第2話 ただの雑草刈りですが?
ゲートをくぐると、そこは別世界だった。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
目の前に広がっていたのは、鬱蒼とした森だ。
空はどんよりと曇っていて、薄暗い。
木々は勝手気ままに枝を伸ばし、地面は雑草で覆い尽くされている。
ここが、『新宿御苑ダンジョン』の第一層。
通称『迷いの森』エリアだ。
「うわぁ……」
俺は思わず声を漏らした。
恐怖からではない。
あまりの荒れ果てように、庭師としての血が騒いだのだ。
「ひどいな、こりゃ」
枝は絡まり合い、光を遮っている。
これじゃあ、下草に日光が届かないし、風通しも最悪だ。
病気になってもおかしくない。
まさに、手入れされていない放置庭園。
「……よし」
俺はポケットからカメラを取り出し、スイッチを入れた。
美オとの約束だ。一応、配信もやっておこう。
スマホと連動させ、D-Tubeのアプリを起動する。
タイトルは……そうだな。
『庭師の休日 in 新宿御苑』
これでいいか。
配信開始ボタンをポチッとな。
『接続中……』
『配信を開始しました』
画面に俺の顔と、背景の森が映し出される。
視聴者数、0人。
うん、知ってた。
無名のFランク探索者、しかもおっさん(二十四歳)の配信なんて、誰が見るんだって話だ。
まあ、記録用だしな。
俺はカメラを胸ポケットに固定し、独り言のように喋り始めた。
「えー、どうも。庭師です。今日は新宿御苑に来ています」
反応はない。
虚しい。
でも、まあいいや。
俺は腰の剪定バサミを抜き放った。
ジャキッ。
使い慣れた鋼の感触が、手に馴染む。
「とりあえず、暗いですね。ちょっと明るくしましょうか」
目の前には、太い蔦が絡まり合った巨木が立ちはだかっている。
こいつが空を覆っているせいで、この辺りは昼間だというのに薄暗い。
邪魔だな。
俺はハサミを構えた。
狙うは、光を遮っている不要な枝葉。
俺の目には、切るべき「線」がはっきりと見えていた。
――剪定。
パチン。
軽い手ごたえと共に、ハサミを閉じる。
その瞬間。
ズズズンッ……!!
重低音が響き渡り、目の前の巨木の上半分が、音もなくずり落ちた。
ドサァアアアアッ!!
巨大な枝葉が地面に落ち、視界が開ける。
雲の切れ間から、サーッと太陽の光が差し込んできた。
「うん、いい感じだ」
俺は満足げに頷く。
これで光合成も捗るだろう。
ふと、スマホの画面を見ると、コメントが一つ流れていた。
『え?』
お、視聴者第一号か!
ありがたい。
「こんにちは。見てくれてありがとうございます。今、ちょっと枝透かしをしたところです」
『枝透かしってレベルじゃねーぞ』
『今、背景の山まで切れてなかったか?』
『合成?』
お、二人増えた。
山? 何のことだ?
まあ、画角の問題だろう。
「さて、奥に進みますか」
俺はハサミを片手に、森の中を歩き出した。
ガサガサッ!
茂みが揺れる。
飛び出してきたのは、緑色の小鬼――ゴブリンだ。
手に錆びたナイフを持ち、醜悪な笑みを浮かべている。
「ギャギャッ!」
ゴブリンが飛び掛かってきた。
一般人なら悲鳴を上げて逃げ出すところだ。
でも、俺にはそうは見えない。
俺の目には、ゴブリンの姿が、植物に群がる『アブラムシ』に見えていた。
庭の景観を損ね、植物を弱らせる害虫。
駆除対象だ。
「あー、虫がついてますね。消毒しないと」
俺は無造作にハサミを振るった。
パチン。
空気を切る音。
次の瞬間、空中にいたゴブリンの首が、ポロリと落ちた。
ブシャアッ!
