大海原編

 ネメアとクレタがファイヤースネーク討伐の依頼を達成し、ギルドのある町へ戻ってから一週間経った。


 その間、ネメアは、魔物の生体について書かれた本を3冊買って読み込み、如意棒を使って戦う練習をした。時には、ギルドで魔物と戦う依頼を受けて、実戦練習も行った。クレタから、武術や魔法の稽古をつけてもらう日もあった。彼は、一週間の勉強期間が、とても充実していたように感じた。


 8日後の朝、二人は冒険者ギルドの受付けに並んで、自分達の番が来るのを待っていた。朝の内に依頼を受けに来る冒険者が多いので、混んでいる。順番待ちの時間を使って、ネメアはクレタに質問した。


「ヘスとかいう胡散臭い係員が、俺達のために良い依頼をキープしてるとか言ってましたよね。それ、クレタさんは受けようと思ってますか?」


「うーん、内容によるわね。あまりネメアちゃんの成長に繋がらなさそうな依頼なら断るわ」


「そうですか。ヘスのキープしてる依頼が、俺の成長に繋がらなさそうなものであることを祈ります。あの人は信用ならないので」


 眉をへの字に曲げ、ネメアは訝しげな表情をした。その顔が面白くて、クレタはクスッと笑った。


 15分ほどで二人の番が回ってきた。そして、受付けにいたのは、ちょうど話題に上がっていた男、ヘス・クレピスだった。彼は二人を見るなり、目を細めて口の端を上げた。


「お二方、ようこそお越しくださいました! さっそくですが、以前お会いした時に話した依頼の詳細について、お話ししましょう。


 俺がキープしている依頼は、鉄鉱石の採掘場がある離島へ向かう連絡船の、魔物からの護衛です。この依頼は通常、メンバーが4人以上いる冒険者パーティーしか受けられませんが、俺が船長にどうにか話を着けて、2人でもオーケーにしてもらいました。


 連絡船と言っても、貨物を乗せた大型の船でなく、人を運ぶ小型のものなので、そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ。運が良ければ、魔物に遭遇せずに済みます。


 そして報酬は、一人につき金貨3枚! 船は10日後に出航するので、ここから港町までの距離を考えて、今日でこの依頼を締めきろうと思っていたんです。今逃せば、しばらくこの依頼の話は持ち込まれませんよ」


 ただの受付け係とは思えない、やり手の商人のようなヘスの語りに、ネメアは呆気にとられた。そして彼に指を指しながら、クレタに苦情を訴えた。


「呆れた! この人、俺達が依頼を受ける前提で船長さんを言いくるめてますよ! 


 しかも連絡船の護衛の依頼をキープするって、良くないことですよね? 魔物の討伐依頼ならまだしも、連絡船は出航する日が決まってて、依頼を受けるのが遅れたら、迷惑がかかるのに!」


「ほんとにそうね。これはさすがに、私でも擁護できないわ。でも、この依頼を受けるしかないわよね。私達のせいで、護衛の依頼を受ける冒険者がこなくて、船長さんを困らせてしまっているもの」 


 クレタは珍しく困り顔になりながら答えた。彼女の返答に、ネメアはぐぬぬと歯ぎしりしながらも、納得するしかなかったので頷いた。ヘスはなんてズルい奴なんだ! と、心の中で悪態をつく。


 二人が渋々依頼を受けることを決めたのを見て、ヘスは満足げに頷いた。


「ではお二方は、連絡船護衛の依頼を受けてくださりますね。それで、毎度のことで申し訳ないのですが、俺個人のお願いも聞いていただけませんでしょうか? 報酬を2倍にしますから」


「何が欲しいのかしら?」


 係員やお店の人には敬語を使うクレタが、それを崩して尋ねた。彼女は少々イラついていた。


「連絡船が向かう鉄鉱石の採掘場がある島では、たまにライフライトという貴重な宝石が取れるんですよ。できれば欲しいというだけなので、持ってきていただかなくても構いません」


「聞いたことの無い石ね。あまり期待しないでちょうだい」


「はい、もちろんです」


 ヘスとの取引は今度も成立してしまい、ネメアとクレタは連絡船の護衛をすることが決まった。


 依頼を受けたネメアとクレタは、急いで馬車に乗り、運転手に超特急で飛ばしてもらって、件の連絡船が停泊している港まで向かった。通常なら4日かかる距離を、3日に短縮してもらえたので、二人は運転手に心の底から感謝し、料金を多く支払った。


 この港は、以前ゴーレムを討伐した所とは別の場所で、そこよりも町がこぢんまりとしている。人気は少なく、ゆったりとした波の音が聞こえてきて、磯の香りがツンと鼻を突く。


 さっそく停泊所まで行くと、周りの貨物を乗せた船と比べて、一回り小さい船があった。羊の角の絵が描かれた白い帆が、風を受けてはためいている。これが、今回護衛する連絡船だ。


 甲板に人影が見えたので、ネメアは大きな声で呼び掛けた。


「すみませーん、この船の護衛の依頼を受けた冒険者なんですけどー!」


 彼の声は届き、錨のマークがついた白い帽子を被った、ふくよかな男性がこちらを向いた。


「おー、やっと来たか! いつもなら、オイラんとこの船の護衛の依頼は人気が高くて、すぐに冒険者が来るんだが、今回はなかなか来なくて焦ったよ」


 ドタドタと効果音が付きそうな勢いで走ってきて、船長は船から降り、二人の前で帽子を取って、頭を下げた。


「どーも、オイラはアール号の船長、ルーゴ・ゴールドだ。お二人さんは……あぁ、ヘスの奴がやたらとオイラに紹介してきた、ネメアくんとクレタくんか」


 二人を見て、ルーゴは浮かない顔をした。


「本当は、船の護衛は四、五人欲しいところなんだけど、お二人さん、めちゃくちゃ強いんだってね。


 でもオイラは、まだ信用しちゃいない。ヘスの奴はうちの近所に住んでるんだが、小さい時から、口から出任せばっか言うんでね。どれほどの腕前か、見せてもらえないかい?」


 ルーゴにそう言われて、ネメアは苦笑を返すしかなかった。一方クレタは、自信満々に頷いた。


「どうやって、私達の強さを証明すれば良いですか?」


「おっ、クレタくんはやる気があって良いねぇ。オイラ、船員と話して、君たち二人が来たら、護衛ができるかテストすることにしていたんだよ。そのテストに合格できたら、護衛の任務をさせてあげよう」


「分かりました。一緒に頑張りましょう、ネメアちゃん」


 クレタが声をかけると、ネメアは頷いた。


 二人がテストを受ける事を決めたので、ルーゴがアール号に向かって手を叩いた。すると、客室、操舵室、帆の裏、甲板の影から一人ずつ、船員が現れた。みな、頭に白いバンダナを巻いている。


