝えた。


「それじゃあ、修行を始めるよ! 怪我をしたら大変だから、防御魔法の盾を召喚しておいて!」


「分かりました!」


 ネメアは呪文を唱え、自分とオルとロスの周囲に盾を召喚した。ムパリは魔法で自分の羽15枚を金属に変え、羽ばたきでそれを発射した。これは目で捉えてから動き出しても避けられる速さだったため、皆ひょいひょいと軽快に躱していき、魔法の盾に一つも傷を付けなかった。


 彼女は回復魔法で羽を再生すると、次に10メートルの高さから羽を発射した。すると落下スピードは格段に速くなり、見てから動くのでは間に合わなくなった。数々の魔物と戦ってきたネメアは、その経験から羽が落ちてくる速度と場所を予測し、素早く動いて避ける事ができた。しかしオルとロスは反応しきれず、盾にいくつもの羽が突き刺さった。


 オルは悔しそうに「ガルル」と唸り、ロスはしょんぼりと尻尾を下げる。魔物である二匹は人間より俊敏に動けるはずなのだが、戦いの経験が足りず、先ほどより羽の落ちるスピードが速くなると予測できなかったのだ。


 落ち込む二匹に、ネメアは励ましの言葉をかけた。


「ドンマイドンマイ。次はもっと、気を引き締めていこう!」


 彼に励まされると、オルは「ワン!」と力強く鳴き、ロスもピンと尻尾と耳を立てた。


「オルちゃんとロスちゃんが避けきれなかったから、もう一回この高度から飛ばすね!」


 ムパリが声をかけると、二匹はピシッと顔を上げた。彼女が羽を飛ばすと、今度はネメアよりも早く反応し、疾風のような速さで攻撃を躱しきった。落下速度と地点を把握できれば、後は楽勝という訳だ。


 彼らの余裕な態度に、彼女は修業の難易度を一気に上げる事にした。10メートル上昇し、30枚の羽を金属に変化させて発射する。それはドヒュンと風を切り裂き、瞬く間に地上に降り注いだ。彼は羽ばたきが終わる直前から動き出し、それに気づいた二匹も僅かに遅れて逃げ出した。結果は、彼が頭上の盾を、二匹は四方の盾を破壊されていた。


 攻撃を避けきれなかったのは、彼も二匹も同じ。だが、避けきれなかった原因には大きな違いがある事をムパリは見抜いていた。それを伝えるため、彼女は地上に降り立った。


「ネメアさんは攻撃が来る位置の分析は完璧だったけど、逃げる速さが足りなかったみたいだね。頭上の盾が壊れちゃったのがその証拠。逆にオルちゃんとロスちゃんは、逃げる速度は速いけど、避ける位置が悪かったみたい。そのせいで四方の盾が壊れちゃったんだと思う」


 指摘を受けた彼は難しい顔をした。


「うーん。俺、あれ以上速く走れないんですよね。もっと速く走れるようにならないと……」


 二匹もまた、あの一瞬で攻撃の当たらない場所を的確に判断するのは、今の自分達には難しいと感じていた。オルは「グルル」と唸り、ロスは「クゥーン」と情けない声を上げる。


 苦悩する彼らに、彼女はある提案をした。


「それならさ、ネメアさんがオルちゃんかロスちゃんの背中に乗って、指示を出すっていうのはどう? それならお互いの弱点を補えると思うの」


「なるほど、それは良い考えですね! オルとロスもそう思う?」


 オルは「ワン!」と力強く吠え、ロスは大きく頷いた。意見が一致したため、彼女のアイディアをさっそく試してみる事にした。


 ネメアは呪文を唱えて盾を修復し、ムパリは30メートル上空へ戻った。オルとロスは顔を合わせ、どちらが背中に彼を乗せるか相談し始める。最初に前足を挙げたのはロスだった。ロスは足を折り曲げ、オルは鼻先で彼の背中を押し、搭乗させた。


 彼女は呪文を唱え、30枚の羽を金属に変化させる。彼は金属に変わった羽の位置を覚えると、羽ばたく動作が始まった瞬間に、「走って!」と二匹に指示を出した。二匹の四肢が力強く地面を蹴りあげる。振り落とされぬよう、彼は背を屈めてがっしりとオルに掴まった。