血しぶき……ではなく、黒い粒子となってゴブリンの体が崩れ去る。
後に残ったのは、小さな魔石だけ。
「ふぅ。やっぱり手入れ不足だと、害虫が湧きやすいな」
俺は魔石を拾い、ポケットに入れる。
コメント欄が少しざわついていた。
『は?』
『今、何した?』
『一撃?』
『ゴブリンってFランクじゃ苦戦する相手だろ?』
『CG乙』
CGじゃないんだけどな。
まあ、信じてもらえないのも無理はないか。
俺はその後も、遭遇するモンスターを次々と『剪定』していった。
ウルフ(雑草)を刈り取り。
キラービー(羽虫)を叩き落とし。
ポイズンプラント(病気の葉)を切り落とす。
サクサク進む。
道がないなら、藪を切り開いて道を作る。
俺が通った後は、まるで綺麗に整備された遊歩道のようになっていた。
「お、あれは……」
しばらく進むと、開けた場所に出た。
そこには、一本の巨大な木が立っていた。
ただの木じゃない。
幹に顔があり、根が足のように動いている。
中ボスモンスター、『トレント』だ。
高さは十メートル以上あるだろうか。
威圧感が半端ない。
『うわ、トレントだ!』
『逃げろ主! ソロじゃ無理だ!』
『死んだわこれ』
コメント欄が警告で埋め尽くされる。
でも、俺は逃げなかった。
むしろ、その巨木に魅入っていた。
「……ひどい」
俺は眉をひそめる。
トレントの枝ぶりは、最悪だった。
徒長枝(とちょうし)が伸び放題で、樹形が崩れている。
枯れた枝もそのまま放置されている。
あれじゃあ、木が可哀そうだ。
「グオオオオオッ!!」
トレントが咆哮を上げ、太い枝を振り下ろしてくる。
丸太のような一撃。
当たればミンチ確定だ。
でも。
「遅い」
俺には、その攻撃軌道が『切るべき線』として見えていた。
一歩踏み込む。
振り下ろされる枝に向かって、ハサミを突き出す。
パチン。
轟音と共に地面を叩くはずだった枝が、根元から切断されて宙を舞った。
「グッ!?」
トレントが驚愕(?)の声を上げる。
俺は止まらない。
そのまま幹に駆け寄り、目にも留まらぬ速さでハサミを振るった。
パチパチパチパチパチンッ!!
リズミカルな音が響き渡る。
伸びすぎた枝を切り詰め。
枯れた枝を落とし。
全体のバランスを整える。
それは攻撃というより、芸術的な『手入れ』だった。
数秒後。
俺はバックステップで距離を取り、汗を拭った。
「ふぅ……こんなもんか」
目の前には、さっぱりと散髪されたトレントの姿があった。
ボサボサだった枝は綺麗に整えられ、美しい円錐形を描いている。
まるで、一流の庭園にあるシンボルツリーのようだ。
「グ……ォ……」
トレントが、自分の体を見下ろす。
そして、俺の方を見て、どこか満足げに目を細めた(ように見えた)。
サラサラサラ……。
次の瞬間、トレントの巨体が光の粒子となって崩れ落ちた。
後には、大きな魔石と、一本の苗木が残されていた。
「お、ドロップアイテムか」
俺はそれを拾い上げる。
コメント欄は、静まり返っていた。
……かと思いきや。
『ええええええええええ!?』
『何今の!?』
『トレントを散髪して倒したwww』
『強すぎだろこの庭師!』
『Fランク詐欺確定』
『拡散希望』
ものすごい勢いでコメントが流れ始めた。
視聴者数を見ると、いつの間にか三桁を超えている。
「あ、ありがとうございます。やっぱり手入れって大事ですよね」
俺はカメラに向かって爽やかに笑いかけた。
この時の俺はまだ気づいていなかった。
自分の配信が、SNSで拡散され始めていることに。
『新宿御苑にヤバい庭師がいる』と、トレンド入りし始めていることに。
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