第2話

放課後のチャイムが鳴った瞬間、俺は席に固まっていた。


(マジで行くのか……?)


 いや、別に“行きたいかどうか”で言えば行きたい。

 美少女と一緒に帰るとか、漫画の主人公みたいな展開だし。

 でも俺は猿飛仁。

 モブ中のモブ。

 画面タップ以外にコミュニケーション経験ゼロの、対人戦には圧倒的に不利な陰属性。


 そんな俺が、和歌奈みたいな高スペック女子と一緒にいたら――


(絶対、周りに変に思われるし……)


「あ、猿飛君。ぼーっとしてないで行くよ?」


 すぐ横から、当然のように声がかかる。


「うおっ……!」


 振り返ると、和歌奈が机に手をついて覗き込んでいた。

 距離感どうなってんだこの人は。


「そんなビビらなくても取って食べないから」

「いや、距離……」

「これくらい普通でしょ。女の子と話したことないの?」

「……ほぼない。業務連絡がいいとこだな」

「おお、即答。まあ知ってたけど」

「知ってたんかよ」

「そりゃあね。アンタって、昼休みに一人でパン食べてスマホの画面睨んでるイメージ強すぎるし」

「そんな観察されてたのか俺……」

「教室にいると勝手に目に入ってくるだけ。存在感は薄いのに、行動は目立つんだよね、いろんな意味で」

「悪口やん」

「褒めてるよ? “珍しい生き物”って意味で」

「結局悪口だろそれ!」


 軽口を叩き合いながらも、気づけば俺は立ち上がっていた。

 体が勝手に動いていたというか、逃げるのを諦めていたというか。


 教室を出ると、放課後特有のざわざわした空気が広がっていた。

 部活へ向かうやつら、昇降口へ走る声、廊下を雑談しながら歩く友達同士。


 そんな中、俺と和歌奈が並んでいる。


(やば……絶対見られてる……)



「アンタ、そんなに下むいて歩いてどうすんの。カバンの中に爆弾でも入ってんの?」

「俺はテロリストかよ!」

「違うわよ、あんたの目線が怪しいってこと」


 周りの視線を感じて、思わずうつむく。


「いや、なんか……視線が気になるっていうか……」

「大丈夫だよ。クラスの女子は“気まぐれで陰キャに絡む和歌奈”くらいにしか思わないし、男子は“なんであいつ和歌奈と喋ってんの!?”って嫉妬してるだけだから」

「後者めっちゃ怖いんだけど!」

「大丈夫、アンタに害はないよ。多分」

「“多分”って言うな!」


 和歌奈は俺の慌てっぷりを見てニヤニヤしている。

 本当に楽しんでるんだろうな、俺を弄ぶの。


 階段を降り、昇降口で靴を履き替える。


「で、どこ行くんだよ?」

「ん? どこ行くと思う?」

「いや知らんよ……」

「ふふ、正解は――“帰り道を歩きながら雑談する”だよ」

「普通か!」

「普通ができないから練習するんでしょ?」

「う……確かに……」


 ぐうの音も出ない。


 外に出ると、夕方の風が春の匂いを運んでくる。

 校門を出たあたりで、和歌奈が唐突に言った。


「じゃ、まずは質問ね。

 猿飛君って、どんな子が好みなの?」

「えっ……」

「ほら、女の子と話す練習なんだから、そういう話題も必要でしょ?」

「いや、それは……そうだけど……」


 急に恋愛話とか、ハードルが高すぎる。

 でも逃げたら絶対言われる。


(……どう答えるべきなんだ? こういうのって、正直に言っていいのか?)


「別に気取らなくていいよ。アンタが本気で彼女欲しいなら、ちゃんと好きなタイプ言わないと」


「……じゃあ……その……」


 喉が乾く。

 言葉が出てこない。

 俺がこんなに緊張するなんて、自分でも笑えてくる。


「黒髪……とか……」

「ふーん?」

「落ち着いてて……優しい子……とか……」

「へぇ~?」


 つまらなさそうな顔。


「典型的で面白みがないわね……」

「自分から聞いといてなんなんだよお前は…」


 恥ずかしさで死にそうだ。


 和歌奈は小さく笑ってから、少しだけ真面目な声で言った。


「でもさ、アンタの“好み”はわかったよ。そんくらい正直な方が、恋愛経験ゼロのわりにはいいんじゃない?」

「そんくらいって……」

「で、次の課題ね」

「まだあんの!?」


 和歌奈は俺の前に回り込んで、ようやく真っすぐ顔を合わせた。


「猿飛君、女の子と話すときは“逃げない”こと。目をそらしたらダメ。ちゃんと相手の顔を見て、普通に話す。それだけで印象は変わるから」

「いや、でも……」

「“でも”禁止。恋愛したいなら、まず自分の態度直さないと始まらないよ?」

「……うぐ……」


 正論すぎて言い返せない。


 俺が俯いていると、和歌奈が少しだけ、ほんの少しだけ優しい声で言った。


「まあ、いきなり全部は無理でもさ。今日みたいに、まず私と話せるようになればいいんじゃない?」

「……それ、俺のハードルめっちゃ高くね?」

「美少女と話す練習なんて、贅沢でしょ?」

「自分で言うな!」

「事実だから。一ミリも謙遜する気ないけど?」


 和歌奈はそう言って、髪をかき上げながら笑った。

 その笑顔は、いたずらっぽくて、でもどこか楽しそうで。


 俺はこの時初めて――

 ほんの少しだけだけど、“この時間が悪くない”と思ってしまった。


(……変だな。俺、ホントに恋愛とか興味なかったはずなのに……)


「はい、今日の練習はここまで!」


 和歌奈がぱん、と手を叩く。


「え、終わり?」

「不満?」

「いや……別に……」

「ふふ。じゃあまた明日もやるから。逃げないでね、猿飛君?」


 言い捨てて、和歌奈は先に帰っていく。


 夕暮れの光で黒髪がオレンジ色に染まり、妙に綺麗だった。


 一人残された俺は、ただその背中をぼーっと見つめていた。


(……なんだよこれ。

 本当に、俺の人生……変わるのか?)


 変わらないと思っていた毎日。

 気づけば、もう動き始めていた。

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