第14話 毒は身を持って知る

 作った麻痺蒸留液は、必ず自分で確かめるべきだ。毒物扱いの鉄則は、自分が扱う毒の性質を知らずに現場へ向かうな、という単純にして最重要の一点に尽きる。


 特に今回は相手に飲ませる。味や匂いで気づかれれば全てが破綻する。麻痺の立ち上がり、作用の速度、感覚の鈍り、それらを一度自分の身で経験しておかないと、賭けにすらならない。


 まず、指先に一滴だけ垂らし、舌の上に乗せる。


 味は無い。香りも無い。だが舌に触れた瞬間、針で突かれたような微かな刺激があった。酒に混ぜれば完全に紛れるだろう。


 数秒後、視界の端がぐらりと揺れた。二日酔いの初期症状のような、頭蓋の奥を撫でる倦怠感が広がる。そのまま数分放置すると、指先から痺れが這い上がり、舌が重くなり、呂律が回らなくなった。


 この段階では、自律で立つことは不可能だ。もし椅子に座っていたとしても、姿勢を維持するだけで精一杯になる。


 サイファとしての冷静な分析が、淡々と状況を記録していく一方で――。


「……まずいな」


 軽く膝が折れた瞬間、神力を全身に巡らせる。温かな光が血管を逆流し、体内の毒が押し流されるような感覚が走る。数呼吸ののち、痺れが霧のように溶けた。


「ふう。神力は便利だが、頼り過ぎれば判断を誤る。念のため簡易解毒薬も必要だな」


 工房の隅に置かれた鉢植えの木を見やる。椿に酷似した樹皮を少し剥ぎ取り、鍋で煮出す。渋みの強い茶褐色の煮汁は、毒の吸収を遅らせる効果がある。


 塩水も作る。塩を溶かすだけの単純な代物だが、体が毒を吐き出す助けになる。二つを合わせて革袋に詰めれば、応急的な解毒薬として十分使える。


「俺には必要ないけれど……リュミエルが巻き込まれたら困るからな」


 そう呟き、革袋を引き締める。


「さて、この麻痺毒もカプセルに入れておかないとな」


 ノワレ司書長が管理している図書室で借りた本。薬草や毒草の本の他に、樹脂が取れる木も記載されていた本もあった。

 俺は温室を見て周り、似たような木を見つける。

 その木はナタで傷を付けられていたのか、黄色い結晶物が付着していた。

 ナイフの剣先でガリガリ削ると、液体がじんわり出てきた。これは当たりだ。

 結晶物もまとめて削ぎ落として、急いで火にかける。

 焦げないようにゆっくりと火を通すと柔らかくなった。それを指や棒状の道具を使って小さな球状に仕上げた。


 麻痺毒の完成は、静かな温室工房にひっそりと訪れた。圧搾液を蒸留し、雑味と色を取り除き、透明で癖の無い液体として仕上げたクララ根の麻痺成分。それを樹脂で作り上げた小さな球状カプセルに注ぎ入れ、蜜蝋で封をしたところで、ようやく武器としての形になった。


 掌に乗せれば、ただの飴玉のように見える。光にかざすと琥珀色の樹脂の内側で、透明な液体がわずかに揺れる。知らぬ者が見れば、薬草園の甘味か何かと勘違いするだろう。だが中身は、成人男性を数分で歩けなくし、十分で言葉も奪う強烈な麻痺毒だ。


「……ようやく形になったか」


 小さく吐息を漏らす。作業机に並んだ器具はどれも即席だが、どれも完璧に役割を果たした。


 樹脂球は全部で三つ。投与は一つで足りるが、暗殺者は常に予備を用意する。ひとつは掌で潰して使うためのもの。ひとつは不測の事態に備えた予備。最後のひとつは、もしもの時に別の相手にも使えるようにした計画外使用分だ。


「これなら、酒に落としても気づかれない。……後は、場所とタイミング次第」


 パーティー当日の流れは頭の中で何度も反芻している。

 乾杯の祝福。視線の集中。杯に触れる自然な動作。騒音と光と会話が渦巻く場なら、誰も聖女の手元など注視しない。


 ただ、毒を仕込むだけでは足りない。マークイン戒律補佐官を孤立させる導線も必要だ。麻痺毒は飲んで数分で足を奪う。ふらつき、座り込み、周囲が騒ぎ、マークインを誘導。そこから先は、手際よくやればいい。


