百四十七：痛みのトリガー 🦷

​　下水道の冷水に身を隠し、デュアル・リーパーの追跡を警戒していたその時、本郷 猛の右奥の顎に、激しい痛みが走った。

​「ぐっ……！」

​　それは、数日前から感じていた、生えかけの**親知らず（智歯）**の、鋭利で容赦ない痛みだった。極度の疲労、冷え、そしてストレスが、炎症を最大限に悪化させたのだ。

​　本郷は、声を殺すために、必死に歯を食いしばったが、その動作がさらに痛みを増幅させた。顎の奥から、頭全体に響くようなズキズキとした感覚が広がる。

​　この瞬間、彼の意識は、**「患者の命を救う」という高次元の使命と、「自分の親知らずの激痛」**という、極めて現実的で原始的な苦痛との間で、激しく引き裂かれた。

​

　百四十八：自己の病と他者の病 🤕

​　本郷は、桑田を背負ったまま、膝をついた。彼は、科学者でありながら、目の前の**「親知らずの痛み」という、自分の体の「小さな崩壊」**を制御できない事実に、強烈な皮肉を感じた。

​「俺は……桑田君の**『血液の崩壊（白血病）』を救おうとしているのに、自分の『歯の炎症』**さえ止められないのか……」

​　彼は、ポケットを探り、持っていた鎮痛剤を探そうとしたが、戦闘と逃走の混乱の中で、タイレノールはどこかで失われていた。手元にあるのは、**「血液成分調整用ナノマシン注入器」**だけだ。それは、他者の命を救うための、高度な科学の結晶。しかし、自分の親知らずの痛みを和らげることはできない。

​　この激しい痛みは、彼が中学時代に感じた、**「無力さ」**の感情を呼び起こした。

​（あの時、いじめの痛みに耐えるしかなかったように、今も、この肉体の痛みに耐えるしかないのか……！）

​

　百四十九：覚悟の圧縮 💢

​　本郷は、親知らずの激痛に顔を歪ませながらも、桑田の背中にあるリストバンド型センサーのバイタルデータを確認した。

​[桑田 洋 バイタルデータ] 白血球値：継続的に低下。変異エネルギー：安定。

​　ナノマシンによる治療は、成功し始めていた。桑田の「病の苦痛」は、今、確実に「科学の希望」によって塗り替えられつつある。

​　本郷は、自身の**「親知らずの痛み」を、まるで「集中力のブースター」**のように利用しようと試みた。

​「痛みは、集中を鈍らせる。だが……俺は、この痛みを、桑田君を救うための原動力にする！」

​　彼は、自分自身の肉体的な苦痛を、**「無力だった過去の自分への罰」であり、「現在の使命を果たすための燃料」**だと再定義した。彼は、痛みで気を失うわけにはいかない。

​

　百五十：デュアル・リーパーの接近と最後の潜伏 🦇

​　下水道の暗闇の向こうから、水の波紋を立てながら、デュアル・リーパーの足音が近づいてきた。

​「どこへ隠れた、ドクター。逃げ足だけは速いな」

​　本郷は、親知らずの痛みが顎全体に走るのを耐え、呼吸を極限まで浅くした。彼は、桑田を抱え、下水道の壁に掘られた古い点検口の奥へと滑り込んだ。

​　点検口の内部は狭く、本郷と桑田の二人が体を押し込むのがやっとだ。デュアル・リーパーは、彼らが隠れている場所の真下を、ゆっくりと通り過ぎていく。

​　本郷は、口腔内の激しい炎症と、目の前の処刑人の冷徹な殺意の両方に耐えながら、心の中で固く誓った。

​「俺は、自分の**『小さな病（親知らず）』も、桑田君の『大きな病（白血病）』も、必ず克服する！これが……俺の『生命を救う科学』**だ！」

​　処刑人の足音が遠ざかり、本郷 猛は、暗闇の中で、親知らずの痛みに耐えながら、患者の治療が完了するその瞬間を待ち続けた。

​　本郷 猛は、この極限の状況を乗り越え、桑田の治療を完了することができるでしょうか？