「こいつらが、的を持って船内を動き回るから、五分以内に、二人で全部の的を壊せたらテスト合格だ。さあ、船に乗ってくれ」


 ルーゴが背中を押して、二人をいそいそと船の上に立たせた。船員達は甲板の上に一列に並ぶと、懐から赤い丸が描かれた直径10センチの板を取り出した。


「的を破壊するのに、武器や魔法を使ってくれても構わない。ただし、オイラの大事な船員達と、アール号に少しでも傷を付けたら、即失格とする」


 ルールを説明すると、ルーゴは操舵室へと入っていき、砂時計とホイッスルを持って戻ってきた。


「それでは始め!」


 彼はホイッスルを吹くのと同時に、砂時計を逆さまにして床に置いた。船員達はみな、一斉に散らばった。


 ネメアは四つ葉のペンダントを握りしめ、アイテムボックスを召喚し、如意棒を取り出した。アイテムボックスをペンダントに封印すると、クレタと軽く作戦会議をした。


「クレタさん、どうやって的を壊しに行きますか? 俺は、二手に別れて壊しに行った方が効率的だと思います」


「いいわね、そうしましょう。ネメアちゃんは、船のどこを探す?」


「甲板を探します。客室や操舵室で如意棒を振り回したら、船を傷つけてしまうので」


「了解よ。でも、甲板は広いわ。客室と操舵室を探し終わったら、私も合流するわよ」


「はい、お願いします」


 作戦を立て終わった所で、ネメアは帆が立っている場所へ、クレタは客室に向かって走り出した。


 まずはネメアが、帆柱の天辺に、首から的を下げた船員が掴まっているのを発見した。船員はやってきた彼を見て、高笑いした。


「ハーハッハ! どうだ、こんな高いところにいたら、的を壊せないだろ。帆柱を登って来るのだって、わしらみたいに慣れていなけりゃ難しいぞ!」


 自分のいるところまで来られないだろうと思い油断している船員に、ネメアはニヤリとした。


「高く伸びろ、如意棒!」


 呪文を唱え、ネメアは如意棒を長く伸ばした。普通に「伸びろ」と言うと、160センチメートルまでしか伸びないが、「高く伸びろ」と言うことで、5メートルの長さにできることを、彼は勉強期間中に発見していたのだ。


 助走をつけ、如意棒を地面につき、その反動でネメアは飛び上がった。船員はあんぐりと口を開け、目が飛び出しそうなほど驚いている。彼は帆柱に飛び付くと、よじ登って船員の首から下げた的を奪い、床めがけて叩きつけた。的は、パーンと高い音を立てて、真っ二つに割れた。


 帆柱から飛び降りて如意棒を回収し、元の長さに戻すと、ネメアは甲板の別の箇所を探し始めた。的を割られた船員は、あっという間の出来事に呆然としていた。


 次に的を首から下げた船員を発見したのは、客室に向かったクレタだった。手当たり次第に客が寝泊まりする部屋の扉を開けていって、一人発見したのだ。だが、その船員は胸の前に花瓶を持っていた。


「ゲヘヘ! ほらほらご婦人、俺に攻撃を当ててみな! その代わり、花瓶が割れて失格になっちまうかもしれないけどな!」


 船員は下品な声で大笑いした。だが、気づいた時には的がクレタの手に渡っていて、背筋が凍りついた。


「ハッ、いつの間に!」


「貴方が私を煽っている隙に、取れちゃったわ」


 そう言うと、クレタは片手で的を握りつぶした。彼女の強さに恐れをなして、船員は悲鳴を上げた。


 所変わって、今度はネメアが船員を発見した。船首の真ん中に、堂々と腕を組んで立っていた。


「よく来たな、小僧! 私に攻撃を当てられるかな?」


 船員は、真っ白な長い髭をたくわえた老人だった。腕や足もひょろひょろで、とても強そうには見えない。ネメアは戦うことを躊躇った。だが、老人の船員がハヤブサのような速さで甲板を走り出したため、彼はすぐに気を改めた。


 如意棒を160センチまで伸ばして、老人の船員を追いかけた。距離を詰めて如意棒の先端を握り、縦向きに大きく振りかざす。船員は体を後ろに反らせて攻撃を交わすと、ネメアに詰めよって、彼の首にチョップを食らわせようとした。


 右足を軸にしてターンし、ネメアは回避する。如意棒の真ん中を掴むと、老人の船員との間で素早く回転させた。回転させた如意棒の先端が、首から下げた的に見事命中する。


 ネメアが二つ目の的を破壊した瞬間、クレタもまた、的を破壊していた。客室の廊下を走り回っている船員がいたので、背後から気配を殺して近づき、的を抜き取って壊したのだ。彼女の動きは速すぎて、常人では何が起こったのか理解することができない。突然的を破壊された船員は震え上がった。


 こうして二人は、全ての的を破壊することができた。砂時計の砂は、まだ半分しか落ちていなかった。


 的を壊された船員は、甲板にいる船長のルーゴの前に集まることになっていた。それが四人全員集まったので、ルーゴは終了の合図にホイッスルを鳴らした。彼はネメアとクレタをその場に呼び集めて、船員達と共に頭を下げた。


「お二人さん、本当に強いんだな。疑って申し訳なかった! どうかこの無礼を許して、アール号の護衛をしてくれないか」


 ルーゴの頼みに、ネメアが答えた。


「もちろん、良いですよ。俺たちはそのためにここへ来ましたから」


「ありがてぇ! それじゃあさっそく、アール号を案内しよう」


 二人はルーゴに連れられ、アール号を隅々まで見て回った。客室は35部屋あり、その内の一番手前にある向かい合った二部屋は、冒険者用なのだそう。客室の奥には食糧庫とキッチンがあり、シェフが作った食事を、朝昼晩それぞれの部屋へ届けにくるそうだ。簡易的な医務室もあり、酔い止めや傷薬などが置いてあった。


 さらに、鍵のかかった武器庫もあり、船旅中魔物と遭遇したらルーゴがカギを開け、船員達が武器を取りに来るのだという。中を見せてもらうと、弓矢や槍、三叉槍など、遠距離系の武器が置いてあった。冒険者である二人も、そこから自由に武器を持ち出していいと言われた。


 アール号の案内が終わると、操舵室で、二人はルーゴから乗客について書かれたリストを渡された。リストには、乗客の名前と年齢、特徴が書かれていた。


「今回の乗客は25名。その内5名は子供、1名は足が不自由だから、魔物と遭遇した時は、その人達を優先的に客室へ避難させてくれ」


 指示を受け、二人は声を揃えて「分かりました」と言った。それから、船員達と自己紹介をして、その日は解散になった。


…………


 一週間後。ついにアール号が出航する日になった。早朝からネメアとクレタはアール号に向かい、船長達と挨拶をして、各々のポジションに着いた。ネメアは船尾、クレタは船首側を護衛する。


 日が昇るにつれ、徐々に客が船に乗り込んだ。港にも、乗客を見送ろうとする人々が集まりだした。25名全員が船に乗ると、船員の一人が錨を上げ、ついに船が出航した。帆が優雅になびいて、大海原へと進みだす。目的地の鉄鉱石の採掘場がある離島、『アンドロメダ島』まで、三泊四日の船旅が始まった。船尾にいるネメアは、乗客と共に、見送る人々へ手を振った。


 もう港が見えなくなるまで船が進んだ頃。甲板で、見送る人々と手を振っていた乗客達は、客室に向かい始めた。ネメアは、ルーゴから渡された乗客リストとその人々を見比べながら、有事の際、優先して助けてほしいと言われた5名の子供と、足が不自由な1名を探した。


 両親と手を繋いでいる三つ編みの女の子、キャッキャッとはしゃいで甲板を駆け回り、母親を困らせている茶髪の男の子、12歳ぐらいのメイクをしたおしゃまな少女、顔のよく似た桃色の髪の双子を見つけた。そして、客室に入ろうとせず、船縁に寄って海を眺めている老夫婦がいた。夫の方が、車椅子に乗っている。


 優先して助ける人達の確認を済ませたので、今度は海の方を見た。魔物が来ていないか監視するのだ。今船が進んでいる海域には、『セイレーン』や『フライフィッシュ』、『クラーケン』などの魔物が出没する。勉強期間中に読んだ本の知識が、さっそく役に立ちそうだ。


 セイレーンは、一見人間のように見えるが、足が魚の尾びれになっている魔物だ。皆、美しい顔をしていて、見とれている内に歌声で洗脳し、海の中に引きずり込む。金属音などの不快な音が弱点。