「……その前に、下見が必要だな」


 バラン公爵邸の構造。人の流れ。控え室の位置。料理人の動線。警備の癖。どれも知らずに挑むのは無謀だ。……ならば忍び込むか。


 樹脂球を革袋に入れ、胸元のポケットにそっとしまい込んだ。小さな丸薬ほどのサイズなら、礼装の縫い目に隠すこともできる。温室の柔らかな光が差し込み、透明の毒がかすかに輝いた。


「麻痺毒、完成。次は――」


 聖女の顔では笑みを浮かべながら内側で、サイファが静かに刃を研ぐ音がした。


 ▽


 月が大地を覗き込み、ミレニア大聖都の灯りが静かに落ちていく頃、屋根の端にふわりと影が揺れた。


 影は風のように軽く、音もなく屋根瓦を伝って移動する。ターバンで顔の大半を覆い隠し、正体は窺えない。ただ、布の隙間から零れた銀色の髪だけが、月光を受けてきらりと光った。


 その姿はまるで、夜にだけ現れる精霊。けれど実際には聖女ソルフィーユだ。


 影はバラン公爵邸の塀を難なく乗り越え、番兵の前を風のようにすり抜ける。やや古い屋敷らしく、警備の質もそこまで高くない。鍵の掛かっていない二階の窓を見つけたソルフィーユは、そのまま音も立てずに内部へ滑り込んだ。


 着地と同時に、周囲を素早く見渡す。古い木材と香油の匂い。絨毯の敷かれた床。誰もいない客間。廊下に出て、視界の端で柱の並びを数えながら、屋敷の構造を頭の中で組み上げていく。


(階段は中央が擦り減っている……手すりは低い。あれなら酔って足を取られれば、そのまま真っ逆さまだな)


 ほんの一瞬の観察で、事故死を装える場所を即座に見抜く。


 廊下を進んだところで、角の先から二つの気配。巡回の私兵だ。


「ふぁ〜……眠ぃ。母ちゃんの飯食いてぇ」


 緩んだ声に合わせ、ソルフィーユは影のように柱の裏へ身を滑らせる。気配を完全に消す。兵士たちは気づく様子もなく通り過ぎていった。


(これで気づかれるなら暗殺者なんてやっていない。……ここの警備は全体的に緩いな)


 ソルフィーユは再び動き出し、寝室、食堂、キッチン、階段、バルコニーと次々に巡っていく。危険な動線、死角となる場所、逆に騒ぎが集中しそうな広間。すべてを地図として脳裏に書き込む。


 倉庫に入ると、酒樽と瓶がずらりと並んでいた。今週末の誕生パーティーで振る舞われるものだろう。香りの強い酒、薄い酒、乾杯用の特別な銘柄。注ぎ方や給仕の動線までイメージできる。


(酒が多く出る。……なら、毒の投与は容易。足がふらつくタイミングで、階段かバルコニーに誘導すれば終わりだ)


 ソルフィーユとして参加するため、サイファ自身が手を下すわけにはいかない。聖女が殺しに関わったと疑われれば、すべてが終わる。だからこそ事故の形にする必要がある。


(マークイン……リュミエルを狙った報いは、必ず受けてもらう)


 屋敷の一階から三階までの構造を把握し終えると、ソルフィーユはその場に立ち止まり、脳内の見取り図をもう一度鮮明に描写する。階段の角度、欄干の高さ、足場の古さ、マークインが歩きそうな導線。全てが線となり、暗殺者の頭の中で一本に繋がる。


 後は、当日に微調整をするだけ。


 月明かりの差す窓辺まで戻り、ソルフィーユは屋敷を後にした。銀髪が一瞬きらりと光り、闇に溶ける。次にここへ来るのは、賑やかな祝宴の最中。


 そのとき一人の男の運命が、静かに終わるだろう。

 

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