第27話 渦巻く野望


 タイガー商会の下部組織、麻薬部門のリーダーを撃破した翌日。

 スラム街から大聖都ミレニア内部の複数区画にかけて、突然の地下陥没が連鎖的に発生した。


 轟音と振動は城壁内でも感じられ、一般市民はもちろん、王国関係者までもが他国による侵攻と勘違いして正規軍を招集。

 外壁周辺は一時、戒厳令さながらの緊迫した空気に包まれた。


 しかし、後の捜査で陥没現場の地下から、大量の器具と薬草片、崩落した研究室跡が発見される。

 調査報告には、麻薬組織が旧下水道区画を根城にしていたこと、その拠点が謎の爆発的崩落によって壊滅したことが記されていた。


 その結果、スラム街から大聖都ミレニアへ流れていた麻薬は供給源を絶たれ、流通は完全に停止した。


「――以上が、数日の調査で分かった報告書になります」


 リュミエルが銀翼騎士団経由で集めてくれた資料を受け取り、湯気の立つ紅茶を口に運びながらページをめくる。


 今回の地下陥没を発端とした一連の騒動について、タイガー商会は麻薬組織との関与を全面否定。

 拘束されたのは麻薬取引に関与していた構成員の下っ端十数名にとどまっている。


「見つかった遺体も損傷が激しく、身元の確認は困難だそうです」


「そうですか……ご苦労さまです、リュミエル。ところで、例の件は?」


 軽くカップを置くと、リュミエルがわずかに表情を引き締める。


「はい。銀翼の騎士団に協力を申し出たところ、許可が下りました。二番隊隊長、ゼルファード=ラインハルト率いる部隊が、当面の間グランデル商会の警備を担当することになります」


「助かります。ありがとう」


 これで最低限の安全網は整った。


 昼間は店員、夜間は信用できる冒険者を雇う。

 それがグランデル商会防衛の限界だった。

 だが、二番隊が入るとなれば話は変わる。


 銀翼二番隊は、殲滅戦と制圧の専門部隊。

 騎士団の切り札と呼ばれるほど実力は本物で、騎士団に喧嘩を売るようなことは少なくともしないだろう。


(……ヨアンを守るなら、これ以上の布陣はない)


 麻薬部門を潰したことで、タイガー商会が一時的に大人しくなる可能性はある。

 だが、油断は禁物だ。


 幹部はまだ二人残っている。

 ナスター=ヘスペリア。

 ベルク=ドレッドノート。


 どちらも、麻薬部門以上の脅威を秘めている。


 ソルフィーユは資料を閉じ、静かに息を吐いた。


「午後はグランデル商会へ行きましょう。妖精飴が食べたくなりました」


「かしこまりました」


 軽く一礼してから、リュミエルは仕事の段取りを確認するように静かに部屋を後にした。


 その背中が完全に扉の向こうへ消えたのを見届け、ソルフィーユは机に広げていた一冊の分厚い本に視線を落とす。

 図書室から借りた、暗黒魔法の研究資料――例の、付箋と走り書きで膨れ上がった怪物のような書物だ。


 ページを捲るたび、頭の中にあの戦いが蘇る。


 (……ルーガ=ヴァーミリオン戦で思い知ったな)


 体力の絶対的な不足。

 身体強化と魔力操作の生煮え。

 そして、神力の扱いに残る素人臭さ。


 どれも、現場で命を懸ければ即座に露呈する弱点だった。


 静かに息を吸い、書物へと意識を向ける。


 魔法――それは体内の魔力、そして空気中に漂う外部魔力を取り込み、術式を媒介して現象を引き起こす技術体系。

 身体強化も広義では魔法に含まれるが、術式を必要としないぶん、より原始的な技法と言える。


(身体強化が使えるなら……魔法も使える可能性はある、はず)


 希望と推測。その間にある断層は深い。


 ……が。


 暗黒魔法の研究資料を読み進めるほど、ソルフィーユの眉間の皺は深くなっていく。


(……わからん)


 専門用語はわかりにくさの暴力。

 文章は癖と回りくどさの塊。

 何より術式の概念が、完全に『異世界の理屈』そのものだった。


 ソルフィーユ本人の知識には魔法という単語すら存在しない。

 サイファとしての教養も、魔法に関してはファンタジー扱い。

 つまり、双方の側面から詰んでいる。


 ページをぱたりと閉じ、額に指を当てる。


(……魔法を教えてくれる人物を探す必要がありそうだ。だが、聖女の身分を隠したまま師を得られるだろうか?)


