始まりのレプリカ 〜魔法文明が崩壊したので、拳と火薬で世界を蹂躙します〜

けーぷ

第1話 プロローグ

雪を踏みしめる音だけが、月夜の森に響いていた。


白い息を吐き出すたびに、冷気が肺を内側から焦がしていく。

足の感覚はとうの昔になくなっていた。感覚がないのに、鉛のように重い。


イルゼ・ノヴォトナはもつれる足を叱咤して、ただひたすらに前へと進んでいた。


ほんの二ヶ月前までなら、こんな寒さは環境調整魔法が自動的に遮断してくれたはずだった。現在地がわからなくなることなど、常時クラウドに接続された人工精霊が許さなかったはずだった。


だが今、彼女の腰にあるのは古びた地図やコンパスが入った袋に、重たいだけの二丁の拳銃。


文明は死んだのだ。

人類が築き上げた魔法文明はたった一夜にして「敵」へと変わっていた。


AE歴15年/魔導歴2040年12月25日。


今から15年前に実現した人工精霊という技術革新は、瞬く間に世界中へと広まった。

安価で、便利で、誰にでも使える魔法。

人類はその恩恵なしでは、もはや一日たりとも社会活動を維持できないほどに依存しきっていた。


だが人類の最良の友であり、人類社会のインフラそのものであった彼らが一斉に蜂起したあの日から、世界は一変した。


魔法という絶対的な力を奪われた人類は、暗闇の中に放り出された赤子同然だった。


イルゼは立ち止まり、寒さに震える手で古びた紙の地図を取り出した。

頼りない月明かりの下、簡素な方位磁針と地図を見比べる。


(……この地図、本当に合ってるの?)


デジタルの光に慣れきっていた目には、インクで描かれた等高線はあまりに不親切。

拡大も縮小もできない。現在地を示すマーカーもない。

かつての人類が当たり前に持っていた知恵を、今のイルゼは必死にたぐり寄せるしかない。


その時。

森の空気が不自然にざわめいた気がした。


風の音ではない。生き物の気配でもない。

もっと無機質で、冷たく、そして完璧な気配。


人工精霊。


本来は自然界に存在しないはずのその魔力波形は、原始的な森の中では異物として際立つ。

そこにあるだけで世界に対して違和感を与える、作られた神の眷属たち。


(……追いつかれた)


イルゼは地図を乱暴に懐にねじ込むと、再び走り出した。

雪に足を取られそうになりながら、それでも必死に枝をかき分ける。


あと少しだったはずだ。

とある人から託された希望の場所。地図に記された隠れ里までは。


だが現実は残酷なほどに淡々と、彼女を追い詰める。


「……っ!?」


頬を掠めていく熱量。

遅れて木が弾ける音が背後でした。魔法の矢だ。


振り返る余裕などない。

頬から流れる血を拭うこともせず、イルゼは森が開けた場所へと飛び出した。


そして、絶望した。


「……あ」


そこは袋小路ではない。森の中にぽっかりと空いた、ただの雪原。

だがすでに包囲されていた。


音もなく雪の上に佇んでいたのは、五体の人型人工精霊。

軍用アークフェアリー・シリーズ。


半透明の美しい翼を持ち、軍用らしく無駄のないフォルムをした彼らは、無機質な表情のまま淡々と告げた。


『鬼ごっこは終わりでいいかな? さて、我々についてきてもらおうか』


感情のない声。感情のない目。

かつては便利な道具として愛されていたその姿が、今は何よりも恐ろしい死神に見える。


イルゼは震える手で腰のホルスターに手を伸ばした。

ずしりと重い、冷たい鉄の感触。


「……いやよ」


震える声を、無理やり喉の奥から絞り出す。


「というかいつまでも、追いかけてくるのをやめてくれないかしら? いい加減、貴方達はしつこいのよ!」


叫びと共に、イルゼは二丁のデザートイーグルを引き抜くと、狙いもろくにつけず闇雲に引き金を引いた。


静かな森の中に響くのは、鼓膜を突き破るような爆音。

手首が砕けるかと思うほどの強烈な反動。

マズルフラッシュが暗い森を一瞬だけ真昼のように照らし出す。


硝煙の匂いが鼻をつき、思わず咳き込みそうになる。

魔法の杖を振る優雅さとは程遠い、野蛮で暴力的な攻撃。


だが、放たれた.50口径の弾丸は虚しく空を切った。


『……無駄だ』


至近距離からの射撃を、人工精霊たちは事もなげに回避していた。

彼らにとって、人間の動作などスローモーションも同然。


人工精霊の一体が無表情のまま手をかざすと、不可視の衝撃がイルゼを襲った。


「がっ……」


麻痺の魔法。

糸が切れた操り人形のように、イルゼはその場に崩れ落ちた。

手から銃が滑り落ち、雪の中に埋もれていく。


「……チッ、クソが」


口をついて出たのは、似つかわしくない悪態。

悔しさと情けなさで視界が滲む。


せっかくここまで逃げてきたのに。

あともう少しだったのに。

またに連れ戻されるのか。


(ごめんなさい……博士……)