 フライフィッシュは、群れで行動する、小魚の魔物だ。小さいからと言って油断ならず、高い跳躍力を持っており、船上の人間を攻撃してくる。喉の奥に鋭い刃を持っていて、それが刺されば大怪我してしまう。


 クラーケンは、8本の足を持つ巨大な蛸の魔物だ。足で絡み付かれたらひとたまりもないが、炎で焼ききれば拘束を解くことができる。また、雷などの電撃が苦手だ。


 クラーケンについては、アレス達のパーティーに入っていた頃、戦ったことがあった。討伐できたものの、あの時自分は足を引っ張ってしまった。今回クラーケンと遭遇したら、焦らず対処法を思いだし、乗客を守れるようにしなければと、ネメアは心の中で固く誓った。


 しかし、昼過ぎになっても、魔物は一体として現れなかった。やったことと言えば、甲板に出て海を見に来た乗客と、世間話をしたぐらいだ。傾き始めた日をボーッと眺めながら、ネメアは大きなあくびをする。


 その時、遠くの船首の方から、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「ネメアちゃん、今すぐ甲板にいる人達を客室に避難させて! フライフィッシュの群れが見えたわ!」


 クレタの呼びかけを聞いて、ネメアは一気に眠気が吹き飛んだ。甲板を見渡し、まずは優先して避難させる人がいないか確認する。


 いた! 12歳ぐらいのメイクをした少女だ! ネメアは真っ先にその少女の元へ駆けていき、事情を話して客室に続く扉へと連れていった。だか、クレタの話を聞いて焦った人々が、扉の前に一斉に集まって、鮨詰め状態になっている。混乱を落ち着かせなければならない。


「皆さん落ち着いてください! フライフィッシュは、俺とクレタさんで必ず追い払います。そして、皆さんに危害が及ばないよう、最善を尽くします。だからまずは、一列に並んで、一人ずつ客室に入ってください」


 ネメアは、堂々として落ち着いた声で宥めた。すると、慌てて扉に押し寄せていた乗客達は、不安そうな顔をしながらも、列をつくり始めた。その間に、少女を先に客室へ行かせてやった。


 乗客を避難させ終わると、ネメアはクレタのいる船首へ向かった。


「クレタさん、乗客を避難させ終わりました! フライフィッシュは来てますか!?」


 そう言いながら、ネメアはズボンのポケットにしまっていた如意棒を取り出す。


「えぇ、こっちに迫ってきているわ」


 クレタは真っ直ぐ指を指した。西日に照らされてキラリと光る何かが、水飛沫を上げて船に向かってきている。30匹はいるだろうか。


 フライフィッシュが迫り来る中、二人の元に武器を持った船員達が駆けつけた。真っ白な長い髭をたくわえた、老人の船員が二人に尋ねる。


「何があったんだね!? 魔物が来たのか?」


「えぇ、フライフィッシュが来てるわ。誰か、船長に船の進行方向をずらすよう伝えてきて」


 クレタが問いに答えると、テストの時、最初に彼女に的を割られた一番若い船員が、操舵室に向かった。残った三人の船員達は、各々が持つ武器を構えた。


 バシャバシャと音を立てて、飛び上がったフライフィッシュの群れが、一斉に船へ飛び込んできた。


 ネメアは、如意棒を160センチまで伸ばして、横向きに大きく振った。五匹のフライフィッシュに命中し、そいつらの鋭く尖った刃が、如意棒に突き刺さる。彼は縦に如意棒を振って、そいつらを床に叩きつけた。


 大きなダメージを受けた五匹のフライフィッシュは、甲板で力無く跳ねている。彼は如意棒で素早く腹を突き、絶命させていった。


 船員達は、槍やトライデントを投げ、一匹ずつ的確に仕留めた。だが、投げた武器を回収しにいく間、大きな隙ができてしまう。しかし、武器を回収しに行く間、誰もフライフィッシュの刃に当たらなかった。


 それは、クレタが風のように飛び回り、船員を狙うフライフィッシュに蹴りや手刀を食らわせていたおかげである。彼女はほんの二秒で七匹も倒した。


 ネメア達の攻撃から逃れたフライフィッシュは、甲板に着地した後、ヒレで身をよじって方向転換し、再び跳び跳ねて攻撃してきた。彼らからすると、背後から攻撃されているのである。


 それにいち早く気づいたネメアは、如意棒を後ろに回して、グルグル回転させた。彼に攻撃を仕掛けようとしていた六匹のフライフィッシュが、回転に巻き込まれて撥ね飛ばされる。


 ノールックで攻撃したので、きちんと倒せているか不安になり、彼は辺りを見渡した。撥ね飛ばされたフライフィッシュは微かに身を震わせているが、絶命するのは時間の問題だろう。彼はホッと一息吐いた。


 船員達も、背後からフライフィッシュに狙われたことに気づいたが、ネメアやクレタほど魔物との戦いに慣れていないため、反応が遅れてしまった。

九匹のフライフィッシュが、三人の船員に襲いかかる。


 船長に要件を伝え終わった一番若い船員が、その様子を見て慌てて駆けつけ、手に持っていた槍を投げた。一匹仕留めることができたが、残りの八匹へ攻撃するには到底間に合わない。


 咄嗟にネメアが呪文を唱え、三人の船員達の後ろに盾を召喚した。他人に対して、しかも複数人同時に盾を召喚するのは初めてなので、できるかどうか分からなかったが、無事成功した。魔法のコントロールが得意な彼だからこそ、ぶっつけ本番でできたのだ。


 盾に当たって勢いを失い、甲板に倒れたフライフィッシュを、船員達は槍やトライデントで突き刺した。30匹のフライフィッシュを全て倒しきり、ネメア達は歓声を上げる。


 だが、クレタの顔に笑みは浮かんでいなかった。


「まずいわ、第二陣が来てる」


 彼女の一言に、歓声はピタリと止んだ。みな、慌てて武器を構え直す。


 そのとき、地面がぐらりと揺れて、皆の体がよろけた。船が動いているのだ。アール号は、フライフィッシュの群れの第二陣を回避した。甲板は、再び歓声に沸いたのだった。


 船員達と喜びを分かち合った後。ネメアとクレタは甲板に散らばるフライフィッシュの死骸を、バケツに入れて回収した。ネメアは、回収した死骸は海に還すのかなぁと思っていたが、テストで帆柱に登っていた船員が、バケツを客室に運んだ。


 何に使うのか気になり、後をついていってみると、辿り着いたのはキッチンだった。二人の男のシェフが、せっせと料理を作っている。


 ネメアは船員に話しかけた。


「あの、そのフライフィッシュは何に使うんですか?」


 彼が付いてきている事に気づいていなかった船員は、後ろを振り向いてビクッと肩を跳ねさせた。


「うおっ! なんだ、付いてきてたのか! 知らないのかネメアくん。フライフィッシュは、名前の通りフライにすると旨いんだよ。だからシェフに、食材として提供したんだ」


 今度はネメアが驚く番だった。


「えっ!? フライフィッシュのフライって、そっちの方だったんですか!? 俺はてっきり、空を飛ぶからフライフィッシュなのかと……」


「ハッハッハ! まあ、そっちの意味もあるかもしれないが、わしは揚げ物の方だと教わったな。海の男達の間じゃ、揚げ物にすると旨いからフライフィッシュだと言われてるんだよ」


 腹を抱えて笑った後、船員は二人のシェフに話しかけた。


「今夜の晩飯に、フライフィッシュのフライを出してくれ。ネメアくんに是非とも食べさせてやりたいんだ」


 二人のシェフの内、若い方がこちらを向いて元気よく「分かりやした!」と答え、黙々と食材を切っている年老いた方は、静かに頷いた。ネメアは、船員と二人のシェフに感謝を伝えた。