 今の状況では難しい。

 聖女としての立場が重すぎる。

 誰かに師事することすら、周囲の目が煩いだろう。


 そう考えながら、ソルフィーユは窓の外、遠くに連なる聖庁の塔を眺めた。


(それでも、学ばなければ前へ進めない)


 淡い焦燥と、静かだが確かな決意が胸の奥に灯る。


 午後、ソルフィーユはリュミエルを連れて、徒歩でお忍びのままグランデル商会へ向かった。


「……早速、騎士団が警備に入ってますね」


「はい。彼らは任務だと本当に気合いだけは十分なので」


 普段なら商会に騎士団が立つことなどあり得ない。

 だが今回はタイガー商会絡みの案件ということもあり、ソルフィーユ名義での協力要請が通り、二番隊が派遣されている。


 ちょうど店の前を通りかかった時だった。


「……ん? そこの者。――リュミエルか?」


 低く、よく通る声。


 リュミエルが完璧に固まった。

 まるで石化の魔法でも受けたかのようにぎこちない。


「なんで私服なんだ? お前、聖女護衛の聖騎士だろう」


 汗が玉のように頬を伝い落ちる。


 リュミエルは助けを求めるように、そっとソルフィーユへ視線を投げた。


「……リュミエル。バレています。返事をしてあげてください」


 覚悟を決めたのか、彼女は振り返って背筋を伸ばした。


「ゼ、ゼルファード=ラインハルト隊長! お疲れ様です!」


「やはりお前か。どうしてここに? 任務はどうした」


「あ、あはは……」


「まさか……サボっているわけではあるまいな?」


「い、いえっ! もちろん任務中ですッ!」


 どこからどう見ても挙動不審。

 ゼルファードは少し目を細めながら、今度はソルフィーユを見た。


「ところで……隣の子は誰だ? リュミエルに妹はいなかったはずだが……いや、どこかで見たような……」


 じぃっ、と観察してくる青い瞳。


 どうやら相手は気配を読むことに長けた男のようで他の騎士たちとは違う。

 神力を隠すために抑えている魔力の流れまで拾われかねない。


(こいつ、観察力が鋭いな。平常心を装わないとな)


