雨音の下で、君が近い

神田 双月

雨音の下で、君が近い

 放課後、家へ帰ろうと校門を出た瞬間だった。

 空が急に暗くなり、次の瞬間には叩きつけるような雨が降ってきた。


 「うわ、最悪……!」


 傘なんて持ってきてない。

 走って帰れるレベルの雨じゃない。


 近くのコンビニの軒下に飛び込んだ僕――

 **桐生大翔(きりゅう ひろと)**は、びしょ濡れの前髪をかき上げた。


 その時。


 「あ……桐生くん?」


 潤んだ声がして顔を向けると、制服の袖をぎゅっと握った女の子が立っていた。


 水瀬結衣(みなせ ゆい)。

 同じクラスだけど、ほとんど話したことのない女子。

 物静かで、いつもひとりでいるイメージの子だ。


 「み、水瀬? 雨宿り?」


 「うん……その……びっくりした……。桐生くんと一緒になるなんて」


 顔を真っ赤にしながら言うので、僕のほうがびっくりする。


 雨はどんどん強くなっていく。

 コンビニの明かりが、結衣の濡れた髪をきらきら照らしていた。


 「寒くないか?」


 「だ、大丈夫。桐生くんのほうが濡れてるよ」


 「まあ、飛び込んできたからな」


 「……うん。ちょっと……かっこよかった」


 「え? 今なんて?」


 「な、なんでもないっ!」


 結衣は耳まで真っ赤になって、視線をそらした。

 不器用すぎて、逆に分かりやすい。


 雨音だけが響く静かな軒下で、僕らの距離は自然と近くなっていく。


 「ねぇ、桐生くん」


 急に名前を呼ばれて、思わず息が止まった。


 「雨……やみそうにないね」


 「だな。困ったなぁ」


 「…………」


 「……水瀬?」


 「困った……ね」


 言いながら、結衣はそっと僕の袖を摘んだ。

 手が震えている。


 「どうした?」


 「……こういう時……どうしたらいいか、分からなくて」


 その顔が泣きそうにも見えて、僕は思わず言った。


 「じゃ、雨やむまで話すか」


 「……え?」


 「どうせヒマだし。たまには話そうぜ」


 「……うん」


 最初はたどたどしく。

 でもしばらく話していると、結衣の表情が少しずつほぐれていった。


 「桐生くん、授業中いつも前髪触るよね」


 「見てたのかよ」


 「……うん。気になって」


 「なんで?」


 「なんでって……言わないとダメ……?」


 胸がどくんと鳴った。

 彼女は慌てて視線を落とす。


 「桐生くんは……気づいてないかもだけど……その……」


 「その?」


 「……ずっと、話したかったの」


 雨音が一瞬だけ遠のいた気がした。


 「私、言うの下手で……うまくできないけど……

  桐生くんのこと……気になってて」


 顔を隠すように俯く結衣。

 震えているのは寒さじゃない。


 「……水瀬」


 名前を呼ぶと、彼女はびくっと肩を震わせた。


 「言うの下手なのは知ってるけどさ」


 「……うん」


 「俺は……その、不器用なのも嫌じゃない」


 結衣はゆっくり顔を上げた。


 「嫌じゃ…ないの?」


 「むしろ……可愛いと思った」


 次の瞬間、結衣の目が丸くなり、頬が一気に赤く染まる。


 「か、可……っ!? む、無理……心臓……死んじゃう……」


 「死ぬなよ」


 「む、無理……桐生くんの言い方が……反則……」


 涙目で抗議しながらも、結衣は袖を掴んだまま離さなかった。


 その時、ふっと雨が弱くなり、やがて小降りになった。


 「……やんできたな」


 「うん……」


 「帰るか。送るよ、水瀬」


 「えっ……いいの?」


 「当たり前だろ。濡れると風邪引くし」


 「……うん。じゃあ……お願い」


 結衣は小さく微笑んだ。

 雨上がりの空気よりずっと澄んだ笑顔だった。


 軒下から一歩出ると、彼女がそっと僕の袖をまた掴んだ。


 「……えっと……これは」


 「べ、別に理由ない……。ただ……離れたくなくて」


 その言葉に胸が熱くなる。


 雨が止んだ空の下、僕らの距離だけは縮まったままだった。

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雨音の下で、君が近い 神田 双月 @mantistakesawa

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