 すっかり日が暮れて、無数の星が瞬き出した頃、夕食の時間が訪れた。護衛の仕事は一旦休憩となり、ネメアが自分に貸し与えられた部屋で待っていると、食事が運ばれてきた。


 白いプレートの上に、パンと、ミートソースのペンネと、クラムチャウダーの入った器と、フライフィッシュのフライが乗っている。フライは、喉から生えていた刃が抜かれた状態で、丸ごと一匹使われているようだ。


 彼はさっそく、フライフィッシュのフライを頭からかぶりついた。サクッと音がして、噛み締めると、濃厚な旨味をまとった油が口一杯に広がった。それでいて後味はさっぱりしている。身はホクホクと柔らかい。


 なるほど、確かにこれは絶品だ。味付けは塩が振りかけられている程度だが、それがちょうどいい加減で、フライフィッシュそのものの味を邪魔していない。あまりの美味しさに、フライをあっという間に平らげてしまった。


 他の料理もとても美味しくて、食べ終わった後、ネメアは自らシェフにプレートを返しに行き、「美味しかったです、ご馳走さまでした!」と伝えた。二人のシェフはニコニコと笑ってくれた。


…………


 次の日。ネメアはまた船尾に立って、魔物が出没しないか見張っていた。今は午前10時頃で、甲板には海を見たり世間話をしたりしている人が大勢集まっている。彼も時々話しかけられ、昨日のフライフィッシュの襲撃から乗客を守った事を感謝された。


 ピンク色の髪の双子が、二人で仲良く手を繋いで、彼の元にやってきた。お揃いの白いワンピースを着ていて可愛らしい。


「「ねえねえお兄さん、お話があるの」」


「どうしたのかな?」


 声を揃えて双子に話しかけられたので、ネメアは背を低くして応答した。


「お母様から聞いたのだけど、ここら辺の海で、セイレーンが出るんだって」


「ここは岩場がいっぱいあるから、人間を誘惑しやすいんだって」


「それでね、お兄さんにお願いしたいことがあるの」


「私達のお願い、聞いてほしいの」


「「私達にセイレーンを見せて」」


 二人で代わる代わる話し、一番大切な事は声を揃えて伝えてきた。双子のお願いを聞いたネメアは、口をポカンと開けた。


 セイレーンは魔物であるが、その見た目の美しさから、一目見てみたいと思う者は多い。海の中を泳ぐ姿は、怪しさの中に可憐さがあって、とても魅惑的なのだ。


 しかし、近づけば海の底へ引きずり込まれてしまう可能性がある。知能も高く、中には武器や魔法を使って戦ってくる奴もいるため、まともにやり合わない方が良い。


 双子がキラキラと期待した目でこちらを見上げてくるので、頼みを断るのは少々心苦しかったが、彼女達の身の安全を守るため、ネメアはきっぱりと断ることにした。


「ごめんね、もしセイレーンが現れたとしても、見せてあげることはできないんだ。セイレーンは見た目は綺麗かもしれないけど、人を海に引きずり込んで食べちゃう、とっても怖い魔物なんだよ」


「「えー!!」」


 ネメアが断ると、双子は声を揃えてうなだれた。


「嫌だ嫌だ! 絶対セイレーン見たいもん!」


「歌声を聞かなきゃ平気でしょ? 耳を塞いでるから見せてよ!」


「駄目だよ。俺が冒険者だからと言って、君達を絶対に守ってあげられる訳じゃないんだ。ほら、お母さんの元へ行きな。子供達だけで行動するのは危ないよ」


 諦めず迫ってきた双子を、彼は宥めた。彼女達は同時に肩を落とすと、とぼとぼ母親の元へ向かった。だがその最中、二人は周りの人に聞こえない小さな声で、こそこそ話をした。


「お兄さんにも断られちゃったね。この船に乗るのは五回目だけど、護衛の人達って、いつもセイレーンを見せてくれないね」


「きっと、セイレーンがあんまりにも綺麗だから、その事を他の人に知られたくないんだよ。護衛の人達ってズルイ!」


「じゃあさ、護衛の人達がいない間に、こっそり岩場を見に行ってみようよ」


 片方の女の子が提案した。もう片方の女の子は首を傾げる。


「それってどういうこと?」


「夜は護衛の人達が、代わり番こで寝にいくの。客室の扉は閉まってるけど、交代する時だけ扉が開く。その隙に甲板へ出れば良いと思うの。今回は護衛の人が二人しかいないから、気づかれないはずだよ」


「なるほど!」


 秘密の作戦を立て、二人はクスクスと笑った。夜がくるのが待ち遠しくなった。


 そして、日が落ちて月が登り、夜が訪れた。皆、静かに寝静まっている中、双子は母親と一緒に寝ているベッドからするりと抜け出して、客室の扉の影に隠れた。廊下は真っ暗でほとんど何も見えず、体が小さな彼女達に気づくことは難しいだろう。


 ネメアが部屋から出てきた。甲板にいるクレタと見張りを交代するのだ。彼が扉を開けた瞬間、双子は音もなく外へと飛び出して、彼に見つからないようサッと物陰に身を潜めた。見事に作戦が成功し、双子は顔を見合わせてにっこりと笑った。


 外は月の光に照らされているが、それでも深い闇に包まれていて、セイレーンの姿をはっきりと見ることはできないだろう。双子は魔法を使えるため、頭の中で呪文を唱え、小さな光の球を産み出した。少しだけ視界が明るくなった。


 決して音を立てぬよう、摺り足で船の縁まで歩き、手すりを掴んで上によじ登る。周りは広い岩場で囲まれていた。セイレーンが人間を誘惑するには、うってつけの場所だ。


 しばらく待っていると、ポチャンと音がして、翡翠色に煌めく鱗が見えた。双子はハッと息を呑む。


 ちょうど二人の目の前にある岩場に、サファイアのように美しい青色の髪を持った、この世の者とは思えないほど美しいセイレーンが乗り上げた。


 セイレーンと双子の目が合う。そいつは目を細め、こっちへおいでと手招きしてきた。双子はそれを見てパッと顔を輝かせる。だが、セイレーンの誘惑に従ってはいけない事は理解していたため、二人は首を横に振って断った。


 すると今度は、胸に手を当てて歌い始めた。最高のテクニックを持つ演奏者が奏でる、最高級のバイオリンの音のような、体の内から震え上がるほど美しい歌声が響き渡る。双子はすぐさま耳を塞いだが、指の隙間を縫って入り込んでくる音に、瞬く間に魅了されてしまった。


 その歌はまるで、夜泣きする赤子をあやす、母親の愛情に溢れた子守唄のようであり、失恋したうら若き乙女の、傷ついた心のような悲壮感もあって、初めて聞いた歌なのに、昔から知っていたかのように耳に馴染んだ。


 セイレーンの歌声を聞いてしまったのは、双子だけではなかった。クレタと交代で夜の見張りを始めたネメアの耳にも、その音色は届いていたのだ。


 彼は、不意に頭がボーッとする感覚に陥り、こくりと首が下へ傾く。その反動でハッと我に帰り、それからセイレーンがアール号の近くにいることに気がついた。


 セイレーンは、自分から近づかなければ襲われる事はないので、この場で待機していればいいだろうと判断した。これ以上歌声を聞いてしまわないよう、四つ葉のペンダントを握りしめてアイテムボックスを召喚し、そこから耳栓を取り出した。


 耳栓をはめ、これで一安心だと思ったが、彼は違和感を覚える。セイレーンは意味もなく歌う事はない。だが、自分を海に引きずり込むために歌っているのであれば、声の聞こえてくる場所が遠い。