 しかしゼルファードは、しばらく考え込んだ末――


「……まぁいい。リュミエル、お前に私服で出歩く趣味があったとは知らなかった」


 堂々と見当違いの結論に到達した。


 ▽


 時間は半日ほど遡る。


 大聖都ミレニアの外、深い森の中の片隅、陽の当たらぬ古い石造りの建物。

 その一室で、二人の男が薄闇の中、向かい合っていた。


 重苦しい沈黙。

 灯された一本の燭台だけが、揺らぐ影を壁に大きく映し出している。


 どちらも言葉を選んでいるのではない。

 互いに相手が何を考えているか、探り合っていた。


 タイガー商会の幹部。

 人身売買を仕切るナスター=ヘスペリア。

 そして――


 ベルク=ドレッドノート。


 三十代後半。犬系獣人の大柄な戦士で、鍛え抜かれた体は岩のように分厚い。

 毛並みは黒鉄色、腕には無数の刃傷。

 全身に金属片を縫い付けた異質な鎧は、戦場で奪った得物をそのまま身に刻んだものだ。


 獣王傭兵団。

 大陸でも名の知れた殺しの集団。その団長こそがベルクだった。


 そのベルクでさえ、今は僅かに眉をひそめている。


「……赤煙のルーガが死んだ、か」


 ベルク=ドレッドノートが低く呟く。


「信じ難い話ですねぇ。あのルーガちゃんが、旧下水道区画ごと吹き飛んじゃったなんて〜」


 人身売買部門の責任者である彼は、表向きは貴族の商談もこなす男だが、その瞳の奥には人を商品としか見ない冷え切った光が宿っている。


 ベルクは腕を組んだまま、壁をじっと睨んでいる。


「……ルーガは戦闘が得意じゃねェが、ヤワな奴じゃねェ。薬で身体を強化した時のルーガは、獣人の俺ですら相手にしたくねェ化け物だ」


 燭火が一度だけ揺れ、壁の影が怪物のように蠢いた。


 ナスターが扇子を開き、静かにため息をつく。


「ベルクちゃん。これは偶然の崩落ではありません。私の『奴隷ちゃん』がルーガちゃんの所に潜入していてね……実に興味深い情報を持ち帰ってくれたのよ〜」


 ナスター=ヘスペリアは、薄闇の中で扇子をゆらりと揺らしながら言う。

 声音は穏やかだが、その瞳は底なしの黒だ。


「……ほう。お前の奴隷か。奴の巣に潜り込んでいたと?」


「ええ。情報は断片的だけど……とても価値あるものよ〜」


 その瞬間、ベルクの瞳の色が変わった。

 狼が“獲物の匂い”を嗅いだ時に光らせる、あの色だ。


「ルーガを殺した相手が分かるのか? もったいぶるな、早く話せ。……でなければ、その細い首を噛み千切るぞ」


 ナスターはまったく怯まない。

 むしろ楽しげに目を細めた。


「焦らないでください、ベルクちゃん。私の奴隷ちゃんは、何者かの攻撃を受けて気絶。その後、旧下水道の入口が崩落しました」


「……それで?」


「意識を取り戻した時、奴隷ちゃんが見たの」


 扇子がぱたりと閉じられ、薄い笑みが浮かぶ。


「月明かりを浴びた銀色の髪。その髪が……虹色に、淡く光っていたと」


 ベルクが鼻を鳴らす。


「……見間違いじゃねぇのか」


「いいえ。奴隷ちゃんの“視界”は、私にも共有できるのを忘れたの? 私は確かに見たの」


 ナスターの顔が狂気に染まる。


「聖女ソルフィーユのお姿をッ!」


 空気が張り詰めた。

 ローソクの炎が、噛みつかれたように揺れた。


 沈黙の中、ベルクの声だけが低く響く。


「……聖女が、ルーガを殺った? ありえない。聖女は体調不良で引き籠もっているって噂だ」


「いいえ。私の情報網によると、聖女は神力による治療を再開、貴族のパーティーにも顔を出していますよ。最近では大聖堂周辺を走っている姿も目撃されています」


 ナスターは愉悦の笑みを深くし、囁くように続けた。


「面白くなってきましたね、ベルクちゃん。我々は今、国の“最も触れてはならぬ存在”に噛みつかれたのやもしれませんよ」


 ベルクの耳がわずかに動き、低く唸る。


「……にわかに信じられんな。ボスは知っているのか?」


「いいえ。しかし、ルーガちゃんの一件で大変お怒りよ。塔から出るにも薬や奴隷ちゃんをどんどん送り込まなければならないのに……補充が追いつかないの」


「聖女が絡んでいるなら、悠長にしていられん。グランデル商会の乗っ取りは前倒しだ」


「そうしましょう。彼らの物流網は是が非でも欲しいですから」


「人手が必要なら傭兵を回す。もし聖女が現れたら、すぐに連絡を入れろ」


「わかりました。私の奴隷ちゃんを潜らせておきますので」


 二人の会合は淡々と終わり、ナスターが部屋を出て、鼻歌を歌うように呟く。


「ふふ。どういう理由でルーガを狙ったわかりませんが、聖女を奴隷ちゃんにできるチャンスですナスターに任せたら殺しちゃうに決まっているので、先手を打つ必要がありますね……」


 ナスター=ヘスペリアは大聖都ミレニアに放っている奴隷たちを総動員させ、聖女ソルフィーユを動向を探ることにした。

 もし、聖女が外に彷徨いているのなら捕まえるチャンスがある。グランデル商会の件もあるが、ナスターは聖女捕獲を優先させるつもりだった。

  

 


・―・―・―・―・―・―・―・―・―

あとがき


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

また、レビューや評価、★を付けてくださった皆さまにも、心より感謝いたします。


一つひとつの感想や反応が、物語を続けていく大きな励みになっています。

本作は静かな違和感や伏線を積み重ねていく構成のため、読者の方の視点や考察を拝見するたびに、「きちんと伝わっている」という実感を得られました。


物語はまだ途中ですが、ソルフィーユとその周囲の世界は、これから少しずつ輪郭を変えていきます。

引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。



じゃむばた

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