【SAL企画】名のない物語

忍忍 @SAL室長

第1回 【終末世界×紙飛行機×傘】

00

 なんてことのない日常は、何にも変えられないほどに大切なのだ。



01

 事の発端はいつだったか、とある次元で秘密裏に開催された対談だった。

 


「いつか一緒に冒険しよう」



 何気ない会話であり、半分は社交辞令だった。

 しかし、その約束とも言えないやり取りは、それぞれの思いがけない形で達成されることになる。



「くっくっく、なんだここは? ルルに嫌がらせしてたと思ったら訳わかんねえとこに飛ばされたか?」



 洗練された美しい着物に身を包み、腰には刀を携えた女。

 身長は極めて高く、表情からは不安など一切伺えない。

 薄く赤みがかった銀髪が綺麗で、整った顔は誰が見ても振り向くほどに目立っていた。


 この場に、振り向く誰かがいたとしたらの話だけれど。


 彼女の名はミーシャ。

 とある世界では、世界の敵として【七竜人】に名を連ねる強者である。

 彼女たち【七竜人】の目的は未だ明かされていないけれど、彼女たちは目的のために手段を選ぶつもりはなく、嬉々として悪名を世界に轟かせている。


 そして、そのミーシャが今立っている場所。

 もしくは、今は致命的な問題を抱えている。

 

 周囲をどれだけ念入りに見渡してみても、人の気配はなく、それでいて徹底的に破壊のかぎりを尽くされた建造物ばかりに目が行ってしまう。


 その建造物のどれもに見覚えはなく、どのような破壊されたのか、彼女ですら想像がつかない。


 どこまでも灰色の世界。

 瓦礫と硝煙に塗れた景色。



「こりゃ、大陸単位で飛ばされてんのか? ルルの仕返しにしちゃ大雑把すぎるし、何か別の力が働いたか? ま、いっか……魔力は……一応使えるな。くくく、せっかくだ。面白えことは楽しんだもん勝ちだろ」

「……にゃーご」

「あ? 猫?」

「にゃぁ」

「いや、お前何してんだ?」

「……」

「おーい、お前音羽だろ?」



 名を呼ばれた猫は、瞬く間に姿を人型へと変えていく。

 ミーシャとは違う装いではあるけれど、彼女が身につけているものも着物であり、二人が並んで立つとことで、この崩壊が終えようとしている世界から切り取られているかのような、美しい雰囲気を纏っている。

 

 日本で言うところの、大正時代のコーヒーサロンにいる女給のように、硬いレースの白いギャルソンエプロン、黒いリボンがついたカチューシャを着用し、髪はベージュに近い薄茶色で、緩やかな長い三つ編みと、これまた非常に目立っている。


目は大きく、瞳は髪の毛と同じような色



「やはり、あなたでしたか……お久しぶりでございますね」

「そんな経ってたっけか? つーか、ここ何? 音羽がいるってことは、前話してくれた音羽のいる世界ってとこか? まさかこんなに荒れ果ててるとは思わなかったけどよ」

「いえ……残念ながらそうではありません。私もまた別の世界へと喚ばれたようです」

「ふーん、その割には落ち着いてんな?」

「あなたに言われたくはありませんけどね……ふふ」



 二人は、どことなく当たりを散策し始める。

 相変わらず、人の気配はない。

 

 ただ、乾いた空気に時折混じる、肌を刺すような殺気混じりの視線が二人に向けられる。



「見られてんなぁ……くっくっく」

「どうして嬉しそうなんです? 今襲われでもしたら、流石に分が悪いかと思いますけど……」

「安心しなって、そんなに不安ならあたしがちゃーんと守ってやるからよ」

「……」



 二人は視線の発生源を探るけれど、その行動は徒労に終わってしまう。

 探せど探せど成果はなく、それどころか、いつの間にか視線そのものを感知できなくなってしまった。


 ミーシャはふと、目の前にある建造物に目を向けた。

 崩壊していなければ、天にまで届きかねないほどの高さの建物だったのだろう。

 それの周囲を一周するだけでも、果てしない時間を要してしまいそうである。

 