「オル、右へ避けた後左に飛んで! ロスはこのまま真っ直ぐ進んだ後、前方に大きく飛ぶんだ!」


 オルの左の盾、ロスの後方の盾を羽が掠める。指示が終わるよりも先に攻撃が届いてしまったのだ。ザシュッと乾いた音と共に大きな切り傷ができる。追撃の刃が迫り来る中、オルは左へ、ロスは前方へ大きくジャンプした。二匹が着地するのと同時に攻撃が止む。


 オルとロスの盾は、傷こそ付いたが壊れなかった。また、ネメアの盾には一つも傷が付いていない。つまり、ムパリの提案は正しかったのだ。指示の出し方を改良すれば、次は全ての攻撃を避ける事ができるだろう。ロスの背中から降りると、彼はその方法を二匹と打ち合わせた。


「オル、ロス、さっきは指示が間に合わなくてごめん。次は伝え方を変えるから、それを覚えてほしいんだ」


 二匹は腰を下ろして頭を下げ、傾聴の姿勢を取った。


「まずは俺を乗せて走る方、次はオルの番かな。右へ行く時は肩を手で、左へ行く時は腰を爪先で軽く叩くよ。それから、ジャンプする時は『飛べ!』って言うからね」


 説明を受けたオルは後ろ足を少し上げ、背中に乗るよう顎で彼に指図した。合図を受け取る練習をしたいようだ。彼が背中に乗ると、オルは颯爽と草原を駆け始めた。


 まずは肩を叩かれたので右へ。次に後ろ足を叩かれたので左へ。その次は肩を叩きながら「飛べ!」と言われたので右へジャンプ。と言ったように、オルは彼からの指示を正確に捉えて動いた。元の場所に戻ってくると、彼はオルを褒め称えた。


「凄いよオル! 一回指示の出し方を聞いただけで、もう完璧に汲み取れるなんて! 賢いね~!!」


 ネメアはオルの頭を両手でワシャワシャと撫でた。オルは誇らしげに「ワォン!」と吠えて尻尾を振る。すると、どこからか「クゥン」という寂しげな鳴き声が聞こえてきた。ハッとして彼はオルの背中から降り、声の主へ顔を向ける。


「ごめんごめん! ロスの方も教えるね!」


 ロスは前足を折り畳み、少し拗ねたような姿勢で話を聞き始めた。


「ロスの方、つまり俺を乗せて走らない方は、腕の動きを見てほしいんだ。腕を下げたら右へ、上げたら左に、握り拳をつくったらジャンプして」


 こくりと頷き、ロスは立ち上がってオルの方へネメアを押した。意図を汲み取った彼は微笑む。


「そうだね、同時に指示を出す練習をしよう」


 彼がオルに搭乗すると、その横にロスが並んだ。「行け!」という号令で二匹は同時に走り出す。彼は様々なパターンの指示を試した。それが問題なく二匹に伝わる事を確認すると、「止まれ!」と号令をかけて練習を終了させた。


「二匹とも凄く良かったよ。これならムパリさんの攻撃を避けきれそう!」


 二匹は声を揃えて「ワン!」と答えた。打ち合わせが終わったと分かると、ムパリが上空から声をかけてきた。


「皆、上手く連携が取れるようになったみたいだね! 練習の成果を見せてもらうよ!」


「はい! よろしくお願いします!」


 返答を受け、彼女は呪文を唱えた。鮮やかなオレンジ色の羽がスルリと光沢を纏っていく。左右の翼にまばらにある金属の羽の位置を見ると、彼は頭の中でオルとロスが逃げるそれぞれのルートを割り出した。翼が後ろに反らされた時、「走れ!」と短く強く命令する。


 刹那、彼の顔に冷たい風が吹き付けた。背を屈めて向かい風に耐えながら、左腕を上げて右手でオルの肩を叩く。オルは右に、ロスは左に向かって走った。鋭利な羽が二匹を横切っていく。次に彼は左腕を下げ、オルの後ろ足を爪先で叩いた。


 二匹の進行方向が重なる。正面衝突してしまう前に、彼は「飛べ!」と指示した。オルが高くジャンプしてロスを飛び越える。交差する地点から二匹が去った後、最後の一枚の羽が地面に突き刺さった。今度は全員の盾が無傷である。地面に降りると、彼は二匹と喜びを分かち合った。


