したたかな私と彼女

夢見

したたかな私、

 夜だね。

 隙間から見える点々とした街並みは、どこか息をひそめていた。車が通り抜ける音がどこからか聞こえる。

 はあ、それにしてもここどこだ?


 街並みはしっかりと見える。だけどこんな山に来た記憶なんてないし、そもそも360度どこを見ても道らしきものはない……いやいや、流石に頭は打ってないから。さすった頭からサラサラと髪が零れ落ちていく。

 それにしたっておかしいよな。


 とりあえず今の状況を整理しようか。

 周りは木々に囲まれている。生い茂っているから先は見えないが、私が遊んだ裏山と本当によく似ていた。

 足元を見ると、私が倒れていたであろう場所以外落ち葉が堆積し、一応足跡はない。

 監禁? いや、誘拐の線はあまりなさそうだ。


 ……ふう、さっきから見てください! って感じのあれだよな

 木に真っ黒い袋がかぶせてある。ちょうど大人一人分が入れるくらいの大きさ。やめてよ、死体とかさ。

 恐る恐る適当な木を取ってつついてみると、何も入っていないみたいだ。しゃらしゃらと音が鳴るだけ。


 おろしてみると何もなかった。さっきまで人がいたなら暖かいんだろうけど、体温を吸い取っていくように冷たかった。


 とにかくここから歩かないと。

 私は適当な木を拾って木々をかき分けた。運がいいのか悪いのか、とにかく人間が通れそうではないけもの道をザクザクと進んでいく。森に張り込んだ時のように、懐かしいにおいが鼻を香らせた。


 明らかにこの状況はおかしい。だけども私の体はとても軽かった――ランラン気分とは言わないけど、じっとりとした木々の吐息が肺に心地よい。時々鳴く謎の鳥のリズムは私の心を定期的に震わせていく。


 昔はよく遊んだなあ。この木の実とか食べられて美味しかったんだよ。

 私は木いちごを採って口に放り込んだ。甘酸っぱい、少しだけ強い酸味が口にじわじわと広がっていく。もしかするとあの裏山と同じ場所かもしれない。さっき見下ろした街もどこか見覚えがある。


 そのせいか、けもの道にはどこか見覚えがあった。

 ザクザク。サワサワ。

 葉っぱが心地よいメロディを奏でる。


「あ、」


 思わず声が出てしまった。昔っからそうなんだよね、思っていることをすぐに言っちゃうっていうか。はあ、ケンカのもとだぞ。


 きっとこのお地蔵さんも私が変わっていないことにあきれ返っているのだろう。つやつやとした頭は相変わらず。少し欠けた腕は前でポーズを作っていた――もちろん正式名称なんて知らない。


「うわ~、なつかしい」


 私がお供えしたままのお菓子が置いてあった。もちろんとっくの昔に腐っていたが、皿だけはしっかりと残っている。

 そういえばここで喧嘩したんだったな。そこで初めて殴り合いのケンカしたんだっけ。今どうしてんのかな?


 あの時の私は幼かった。あ、そりゃそうでしょ。たった九歳の子供に理性がどうとか言わないこと! なんでケンカしたんだっけ……あ、思い出した。クソガキだったあの時を。


――『だからゴメンって言ってるじゃん』

 あ、これ私ね。私はその子が好きだった子に告白されました。もちろんそういうのはよくないってわかってたけど、ちょっと可哀そうになったんだよな。そのことは一か月で別れるんだけど。


 で、その時の女友達が言った。


『私好きだって言ったよね! どうしてそんなことするの!? やっぱり鵺ちゃんはおかしいよ』


『私はおかしくなんかない! そんなこと言うんだったら自分が告白されるように動けばよかったじゃん。そんな汚い顔で告白されるなんて百年早いだって。おこがましいよ』


 うう。今思い返しても言い過ぎたと思う。私より馬鹿な子なのにきついこと言っても理解できるわけないのに。

 だからか彼女は泣いた。そして最悪な言葉を私に投げかけた。


『あんたなんか死んじゃえ。お地蔵さんだって見てるんだから、あんたみたいなおかしい奴なんてすぐに祓われちゃえ』


『……』


 そこから彼女は振り返ってダッシュで山を駆け下りた。言葉の意味が理解できなかったわけじゃない。そこまで子供じゃないですよ。意味くらいは分かっていたのだけど、そんなこと言っても意味がないというか。


 はあぁ。溜息しか出ないなあ。

 あの時彼女が蹴飛ばしたお地蔵さんはいまだに微笑んでいた。もちろん私を祓ったり山に埋めたりもしていない。ま、石だからね。

 いまだに誰か来ているのか、横には真新しいお供え物がしてあった。


 さてさて、こんなとこで油売ってる場合じゃない。水もお供えしてあったけど、正直の向きにはなれないなあ。とりあえず私はけもの道に沿って山を下っていくことにした。つまりさっきと変わらずほぼノープラン。


