第2話 猫の好物

 ――うーん、むニャむニャ……

 

 陽だまりの中のフカフカしたクッションとカーテンの温もり。嗅ぎ慣れたボクの匂いがする猫ベッド。

 ……のはずだったのに。

 

 赤黒い光が、ボクを現実に引き戻す。

 まぶたを開くと、石の壁。天井には真っ赤なシャンデリアが見える。

 

(はぁ、夢じゃなかった……ニャ。)

 

 見渡すと魔王城の豪華な一室。その部屋の天蓋てんがいつきのベッドで寝ていた。

 窓の外を見ると、黒い雲が渦を巻いている。

 

 そう、ここは魔王城。

 

 起き上がると召使いの魔族が一斉にひれ伏した。

 

「聖閃ステラ様、目覚めになられましたか。」

 

「……むニャ?」

 

 メイドの魔族たちは机の上に銀の皿を並べ始めた。正直状況が理解できない。

 食事のようなものだが、何を煮込んでいるのかパチパチと音を立てている上に香りが強烈だ。焦げた血のような鼻腔を焼く刺激臭。


「な、何これ……」


 ……食べる気になれない。

 

 鼻を近づけるが、どれも臭いが濃すぎて目を細めた。

 いつも変わらない味のカリカリした粒のご飯も、見ただけでヨダレが出るまぐろチューブも見当たらない。


「これはちょっと……」

 

 ボクが呟くと召使いの魔族たちは顔を見合わせた。

 そして召使いの一人が宝石を持ってくる。虹色に輝く丸い石。

 

 ……これを食べろと言うのか。

 不機嫌そうに、しっぽをブンブンと振る。


「まぐろチューブはないのかニャ。」

 

「まぐろチューブとは一体……?」


「聞いたこともないわ。」

 

 誰も知らないらしい。

 すると空気が一瞬で変わった。全身の毛がゾワッと逆立つ。

 

 ――ノクティスが来た。

 

 メイドたちが一斉に壁側に並び。膝をつき頭を下げる。

 ノクティスは食べ物に手を出さないボクを見る。

 

「星閃ステラ。やはり我らとは理が違うのか……何が欲しい。」

 

 声が響くたび石の壁が振動し、心臓にずっしり重くのしかかる。

 穏やかな口調なのに、その場の空気を全て支配するような威圧感は一切変わらなかった。

 

「……まぐろチューブ、ニャ。」

 

「……まぐろ?」

 

 知らない単語らしい。

 ボクはできるだけ丁寧に説明をする。猫界最高で最強のソウルフードだと。

 

 ノクティスは目を瞑り、しばらく黙っていた。

 やがて、目を開けると同時に右手をゆっくりとあげる。

 

 昨日の力だ。空気が震え、皿の上から変な生き物がひとつ宙にふわりと浮く。

 まぐろチューブの袋に書かれたマグロに似ている。そいつは空中でヒレをパタパタと動かしていた。

 

 ノクティスがぎゅっと握るような仕草をすると、生き物は肉の塊になった。

 次に手を開閉すると、肉の塊は解され皿の上に盛られていく。

 

 懐かしい匂い。それは飼い主がご褒美として買ってくれた、ほぐし身のご飯にそっくりだった。


「……これならどうだ。」


「んニャ。」

 

 見た目と匂いに釣られ、口にする。新鮮な魚介の旨味。まぐろチューブとは少し異なるが懐かしい味。

 思わずしっぽがゆらゆらと揺れる。

 

「聖閃ステラ様が、供物を受け入れなさった! 」

 

 召使いの魔族たちが歓声を上げる。

 正直よく分からない。

 でも、受け入れられたことはわかった。

 

 このよく分からない世界で、食べる事ができるものにありつけたことが救いだった。

 ボクが必死に食べる姿を、ノクティスは暖かい目で見守っていた。

 

 ノクティスが近づき、皆を下がらせた。

 部屋にはボクと彼だけが残る。

 ボクはノクティスに優しく抱き上げられた。

 

「ふニャ。」

 

 思わず間抜けな声が出てしまう。

 

「ふふ、魔王城に星の光が照らされるとはな。」

 

 柔らかい声だ。

 

「受け入れられて良かった。勇者ではなく我らを選んでくれてありがとう。」

 

 大きな手がゆっくりと頭を撫でる。

 あまりに優しい撫で方に思わず喉がゴロゴロと鳴る。

 

「この小さな光が、我ら魔族の長きにわたる悲願を叶えてくれる……これでやっと、魔族の未来に光が射した。」

 

「……ニャ。」

 

 こんな優しい声で話せるのか。こんな優しい手つきで触れられるのか。

 魔王とは一体何なのか。

 お腹もいっぱいで、気持ちよくて正直もうどうでもいい。

 頭の中がふにゃふにゃととろけていく。

 

 受け入れられた安心感と満腹になった幸福感から、いつの間にか重いまぶたが落ちていた。


 


 ベッドで横になっていると、廊下の向こうから鎖のジャラジャラした音、ベタベタと荒々しい足音。何かを引きずる音が聞こえる。


(……今度は何だ?)


