第7話 ガンブレイの野望

 ガンブレイ戒律官は大聖堂から離れ、聖王国ディオールの心臓部である聖首都ミレニア、その中枢にある戒律院へ戻ってきた。

 戒律院は、聖レイディア聖庁の内部監査から犯罪者の取り締まりまで一手に担う聖庁警務局の役割を果たしている。

 ガンブレイの執務室もここにあり、昨夜の暗殺未遂事件に関わる関係者の拘束、遺体の調査、依頼ルートの洗い出しが続々と報告されていた。


「ガンブレイ様、聖女様のお加減は?」


 そう尋ねたのは、整った顔に銀縁眼鏡を掛けた戒律補佐官、リオル=マークイン。

 年齢の割に落ち着きがあり、冷静な男だった。


「相変わらず……華奢で、触れただけで壊れてしまいそうだった」


 ガンブレイは机に腰を下ろしながら、いつになく息を深く吐いた。


「守ってあげたくなっちゃいますよねぇ、あの方」


「……それで、事件の調査は?」


 マークインはメモを一枚めくり、淡々と告げた。


「結果から申し上げますと──何も掴めておりません。賊の遺体検分について、頭蓋骨陥没骨折により即死。体の数カ所に骨折、左手の掌にナイフで刺されたような後があり、聖女様のお部屋の床に血の跡とナイフの刺し傷がありましたが、傷に合う凶器は未だに見つかっておりません。また、逮捕された関係者たちは「いつの間にか依頼書が紛れ込んでいた」と口を揃え、報酬の流れも不明。依頼主を示す証拠は一切なしです」