 十分程度山を下っただろうか、まだまだ先は見えてこず、木々が前に進むのを妨げていた。空を見上げると、満月なのか真っ白に輝いた月が私と森を淡く照らしているのが見えた。

――よかったよかった。これもまた怪我の功名ってやつかな。ポケットの中をまさぐってみたけれど、スマホは一向に見つからなかった。


 とにかくいったん休憩。

 さっきお地蔵さんで休んだけれど、なぜか疲れた体には十分でもつらい。そもそもここは山だからね。舗装されていなければそもそも道でもない。

 ふぅ。ぅぅふぅ。昔っから口笛はできない。


 肺で暖められた空気が唇を頼りなさげに揺らすのみ。そういえばあの子はできたな、口笛。結局あれで友達解消にならなかったのが不思議なんだけど、まあ彼女はどこのグループにも所属していなかったしね……できなかったが近い気もするけど。


『口笛も吹けないんだ。いがいだねー』


 伸ばし坊は平たんなこれだった。いつも私に負けてばかりだったから悔しかったんだろう。


『そうだ! ねえ、私が教えてあげるよ。できないあなたに』


『別にいい』


『まあまあ、そんなにいじけなくていいから』


 結果どうなったかって? もちろん今も吹けないまま。時々ネットで探してやってみたりもするのだけどわからないんだよな。あーあ、またまた後悔の連続だよ。あ、その時彼女は嬉しそうにしてたからいいのか。


 そんなこんなで思い出は終わり。耳を澄ましてみると、澄んだ空気を震わせながら一台のエンジン音がガタガタと聞こえてきた。どうやら私が助かるまであと少しみたいだ。このまま死ぬなんて御免だからね。


 久々の人工の音になんだか嬉しくなってくる。

 どうやらエンジンをかけっぱなしらしい。あ、あの子もそうだったな。

 今日は回想デーなのか、昔のことがポンポンと頭に浮かんでくる。走馬灯じゃなかったらいいけど。


 またまた彼女のことだ――あの野暮ったい、自意識過剰気味の子。あなたを見ている人なんて対していないのに、大学になっても馬鹿なままだった。どうして馬鹿はいつまでたっても馬鹿なのだろう……そんなことを思っていた。


『鵺ちゃん?』


 高校からちゃんなんて使ってなかっただろ。


『どうしたの』


『あのさ、あの子のメールって知ってる? いや、そのね。最近飲み会とか合コンが多いからさ……ちょっとだけ私も助けたいなあって』


『そう。たまには、ね』


 私は彼のメールアドレスを送ってあげた。たまには友人ごっこをしておいてもいいと思う。彼女がいてくれた方が、私のきれいさがより引き立つから。


『ありがとっ!』


『そう。あ、飲み会はいいけど合コンには使わないでね。彼、私の彼氏だから』


『……は?』


 彼女はコイのようにぽかんと口を開けた。その時の私がどんな顔をしていたのか分からない――口角を上げる筋肉が少しだけぴくっと持ち上がったことくらい。


 ただボーっと彼女を見ていると。顔が真っ赤になり、今までの彼女が前面に表れていた。


『ふざけんなよ。どうして鵺ちゃんはそんなことするの? ほかの人が嫌がるとかそういうことも分かんないの……ねえ、やっぱり鵺ちゃんはおかしいよ。ね、病院行こ』


 彼女は可愛げに腕を伸ばし、私のコートをつかんできた。どう思ったか……気持ち悪かった。ふざけんなよなんて化けの皮が剝がれたくせに、まだまだ何もない自分を守るなんて。


『ごめん』


 ――とは思ったけど、言わないよ。すると彼女は嬉しそうな顔になった。


『大丈夫。私もごめんね、あんな風に言っちゃってさ』

『あ、』


 顔が変わった。思いつきなんかじゃない、どこか初めから運命で決まっていたような感覚が彼女の体を伝ってアースに落ち、私の体にも流れてきた。


『ねえ、キャンプとか興味ない?』


『行くよ。私も悪かったから』


 彼女は蜜を吸い取ったような顔をした。また明日ねッ! と言いながら、長めのブーツをコツコツと鳴らして歩いていく。彼女の背中にはどこか不思議があった――不思議もへったくれもなくただ馬鹿な背中だけど。