 そして、驚くべきはと言うことである。



「大層、栄えてた文明だったんだろうな……魔法の痕跡はねえが、どの瓦礫も焼け焦げたような痕がある……はぁ、飽きてきたな」

「いや、飽きないでくださいませんか? 結構な緊急事態ですよ?」

「つってもよ、敵がいるわけでもねえし……元の世界に戻る手段もねえ。お手上げだなぁ」

「全く……ミーシャ、こちらについて来てくださいますか?」



 音羽は呆れながらもミーシャを先導し、瓦礫の山を幾つもくぐり抜け、時に地下へ潜り、時に崩れ落ちそうな橋を渡った。

 

 歩いて、歩いて、ひたすらに歩いた。

 ただ黙々と。


 ミーシャは大人しく音羽の後を追うように歩いている。

 普段の彼女なら、いくつかの文句を飛ばすところだけれど、今はそうするつもりはないようだ。

 その理由は、音羽の立ち居振る舞いにあった。


 立ち姿は洗練されており、足場の悪い道であっても止まることなく、軽々と歩いていく。

 ミーシャにとって、その後ろ姿には見覚えがあった。

 彼女が最も信頼する相棒である、ルルーシュ。

 彼女もまた、ミーシャを先導する際、こうして黙って先を歩いていくのだ。


 そして、ミーシャはなんとなくではあるけれど、音羽の背から感じ取っていた。

 

 と言うことを。


 この歩みの先に何が待っているのかはわからないけれど、どんなものが現れるにしろ、ミーシャは期待せずにはいられない。

 

 音羽にバレないように、ミーシャは頬を緩める。


 二人が目的地に着いたのは、すっかり日が暮れた夜になってのことだった。



ここで凌ぐとしましょうか。ミーシャも構いませんか?」

「ん? あぁ、任せるぜ」

「まさかここまで大人しく着いてくるとは思ってませんでした」



 音羽は、慣れた手つきで周囲を整理していく。


 二人が腰を下ろそうとしているのは、崩壊した街から少し離れた場所にある廃れた駅の一つである。


 当然灯りなどはなく、殆ど野晒しであることには変わりないけれど、音羽がここを選んだということには、何らかの理由があったのだろう。

 ミーシャは黙って従うことにしていた。


 粉砕された看板を数枚集め、音羽がミーシャに差し出す。

 

 音羽からは、無言の圧力が放たれている。


「あー、これ燃やせって? そんな怖え顔しなくてもやるって。くはは、お前博臣がいなかったら結構ヤンチャだよな?」

「そんなことはありません……私では物質を直接燃やすには力を使いすぎますので……」

「いいって、役割分担ってやつだ。あたしは何にもこの世界のこと知らねえけどよ……?」

「気付いてましたか……」

「そりゃな、迷うことなく宿に案内されちゃあよ。馬鹿でもわかる……ここに来てどのくらい経つんだよ?」

「さて……もう数えるのをやめてしまいましたが。最後に記憶しているのは六十年と二百七十日が経った頃ですかね。その日からどれだけの年月が経っているのかは、もう私にはわかりませんが……」



 物憂げに、虚な目をする音羽には、どうしようもない疲労感が纏わりついていた。

 

 彼女が元々いた世界で、彼女は式神として主人に仕え、頼もしい友人に囲まれ生きていた。

 【シノノメ】と言うパティスリーを営む主人と共に、製菓に勤しむ傍ら、街で起きる怪奇現象や呪いに対処する生活を送っていたのだ。


 音羽にとって、その生活は何にも代え難いものであり、それを失うなど想像することさえ耐えられないものだった。


 だからこそ、彼女がこの世界に飛ばされた時、彼女は真っ先に主人である博臣との精神回線の確認をした。

 それさえ繋がっていれば、たとえどれだけ距離が離れていようと、彼の元へ戻れると知っていたからである。


 しかし、結果は『反応なし』。

 音羽の絶望は計り知れない。

 周囲の確認も、崩壊した世界も何もかもがどうでもよかった。


 自分自身の存在意義が無理矢理削ぎ落とされてしまった。


 音羽の頭は、絶え間なく回り続け、主人の元へ帰る方法を探し続けた。


 生涯を通して宿敵であり続けた猫魈ねこしょうという妖の仕業なのか。

 主人を苦しめ続けた犬神関連で自分が狙われたのか。

 

