第3話 柏木恭介
ボードで仕切られた奥には、テレビと冷蔵庫にパソコンデスク、小さい台所などがあり、客が来ない時間は此処で過ごしているのだろう痕跡が見て取れた。パソコンデスクの隣には、先程の台帳のようなものがぎっしりと詰まった書棚もあるようだった。
その奥には木製のドアがあり、男はそのドアを開けるとその中へと促す。
通された部屋は6畳ほどの大きさで、内装は白で統一されこざっぱりとしていた。木製のテーブルと椅子だけが真ん中に置かれており、そこに向かい合うようにして二人で座る。
「えー、改めまして。柏木恭介と申します。宜しくお願い致します」
差し出された名刺には柏木恭介と名前があった。名前の右上に縦書きで、神社省と小さく書かれており、更にその上には家紋のようなものがプリントされていた。真琴には分からなかったが、それは花菱と呼ばれている。
「あ、よろしくお願い致します」
それを社会人らしく受け取ると、恭介が先程と代わらない笑顔でもう一度頭を下げ、真琴がそれに続く。
「早速ですが七瀬さん。確認の意味もこめて、幾つかお話をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか」
「あ、はい。どうぞ」
なすがまま、なされるがまま。真琴はそわそわとした気持ちで、部屋の中をきょろきょろと見回しながら、上の空で返事をした。
向こうはなにやらある程度の事情を理解している様子であるが、こちらは全く何も分かっていない。この店?が何の店なのか、何をしているところであるのか。そしてこの男は何者で何故祖母の名前を知っているのか。それも旧名まで。
おばあちゃんの事を疑うわけでは無いが、もしかすると話を聞かれただけで馬鹿みたいな料金を請求される可能性だってあるだろう。財布の中身を想像すると引きつったように口角が上がった。
「ええとその前に重要事項の説明がありましたか。まず、ご心配される方も多いのですが料金などは一円も発生は致しません。喜捨を頂ける場合は喜んでお受けさせていただきますよ」
良かった。料金は無し。まずは第一関門突破。真琴は内心でほっと胸を撫で下ろす。
「また、川村――七瀬――。……ええと、とりあえずご依頼書の川村様で統一させて頂きますが、川村サク江様からのご依頼としてあらかじめお受けしておりますので、身元証明なども必要ありませんのでご安心下さい」
「あ、はい。有難う御座います?それ大丈夫なんですか?免許証位ありますけど?」
「ええ。大丈夫で御座いますよ。何も知らずにこちらに来られる方は、そうはおりませんので。では、それではこれからお聞きすることには、何も隠さずにお話ください」
「はぁ、分かりました」
きょろきょろするのを止めて、改めて恭介の方へと背中を正して向かい直す。
「何に会われましたか?」
突然の切り出しに真琴は言葉に詰まった。まるでこちらの状況を見透かしているような物言いだ。恐らく真琴の今おかれている状況について、既にある程度の目星は付いているのだろう。
話が早くて助かるのだが、こちらにはあまりにも情報が不足していた。目の前のこの色白な男を本当に信用をしてもいいのだろうか?
