くだらなくてどうでもよくて、おいしくていとしい日々
ぐるねこ
第1話 すべては美味しい鍋になる
1話
「これはあまりにもB級だったな」
高柳ハルはテレビのリモコンを右手でかちかちと回しながら呟いた。動画のサブスクリプションを、どこに目をやるでもなくカーソルを横へと移動させる。
ちなみに先ほどまで観ていたのは「怪人マンモス」という、マント姿にマンモスの牙が生えてる男が出てくる映画であった。ホラー映画が好きなハルは有名なものからマニアックなものまで幅広くチェックするのが常なのだが、基本的にハズレを引く。しかしそれがホラー映画好きの醍醐味だとハルは言う。
時計に目をやると、夜8時を少し過ぎたところだ。
あと30分もしたら夫のナツオが帰宅するだろう。
サブスクリプションの画面を終了させ、リモコンを置いた。夕食の支度をしなければなるまい、とハルは思った。
ダイニングテーブルにかけっぱなしになっていた割烹着を手に取り、少し払って身につける。ハルは可愛らしいエプロンよりも割烹着がよく似合う女だ。髪の毛もざくざくと一纏めにし、いつでも髪を結べるように腕につけておいた黒いヘアゴムで結ぶ。ハルは可愛らしいシュシュなどはどこかにめかし込んで出掛ける時用の代物だと思っている。太くて纏まりにくい自分の髪は、太めのヘアゴムできゅっきゅと結ぶのがちょうどいい。
「白菜、ネギ、しいたけ、にんじん…」
冷蔵庫の野菜室を開けて食材をチェックしながら、これは鍋だ、鍋です、鍋しかできませーんと心の中で手を上げた。昨日も鍋であった。その前の日も。たしか────その前の日も。
鍋に水を注ぎ、だしパックを入れて少しだけ弱めの火にかける。弱火からじっくりと煮出したほうが、出汁がよく出る気がするからだ。冷凍庫にいつだか買ったタラとホタテがあるから寄せ鍋にして、締めは雑炊だな。いい出汁を含んだ雑炊の味を想像したら、ハルの腹がくぅ、と鳴いた。と、同時に玄関のカギががちゃりと音を立てた。
「ただいまぁ、いやぁ、まいった」
眉毛を八の字にしてナツオがジャンパーを脱ぎながら部屋に入ってきた。おつかれぃ、とジャンパーを受け取るハル。そのまま言葉の続きを待った。
「今日、会議があったんだけど、肉部門の主任と魚部門の主任が大喧嘩始めちゃって。なんとか止めたけど、そしたら今度はこっちに矛先が向いてさ、もう散々だよ」
「あはは、そりゃまいったね。まあ、風呂入っておいでよ」
促されるまま、ナツオは脱衣所に向かった。ハルは鍋の仕上げに取り掛かる。
先ほど沸かした出汁に醤油・酒・みりんを加えてひと煮立ちさせ、白菜、ネギ、しいたけ、にんじんを入れる。野菜をひとつひとつ入れる中で、ふわっと醤油の香りが部屋に立ちこめる。野菜がすこしくたっとしてきたら、冷凍していたタラとホタテを凍ったまま上に乗せる。解凍してから入れなくとも、このままで十分美味しく仕上がるのだ。
「なんなら旨みが逃げないから、凍ったままの方が良かったりする。って、ナツオが言ってたな」
ナツオはスーパーの雇われ店長をやっている。新卒で地元民に愛される地域密着スーパー・ジョイフルマートに就職。そこから人の良さを買われあれよあれよと昇進。34歳にして店長を任されている。人の良さを買われるということは、言い方を変えるとこの人に任せておけば大丈夫と思われがちで、人の良さとは言ったものの実際は苦労人なのであった。
やすく♪おいしく♪えんじょいふる♪がキャッチコピーのジョイフルマートでは、食品を買ってもらうだけでなく、メニュー提案や調理法の解説なども客から要望があれば対応するため、働いているだけで調理に詳しくなってくる。そして、その豆知識がハルに回ってくるのだった。
鍋の具材が煮えたころ、ナツオも風呂から上がってきた。バスタオルで髪を拭くナツオを見ながら、ほかほかのおじさんだ…などとハルは思った。2人は2歳しか変わらない。
「ほかほかのおじさ…じゃなくてナツオ、ご飯食べよう」
「え?なに?なんか失礼なこと言わなかった?まあいいや、いただきます」
「いただきます」
思い思いに鍋に箸を付ける。食卓用コンロでくつくつと弱火に掛けられている鍋は熱々だ。
ふぅふぅと冷まし、口へと運ぶ。
「あつ、おいひ」
「おいひいねえ」
しばらく無言で鍋を堪能する。
白菜はくたくたに煮えてるのが好きだなぁ、とか、しいたけって味染みると旨みの塊だよなぁ、とか、そんなことをぼんやりと考えながら。目の前にいる相手もそんなことを考えてるのかな、とか、思いながら。
鍋に入れるとみんながいい味出し合って、ひとつの美味しい鍋になる。各々のポテンシャルが高くてもそうじゃなくても、鍋に入れて煮ることで、冬のご馳走になる。
「まあ、でもさぁ」
ハルは箸を止めて、ぽつりと言った。
「そうやって主任たちが喧嘩するのも、最後にナツオに矛先が向いちゃうのも、きっといい出汁になるよ」
「出汁?」
「そう、出汁。旨み。すべてジョイフルマートの旨みなんだよ」
「そうかもなあ」
「やすく♪おいしく♪えんじょいふる♪」
ハルは店内BGMを口ずさみながら鍋を食べ進める。締めの雑炊が待っている。魚介の旨みがギュッと詰まった雑炊だ。
一通り食べ終わると、ハルは冷凍していたご飯をレンジで解凍した。米洗う?────めんどくさかったら洗わなくていいよ────いや、美味しく食べたいから洗おう────そんなやりとりをしながら、温まった米をざるに落とし流水でかるく洗う。洗った米の水気を切り、再び煮立たせた鍋つゆの中に投入する。しばらくくつくつさせたら、最後に溶き卵を入れて火を止める。
「うひょ〜これが楽しみだよなあ」
ナツオは目をキラキラとさせながら言った。そして一口含み、ため息を吐いた。
「ああ、うまい。このために仕事してる気がする」
「そりゃよかったよ」
ハルも雑炊を口に運んだ。うん、美味しい。目の前には、はふはふと雑炊を頬張るナツオがいる。
雑炊をもう一口すくった。
ああ、今日もおいしくたのしく生きられた。こんな日々がまだまだこれから続くという事実だけで、お腹がいっぱいだ。いつか、必ず終わるから。でも、それは今じゃないから。くだらなくてどうでもよくて、おいしくていとしい日々がこれからも続くことを、幸せに、思った。
くだらなくてどうでもよくて、おいしくていとしい日々 ぐるねこ @Guru_neco
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