 そこで彼はハッとした。甲板に、自分以外の誰かがいる。そして昼間に話した双子の顔がすぐさま思い浮かんで、血の気が引いた。


 歌声を近くで聞いていた双子は、次第に洗脳されて目の輝きがなくなり、手すりの上から立ち上がると、海へと飛び込んだ。岩場にいたセイレーンが、歌うのをやめて海に潜り、双子を両脇に抱えて海の底へ連れ去ろうとする。


 その時、セイレーンの視界が真っ白な光に包まれた。駆け付けたネメアが、魔法で大きな光の球を産み出し、目眩ましさせたのだ。眩しさに怯んだそいつが、双子から手を離した隙に、彼は海へ飛び込んで、彼女達の腕を掴み、自分の元に引き寄せた。


 ひとまず、双子を船の上へ避難させてやりたいが、服が水を含んで重くなっているし、両手が塞がってしまうので、二人同時にそれをやることは難しいだろう。彼は呪文を唱えて木の根を召喚し、集中して魔法で操りながら、それを手すりと片方の子の腹に巻き付けた。


 片手が開いたので、彼は弾みをつけて飛び上がると、手すりを掴んで船の胴体を蹴り上げながら甲板に戻った。片腕で抱えていた子を仰向けで寝かせてやり、木の根を巻き付けていた方の子も、それをほどいて隣に寝かせてやった。


 回復魔法をかけ、寒くないよう、アイテムボックスから取り出した外套をかける。首筋に手を当てて、生きているか確認すると、脈は正常に動いていた。良かった、無事に助けられたようだ。


 しかし、問題は片付いていない。視界を取り戻したセイレーンは、せっかくの獲物を奪われた事に怒り、鼓膜が破けそうなほどうるさい金切り声を上げた。ネメアは応戦しようと、ズボンのポケットから如意棒を取り出す。


 そこへ、鍋を持ったクレタが現れた。一連の騒ぎを聞き付け、部屋から出てきたのだ。使い物にならなくなってしまうことを気にせず、鍋の底をガリガリと引っ掻いて、不快な金属音を立てる。それを聞いたセイレーンはたちまち悲鳴を上げ、淡麗な顔を醜く歪めながら、海の底へと帰っていった。


 ネメアは耳栓を外し、駆け付けたクレタに感謝を伝えた。


「クレタさん、来てくれたんですね! ありがとうございます!」


「間に合って良かったわ。ネメアちゃん、怪我はない?」


「俺は平気です。でも、この子達は……」


 心配そうに顔を歪め、彼は寝ている双子を見やった。回復魔法をかけたので、元気になっているはずなのに、ぐったりと目を閉じたまま起きないのである。


 クレタは膝を床に着けて、彼女達の顔に耳を近づけた。気管に水が入ってしまっているのかと思ったが、すぅすぅと、微かに空気が抜けていく音が聞こえる。ただ眠っているだけのようだ。


「大丈夫、この子達は寝ているだけよ。セイレーンの歌声には、催眠効果もあるから」


「はぁ、良かったぁ……」


 ネメアはホッと胸を撫で下ろした。一方、クレタは険しい表情を浮かべた。


「ねえネメアちゃん、どうしてこの子達がここにいるのかしら? 私、昼間にこの子達からセイレーンを見せてほしいと言われて断ったのだけれど、ネメアちゃんの元にも来てたわよね」


 疑いの目を向けられて、彼はギョッとした。


「もちろん、俺も断りましたよ!」


「あら、疑ってごめんなさいね。それなら、起きたらこの子達を、たっぷりお説教しないと」


 怒りを滲ませながらそう言うと。クレタは立ち上がった。


「ネメアちゃん、濡れたままの服を着ていたら風邪をひくわよ」


 彼女はネメアに近づき、上着をバサッと脱がせた。いきなり服を脱がされたネメアは、耳まで顔を紅潮させる。


「ちょちょちょ、クレタさん!?」


「私が火の玉を出して上げるから、座ってそれにあたってて」


 呪文を唱え、彼女は自分の膝下にサッカーボールほどの大きさの火の玉を召喚した。彼は恥ずかしそうに俯いて、胸を両手で隠しながら、その近くに腰を下ろした。その様子を見てクスッと笑うと、彼女は真珠のピアスを握りしめてアイテムボックスを召喚し、外套を取り出した。


「ほら、これを貸してあげるわ。あの子達も、火の玉の近くに寄せてあげしょう」


「はい、分かりました」


 外套を受け取り、彼はそれを上半身に巻き付けた。それから、二人で一人ずつ双子を火の玉に寄せた。


 彼女達が起きるまでしばらく時間がかかりそうなので、クレタはネメアにとある質問をすることにした。彼女は彼に会った時から、聞いておきたいことがあったのだ。


「ねえネメアちゃん、貴方はどうして冒険者になったの?」


 ネメアと向い合わせで座り、彼女は尋ねた。不意の問いかけに彼は目を見開いたが、ポツリポツリと答え始めた。


「俺の姉さんは、伝説のSランクパーティーのリーダー、オリーブ・ヘリクルスだという話は、しましたよね。でも、オリーブ姉さんは、最強の魔物『テュポン』を倒したのを最後に、姿を消してしまいました…………


 俺は、いなくなった姉さんを探すために、冒険者になったんです。噂では、何かの魔物にやられて、死んでしまったと言われていますが、俺は、今もどこかで生きていると、信じています」


 一つ一つの言葉を噛み締めるように、彼は答えた。火の玉に照らされている彼の目には、深い悲しみがこもっていた。話を聞いた彼女もまた、悲しくなって眉を下げた。


「きっと会えるわ、ネメアちゃん」


 励ましの言葉を送り、彼女は微笑んだ。そして彼に聞こえないよう、ボソリと呟いた。


「貴方が、もっともっと強くなったらね」


 ネメアの耳にクレタの密かな呟きは届いておらず、今度は彼が、彼女にされたのと同じ質問をした。


「あの、クレタさんはどうして冒険者になったんですか?」


「私は、そうね……」


 彼女は口ごもり、顎に手を当てて思案し始めた。彼はどんな答えが返ってくるのだろうかと、ドキドキして待った。


 クレタさんとパーティーを組んでからしばらく経つけれど、まだまだ知らないことが多い。全てのステータスがマックスで、身体能力については200もあるし、元仲間の人達もとても強い。どうしてそんなに強くなれたのか、どんな人生を送ってきたのか、気になることが沢山ある。


 クレタが再び口を開く事を期待して、ネメアは胸を高鳴らせていた。しかしその時、寝ていた双子が同じタイミングで起き上がったので、話は切り上げられてしまった。


「あら、双子ちゃんが起きたわ。この話はまた今度にしましょう」


「えっ……分かりました」


 クレタが冒険者になった理由を知りたくてワクワクしていたので、話が中断されてしまい、ネメアは内心とても残念に思った。だが、彼女の話を聞くことはいつでもできる。今の最優先事項は、このやんちゃが過ぎる双子に、二度とこんなことをしないようお説教することだ。


 意識を浮上させた双子は、辺りをキョロキョロと見回し、ネメアとクレタを見つけると、サァァと顔を青くした。


「どうしよう! 護衛の人達に見つかっちゃった!」


「どうしよう! 怒られちゃうかも!」


「えぇ。これからたっぷりとお説教してあげるわ。貴方達、自分がどれだけ大変な事をしたか分かってる?」


 怯える双子に、クレタは問いかけた。彼女達はプルプル震えながら顔を見合わせているが、何が悪かったのか理解していないようだ。ネメアは、彼女達にそれを気付かせるため、セイレーンに操られていた時の状況を話した。


「君達はセイレーンの歌声を聞いた後、海に飛び込んで意識を失っていたんだ。そして、セイレーンに海の底へ連れていかれそうになっていたんだよ。人間が海の底へ行ったら、どうなるか分かるよね」