「やったねオル、ロス! 俺達、全ての攻撃を避けられたよ!」


 オルは「ワオーン」と歓喜の雄叫びを上げ、ロスは彼に身を擦り寄せた。ムパリも地上に降り立ち、翼を人間の腕に戻して拍手を送る。


「オルちゃんとロスちゃん、見事な回避だったよ。それからネメアさんも、別々の方法で同時に指示を出せるなんて、並行処理能力が優れてるね」


「ありがとうございます」


「ネメアさん、いっぱい頭働かせて疲れたでしょう? オルちゃんとロスちゃんも、忙しなく動いて大変だったよね。少し休憩にしよっか」


 休憩を挟んだ後、オルとロスの役割を交代したり、変化球な飛び方をする羽を避ける練習をしたりした。ムパリとの修行により、彼らは絶大な回避力を身に付け、お互いへの信頼を深めたのだった。


 オルとロスと共に、ムパリの稽古を受ける事4日。日が高く昇る昼頃、ネメア達は修了を言い渡された。


「ネメアさん、オルちゃんにロスちゃん、ここまでよく頑張ったね。今の皆なら、テュポンがどんな攻撃をしてきても避けられるよ。あたしの修行は今日で終わり。野営地に戻ろうか」


「はい!」


 修行の達成に、ネメアは満面の笑みで頷いた。それから、背後でお座りしているオルとロスの方を振り返り、感謝を伝えた。


「オル、ロス、ムパリさんの修行をやり遂げられたのは、二匹のおかげだよ。本当にありがとう」


 両手を広げて、彼は二匹を抱き締めた。フサフサな毛並みの中に顔が埋もれる。二匹も前足を伸ばし、彼の肩を抱いた。温かく、充足感に満ちた時間が流れる。抱擁を終えると、彼は二匹の鞍を撫でて小さな姿に戻した。


 二人と二匹は野営地に戻った。そこは閑散としており、残っているテントはネメア達が使っているものだけである。ネメアが修行している間、残った者達が騎士団の配属位置を指示し、彼らはそこへ移動したのだ。修行から帰ってきた二人と二匹を、残りの4人が出迎えた。


「お帰り皆、修行が終わったのね」


 クレタの声かけにムパリが答える。


「うん。ネメアさんもオルちゃんもロスちゃんも、凄く上手に回避できるようになったよ」


「それは良かったわ。ネメア、ステータスカードを見てみましょう。私達と修行した、16日間の成果が出ているはずよ」


「うん。最後の修行が終わるまで、ステータスカードを見るのは楽しみにとっておいたんだ。どうなってるかな?」


 期待に胸を膨らませ、彼はズボンのポケットから裏返しの状態でステータスカードを取り出した。クレタ達は周りを取り囲み、オルとロスも肩に飛び乗って覗き込む。彼は両手でクルッとカードをひっくり返した。


『ネメア・レオ』

攻撃力 100/100

防御力 100/100

素早さ 100/100

武器を扱う技術 100/100

魔力 100/100

身体能力 100/100


 上から下まで全て『100』、それを見た皆は歓喜に沸き立った。


「やったわね、ネメア!!」


 感極まったクレタが、ネメアに勢いよく抱きついた。彼は「わっ!」と声を上げて驚き、両手を上げる。


「おめでとうネメアさん!!」


 次にムパリが大きな拍手を送った。彼女に続けてエリュマとキャンサとケネイアも拍手を送る。


「ネメアさんの努力が報われて、私も嬉しいわ。おめでとう!」


「良かったねネメア君。追放されても、腐らず努力を続けてきたおかげだね」


「よくやった、ネメア君」


 オルとロスはネメアに頬擦りする。皆から全ステータスがマックスになった事をお祝いされた彼は、穏やかに笑みを浮かべた。


「俺が強くなれたのは、皆さんがサポートしてくれたおかげです。でも少しだけ、叫んでもいいですか?」


 その一言に、クレタは直ちに彼から離れ、オルとロスも肩から飛び降りた。彼は大きく息を吸い込み、一思いに声を放つ。


「いやったぁぁぁぁぁ!!!」


 空の上の雲を突き破るほどの雄叫びが、辺りに轟いた。彼の頭の中で、これまでの日々が流れ出す。ステータスが平凡すぎるとパーティーを追放され、惨めな気持ちを味わったあの日。突如として現れたクレタに拾われ、全ステータスをマックスにする修行が始まった。


