第28話 塔からの脱出 ― 崩壊の中での選択

 ゼロタワーは、まだ生きていた。

 

 否――

 正確には、死に始めていた。

 

 最下層を離れてからも、床下から低い振動が追いかけてくる。

 規則正しいものではない。

 噛み合わなくなった巨大な機構が、無理に動き続けている音だった。

 

 壁の継ぎ目に、細い亀裂が走る。

 天井の照明が、遅れて明滅する。

 

「……制御が切れたみたいだな」

 

 ヘルマンが吐き捨てるように言った。

 

「ティムが止まった瞬間に、塔そのものが“役目終了”を判断したんだろ」

 

 勝利ではない。

 解放でもない。

 

 ただ、使い捨てにされてきた巨大な装置が、ようやく壊れ始めただけ。

 

 カレンは、壁に手をつきながら歩いていた。

 呼吸は浅く、足取りは重い。

 

 戦闘は終わった。

 だが、その代償として、身体の奥に溜まった疲労は限界に近づいていた。

 

 一歩踏み出した瞬間、わずかに体勢が崩れる。

 自分でも理由が分からない。

 脚が、ほんの一拍だけ、遅れた。

 

 地上階に近づくにつれ、外気が混じり始める。

 夜の冷たい空気が、肺の奥まで流れ込んだ。

 

 それは安堵ではなく、

 戦場から引き戻される感覚だった。

 

 出口が見えた、その時。

 ヘルマンが、足を止めた。

 

「……なあ」

 

 クラリスとカレンが、同時に振り返る。

 

「この塔の上層に、サーバーブロックがある」

 

 短い言葉だが、その意味は重かった。

 

「第二次DOLL計画の設計データ。戦闘記録。黒系派と連邦中枢の接続ログ――全部だ」

 

 塔が、軋む。

 

「このまま崩れりゃ、全部消える……消えたら、終わりだ」

 

 誰も、すぐには答えなかった。

 

 カレンは、その場に立ったまま動けない。

 消耗が激しいことは、誰の目にも明らかだった。

 

 同行は、無理だ。

 

 クラリスは、ヘルマンを見た。

 引き止めない。

 命令もしない。

 

「……おまかせしても、よろしくて?」

 

 それだけを告げる。

  

 ヘルマンは一度だけ振り返り、崩れかけた塔を見上げた。


「……戻れなかったら、そん時はそれでいい」


 冗談めいた口調だったが、目は笑っていなかった。 


 踵を返し、駆け出す。

 言葉は、それ以上必要なかった。

 沈黙が、そのまま選択だった。

 

 

 クラリスとカレンは、塔の外へ出た。


 夜明け前の空は、異様なほど静かだった。

 その静けさが、かえって不気味に感じる。

 

 外から見たゼロタワーは、想像以上に歪んでいた。

 塔の外壁を走る無数の亀裂が、血管のように内部の光を漏らし、巨大な構造物が内側から壊れていく様子をはっきりと示していた。

 

 崩壊音は、背後でよりはっきりと響いていた。

 外壁の一部が崩れ落ち、火花が散る。

 

 カレンは、歩みを緩め、クラリスを見た。

 

「お嬢様」

 

 低く、抑えた声。

 

「先ほどの戦闘での援護、感謝いたします……ですが、無茶は、控えてください」

 

 それは報告でも、回答でもない。

 

 ただ――

 自分の意思で選び、口にした言葉だった。

 

 クラリスは一瞬だけ目を見開き、すぐに微笑んだ。

 

「変わりましたね、カレン」

 

 その声には、確かな温度があった。

 

 カレンは何も返さない。

 ぎこちない動きで、わずかに口角を上げて頷いた。

 

 その時。

 

 塔の内部で、何かが大きく崩れる音がした。

 

 ヘルマンが、まだ戻らない。

 

 振動が次第に激しくなり、地面が不規則に揺れ始める。

 照明が一斉に落ち、警告音が、遅れて鳴り響いた。

 

「……遅いですわね」

 

 クラリスが、短く呟く。

 

 直後。

 

 二階部分の外壁が、轟音とともに崩れ落ちた。

 

 そこに――

 ヘルマンの姿があった。

 

 一瞬で状況を理解し、ためらいなく身を投げる。

 

 ヘルマンの体が、宙を舞う。

 

「――っ!」

 

 カレンが、反射的に前へ出た。

 

 衝撃。

 全身に、重さが叩きつけられる。

 

 ゴキッ。

 

 異様に、はっきりとした音。

 肩が、外れた。

 

 だが、カレンは顔色一つ変えない。

 衝撃が肩から全身へと抜けていく感覚を、ただ受け止める。

 

 ヘルマンを地面に下ろし、無言で、自分の肩を掴んだ。

 

 ゴリッ、と鈍い音。

 外れた関節を、力任せに戻す。

 

 ヘルマンは、その一連の動きを呆然と見ていた。

 

「……おい」

 

 思わず、声が漏れる。

 

「今の……普通にやることじゃねぇぞ」

 

 驚きと、信じられないものを見る目。

 だが、次の瞬間、視線が真っ直ぐにカレンへ向いた。

 

「……助かった」

 

 短い言葉だったが、命を預けた者に向ける、率直な感謝だった。

 

 そのやり取りを、クラリスは息を詰めて見ていた。

 

「……カレン」

 

 声が、わずかに揺れる。

 

「今のは……無茶が過ぎますわ」

 

 叱責ではない。

 責めるわけでもない。

 ただ、カレンの体を確かめるように、無意識に一歩、近づいていた。

 

 カレンは、すでに肩を動かし、可動域を確かめている。

 

「問題ありません」

 

 即答する。

 だが、クラリスはその言葉だけで納得しなかった。

 

「……後で、必ず診せなさい」

 

 そう言ってから、はっとしたように言葉を切る。

 それは、これまでの指示や命令とは違う。

 純粋な心配だった。

 

 カレンは一瞬だけ目を伏せ、小さく頷いた。

 

「承知しました」


 

 クラリスがヘルマンの方に視線を向ける。


「データは?」

 

 ヘルマンは、小さな端末を掲げる。

 

「全部ある。綺麗なもんじゃねぇが……連邦をひっくり返せるだけの材料は、揃ってる」

 

 クラリスは端末の画面を見つめ、すぐに視線を逸らした。

 内容を読み切る必要はなかった。

 そこにあるものが、どれほどの重さかは、もう分かっている。

 

 その時。

 

 地響きが、空気を震わせた。

 

 塔の上部が、大きく傾く。

 崩壊が、誰の目にも明らかになった。

 

 崩れ落ちる塔を背に、クラリスは何も言わなかった。

 まだ、言葉にしてはいけない気がした。




 誰も、空を見上げなかった。

 全員が“来る”と分かっていた。

 頭上で、ローター音が響く。


 夜空を切り裂くように、接近してくる。

 

 連邦正規軍の戦闘用ヘリ。

 

 ゼロタワーは終わった。

 だが、戦いはまだ終わっていない。 


 赤いレーザーが、三人の足元を正確に捉えた。

 


(つづく)

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