 ドンッと大きな音と共に扉が開き、冷たい風が吹き込んだ。また現実に引き戻される。

 

「お前、聖閃ステラ、本当?」


「はニャ?」

 

 ガラガラの声。

 長いストレートの黒髪。焦点の合ってない瞳にギザギザの歯。

 黒い服の裾から覗く岩のような黒い足と大きなしっぽ。首からは長い鎖を巻いて歩く度に音が鳴る異様な見た目から、人間では無いとわかる。

 

 ゴゥッ!!

 

 風が鳴いたと思った瞬間、奴は目の前にいた。

 

「毛並み、美味しそう。」

 

 ニタニタ笑って歯を見せている。

 顔が近い。近すぎる。

 やばい、食われる。

 そう思うと同時に右の前足を出してしまう。

 

 ポコン。

 

 女の鼻に、柔らかい肉球が間抜けな音を立てて当たる。

 

(しまった。反射でやっちゃった……!)

 

 遅かった。女の顔が無表情になる。

 

 まずい、殺される……

 と思いながらも動けない。

 ずるりと前足が滑り落ち、女の唇に肉球がむにむにと当たる。女の目がみるみる大きく見開いていく。

 

 やばい、食べられる……!

 と思った瞬間――突然抱きしめられる。

 

「オマエ、気に入った!」

 

「はニャ?」

 

「名前、アルバ。美味しいもの、好き。」

 

 奇遇だニャ。ボクも美味しいものは好き。特にまぐろチューブ。

 

「人間、食べる、一番好き。でもノクティス様、ダメって言う。」

 

「ニャ、人間を食べ……」

 

 急にアルバの顔が近づく。口を開けばすぐにでも噛みつかれそうな位置だ。

 

「どうして人間、食べる、ダメ?」

 

「ニャ……」

 

 ボクも肉食ではあるけど、あの生き物を食べようとは思わない。美味しくなさそうだから。

 

「ノクティス様、ダメって言う。食べたい食べたい食べたい。」

 

(やばい、やばい、やばい……!! )

 

 突然アルバの体が、小刻みに震え出す。

 抑えきれない食欲を、死ぬ気で抑え込むように。そんな震え方だった。

 

(怒らせた。どうしよう、死ぬ!)

 

「ぐあーーーーーッッッ!!! 」

 

 大きなポケットから何かを取り出してばらまいた。

 石だ。たくさんの石。

 大きな音を立てて転がっていく。

 

「最近、コレ!! 人間の代わり。美味しい!! 」

 

 突然石を口に放り込む。ギザギザの歯で噛み砕く。

 

(あの歯で噛まれたらひとたまりもニャいな……)

 

「歯ごたえ、面白い。ステラ、食べるか?」


「いや……いらない。」

 

 意味がわからなくてしっぽを振って拒否をした。

 

 キィ……

 扉が開く音がする。

 

 扉の向こうに影が現れる。

 胸元にヒラヒラが着いた深紅の布と、黒い大きなヒラヒラした布。あのヒラヒラは、どうしてもじゃれつきたくなる。

 長い黒い髪はふたつに結ばれている。口を見ると、ボクみたいな鋭い牙が生えている。

 嗅ぎ慣れない匂いに、瞳孔が開かれ全身の毛が逆立つ。

 

 そう。血の匂いだ。

 ここで出会った誰よりも血の匂いがする。

 

「ノワール、来た?」

 

 アルバがボクを抱いたまま振り返る。

 ノワールは足音もなく部屋に入ってくる。

 

「うわっ、アンタまた石なんて食べてたの?」

 

「歯ごたえ良い、美味しい、ノワール、食べる?」

 

 石を片手でポケットから出して渡す。


「いや、無理よ。あたしがヴァンパイアって忘れちゃった? 人間の生き血にしか興味ないの。」

 

 ノワールは、受け取った石を冷たい目で床に投げた。

 

「アンタが好き放題人間食べちゃったから、こっちは空腹なの。」

 

「今、食べてない。我慢してる。」

 

「フーン。我慢って言っても、たった二百年ほどでしょ?」

 

 たった二百年……?

 なんだその数字は。ボクはまだ四歳だけど。


「それに、星閃ステラだっけ。あたしはノクティス様の傍にその生き物がいるのは、気に入らないわ。」


 鋭い目つきで睨みつけられる。


「まぁどうせ、他の魔族とも仲良くなれないでしょうけど。頑張ってちょうだい。」


ノワールは背中を向けて、どこかへ去ってしまう。

 ここの世界は本当に意味がわからない。


 アルバの抱っこは優しくない。ボクにとって優しく触れられるという感覚は、ずっと一人だけのものだった。

 

 佐藤 優陽ゆうひ

 ボクの飼い主だ。


 何だか、胸騒ぎがする。何か良くないことが起きる気がする。

 優陽は今、どこで何をしているのだろう。

 そっと目を閉じた。

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