 どれだけ考えたところで、ここまでの規模と強大さは、音羽の知識にある呪術とはかけ離れていた。

 その事実が、彼女の心を折るのは至って容易であり、果てしない時間の中に閉じ込められることで、音羽の思考はみるみるうちに閉鎖していってしまったのだ。

 

 それでも、諦めることだけはしなかった。

 虚な目では、何も見えずとも。

 

 奇しくも、この世界の光景は、音羽にとって身近とまでは言わないけれど、それでも全く理解できないものではなかった。

 

 彼女の見解では、この世界の文明は滅んでおり、その原因となったのは【機械生命体】である。

 彼女が過ごした永い時間の中で、彼らとは幾度となく邂逅した。

 そのおかげで、彼女はおおよその情勢図が導き出せていた。


 それに、この世界を越える方法はわからないけれど、それでも何もしないよりは、襲われて戦っている方が気が紛れた。

 何年も、何十年も、そんな日々を繰り返した。


 彼らは、電磁波を操り、金属を纏って行動している。

 その仰々しい機械の中に、誰かがいるのかもしれないけれど、音羽はそこまで調べることはできなかった。

 

 一人では、何をするにも限界があった。

 だから彼女は耐え忍ぶことを選んだのだ。


 ひたすらに待ち続けた。

 

 


 そんな時、灰色の世界に一筋の光が降り注いだ。

 音羽が待ち望んだものかはわからなかったけれど、それを見逃す理由はなかった。


 念には念を入れて、音羽は普段の人型の姿ではなく、猫に化けて近づくことにした。

 そして、彼女が目にしたのは、いつの日か一度だけ対談し、意気投合した妖狐の魔人の姿だった。


 誰にも会えない世界で、ようやく会えた知人の姿に、音羽の心は彩りを取り戻す。

 しかし、だからと言って、そこに手放しで縋るほど、彼女は愚かではなかった。


 目の前に現れた知人が、果たして本人なのか。

 彼女もまた、この世界に飛ばされただけで、解決策はないのではないか。


 様々なパターンを考慮した上で、音羽はミーシャに近付いた。

 流石に、数十年も経っているのだ、忘れられているかもしれない。

 

 しかし、彼女は一瞬で音羽だと見抜き、そこから一緒に行動してくれている。

 

 安心しているのだろうか。

 歓喜しているのだろうか。


 音羽は、ふと隣で魔法と呼ばれる力で、先ほど手渡した看板に火を焚べていくミーシャに視線を向ける。



「ん? 魔法がそんなに珍しいか?」

「……いえ」

「くっくっく、お前猫の姿になれんだろ? 今日は特別にあたしの膝の上で寝ていいぜ」

「な……急に何を言ってるんですか?」

「泣きてえんじゃねえの? ここまで歩いてきて、そしてお前の顔を見て……お前が重ねてきた時間のことは少しだけ把握できた。こういう時はよ、大人しく甘えとけって」

「……生意気な方ですね」

「くはは、褒めんなよ」



 真っ暗な世界に、ポツンと一つだけ、小さな灯りが宿る。

 そこには期待に満ちた表情のミーシャと、その膝の上で丸くなり全てを委ねて目を閉じる一匹の猫の姿があった。



02

 翌朝、音羽が目を覚ますと、ミーシャが好奇心に満ち溢れた表情で覗き込んできた。


「ふしゃーっ!」

「あっはっは! そんなに驚くなよ、別に喰おうとしたわけじゃねえだろ」

「……寝起きにあなたの顔が間近にあったら、誰でも驚くでしょうに」



 飛び起きたついでに、音羽は人型へと姿を変えていく。



「んだよ、それはちぃっとばかり失礼じゃねえか?」

「知りませんよ」

「くっくっく、よく寝れたかい?」

「……」

「くはは」

「……ありがとうございます」



 音羽に合わせるようにミーシャも立ち上がり、身体を伸ばして、空を仰ぐ。


 ミーシャは決して口にしないだろうけれど、音羽はなんとなく理解していた。

 彼女は、音羽が目を閉じている間、ずっと起きて見張りをしていてくれていたのだろう。

 この世界に来たばかりの彼女がである。


 

