第5話 W44 ― 黒の刻印

 カーテン越しの柔らかな光がクラリスの部屋を照らし、静かな空気が満ちていた。


 カレンは部屋の前に立ち、いつものように無音で待機していた。

 白い部屋の中心で、クラリスは鏡を前にゆっくり髪を整えている。


 髪の手入れが終わると、クラリスは手を止め、鏡越しにカレンへ視線を向けた。


「昨日、あなたの銃の修理をお願いしましたけれど……今日はもう一つ、受け取るものがあります」


「了解」

 

 返答は変わらず淡々としている。

 それでもクラリスは、その無機質さを否定しなかった。

 むしろ、安心しているように見えた。


 クラリスは身支度を終えると、軽やかな足取りで部屋を出た。

 カレンはそれに続く。

 


 廊下を進むと、白い壁の間に差し込む朝の光がゆらりと形を変えながら白い床に落ちる。

 外庭へ出る扉を開けると、冷たい空気が広がった。


 クラリスの金色の髪が風に流れた。

 光が髪に反射し、細い糸のように光を集める。


 庭の奥、屋敷とは別棟の白い建物。

 ――アストレア家専属工房、ホワイトワークス。


 白い扉が開き、金属の匂いが風とともに流れ出た。


 工房の内部は、昨日と変わらぬ緊張に包まれていた。

 白衣の技師たちが作業を止め、二人に視線を向ける。


「……また来た……」


「お嬢様と……あれが……」


 ひそやかな声。

 息を潜める気配。


 クラリスは動じない。

 カレンは視線を向けることもない。


 工房の奥から重い足音が近づいてきた。

 大柄な男――技師長バルトが現れる。


「お嬢様。お待ちしておりました」


 その声には、緊張と誠実さが同時に混ざっていた。


「バルト。お願いしていた品は?」


「……こちらに」


 バルトは両手で丁寧に抱えた黒いケースをテーブルへ置いた。

 金属製の留め具を外し、蓋をそっと開く。


 中には、黒い拳銃。

 磨かれすぎていない金属光沢。

 旧帝国製独特の無骨な形状。

 質量の存在を訴えるような静かな黒。


 クラリスはその銃を見つめ、すぐに言い当てた。


「旧帝国の試作拳銃……W44――間違いありませんわね?」


 バルトは驚いたように目を見開く。


「ええ、その通りです。見ただけで分かるとは……」


「父の資料室に残っておりましたの。興味深い記述が多くて、つい……」


 クラリスは淡く微笑む。

 だが次の瞬間、銃身の一部へ指先を移し、表情を引き締めた。


「この部分、調整されていますわね?」


「はい。反動を抑えるため、内部のバランスを調整しました。それから……刻印も、依頼どおりに入れてあります」


 バルトは銃身の側面を示す。


 黒い金属に、薄く銀色の刻印が走っていた。


 《Custom-KALEN》


 クラリスは静かに呟く。


「……綺麗ですわね」


 光の下で、文字が細く揺れた。


 カレンは、その文字へわずかに視線を落とした。

 一瞬だけ、呼吸が浅くなる。

 それは“反応”と呼ぶにはあまりに小さな変化だった。


 バルトはその変化に気づき、低く言う。


「反応している……」


 クラリスは気づいていながら、表情に出さなかった。

 ただ、ゆっくりと手を伸ばし、銃を持ち上げる。


「カレン。これを持ちなさい」


 命令。


 カレンはためらいなく手を伸ばし、銃を受け取った。


 銃が手の中に収まった瞬間、

 指先に力が入り、手首が自然に角度を調整する。

 その動作は“学習”でも“反射”でもなく、

 どこか“記憶の残滓ざんし”のようだった。


 バルトは震える声で言う。


「……戦時中の訓練。身体が……覚えてるのか……?」


 カレンは答えない。

 ただ静かに、拳銃を握り続けていた。


 クラリスはその姿を見つめながら言う。


「カレン。それは、あなたの“名前”に合わせて作られた装備ですわ」


 刻印Custom-KALEN


 カレンは、その文字に僅かに視線を落とす。


 ほんの一瞬。

 一瞬だけ、呼吸が浅くなる。

 それは“反応”と呼ぶにはあまりに小さな変化だった。

 理解しているわけではない。


 クラリスは静かに微笑む。


「……帰りましょう。次に備えますわよ」


「了解」


