第34話 撃たない者と語る者_前編
ルーヴェン皇国の保護施設の朝は、驚くほど静かだった。
警備兵の交代が滞りなく行われ、施設は秩序の中にあった。
何も起きていない。
それが、今この場所に与えられている状態だった。
エーヴァルトの手配で新たに用意されたメイド服を身にまとい、廊下を歩いていた。
以前のものと同じく実用性を重視した仕立てだが、布地はわずかに上質だった。
袖を通したとき、違和感はなかった。
それが自分の役割であるかのように、自然に馴染んでいる。
戦闘で負ったケガも癒え、歩調も一定で、足運びに乱れはない。
そして、以前のような緊張や警戒は、すでにそこにはなかった。
正面から来た警備兵と、ほんの一瞬だけ視線が交差する。
カレンは反射的に立ち止まり、姿勢を正すと小さく会釈をした。
警備兵は一瞬戸惑ったように瞬きをし、それから慌てて同じように会釈を返す。
それだけの、取るに足らないやり取りだった。
だが、カレンは歩き出しながら、胸の奥にかすかな感覚が残るのを覚えた。
ここは、戦場ではない。
そして、誰も銃を構えていない。
その日の午前、カールから最終的な確認が伝えられた。
第2世代DOLL――J型の活動は継続している。
アルブレア連邦内部で進められている「安定化処理」も、止まる気配はない。
だが、皇国は介入しないし、カレンの戦闘も認められない。
それだけの報告だった。
理由を長々と説明する必要はいない。
すでに、この場にいる全員が結論を共有していた。
カレンは報告を聞きながら、静かに状況を整理する。
撃てる。
勝てる。
それは疑いようのない事実だった。
それでも、カレン自身は戦いを望んではいなかった。
自分が戦えば、クラリスは必ず標的になる。
それを避けるために、今はここにいる。
その認識だけが、揺らぐことなく胸に残っていた。
午後、クラリスはヘルマンと向かい合っていた。
クラリスは、皇国側が用意した純白のドレスを身にまとっている。
華美さは抑えられ、線も色も徹底して簡潔。
生地は光を静かに受け止め、動くたびにわずかな陰影を生む。
装飾で飾るのではなく、着る者の存在そのものを際立たせる作り。
それは「守られる客人」ではなく、「対等な存在」として迎えられている証だった。
クラリスは、その意味を理解していた。
そのことに、クラリスは小さく息を整え、静かに感謝の念を抱いた。
向かいに座るヘルマンも、同様に仕立てられたスーツを着ていた。
身体に合ってはいる。生地も悪くない。
だが、本人の表情はどこか不満げだった。
「……落ち着かねえな。こういうのは」
襟元を指で引き、ヘルマンは肩をすくめる。
「似合っていらっしゃいますわ」
クラリスがそう言うと、彼は鼻で笑った。
「皮肉か? それとも慰めか?」
「事実です」
「ならなおさら困る」
ヘルマンはそう言って背もたれに体重を預けた。
「俺には路地裏の方が性に合ってる。スーツ着せられて、善良な市民面ってのはな」
その言葉には、いつもの軽口と、ほんのわずかな居心地の悪さが混じっていた。
執務用に整えられた小部屋は、必要以上の装飾を排した簡素な造りで、窓から差し込む光も柔らかい。
ただし、外の景色が見えることはなかった。
「……つまり、あの連中は止まらない」
ヘルマンは椅子にもたれ、天井を見上げながら言った。
「止める手段はある。でも、使わない。使えない」
「ええ」
クラリスは静かに頷いた。
「カレンが戦えば、勝つ可能性は高いでしょう」
その言葉に、迷いはない。
事実として、冷静に受け止めている。
「それでも……」
クラリスは一拍置いてから、言葉を続けた。
「もう、あの子が傷つく姿を見たくありません」
声は抑えられていたが、そこには確かな拒絶が込められていた。
「だったら、どうする?」
ヘルマンが問いかける。
クラリスは視線を上げ、はっきりと答える。
「事実を伝えるために……語りますわ」
即答だった。
「武器を持たず、争うのでもなく、ただ……残します。記録として。証言として。アストレア家の名で」
それは復讐ではない。
革命でもない。
「怒りを煽るつもりはありません。けれど、無かったことにもさせません」
ヘルマンは短く息を吐いた。
「……やっぱり、似てるな」
誰に似ているのかを口にすることはなかった。
(つづく)
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