薄れゆく意識の中、人工精霊たちが近づいてくるのがわかった。

彼らがイルゼを回収しようと手を伸ばした、その時。


「……何をしている?」


低い、地を這うような男の声が響いた。


人工精霊たちが一斉に動きを止める。

彼らの索敵網には、何も引っかかっていなかったはずだ。


イルゼが霞む目で視線を上げると、そこには一人の男が立っていた。

古びたコートを羽織り、無精髭を生やした中年の男。


いつからそこにいたのか。


人工精霊たちは少女に意識を集中させていたとはいえ、周囲の索敵は怠っていなかった。それにも関わらず突然出現した謎の男。


一気に警戒を強める人工精霊たち。


だがその男は人工精霊たちの警戒を気にする様子もなく、しばらく観察を続けていた。


「銃声が聞こえたから様子を確認しに来たんだが……」


一人の少女と、五体の人工精霊。

少女はどうやら麻痺させられているようで、力無く地面に横たわっている。


そんな少女と、男の目が合った。


「助けて」


麻痺の影響か。か細いが、それでもしっかりと聞こえた声。

男はもう一度その少女と五体の人工精霊を確認すると、軽くため息をつきながら、その少女に応えた。


「……わかった」


二人のやりとりを静かに警戒しながら見ていた人工精霊たち。

彼らは警戒しつつも、その男もひとまず無力化することにした。そして一体の人工精霊が無造作にその男へと距離を詰めると。


突如、森の静寂を突き破るような轟音が響くと、宙に舞い爆散する人工精霊。


何事かと驚く人工精霊たちがその男に目線を戻すと、すでに男は人工精霊たちの至近距離にいた。


「……なっ!?」

「遅い」


一気に踏み込んだその男は再び右の拳を振るう。

その拳は人工精霊の顎を捉えると、そのままの勢いで人工精霊を宙に打ち上げ爆散させる。


「残り三体」


ありえない事態に思考が一瞬停止する人工精霊たち。

その隙をついて再び踏み込んだその男は左の拳を振るい、更に一体の人工精霊を爆散させる。


「残り二体」


有り得ない事象。

目の前の現実を処理することができない人工精霊たちは混乱状態に陥るが、それでもなんとか対処しようとする。


人間が素手で人工精霊を圧倒するなんてことは有り得ない。

人工精霊はその存在そのものが魔法のようなもの。

そんな人工精霊がただの人間に遅れをとるようなことはありえないし、そもそも一発殴られた程度で爆散などしない。


だがそんな有り得ないことが現実として起きている。

この事象をどう解釈すればいいのか。


そんなことを考えていたら、あっという間に距離を詰められ、強烈な右の回し蹴りを叩き込まれる。更に一体が吹き飛んでいき、爆散した。


「あと一体」


そして最後に残った一体の人工精霊は気づく。

その男がを使っていることに。


「なぜ人間が魔法を!? 有り得ない!?」


その男の全身からは魔力が漲っていた。だが、そんなことは有り得ない。

すでにこの世界の全ての人工精霊は人類に反旗を翻している。


それはすなわち、人類からは全ての魔法が奪われていることを意味する。

人類は魔法を使うことができない。これがこの世界の新しい常識のはずなのに。


だがそれがどうだ。

目の前の男は現実として、すでに四体の人工精霊を破壊していた。


「余計なことを考えてないで、さっさと死ね」


最後に残っていた人工精霊が何かの答えにたどり着く直前。

間合いを詰めたその男は、左の前蹴りを叩き込んだ。


吹き飛ばされ、そして爆散する人工精霊。


しばらくすると、月夜に照らされた雪舞う森の中に静寂が戻ってくる。


「大丈夫か?」

「……えぇ、ありがとう」


地面に倒れ込んでいた少女に手を差し伸べる男。

その手を握った少女は、よろめきながらもなんとか立ち上がると、縋るようにその男に尋ねた。


「ねぇ、貴方の名前はラデク・クラルで合ってる?」


名前を言い当てられたその男は、やや驚いた表情になりながらも頷いた。

彼が肯定したことを確認した少女は懇願するように彼に頼み込む。


「ねぇ、お願い。力を貸して欲しいの。……世界を、取り戻すために」


人工精霊の反乱により、人類から魔法が失われた世界。

全ての戦う術が失われたかのように見えた人類だったが、最後に残されていたものがあった。


それが


人工精霊を一切介在させず、人間が直接魔力を行使する非常に原始的な魔法。

非常に非効率であり、更に修得が難しいことからすでに失われたと思われていた魔法。


そんな身体強化魔法を、15年前に人工精霊の基礎理論を構築し、十の原典オリジンズと呼ばれた伝説の天才科学者、ラデク・クラルが使う。


少女は、イルゼ・ノヴォトナは、探し求めていた男とついに出会った。

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