 白い工房の扉が開き、外の光が差し込む。

 金属の匂いが薄れ、庭の風が二人の間を抜けていった。


 カレンの歩調は整っている。

 だが――


 拳銃を握ったまま、歩幅が、ごくわずかに乱れる。

 その乱れは、本人すら認識できないほどのものだった。



 工房を出ると、白い庭の空気が一気に広がった。

 朝とは違う、少しだけ暖かい光が降りてくる。


 クラリスは数歩先を歩き、カレンは拳銃を右手に保持したまま続いた。


 握り方には無駄がない。

 銃身の角度も、指の置き方も自然。

 だが、自然であることが“異質”。


「歩きづらくありませんか?」


 クラリスがふと立ち止まって尋ねた。


「問題なし」


 返答はいつもと変わらない。

 しかし、カレンの足取りはわずかに硬い。


 クラリスは気づいている。

 けれど、それを指摘するつもりはなかった。


 屋敷へ向かう細い石畳の道。

 クラリスは歩きながら、静かに言葉を続けた。


「その銃は、旧帝国の職人が最後に残した試作品ですの。量産には向かず、扱える兵士も限られていたと聞きますわ」


 カレンは言葉を処理しながら歩いていた。

 拳銃を握る右手の筋肉が、ごく僅かに緊張している。


 クラリスは振り返り、柔らかな声で続けた。


「けれど……あなたには合うと思いましたの。ショットガンとは違う種類の“重さ”がありますから」


 カレンは答えない。

 クラリスは再び歩きながら、言葉を調えるように続けた。


「戦争が終わっても、銃には記憶が残りますの。誰が握り、何を撃ち、何を守ったのか。武器というものは、持つ者の“心”を映します」


 その瞬間、カレンの呼吸が乱れた。

 本人が自覚するには、あまりにも微かな変化だった。

 クラリスのの言葉が身体の奥を触れたような反応。


 風が吹き、クラリスの金色の髪がなびく。

 髪が光を受けると、カレンの瞳に入り込んだ光が、わずかに位置を変えた。


 屋敷へ戻り、白い玄関ホールを抜ける。


 カレンは拳銃を持ったまま足を止め、クラリスを待つ。

 指先が、銃の重さを確かめるようにわずかに動いた。


 クラリスは穏やかに言った。


「カレン。その銃は、あなたの部屋に置いておきなさい。必要なときに、すぐ使えるように」


「了解」


 短い返答の奥に、わずかな遅れがあった。


 クラリスは気づいたが、正面からは言わなかった。

 ただ、横を通りながら小さく微笑んだ。


「……あなたは、本当に変わり始めていますわね」


 カレンはその言葉を理解できない。

 しかし、“変化”という単語だけが、胸の奥に沈んだまま残った。


 ゆっくりと瞬きを一度。

 その動作は、いつもより一拍遅かった。


 階段を上がり、自室へ向かう途中。

 カレンは、自分の手の中の黒い金属を見つめ続けていた。


 銃を握る手が、ごく僅かに震える。

 それは恐怖でも緊張でもない。

 ただの“記憶の影”のような感覚。


 廊下の窓から差し込む光が、刻印Custom-KALENを照らした。

 黒い金属に浮かぶ銀色の文字。


 カレンはその文字から視線を離さずに呟いた。


「……カレン……」


 その名を、まるで“自分に聞かせるように”発した。


 記憶でもなく、感情でもない。

 ただ、自分に与えられた“名前”を確認しただけの声。


 しかし、声が響いた瞬間、胸の奥に微弱な熱が生まれた。

 理解には届かない。

 正体もわからない。

 

 部屋の前まで来ると、クラリスが言った。


「カレン。後ほど、読書室に来なさい。あなたに伝えることが、まだありますの」


 カレンは拳銃を握った手を下ろし、静かに返す。


「了解」


 その声はわずかに低く、いつもよりも調子が遅れていた。


 クラリスはカレンの背中を見つめ、心の奥で、小さく呟く。


 “――あなたは、まだ変われる”



 カレンは部屋に入ると、扉を背に、拳銃をゆっくりと見た。

 黒い金属に、光の筋がひとつだけ走っている。


 その光は、数秒だけ――

 カレンの瞳の奥に、微かな余韻を残した。。


 夕方、屋敷の影が長くなり始めた。

 


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る