精神科医の俺がヤンデレ女神に顔面全振りで転生させられた件
くりべ蓮
第一部「愛執の楔」
序章「ヤンデレの手招き」
第1話「顔面偏差値に全振りされた転生」
刃物が腹に突き刺さった瞬間、俺が考えたのは――
「ああ、カップ焼きそば、食べ損ねたな」だった。
馬鹿みたいだ、と自分でも思う。
でも精神科医として知っている。
人は死ぬ時、どうでもいいことを考えるものだ。
防衛機制というやつ。現実から目を逸らすための、最後の抵抗。
「アカリちゃんを汚す奴は許さない!」
刺した男が泣きながら叫んだ。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔。典型的なストーカーの末路だ。
ああ、そうか。アカリの件か。
違う、と言いたかったが、血が気管に流れ込み、声にならない。
あれは酔った患者が勝手に抱きついてきただけで――
いや、もう説明する意味もない。
仮にも俺は医者だ。この傷の深さなら、もって三分。
救急車が来ても、間に合わない。
三十三年の人生。医学部六年、研修二年、精神科医として七年。
結局、俺は誰も救えなかった。
妹も、患者も、そして自分自身も。
街灯の下、袋に入ったままのカップ焼きそばが転がっていた。
ソースの小袋だけが、光を反射していた。
意識が途切れる。
◇
暗闇の中に、女が立っていた。
月よりも白い肌。血のように赤い瞳。
その微笑みは、恋を知った少女のようで、同時に狂気を孕んでいた。
「やっと、私のもとに来てくれたのね、愛しい人」
冷たい指先が頬をなぞる。
「……誰だ、お前」
「女神カルミナ。私があなたをここに導いたのよ」
俺の背筋が粟立った。
「“先生がアカリちゃんを狙ってる”って、ちょっと囁いただけ。
まさか本当に刺すとは思わなかったけど……」
カルミナは妖艶な笑みを浮かべた。
「ねえ、あなたも悪いのよ。私以外の女に優しくしたでしょう?」
その笑みは、拗ねた恋人のようで、どこか無垢だった。
神にしては、人間くさすぎる。
「ずっと見てたの。医局で一人、カップ焼きそばを食べるあなた。
誰も助けてくれなくても、患者を見捨てなかったあなた。
そんなあなたを見て、思ったの。
“壊れるところが、見たい”って」
女神の瞳が針のように収縮した。
「でも、妹のことで自分を責めるあなた。
あれは許せなかった。だから、もう私だけを見て」
俺は一歩引きながら、冷静に答える。
「……精神科医の経験上、そういうのは依存って言うんだ」
「あら、愛ってお互いに依存しあう事でしょう?」
女神は唇を歪めて笑った。
「あなたの心を“治す”のは、私の役目。
その代わり、あなたは私が造った世界を救って」
◇
「転生ボーナスが割り振れるんだけど……
まずは名前よね。そうね……カイラスがいいわ」
「俺はシンイチだが、まあ、好きにしろ」
「あなた、素直ね。愛しい人。
転生ボーナスは、顔面偏差値に全振りしておいたわ」
「……顔?」
「ええ。美しい人の方が、壊れる時、ときめくじゃない」
俺は息を呑んだ。
笑いながら平然と狂気を語るその姿に。
そして、俺の7年間の精神科医としての経験が、
『こいつ、重度の境界性人格障害だ』と言っていた。
いや、人格じゃなくて神格か。
孤独が生んだ、究極の愛着障害。
そしてその時、心のどこかで決めた。
この女神、いつか俺が治してやる。
視界が紅に染まる。
◇
石の床。腐臭。血と鉄の味。
目を開けると、闘技場の地下牢だった。
「おはよう、カイラス」
カルミナが微笑む。手には宝石まみれの手鏡。
「じゃーん、私の最高傑作!」
鏡の中には、十七歳ほどの美少年。
白い肌、長い睫毛、群青の髪。
まるで少女漫画の主人公。
「どう? 転生ボーナスを顔に全振りしただけのことはあるでしょ?」
「いや、俺としては普通にチートスキルとかがよかったのだが?」
「つまらないわね。私のカイラス、そんなので私の世界を救えると思ってる?」
カルミナは軽く笑い、指先で俺の唇をなぞる。
笑みを浮かべながら、顔を近づけてきたかと思うと、
唇が触れ、そして――痛み。
下唇を噛まれ、血の味がした。
「その傷の痛みの度にいやでも私の事を思い出すでしょう? カイラス」
「私はずっと、あなたを、あなただけを見ているわ」
赤い光が爆ぜ、女神の姿が消える。
◇
カチャリ。
……カチャリ。
金属の音。
牢の奥に、一人の少女が座っていた。
煤と血に汚れた軽鎧。
虚ろな瞳。
そして、月の光を束ねたような銀の髪。
抜いて、納める。抜いて、納める。
その動きに異様な正確さがあった。
俺は息を呑んだ。
――精神科医として、すぐに分かった。
これは、強迫行動だ。
もう一人の患者か。
この世界、病んでる奴ばかりじゃないか。
ファンタジー世界でなくて、メンヘラ世界か?
――――――――――――――――
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