「「死んじゃうってこと?」」


「そうだよ。君達はまだ、死にたくないだろう? それに、君達が死んだら家族が悲しむよ。家族を失うことは、とても辛いことなんだ。だから、自分からわざわざ魔物に近づくなんてこと、もう二度としちゃだめだ」


「そうよ。もしもネメアちゃんが貴方達を助けられなかったら、何もかも失うことになっていたわ。死んだ人間が行き着くのは、真っ暗で何もない、楽しいことなんて一つもない冥界よ。そんなところに行きたくないわよね」


「昼間にもいったけどね、どれたけ綺麗な見た目をしていても、魔物は魔物なんだ。君達はセイレーンと仲良くしたいと思っていても、セイレーンは君達のことを食べ物だとしか思っていないんだよ」


 二人の話を聞いている内に、自分達のやってしまったことの恐ろしさを知って、双子は背筋が凍りついた。目に涙を浮かべて、二人に謝罪する。


「「ごめんなさい……」」


「今度からは絶対に、魔物に近づかないでね」


 忠告を聞き入れ、双子は大きく頷いた。彼女達が改心したようすを見て、クレタは立ち上がり、彼女達に手を差し出した。


「さあ立って。今度はお母さんへ謝りにいくわよ」


 双子は大人しく手を取って立ち上がった。


「じゃあ私は、この子達と一緒に母親の元へ行ってくるわ。ネメアちゃんはここで待機してていわよ」


「はい、お願いします」


 ネメアが返事をすると、クレタは双子を連れて客室へと入っていった。十分後、彼女は泣き腫らして目を赤くした双子と、その母親を連れて戻ってきた。母親は、ネメアに謝罪と感謝を述べた。


「私の子供達がご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。そして、子供達を助けていただいて、本当にありがとうございました」


「いえいえ、これが俺達の仕事ですから。助けられて本当に良かったです。大変な事だと思いますが、どうかその子達から目を離さないよう、お願いします」


「はい、これからはもっと気を配るようにします」


 母親の謝罪と感謝が終わった後は、双子が彼に感謝の言葉を送った。


「「お兄さん、助けてくれてありがとう」」


「君達が無事なら何よりだよ」


 ネメアはにこりと微笑んだ。双子と母親は再度お礼を言って、客室に戻っていった。


 騒動が解決した後。火の玉で服を乾かし終えたネメアは、クレタの気遣いで夜の見張りを交代してもらい、自分の部屋へ戻って眠りについた。体が濡れて体温を奪われ、体力が削られていたため、布団に入ると自然と瞼が閉じた。


…………


 そのまま五時間が過ぎただろうか。突如として船がぐらりと揺れ、内臓が浮き上がるような感覚に、彼は目を覚ました。何事だろうかと思って、慌ててベッドから飛び起きると、部屋の扉がバァンッと開かれて、クレタが入ってきた。


「クラーケンが現れたわ! 起きたばっかりのところ悪いけど、戦うわよ!」


「えぇっ、クラーケンが!?」


 心臓がドキリと跳ね、ネメアはすかさずズボンのポケットから如意棒を取り出した。クレタと共に走って客室を出ると、アール号の前方を、体長13メートルほどの巨大な蛸の魔物、クラーケンが阻んでいた。


 甲板にはすでに、四人の船員と船長のルーゴが集まっている。皆、弓矢を手にしていた。二人が駆けつけたのに気が付くと、ルーゴは振り向いた。


「ネメアくんも来てくれたか! お二人さん、オイラ達でクラーケンの気を引くから、その隙に攻撃してくれ」


「分かりました。ネメアちゃん、皆の周りに盾を召喚してあげて。それが終わったら、クラーケンを攻撃しに行ってちょうだい」


 ルーゴの話を聞いて素早く指示を伝えると、クレタは甲板を駆け抜けて飛び上がり、クラーケンの頭上へ着地した。彼女が飛び乗ってきたことに驚いて、そいつは8本の足をくねらせる。すると、大きな波が発生して、船がぐらりと揺れた。


「うわぁぁ!」と甲板に残された者達は悲鳴をあげ、バランスを崩してその場に倒れる。横向きに倒れたネメアは、これは大変な戦いになるぞと悟った。クラーケンがこちらを攻撃してくる前に、早く盾を召喚しなければならない。


 彼は体を起こして、船員達に向かって手を伸ばし、呪文を唱え始めた。船員達も起き上がって、弓を構えた。


「射てー!!」


 ルーゴが号令を上げ、一斉に弓が放たれた。5本の矢は見事にクラーケンへ当たったが、そいつは全く動じること無く、かすり傷程度しか付かなかった。体が大きすぎて、並大抵の攻撃ではダメージが入らないのだ。


 それでも気を引くことはできて、そいつの黄色い目が船員達の方へ向いた。黒い横長の瞳孔がギラリと光る。


 注意が逸れた隙に、クレタが両手を重ね合わせて、クラーケンの頭に拳を叩きつけた。ズシンと思い衝撃を与えられたそいつは、バタバタと暴れだす。クレタは頭上から飛び降りると、ビチビチうねる触手をピョンピョン飛び移り、甲板へ戻った。


 船はまたまた激しく揺れ動いていたが、ネメアと船員達は這いつくばって耐えた。そして、暴れていたクラーケンが鎮まった時、ネメアが呪文を唱え終わったため、四人の船員とルーゴの四方に、盾が召喚された。


 一つ目の役目を終えた彼は、船頭に向かって走りながら、「高く伸びろ、如意棒!」と叫び、如意棒を5メートルの長さまで伸ばした。それを床に突いて高く飛び上がると、空中で体をひねって位置を調整し、クラーケンの脚にしがみついた。


 左手と両足をクラーケンの脚に回して、全身でしがみつくと、ネメアは右腕を伸ばしてクレタに呼びかけた。


「クレタさん、如意棒をこちらに投げてください」


「えぇ、分かったわ。私もクラーケンの体に飛び移るから、一緒に攻めましょう」


 彼女は大きく頷くと、甲板に取り残された如意棒を拾い上げ、槍投げのように投げて彼に渡し、再びクラーケンの頭上へ飛び乗った。


 如意棒を受け取ったネメアは、掴んでいる脚をめくり上げて、顔の大きさほどもある吸盤に貼り付けた。それがパタンと倒れて、クラーケンの頭上に立て掛かる。


 彼は脚をよじ登り、如意棒へ腕と足首を絡めると、芋虫のように腰を曲げ伸ばして頭上へ進んだ。


 彼の移動が邪魔されないよう、甲板にいるルーゴと船員達は、途切れること無く矢を射ち続け、クラーケンの意識を反らした。クレタもまた、下手に刺激を与えないよう、何もせずに座って待っていた。


 クラーケンの頭の天辺に辿り着くと、彼は吸盤から如意棒を引き剥がし、「縮め如意棒」と唱えて、160センチの長さに変えた。それからクレタの方を見て、作戦を聞いた。


「どうやってクラーケンに攻撃しますか?」


「ネメアちゃんは、頭を如意棒で突いて。私は、暴れるクラーケンの足を押さえつけるわ」


「了解です!」


 ネメアはさっそく、縦向きで如意棒を持ち上げて、先端を強く叩きつけた。だが、クラーケンの皮膚は分厚く、そして弾力性があり、ボヨンと攻撃を跳ね返されてしまった。その衝撃で、彼は尻餅をついてしまう。


 頭を突かれたクラーケンは苛立ち、脚を海面にバシャンバシャンと打ち付け始めた。クレタは暴れている脚の一本に飛び膝蹴りを喰らわせて、動きを鎮めると、その隣の脚目掛けて跳躍し、また飛び膝蹴りを食らわせた。