 おっとと、歩くのが止まってた。もう一度耳を澄ませると、エンジンの音はいまだに聞こえる。

 よっしゃあ! とまでは言わなくとも、太ももとパンと叩いて気合を入れた。バキバキに折れてしまったように体が痛む。いやいやいや、こんなことで諦めるなんて。


 少しだけ歩幅を大きくして前に進んでいく。途中こけそうになったが、何とか両足でぐっとこらえた。怖い怖い。

 さっきまで私を包み込んでいた鉄のような空気はなくなり、少しづつだが人の息遣いが感じられるようになってきた。


 地面にはスコップが置かれ、どうやら穴掘りをしていたみたいだ。深すぎると危ないが、まだまだ小さいもので私の足首までしか入らず。カチカチに固められていた。まるでいたずらっ子が隠したみたい。

面白くなって足を入れてみたが、やっぱり固い地面の感触が返ってきただけだった。


 よっし、そう思った瞬間、シャカシャカと何かがこすれる音がしたからやってきた。風かな?……案の定の風は私の髪を持っていこうと引っ張っていく。それこそ強引に一気に持っていく。


 ほんの少しだけ残った体温さえ奪われ、思わずくしゃみが漏れた――ブシュン。寒いなあ。

 あ、見えた。


 私が顔を上げるとアスファルトの地面が見えた。生垣のような低い木をまたがると、そこには駐車場が一つ。そしてピカッとした人口のライトが二つ車から流れてきていた。平安時代の人のような気分になる……天然の淡い光とは全く異なり、どこかあわれを感じない。ふふッ。


 とりあえず運転手は中にいるみたいだ。強烈なライトに照らされてよく見えないけれども。


「すみませーん」


 手を振ってみる。


「すみませーん」


 少しだけ口角を上げ、ほほえみを持つ。

 しばらく待ってみたが、どうも出てきてくれる気配はないらしい。明順応した瞳の中に真っ青な顔をした運転手の顔が反転して映し出される。

 うーん……まあそうか、こんな山の中で急に声をかけられたら驚くよな。


 どうしようか。


「すみませーん。私はその、怪しいものじゃなくてですね。ここがどこか聞きたいんですよ。さっき起きたら記憶がなくなっていて、ここがどこか分からなくて」


「……」


 我ながら余計に怪しい説明だな。

 運転手の彼女は発進することなく、アクセルがそもそも存在しないようにそのままぽかんと口を開け、こちらを凝視していた。一時的な膠着状態が私たちの間に作られた。


 何となく見てみたけれど、お世辞にもかわいいとは言えない顔。

 背中で短くまとめたポニーテールは余計に野暮ったく、いいようによってはダサい。

 服装もそれにしかり、今どきのコーデをまねただけのなんの変哲もない量産型……それはしかるべき人が着るからいいんだよ。


 排ガスを垂れ流す音が山の中に響いていく。汚い。

 このまま膠着しているのも何なので、私からアクションを仕掛けた。

 彼女が座っている側に行き、窓をコツコツと叩きながら、中に聞こえるようなるべく大声で叫ぶ。


「すみませーん。ちょっとだけお借りできればいいんです。窓を開けなくてもいいので、ただここがどこなのか教えていただきたいのですが」


「……」


 何も言わなかったわけじゃない。ただ声が出ないのか、フナのように口をパクパクと開けるだけ。

じっとその顔を見てみると、だんだんと何を言おうとしているのかわかってきた。


……ど、u、し、て。その言葉だけを繰り返す彼女の瞳はカッと開かれている。明らかにおかしい。どう考えたっておかしいでしょ。二十代女がここで困っているんだよ? どうして助けてくれないのか。


 そのことを彼女に伝えようとした瞬間、電流が走ったように彼女は体をビクンと震わせた。

 すぐにアクセルを踏みこみ、まっすぐに進んでいく。

 もちろんこんなところでおいて行かれても困るので私は走るって追いかけるが、彼女は一向に止まろうとしない。


「すみませーん!」


 彼女を乗せた乗用車はすぐに見えなくなってしまった。はあ、困ったもんだ。

 ……私はとぼとぼと彼女が進んでいった道に向かって足を進める。しばらく歩いていると太陽が山の稜線から私を突き刺してきた。


 山の端だったか山際だったか、もうどちらでもいい。とにかく彼女の足跡をたどって冷たいアスファルトの道に足を進める。

道中ほかの車にあったりもしたが、どの車も私が見えていないかのごとく通り過ぎて行った――私が仁王立ちしても突き進んでくるもんだから焦ったよ。


 はあぁ。

 溜息をつきながら彼女の跡を追う。いつの間にか上ってきた太陽は、闇を消し去るかの如く私の頭上に鎮座していた。

 はやく夜にならないかな……彼女がどうなったのか気になるんだけど。


 あ、はは。

 あそこまでしょうもないケンカをしていても、少しだけ記憶喪失だったとしても、どんな時も彼女のもとから離れられないのか……思ったより私は馬鹿なのかもなあ。

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