第37話 それなら、もしかして

 精霊とはあらゆる自然に宿る超常的な存在であり、神様に代わってその自然そのものを管理する管理者でもあるとされている。


 その誕生や消失については未解明な部分が多いけど、内包する力や意思疎通の可否などを基準に、私たちは彼らを『下位精霊』、『中位精霊』、『上位精霊』と区分している。ちなみに大精霊であるシルフィア様はこの基準でいうと『上位精霊』にあたる。


 そして今、そのシルフィア様の手のひらの上で弱々しく明滅している輝きは『下位精霊』のもので間違いない。精霊はその力が強まるにつれて何故か人型をとるようになると言われているんだけど、目の前のそれは両手で包み込めるくらいの大きさの光の球にしか見えないからだ。


 それがわかったのは、いいんだけど――。


「何とかと言われましても……これは、さすがに……」


 私は改めて下位精霊を注視する。


 さっきも言ったとおり、精霊は自然を管理する管理者だ。例え下位に区分される精霊であっても本来なら強大な力を持っているはず。私も何度となく彼ら彼女らを見てきたけれど、そのどれもが人知を超える力を有していた。


 それが、目の前の下位精霊はどうだろう。今にも消えてしまいそうな輝きからはあるべき力をほとんど感じられず、精霊が宿しているはずの属性ですら判別できない有様だ。こう言ってしまうのは酷かもしれないけれど――人間でいえばもう、どんな治療を施しても助からない段階にしか見えない。


「……あれ、この感じ……?」


 私が眉間にしわを寄せて考え込んでいると、不意に後ろからぽつりとつぶやく声がした。振り返ってみると、私と同じように下位精霊をのぞき込んでいたミラちゃんと目が合う。


「ミラちゃん、何かわかりますか?」


「え、あ、えっと……その、気のせいかもしれないんですけど……」


 ミラちゃんはそう前置きをして、胸の前で軽く握った拳を自信なさげに震わせながら続ける。


「その光から、川の跡で感じたのと同じようなお水の気配がする気がして……お、おかしいですよね。ここは川の跡からも外れてますし、そもそもこんなに近づかないと感じ取れないものを川の跡の方で感じ取れるはずもないですし……」


「なるほど……いや待ってください、これは確かに――」


 ミラちゃんの言葉を受けて、私は水属性に絞って魔力の気配に集中する。


 直後、私は思わず息をのんだ。ミラちゃんの言うとおり、この下位精霊からはすごくわずかではあるけれど水属性の魔力の痕跡を感じ取ることができたんだ。


 ミラちゃんがこれを感知できたことも驚きだけど、私が驚いた理由はまた別のところにある。


「この子、水の下位精霊みたいです。どうして川から外れてこんなところまで来てるのかはわかりませんが……この子がいるということは、水源はまだ生きているはず」


「ほ、ほんとですか……!?」


 ミラちゃんが長い前髪の下で瞳を輝かせた。


 そう。水を司る精霊がいる以上は水源が涸れるなんてあり得ない。この下位精霊が力を取り戻せば、遅かれ早かれ水源もまた蘇るはずだ。


 ……ただし。


「……でも、どうやってお助けすればいいんでしょう……?」


 ミラちゃんが言うとおり、その手段がわからないというそもそもの問題に戻ってくるわけだけど。


「……その、シルフィア様。何か精霊同士のつながりとかで、力を分けたりとかは――」


「できてたらとっくにやってるわよっ」


 私の問いに一瞬語気を荒げかけたシルフィア様だったけど、思い直したのかすぐに声を潜めて続ける。


「……属性が違うからか受け取ってもらえないのよ。他に何か方法があるのかもしれないけど、今のあたしには思い出せない」


 唇をかむシルフィア様に胸が痛くなる。同胞の死を前にして何もできない歯がゆさなんて想像しただけで息が苦しい。


「じゃ、じゃあ私なら、何とかできたりしますか……?」


 ミラちゃんが控えめながらもはっきりとした声色で申し出る。確かにシルフィア様の力が属性違いで受け入れられないのなら、水属性に大きな適性があるミラちゃんの魔力だったら受け入れてもらえそうだけど――。


「はっきり言って、ミラの魔力量じゃ全然足りないわ。ほんの少し延命できるかどうかってとこ」


「……っ」


 シルフィア様からの容赦ない一言に、ミラちゃんはうつむいてしまった。……フォローしてあげたいところではあるんだけど、こればっかりは事実だからどうしようもない。人間と精霊の力の差はそれだけ途方もないっていうことなんだ。