 薬草探しに向かった森の奥、巨木の精霊と戦い、強さを認めてもらえた事。ウォータースパイダーに捕らわれた行方不明者を助け出し、誇らしい気持ちになった事。冒険者のアンデッドと戦い、自分達の分まで魔物から人々を救ってほしいと意志を託された事。


 ケネイアと出会い、強力なゴーレムを倒してアレス達に一歩リードした事。火口湖の精霊に稽古をつけてもらい、遠距離まで回復魔法が届くようになった事。一度は敗北したファイヤースネークを、自分一人で倒せた事。


 連絡船を護衛し、フライフイッシュ、セイレーン、クラーケンの三体の魔物と戦った事。アンドロメダ島で、未知の魔物お化けクジラと戦った事。ケネイア、キャンサと協力し、アレス達が逃がしたヒュドラを倒した事。


 普通の精霊より強い天空の大精霊と戦い、策を巡らせて勝利した事。エリュマと協力して迷路の謎を解いたり、敵対しそうだった大海の大精霊を説得したりした事。そして、伝説のオリーブパーティーの面々と修行した事。修行の旅路の全てが、今のネメアを形作っている。


 彼は一息吐いて感慨に浸るのをやめ、真っ直ぐ前を見据えた。


「次はテュポン討伐ですね。これまでの修行の成果、存分に発揮してみせます」


 彼の勇敢な眼差しに心を打たれ、クレタ達は大きく頷いた。オルとロスも「ワン!」と力強く吠え、決意を共にする。真の終わりはこれからだ。


…………


 次の日。エリュマが皆を自分のテントに集め、テュポン討伐の作戦を伝えた。彼女は司令塔として、それぞれの役目を考えていたのだ。まずは初めて戦うネメアのために、その特徴と戦いの流れについて説明した。


 テュポンは、体長20メートル、上半身は人間、下半身は蛇の尾の魔物だ。二階建ての建物を投擲できるほどの怪力で、どれだけ戦っても疲れる事のない、無尽蔵の体力を持つ。肩から生えた蝙蝠の翼で空を飛ぶこともでき、目からは熱い光線を、口からは猛火を放つ。


 一番厄介なのは飛行能力だ。空中へ逃げられたら、ムパリ以外は攻撃を当てられなくなってしまう。最悪の場合別の町まで飛んでいき、せっかく避難させた人々を殺してしまうかもしれない。そのため真っ先に攻撃するのは翼だ。


 飛行能力を奪ったら、次にやるのは目潰しだ。目から放たれる光線は超高速な上に、体に風穴を開けるほどの威力がある。そんな攻撃をいつまでも避け続けるのは困難だ。また、視界を奪えば他の攻撃も当たりにくくなる。


 更に喉を潰して炎を吐けなくし、抵抗手段が少なくなった所で、トドメに人間部分と蛇部分の境い目を貫く。そこはグニグニと柔らかく、急所になっているのだ。


 怪力はどう対処するのかネメアが尋ねると、それはどうしようもないので、耐えるしかないとエリュマは答えた。以前戦った時、建物の投擲を止めるため、ケネイアが腕を切断しようとした所、あまりに硬くて刃が通らなかったらしい。ケネイアですら切り裂けなかったと聞き、ネメアは戦慄した。


 説明を終えると、エリュマは本題の役割分担を伝えた。メインアタッカーはキャンサとムパリだ。テュポンはとにかく体長が高いため、魔法の専門家であるキャンサと、飛行能力のあるムパリでなければ、先ほど述べた箇所にダメージを与えるのは難しい。この二人は死守しなければならない存在である。


 そこで必要になってくるのが、攻撃を引き付ける囮役だ。これは近接アタッカーで注意を引きやすい、クレタとケネイアが担当する。加えて人間より素早く動けるオルとロスも、囮役に任命された。


 最後に残ったネメアへ、エリュマは顔を向ける。


「ネメアさんの担当はあえて決めなかったわ。多才で頭の回る貴方なら、状況に応じた的確な行動を取れるはずよ」


 エリュマからの厚い信頼を受け止め、ネメアは「分かりました!」と力強く答えた。返答に笑みを浮かべ、それから彼女はキャンサに声をかけた。


「キャンサ、ネメアさんのペンダントに魔法をかけてあげて」


「うん。ネメア君、ちょっと触るよ」


 キャンサはネメアの四葉のペンダントに触れ、呪文を唱えた。エリュマが魔法の効果を説明する。


「今キャンサにかけてもらったのは、物から物へ音を伝える魔法よ。もし一人で判断するのは難しいと感じる状況になったら、ペンダントを握りしめながら私の名前を呼んで。そうすれば、離れた所からでも会話できるわ。私は邪魔にならない所で戦況を見ているから」


