『旅の理由』

@JOEmasa

旅の理由

如何に気楽な観光旅行と言えど、旅によって日常の平穏は失われる。

習慣にしていた事は出来なくなり、備えや予定について心を砕かねばならず、文化や言葉の違い等、頭の片隅にはいつも懸念の影がある。

異郷の地では、何をするにも考えなければならない事ばかりで、何もせずとも明日を過ごせる平穏なんてものはない。


旅などしなくてもいい。

生きていくのに、旅など必要無い。

しかしどうして、人は旅をするのだろう。


旅の経験なんてものは、本当にこの身体に残って、僕を変えたのだろうか?

記憶は直に曖昧になり、その区別を失っていく。

僕が見た、あのラス・メニーナスの奇跡的な構図や、ゲルニカの黒の質感や、我が子を喰らうサトゥルスから漏れてくるような叫び声。

それらは既に、自室のモニタに表示される、高解像度の電子データと見分けが付かなくなっている。


サクロモンテの洞窟住居を利用したステージに響いた、フラメンコのリズム。

燃えるような、憎むような、泣くような表情でステップを踏み、合いの手を叩くロマ族達の、魂から絞り出したような苦しみ。

僕はそれを見て、これぞ本物だと思ったものだった。

フラメンコに魅了されて始める者は世界中にいるけれど、彼ら以外は真似事にしかならないだろうなと。

ところが今、僕はそんな言葉の為に、使い慣れた椅子に座って一夜の思い出を辿っている。

そこには本当に、彼らのうねる指先が、よじる身が、見えているのだろうか?


赤茶けた大地に、背の低い緑の木々が延々と立っていた。

新幹線の車体は傷だらけで、駅も街も、小綺麗なんかではない。

灼熱のアンダルシア、あの熱風、強烈な陽射し、アルハンブラのある丘を歩き続けた疲労感、そんなようなものは、この肉体が覚えているような気がする。

とはいえ、それとて僕はもう、物語を紡ぐように言葉にしてしまっている。


世界の反対で、シエラネバダの雄大な景色の中にいた僕は、今ここにいるのだろうか?

どうもそうは思えない。

しかし、僕は旅をした。


それはきっと、話したいからだ。

人は旅で経験した事を話したくて、遠い地へ赴く。

こうしてこの文章を読んでくれている誰かに、いや誰一人読まなかったとしても、言葉にしたい。

何故なら、今手元にあるものの中で唯一本当なのは、僕の中から出てくるこの言葉だからだ。

この言葉を、そしてそれを伝えたいという欲求を獲得する為に、人は旅に出る。


何もかもが変わっていく。

ムーア人によって建てられたモスクも、彼らから国土を取り返したキリスト教徒達によって建てられた教会も、そのまま残っているようで、都度違う人間が、違う時代がその中を通り過ぎ、異なる意志がそれを存続させている。

僕もまた、変わっていく。

そしてその時に持っている本当を、誰かに向けて、言葉にし続けていくに違いない。


2025年7月5日

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