 でも、そうなるといよいよできることがなくなってくる。ミラちゃんより魔力量が多い自覚がある私だって精霊からすれば大差ないだろうし……うーん、魔力で直接がダメなら水場を作ってあげて自然療養とか? でもこの弱っている様子だと自然回復も厳しそうだし……。


「――アリシア様」


 頭を悩ませていると、ここに来て初めてローザが口を開いた。


「【目覚まし】を使われてみてはいかがでしょうか」


「【目覚まし】をですか? でも、こうなっちゃった精霊を起こすも何も……」


 考えなかったわけじゃない。神様から授けられたギフトである【目覚まし】なら、何かを起こせるんじゃないかって。


 でも、【目覚まし】ができることはあくまでも目覚めさせるだけ。この下位精霊は死の危機に瀕しているけれど眠っているわけじゃないし、目覚めさせるも何もない。


 ……そう、思っていたんだけど。


「違います。対象はミラ様です」


「……はぇ? 私、ですか?」


 うつむいていたミラちゃんが恐る恐る顔を上げる。私もまた、ローザの提案の意図がわからずにぽかんとして彼女を見つめる。


 そんな私たちを見て、ローザは、


「ミラ様お一人で魔力が不足しているのであれば補えば良いのです。それを成した実績はすでにおありになるではありませんか」


 ――そうだ。


 思い出されるのはミラちゃんをこの『死の森』で特訓したあの日。魔力切れから起こすという解釈のもと、ミラちゃんに【目覚まし】を使って魔力を回復させることで、本来ならあり得ない長時間戦闘を継続できた。


 ミラちゃん単独だと魔力が足りない。かといって私が魔力をそのまま供給したとしてもおそらくは五十歩百歩。……でも【目覚まし】なら。かつて集落の畑に対してできたように、私が本来持つ以上の魔力を注ぎ込むことができる【目覚まし】なら、もしかして……!


「――ミラちゃん、その子に魔力を注ぎ込んでください!」


「え? で、でも、私じゃ全然足りないって……」


「魔力は私が何とかします!」


「ふゃうっ!?」


 私はミラちゃんの手を両手で握り込む。そして、素っ頓狂な声を上げているミラちゃんにかまうことなく。


 ――お願い、目覚めて……!


 瞬間、白銀の輝きが私の手からミラちゃんへと吸い込まれていく。ここまでの道のりで消耗していた魔力があっという間に満ちていき、あふれた分がオーラのようにミラちゃんの体からこぼれていく。


「いくらでも補給してあげます、だから早くその子にっ!」


「――は、はいっ!!」


 ミラちゃんも覚悟を決めてくれたみたいで、私が握っている反対の手をシルフィア様の手のひらへと――その上で、どこか諦めたかのようにさえ見える光へと向けた。


 すると、それまで弱々しく明滅するだけだった輝きが、まるで吸い寄せられるようにミラちゃんの方へと浮かび上がった。ゆっくり、ゆっくり、最後の力を振り絞るみたいに漂って――ミラちゃんの細くしなやかな指先に、触れた。


「――――うぅっ……!?」


 かすかにふらつくミラちゃんを全身を使って支える。ミラちゃんが本来持っている魔力を、下位精霊が一瞬で吸い尽くしてしまったんだ。


 本来ならそこで魔力切れを起こして意識を失うところだけど、私の【目覚まし】がそれを許すはずなんてない。即座にミラちゃんの全身に魔力が満ちあふれていき、元の状態へと戻していく。


「ごめんなさいミラちゃん、ちょっとだけ我慢してくださいね……!」


「は、はいっ。私なら大丈夫ですっ……!」


 常に魔力を変換して通し続けるミラちゃんにはきっと相応の負荷がかかっていると思う。それでも気丈に応えてくれるのがうれしい。せめて何があってもいいようにと、姿勢を変えてミラちゃんを抱きしめる。


「ふぇっ!? お、おおおおおお姫様!?」


「大丈夫、大丈夫ですからね……!」


 心なしか熱く感じるミラちゃんの体を抱きしめながら、急にあわあわし始めた彼女をなだめ続けること数秒。


 変化は劇的だった。


 ミラちゃんの手のひらから止めどなくあふれ出る水色の輝きを貪欲に吸い込んでいた下位精霊が、不意に歓喜に震えるみたいに力強く明滅した。


 そして、今にも世界に溶けて消えてしまいそうだったのが嘘のように、確かな輪郭を持った水色を取り戻したんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る