ここまできて相談をしないという選択肢は無いのだが、それでもやはり確認をしたいことに代わりはなかった。
「あ、あの。質問を質問で返すのは申し訳ないんですが、そもそもこちらはどのようなことをされているのでしょうか?」
机の下でこぶしを握り締めると思い切って質問をしてみる。恭介は少しの間ぽかんとしていたが苦笑いを浮かべると頭を掻いた。
「これは申し訳ありませんでした。てっきり川村様からこちらのことをご説明して頂いているとばかり思っていました」
「祖母は少し前に亡くなりまして……」
「これは重ね重ね申し訳ありません。お悔やみ申し上げます」
恭介は目を閉じて深々と頭を下げた。
「ではご質問にお答えさせて頂きます。ここ鏡屋は昔で言うところの拝み屋のようなもので御座います。幽霊やあやかし、物の怪等の類でお困りの方に、出来うる限りの解決策をご提案しています」
拝み屋という言葉は聞いたことは無かったが、後半の説明で納得がいった。つまり今回の専門家という訳だ。
「一般的に公にされてはいませんが、神社省の管轄下で我々の様な者が各地域に存在しておりまして、問題が起こった際にはそれを解決しています。御代を頂かないのもこれが公的事業であるためです。下請けではありますが」
なるほど、といった風に真琴が頷いた。名刺の端に書かれた神社省というのはそのためだったのだということか。そもそも神社省などという物の存在すら知らなかった訳ではあるが。と、言うか学校の社会の勉強の時間にも載っていなかった気がする。他の官公庁等は一通り暗記をさせられたものだが、テレビなどでも聞いたことが無い。
「多少特例ではあるのですが、これでも特別地方公務員となりますのでご安心ください」
恭介はそういうとまた先程の笑顔を浮かべた。
「分かりました。有難う御座います」
真琴は語られる内容について理解することを放棄したが、「公務員」という響きはそれを差し置いても、真琴の納得を得られるような悪魔的な効果があるようだった。多分、恭介が詐欺師であればチョロいものだったであろう。幸い、そうではなかったが。
「ご安心いただけたのであれば何よりです」
恭介がその様子を見て小さく頷いた後で、「それでは」と先を促す。
「ええと、一ヶ月ほど前にあそこの廃校になった小学校に、年甲斐も無く肝試しに行きまして……」
それからは学校での出来事からつい先程のことまでを説明した。恭介はなるほどと相槌を打ちながらも、ともすれば妄想だと病院を紹介されそうな内容を、まじめな顔をして聞いていた。
「なるほど。大体の状況は理解いたしました。精神的に不安定な状況もその影女が原因でしょう。だが恐らくあなたの事をおばあさまが守っていたのでしょうね。まぁなんにせよ、人気も無く、無数の思いの残るような場所へ、深夜に好奇心で行かれるのはお勧めできませんが」
つまりおばあちゃんはテレビや本などでもなどでよく聞く、守護霊とかの類となってくれているのだろうか?真琴はどこかで見守ってくれている祖母に向かって心の中で手を合わせた。おばあちゃん有難う。
「差し当たっては、その影女を七瀬さんから落とすのがご依頼の中核となりそうですね」
「柏木さんにはおばあちゃんとか影女とか見えるんですか?」
「いえ、今は見えていません。いわゆるお化けを見るのにもいろいろと条件が必要なんです。ですので今七瀬さんが影女を継続的に見てしまっている状況は、正直なところあまり良くないと言えますね。影女があなたに近づくように細工をしていることが考えられます」
良くない状況、と言う言葉が真琴の顔を曇らせる。やはりあのまま何もしなかったら、何処かに連れて行かれてしまうのだろうか?どちらにせよここに来れてよかったのだと、不安と安堵の混じった複雑な溜息をついた。
「ですのでその原因となるもの、因果を断ち切るために暫くは動くことになりますね」
「え?何かこう、お払いとかしてぱっと終わるんじゃないんですか?」
「……私もお祓いの真似事くらいは出来ますが、それで憑き物落としが出来るわけではありません。それでもやります?無料で良いですよ」
言外に意味は無いですよと言われて、じゃあお願いしますと言えるほどの度胸は持ち合わせておらず、真琴は力なく首を横に振った。
「テレビとかで良くお経やお祈りをしてこれでもう安心です、みたいなやつを想像していたもので……」
「うーん。あれはどうなんでしょうね。もしかすると効果は多少あるのかもしれませんが、元となる因果を断ち切らなければ元から解決したとは言えませんよね。まぁ、気休め程度にはなると思いますが」