 彼女は左側から順に脚の動きを止めていったが、一番右の脚が持ち上げられ、甲板目掛けてパンチが繰り出された。彼女は船員達を助けようと飛び上がるが、右から二番目の脚が彼女の背後からニュルッと現れ、腹に巻き付けられてしまい、身動きが取れなくなる。


 船員達を狙ったパンチの威力は凄まじく、ネメアが四方に召喚した盾は全て木っ端微塵になり、彼らは2メートル後ろへ吹き飛ばされてしまった。


 この間、ネメアはクラーケンの頭上から振り落とされないようにするので精一杯であり、船員達を助けに行くことも、クレタの援護をすることもできなかった。頭上で這いつくばりながら、ただ状況が悪くなっていくのを見届けることしかできなかった彼は、自分の無力さを嘆いた。


 今度こそは、仲間の足を引っ張らないようにしようと決めたのに! ネメアは拳を握って唇を噛んだ。口の中に苦さが広がっていく。


 だが、悔やんでいても仕方がない。なんとかして、この状況を打破しなければならない。まずは何をするべきか、彼は頭の中で整理した。


 クラーケンがいつ、また船にパンチを繰り出すか分からないので、船員達の周りに盾を召喚し直す必要がある。呪文を唱える際には時間がかかるので、誰かに時間稼ぎをしてもらわなければならない。


 主戦力であり、時間稼ぎをしてくれそうなクレタは、拘束されている。彼女の拘束を解くために攻撃を仕掛けたら、クラーケンが暴れだしてしまうだろう。


 ならばクレタの手を借りずに、自分で時間稼ぎをしながら、盾を召喚すれば良いのだ。クラーケンの意識が自分に向けられていれば、その内に彼女が自力で拘束を解くこともできる。


 心の内から、「俺なんかにそんな器用な事ができるのか?」と問いかける声が聞こえてきた。それに対して、「できるできないじゃなくて、やるしかないんだ」と返し、ネメアは決心を固めた。


「高く伸びろ如意棒!」と唱え、如意棒を5メートルに伸ばすと、ネメアはクラーケンの頭から飛び降りた。落下しながら、棒の先端が船首に当たるよう、標準を合わせる。先端が船首に着くと、如意棒がグイッとしなり、その弾みに合わせて彼は飛び上がって、甲板に着地した。


 床に落ちた如意棒を拾い上げると、彼はクラーケンを見上げた。そいつは、クレタを捕らえている脚を除いた三本の右脚を持ち上げて、こちらに攻撃を仕掛けるタイミングを見計らっている。左側の脚は、彼女の飛び膝蹴りで深いダメージを負い、動かせないようだ。


 八本の脚全てを動かせるなら勝ち目はなかったが、三本だけならネメア一人でも対処できるだろう。彼は、クラーケンが暴れていたほんの数秒の間に、四本も脚を再起不能にしたクレタを、やはりとてつもない実力者だなと、尊敬した。


 そんな彼女を助けるためにも、今ここで自分が頑張らなければならない。如意棒を160センチに縮めると、倒れている四人の船員とルーゴに盾を召喚するため、呪文を唱え始めた。四方に召喚するのは大変なので、ひとまず前方にだけ召喚することにした。


 ネメアが呪文を唱え始めると、ここが好機とばかりに、クラーケンが一本の脚を丸めてパンチを繰り出してきた。彼は如意棒を野球のバットのように構えて、パンチを打ち返す。横から打撃を与えられた脚は、ブルンと震えて拳がほどけた。


 一度攻撃を防がれただけでは、クラーケンは物怖じしない。今度は三本の脚を丸めて同時にパンチしてきた。彼は横を向いてジャンプし、一本目の脚を踏みつけると、如意棒を真っ直ぐ振り下ろし、残りの二本を甲板に叩きつけた。


 またもや攻撃を防がれ動揺したクラーケンは、三本の脚を自分の元に引き寄せると、思案するように動きを止めた。その間に彼は呪文を唱え終え、四人の船員とルーゴの前方に、大きな盾を召喚することができた。倒れていた彼らは立ち上がり、弓を構える。ルーゴが彼に話しかけた。


「早々に倒れちまって不甲斐ない。ネメアくん、オイラ達を守ってくれて感謝するよ」


「どういたしまして。俺はこれから、クレタさんを助けに行きます。その時、クラーケンが暴れるかもしれないので、気を付けてください」


「あぁ。ネメアくんも、気をつけてね」


 ネメアはこくりと頷くと、如意棒を5メートルの長さに伸ばして、助走を着けた。走っている間、ネメアは頭の中で、火の玉を召喚する魔法の呪文を唱えた。如意棒の先端を床に突き、高く飛び上がって、クレタを拘束している脚にしがみつく。


 それと同時に、彼の両手から火の玉が産み出され、クラーケンの脚がジリリと焼けた。拘束が緩められ、クレタが脚の中から飛び出す。脱出した彼女は、クラーケンの右目を殴り付け、失明させた。


 海面に、四本の脚がバチャンバチャンと叩きつけられる。脚に掴まっていたネメアは、その衝撃で手を離してしまい、たちまち海に沈んだ。気孔に水が入り、ガボゴボと噎せる。反射的に目を瞑っていたため、彼は何が起こったのか分からず、混乱して手足をバタつかせた。


 そんな彼の手を、誰かが優しく握って落ち着かせた。目を開けると、そこにいたのはクレタだった。


 彼女は彼の腕を引いて、一緒に水面から顔を出した。その時、甲板から悲鳴が聞こえてきた。二人が慌ててそちらに目を向けると、四本の脚がアール号の底を掴み、徐々に持ち上げようとしている所だった。


 船は重く、持ち上げるには相当な力が必要なので、クラーケンが船本体を襲うことは滅多にない。だが、クレタに散々身体を傷つけられ、ヤケクソになったこのクラーケンは、火事場の馬鹿力で船をひっくり返そうとしているのだ。


 ネメアは全身に鳥肌が立ち、クレタは目付きが険しくなる。


「速く止めを刺さないとまずいわね。ネメアちゃん、ちょっと乱暴な事するけど、許してちょうだい」


「えっ!?」


 クレタはネメアの胴体を持ち上げると、船首目掛けて放り投げた。彼は「うわぁぁ!!」と叫び声を上げながら、何とか手すりに掴まり、甲板へ這い上がった。甲板では船員達が、クラーケンの動きを止めようと、必死に矢を射ち続けている。


 しかし、船を持ち上げている脚の内の一本が握り拳へと変わり、船員達に向かって放たれた。ルーゴと老人の船員は避けることができたものの、他の三人には命中してしまった。ネメアの召喚した盾が壊れて、散り散りに倒れてしまう。


 その様子に、ネメアは急いで置いてきた如意棒を探した。如意棒は、船に角度がついたため、コロコロと下に転がっている。彼がそれを回収するために走っていた時、クレタも甲板に上がってきて、回収し終えた所で声をかけられた。


「ネメアちゃん、私が貴方をクラーケンの方へ飛ばすわ。だから、その如意棒で止めを刺して」


 指示を受け、ネメアはクラーケンの頭上を突こうとして失敗した事を思い出し、首を横に振った。


「無理です。俺の攻撃じゃ威力が足りません」


「今度は頭じゃなくて、左目を攻撃すればいいわ。眼球なら頭よりも柔らかいし、脳と繋がっているもの」


「なるほど!」


 アドバイスを受け、ネメアは納得した。


 クレタは彼を肩に担ぎ、北風のように甲板を走り抜け、船首で大ジャンプした。クラーケンと目が合った瞬間、ネメアを空中へ放り出す。


「高く伸びろ如意棒ー!!」


 大声でそう叫び、ネメアは5メートルに伸びた如意棒を、クラーケンの左目に強く突き刺した。眼球がグシャリと潰れ、如意棒が脳天まで突き刺さる。そいつは絶命し、下についた口から墨を吐いて、海を黒く染め上げたのだった。