 ガンブレイは眉間を押さえた。

 そんなことはわかっている。

 わかっているが、苛立ちは消えない。


 ──聖女の処分を巡る、あの会議。

 次期聖女の話題が出た時の、冷え切った上層部の目。


 現聖女ソルフィーユは“器の格が低い”。

 行使できる奇跡も限定的。

 国を護る三大奇跡──【大豊穣の奇跡】【不老の聖杯】【神の炎】はいずれも発動不可能。


 だからこそ、王国・聖庁は焦っている。

 新たな聖女が必要だ。

 その焦りが、今回の暗殺命令となって形になった。


 ガンブレイは理解していた。

 政治としては正しい判断なのだと。


 だが。


 だが、ソルフィーユが死ねば、自分の未来は消え、出世への道も閉ざされる。


 そして何より。


 彼女は、壊れた人形のように見えるのに、それでも儚く美しかった。


 幼いころから孤児だったあの少女が、聖女になり怯えながらも微笑む姿を見て、胸の奥に棘のようなものが刺さった。

 それが恋か愛かなど、本人もわかっていない。

 ただ守りたい、ただ欲しい、その感情だけが膨らんでいった。


 一年前。

 自分は告白をした。

 ソルフィーユにはまったく意味が通じていなかったらしいが、それでも返事を待っている自分がいた。


 だからこそ、昨夜の暗殺失敗は、胸を撫で下ろすほどの安堵だった。


 だが。


「……今回の事件は国の上層部が絡んでいる可能性が高い」


「王国上層部が関与しているとなると、圧がかかったりしますよ? 現に箝口令が敷かれてますし」


「わかっている。問題は時間がないということだ」


 今回、聖女暗殺未遂で終わったが、王国上層部の中で聖女暗殺が確実に決まって実行された可能性が高い。

 今回の盗賊ギルドの関与も王国側のタレコミで迅速に容疑者が逮捕されているし、予め知っていたか用意されていたのだろう。


「……聖騎士リュミエルという小娘が、実に邪魔だ」


 ガンブレイは机を指でコツコツと叩いた。


「このままでは、私の邪魔をする者が増える一方だ。聖騎士リュミエル=フォルキアという人物について調査し、聖女の代わりの聖騎士を立てるか、辞めさせるかの手をうて」


 リオルが薄く笑う。


「愛は盲目って言いますからねえ。規律違反で左遷勧告をするのが手っ取り早いですが」


「直接手を汚す真似はせんし、やつの団長が黙ってはいないだろう。だが、適切な処理は必要だ」


 ガンブレイの目に、苛烈な光が宿る。


 宰相メルドラが動く前に、自分が先に手を打たなければならない。

 聖女の命は、国の道具ではなくガンブレイの未来だ。


「婚姻を……早めねばならんな」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、ガンブレイは呟いた。



 ▽


 暗殺未遂事件から数日、聖ミレニア大聖堂には不気味なほど平穏な空気が戻っていた。

 とはいえ平穏というのは外側から見える表面の話だ。

 聖女としての仕事は山ほどあり、神力を使う医療依頼は毎日押し寄せてくる。


 だが俺、サイファにとって、あれは疲労と消耗しか残さない。

 ソルフィーユなら無理をして応えていただろうが、俺はそうはいかない。

 よって医療行為の依頼はすべてキャンセルした。


 その代わり、今の俺の仕事は別にある。

 図書室でノワレ司書長から借りた魔力基礎の本と神力聖典。

 この世界の力の体系をとことん理解することだ。


 魔力、世界そのものを循環する生命エネルギー。

 大気にも大地にも生物にも流れ、世界という器を満たす血流のようなもの。

 魔力の濃い場所は霊脈となり、魔力の薄い土地は魔力荒廃地となる。


 属性も存在する。

 火、水、風、土、光、闇。

 先天的だが、訓練で多少変質するというのが興味深い。


 魔力は感情で暴走し、増幅する可能性すらある。

 戦闘に使えば肉体を強化し、武器に流せば斬れ味が飛躍的に跳ね上がる。


 魔法はイメージがすべて。

 だから形を安定させるために詠唱という言葉の楔がある。

 魔力を刃に変える技術が『纏い』。

 武器を持たずとも魔力そのものを刃に組み上げるのが『魔力剣』。


 前世であれが使えていれば──などと考えてしまうのは、職業病だろう。


 魔力は自前のエネルギーなので、枯れれば倒れる。

 補充には瞑想かポーションを使う。

 この世界の戦士は、魔力管理が生命線というわけだ。


 ページをめくっていると、扉をノックする音がした。


「どうぞ」


 返事をすると、リュミエルが両手いっぱいに衣類を抱えて入ってきた。

 顔を覗くと、昨日までの緊張が少し抜けている。


 好都合だ。

 そろそろ、この世界での新しい身体の動きをもう少し整えておきたい。

 着替えは訓練の良いタイミングでもあるし、ついでにリュミエルから王国の内情を引き出すこともできる。


「失礼します、聖女ソルフィーユ様。着替えと……その、ソルフィーユ様が仰っていた外出の準備が整いました……」


 リュミエルが言い淀む。

 どうやら以前頼んだ服が届いたのだろう。両手に抱えた衣類は、色も質感も聖女のローブとは真逆で、普通の少女が街に出る時に着るようなものだった。


「ソルフィーユ様……これは一般の平民服、それに助祭の衣装までありますが、何をするのですか?」


「理由は単純です。聖女の姿でいると、皆が本音を隠してしまうでしょう?

 なら一般人に紛れて情報を集めればいい。聖女がどうあるべきか知るのは、権力者ではなく民の声です」


「す、素晴らしいお考えでございます……!」


 リュミエルの目が輝く。

 その反応を見て、俺は心の中で肩を竦めた。


 実際は単に、あの動きづらい聖女衣装を脱ぎ捨てて自由に歩き回りたいだけだ。

 だが高尚な理由を語っておくと、いろいろ都合が良い。


「……ところで、リュミエル。足を痛めていますね」


「えっ……そ、そんなことは……!」


 入室した瞬間の違和感を、俺は見逃さない。

 体重の乗せ方、軸のブレ、わずかな歩幅の乱れ。

 暗殺者としての職業病だ。痛みの存在は一目でわかる。


「訓練で無理をしたのでしょう。そこに座ってください。治します」


「ソ、ソルフィーユ様! 本当に大した怪我じゃありません! こんなことで神力を使うなんて──」


 俺は黙って、隣の椅子を指先でトントンと叩いた。

 その仕草に、リュミエルは観念して座る。手を差し出すと、俺はその手を包むように握った。


 剣を握り続けた手。細いのに固く、節くれだった指先。

 ソルフィーユの記憶の中では「頼りない新人」だったが、手だけを見ると十分に努力を重ねた戦士のそれだった。


 さて──神力の実験だ。


 神力聖典にはこうある。


 神力とは「魂を媒介に奇跡を起こす力」。

 奇跡は魂を削り、器が耐えられなくなれば命が消える。


 綺麗な理屈に見えて、実態は『魂の使い捨て』。

 ソルフィーユがやつれていた理由もよくわかる。


 だが今の俺の器には、魔力と神力が同時に渦巻いている。

 ならば、神力のコストを魔力で肩代わりさせることができるのではないか。


 試してみる価値は十分ある。

 目の前に、丁度いい実験台が座っているのだから。


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