「ありがとうございます。心強いです」


 ネメアはペコリと頭を下げた。


 役割分担の伝達が終わると、皆はテントを出て空き地へ移動した。そこではペアをつくって組手をしたり、連携攻撃の練習をしたりした。直接戦闘には参加しないエリュマも、誰と誰がペアを組むのが適切か、どのような修行をすれば効果的かアドバイスをした。


 チーム一丸となって鍛錬に励み続けること2日間。テュポン襲来まで残り1日となった。明日に備えて英気を養うために、皆は早めに床に就いた。しかしネメアは眠る事ができず、寝袋の中でモゾモゾしていた。同じテントにいるオルとロスが、トテトテ近寄って彼の様子を伺う。寝袋から上半身を出した彼は、二匹を抱き締めた。オルは前足を伸ばしてポンポン肩を叩き、ロスはおでこを擦り付ける。


 不安な気持ちでいっぱいな彼は、つい二匹の前で弱音を吐きたくなった。だが、言葉にすれば重い気持ちに引きずられてしまうだろうと思い、グッと唾を呑む。代わりに気持ちを切り替えようと、二匹を連れて外に出た。


 空を見上げると、広大な闇の中でいくつもの星が煌めいていた。それは、どんな苦境に立たされても輝き続ける、戦士の命のようだった。


 荘厳な景色に勇気をもらい、彼の緊張はほぐれだした。そのまま二匹を膝に乗せて地面に座り、天体観測を始める。すると、後ろでテントの入り口を押し上げる微かな音が聞こえて、彼はそちらを振り向いた。出てきた人物はこちらの気配を感じとり、魔法で小さな光の球を産み出す。互いの顔が仄かに照らされた。そこにいたのはクレタだった。


「ネメアも眠れなかったのね」


「うん。俺、今星空を眺めてるんだけどさ、姉さんも一緒にどう?」


「そうするわ」


 彼の隣に彼女が腰を下ろした。空を見上げる彼女は儚げな表情をしており、艶やかな黒髪が夜風にソヨソヨと揺れる。その可憐な佇まいに、彼は思わずドキリとした。


「俺、クレタさんの事が好きだったんですよ」


 ネメアはポツリと呟いた。クレタは「えっ?」と驚き、目線を彼に向ける。彼は照れ臭そうに俯きながら続けた。


「辛い時に手を差し伸べて、背中を押してくれた人の事なんて、好きになっちゃうに決まってるじゃないですか。それに、密着されたりキスされたりしたら、期待しちゃいますよ。恋愛対象として見てくれてるのかなって」


「ネメア……」


 クレタは複雑そうな顔をした。それを見て、彼は慌てて訂正する。


「あっ、違うんだ! オリーブ姉さんへの好きは家族としてだよ! 同一人物なのは分かってるけど、オリーブ姉さんとクレタさんは、やっぱり別人に思えてさ。もうクレタさんとして接する事はなくなるだろうから、この際告白しておきたいなと思って」


「なるほどね」


 彼女はホッと一息吐いた。それから声のトーンを変え、彼の告白に返答した。


「ネメアちゃんって、本当に可愛い子ね。家族にさえ酷い嘘を吐き続けられる女を、好きになっちゃうなんて。貴方にはもっと相応しい女性がいるはずよ」


 姉として接している時とは違う、色気たっぷりの大人の女性の声で、彼女は告白を断った。フラれた彼の反応をオルとロスが心配そうに窺う。意外にも、彼は満面の笑みを浮かべていた。


「ありがとうございます。これで、想いを立ち切れました」


 心の中のモヤモヤが晴れ、彼はスッキリとした。それから心地のよい眠気が訪れた。


「俺、そろそろテントに戻るよ。おやすみ姉さん」


「えぇ、おやすみ」


 オルとロスも「キャンキャン」と小さく吠えて挨拶をした。彼らはテントに戻ると、朝までぐっすり眠る事ができた。


 クレタもまた、大切な弟を危険な戦いに巻き込んでしまう事に不安が募り、眠れずにいたのだが、彼の笑みを見て落ち着く事ができた。フラれてもすぐに立ち直れる彼なら、テュポンとの戦いも乗り切れるだろう。

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