 クラーケンに止めを刺したネメアは、倒れていくそいつの身体ごと、海に落ちそうになった。彼は左目を突いている如意棒にぶら下がると、グルングルン回転し、十分に勢いがついた所で飛び上がった。


 木の根を召喚する魔法の呪文を唱え、自分の腹部にそれを巻き付けると、先端を船の手すりと繋げた。木の根を掴んで船の胴体を蹴り上げながら、彼は甲板に戻った。


 一方クレタは、ネメアを投げ飛ばした後、クラーケンの目の下の皮膚にしがみついていた。ヌルヌル滑って下に落ちてしまいそうだが、爪を立てて食い込ませ、握りつぶしそうなほど強く皮膚を掴んでいた。


 ネメアがクラーケンを倒し、甲板に戻ったのを確認すると、クレタはジャンプして如意棒にぶら下がり、後ろ向きに回転した。足が宙へ浮くと、手で如意棒を強く押し、弾みを着けて起き上がると、如意棒を蹴ってそいつの頭の上に飛び乗った。


 頭上で如意棒を引き抜き、「縮め如意棒」と唱えて30センチの長さにすると、彼女はそれを胸の谷間に挟んで、そこから飛び上がった。甲板に着地すると、ネメアに話しかけた。


「ネメアちゃんお疲れ様! 見事な一撃だったわよ。はいこれ、如意棒を回収してきたわ」


「ありがとうございます。って、なんて所から取り出してるんですか!?」


 クレタが大きな胸の隙間から如意棒を取り出したのを見て、ネメアはギョッ目を見開き後ずさった。クラーケンの体表にしがみついてヌルヌルのツヤツヤになっていたため、余計に如何わしい。


「ほら、受け取って。貴方の如意棒」


「ギャー!! 最低!! 最低ですよクレタさん!!」


 世界一最悪な言い回しで如意棒を腕にグイグイ押し付けられ、彼は顔を真っ赤に噴火させて悲鳴を上げた。彼女の手から早急に如意棒を取り上げると、ズボンのポケットに突っ込んだ。


「クレタさんはどうしてそう、恥ずかしいことを軽々と言えるんですか? 聞かされるこっちの身にもなってください!」


「ウフフ、ネメアちゃんって本当にからかいがいがあるわね」


 眉を吊り上げて抗議する彼に対し、彼女は悪びれる様子を見せず、楽しそうに笑った。


 茶番はここまでにして、二人は四人の船員とルーゴの様子を見に行った。ルーゴと老人の船員は無傷だったものの、クラーケンのパンチを食らってしまった三人の船員は、腕にかすり傷を負っていた。


 ネメアが彼らに回復魔法をかけて傷を治すと、その内のテストで帆柱に登っていた船員が、代表して礼を伝えてきた。


「傷が綺麗さっぱりなくなったし、体が軽くなった気がして最高だよ。それから、君が召喚してくれた盾のおかげで、わしらは重症を負わずに済んだ。本当にありがとう、ネメアくん」


「いえいえ。こちらこそ、皆さんが弓矢でクラーケンの気を反らしてくれたおかげで、とても助かりました。ありがとうございます」


 逆にお礼を返してきたネメアの真摯な対応に、船員達は顔を綻ばせる。


 空高く昇った太陽が、クラーケンに勝利したことを称えるように、明るく皆を照らした。この日はもう、魔物が現れる事はなかった。


…………


 次の日。今日はついに、目的地である『アンドロメダ島』に到着する日だ。


 時刻はお昼過ぎ。もう魔物は襲ってこないだろうと判断し、ネメアとクレタは共に、目前に迫る孤島を船首で見ていた。大きな山がそびえ、灰色の煙が立ち上っている。


「いやあ、ここまで大変な道のりでしたね。まさか、三日連続で魔物と遭遇する羽目になるとは思いませんでしたよ」


 ネメアがポツリと呟くと、クレタがこくりと頷いて返事をした。


「そうね。私もまさか、クラーケンまで現れるとは思わなかったわ。あいつら、相当食料が無くて飢えている時しか、人を襲わないもの。だけど沢山魔物と戦ったという事は、それだけステータスが成長しているはずよ」


「確かに! ステータスカードを見てみましょう」


 彼はズボンからステータスカードを取り出した。


『ネメア・レオ』

攻撃力 75/100

防御力 76/100

素早さ 79/100

武器を扱う技術 78/100

魔力 73/100

身体能力 73/100


「わぁ! 全てのステータスが70台まで来ましたよ!」


「おめでとう! この調子なら、次見たときには全てのステータスが80までいっているかもしれないわね」


「全部80? それは流石に、気が早いんじゃないですか?」


「いいえ、そんな事はないわ。これから上陸するアンドロメダ島には、私の元仲間がいるもの。船が島に停泊している一週間の間、あの子に色々と稽古をつけてもらうつもりよ」


「クレタさんの元仲間がいるんですか!?」


 驚いて聞き返してきたネメアに、クレタはクスリと笑って頷いた。


「えぇ。上陸したら、その子の家を訪ねましょう」


 アンドロメダ島に、クレタの元仲間がいると知って、ネメアはどんな人なのだろうかと想像し始めた。


 以前会ったエリュマさんやケネイアさんは、美人な女性だった。きっと今回会う人も、美人な女性に違いない。類は友を呼ぶというし。厳しい稽古をつけられるのはごめんだけど、会うのが楽しみになってきた。


「ネメアちゃん、鼻の下が伸びてるわよ」


 クレタから指摘を受け、ネメアは顔を赤くした。


「す、すみません。クレタさんの元仲間の方なら、きっと美人なんだろうなぁと思って」


「ウフフ、ネメアちゃんの期待通り、彼女は美人よ。だけど残念ながら、既婚者なの」


「あー、そうなんですか……」


 悲しい情報を知ってしまい、ワクワクしていた気持ちが一気に萎んで、彼は肩を落とした。


 数分後。アール号がアンドロメダ島の港で錨を下ろし、ついに3泊4日の船旅は終わりを告げた。乗客全員が船から降りた後、ネメアとクレタは甲板の真ん中で、船長のルーゴや船員達と別れの挨拶をした。


「皆さん、お世話になりました。そしてお疲れ様でした」


「私からも、お疲れ様でした。一週間後まで、しばしお別れですね」


 二人が彼らの前で頭を下げると、ルーゴが一歩前に出てきた。


「ネメアくんとクレタくんが護衛をしてくれたおかげで、オイラの大切な仲間や乗客、アール号を失わずに済んだよ。お二人さん、本当にお疲れ様」


 そう言ってルーゴは、右手に持っていた二枚の感謝状をそれぞれ渡し、話を続けた。


「この感謝状を冒険者ギルドに持っていけば、報酬が貰えるよ。港を出てすぐの町に支店があるから、そこに立ち寄ってね。そしてこれは、オイラからのボーナスだよ」


 今度は左手に持っていた金貨を、二人の手の平に一枚ずつ置いた。太っ腹なルーゴの対応に、ネメアは目を輝かせた。


「えっ!? こんなに貰っちゃっていいんですか!?」


「いいとも! 今回はクラーケンにまで遭遇しちゃって、大変だったからね」


 ネメアとクレタは声を揃えて、「ありがとうございます!」と感謝を伝えた。


「一週間後、帰りの護衛もよろしく頼むよ」


「はい、分かりました!」


「それではまた、お元気で」


 感謝状と金貨をアイテムボックスの中にしまい、二人は手を振って、ルーゴ達と別れた。そしてアンドロメダ島支店の冒険者ギルドに訪れ、行きの分の報酬を手に入れたのだった。

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