「気休めですか」
「そんなところです」
元からテレビでの出来事を信用している訳では無かったが、今後は見る目も変わりそうだなぁと思いながら真琴はうーんと唸った。
「あ、それじゃあ今の私どうすればいいんですか?影女はまだ何処かに居るままなんですよね?」
そして考えはそもそもの問題に戻った。今何とか出来ないという事は、これからもあの影女に怯えながら過ごさないといけない訳だ。おばあちゃんが見守ってくれているとは言えあまりにも心細く、正気を保つ自信は無かった。
「はい。問題はそこです。先程のお話では、影女はその顔が見れる場所まで近づいてきています。恐らくは七瀬さんが感じている通りに、その顔を見せるのが目的でしょう。あの手の存在はこの世界との結びつきが薄いために、自分たちが行いたいことを為すためには、複雑な制限を乗り越える必要があります。まぁ逆説的には面倒な手順を踏まないと、こちらに指一本触れることが出来ないわけですね。ですがそれももう後僅かで達成出来てしまう状態にいる。その顔を見せることで」
恭介の言葉に改めて背筋が凍る思いがした。その、行いたいことが何なのかを、聞くつもりにはなれなかった。
「なのでその影女には、こちら側に来るには乗り越えられないような制限を追加してあげる必要があります」
「あ、盛塩とかそんなのですか?」
「まぁ……、そういうことです。ただ盛塩を常に正しい方位に持って生活をするのは非常に不便ですので、違う形のものをお持ち頂くことになります」
真琴の盛塩発言にやや苦笑しながら恭介は立ち上がると、「失礼します」と言って向こうの部屋に戻っていった。一分もしなかっただろう、恭介が戻ってくると綺麗なビー玉と、どこにでもあるようなプラスチック製の手鏡、子供用のアニメのキャラクターがプリントされた箸一本が乗った、黒塗りのお盆をテーブルの上に置いた。
なんというか非常に突っ込みどころが多いそれらに、真琴は何も言うことができなかった。
「……なんていうか、こう、霊験あらたかな感じじゃないんですね」
ようやく口を付いて出た言葉が掠れていたのは、きっと気のせいではないだろう。だがしかし、我ながら良いフォローが出来たのではないかと真琴には思えた。
「そうですね。器が必要なのではなく、中身が問題ですから。これでも十分霊験あらたかです」
恭介がそうは言うが、良く見てみると子供用の箸に至っては休日の朝にテレビで放送されている、魔法少女物のプリントがされているではないか。霊験あらたかと言われたところで、誰も信用してはくれないだろう。
「箸は私の趣味ではありませんので悪しからず。100円ショップで大量購入してくるだけですので、適当に籠の中に入ったのでしょう」
さらに100円ショップという単語が出てきたところで、もう霊験は何処かに行ってしまっていた。恭介は苦笑しながらそれらを紫色の小袋に入れると、真琴に差し出した。
「一応有料にはなりますが、見た目からして霊験あらたかな物も御座いますよ?車が買える程度の値段にはなりますが」
「いえいえいえ!結構です!」
慌てて紫の小袋を受け取ると、真琴はぶんぶんと首を振った。
「それをなるべく肌身離さずお持ちください。お箸には十分にお気を付け下さいね。お風呂の時には直ぐに触れられる程度の距離にでも置いておいてください。まぁ、ある程度近くにあれば問題はありませんが、万が一ということもありますので。恐らくはそれで影女は近寄ることはかなり難しくなるでしょう。勿論完全に近寄らせないというわけではありませんが、危険を感じるようなことは無くなるはずです」
笑顔を浮かべて説明をする恭介の言葉に真琴は安堵を覚える。想像の斜め上を行くお守りではあったが、残念ながら今はこれに縋る以外は無いのだろう。
「私も後ほどその廃校へ行ってみて現地調査をしてみます。何か分かったことがありましたらご連絡を致しますので、出来れば直ぐに連絡が付く連絡先をお聞きしても宜しいでしょうか?」
真琴は電話番号を恭介に伝えると、一つの疑問を思い出した。
「あの、一つお聞きしてもいいでしょうか?」
「はい。お答えできる範囲であれば」
「おばあちゃんから依頼を受けているって言ってましたよね?それ、どうしてか教えてもらえますか?」
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