「今日は、どこ行く?」

「ええ、少しこの世界について……私の知る限りではありますが、共有しておきましょう」

「いいねえ、とりあえず何か食いもん探しに行こうぜ」

「……木が生えているところに行けば、少なくとも何かあるかもしれませんね」

「お前は、食わなくても平気ってやつか」

「ええ、消耗はしていきますけどね……」

「ふーん、じゃあ先にこの世界のことを教えてくれよ。あたしも別に数日くらい食わなくても平気だし」



 音羽は昨日に引き続き、ミーシャを先導しつつこの世界について知っていることを話していく。


 機械を纏った兵隊が定期的に現れるということ。

 それ以外に、生き物らしい姿を見ていないこと。


 そして、この世界で



「雨には決して触れてはいけません」

「……雨?」



 音羽のいう雨とは、空を暗く染め上げ、天から降り注ぐあれである。

 しかし、音羽のいた世界でもミーシャのいた世界でも、雨はただの雨である。



「この世界の雨は、異常なほど呪いを含んでいます……毒というのも優しいほどに」

「……呪い、ねえ」


 

 時の悪戯か、二人の運命か。

 遠くの空で、雷の音が轟いた。



「くはは、ちょうどいい。その呪いってやつを調べようぜ」

「何を言ってるんですか?」

「……お前こそ、何言ってんだよ。呪いってのはお前らの領分だろ? 呪いっつーのは、自然発生する場合と、人為的に発生させられる場合があるはずだろ? つーことはよ、二分の一でってことだろ」

「……なるほど、確かに。、その発生源を辿るくらいのことはできそうですね」



 ミーシャは魔力を解放し、空間に小さな穴を開け、そこから二本、和傘を取り出した。



「これは……」

「くはは、格好いいだろ? 親父の趣味だけどな」

「その格好にしろ、和傘にしろ……ミーシャのお父上は私がいた世界に縁のある方のように思えてしまいますね」

「くっくっく、あたしらが今こうして世界を渡ってんだ。あながち無い話じゃねえかもな」



 ミーシャは、音羽に傘を手渡し、迷いなく雨雲の漂う方角目掛けて歩き始めた。

 音羽としても、先ほどのミーシャの言葉に納得したようで、若干呆れながらではあるけれど、ミーシャの隣へ足を進める。


 二人の足取りは、重くない。

 一度として、共に戦ったことなどない。


 それでも、互いが只者でないことくらいは、容易に想像できる。


 ただし、音羽とミーシャでは、超えてきた修羅場の種類が違う。

 二人がそれぞれ持つ強さは、異なるというわけである。



「ミーシャ、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ん、いいぞー」

「今この場で、私とあなたが殺し合った場合、どちらが生き残ると思いますか?」

「……さあな。殺し合いってだけなら、何の捻りも工夫も余地もなく、私が勝つだろうぜ。だが、生き残るって意味になると微妙かもなぁ。あたしも他人のこと言えねえが、お前……死ぬとかいう概念に当てはまんのか?」

「流石……と言うべきなのでしょう。私は猫又の妖です、魔法というものは寡聞にしてお見受けしたことはありませんが、死なない方法は心得ております。しかし、それはミーシャも同様のようですね。私の持つ手札であなたを殺す手段は思い当たりませんね」



 雑談といえば、雑談。

 目的地に着くまでの暇つぶし。


 それにしては物騒な会話だけれど、彼女たち以外にギャラリーはいない。

 それ故に、ミーシャも音羽も変な気を遣うことなく会話を楽しんでいるようである。


 ちなみに、この会話の最中でも、二人は索敵の気は緩めていない。

 ミーシャは魔力による索敵魔法で、音羽は霊力を薄く広げ僅かな気配すら逃さないように。


 

「おー降ってる降ってる。どうだ? 何か感じるか?」

「いえ、この距離では何とも。ただ、違和感はありますね」

「ほー?」

「あの雨雲、移動しませんね」

「……てことは、アタリか?」

「可能性はありますね」



 二人は同時に傘をさす。

 紅く梅の花があしらわれたミーシャの傘と、紺色に金の牡丹があしらわれた音羽の傘。


 こんな景色の中でなければ、風情があり、とても綺麗だと描写できていたかもしれないけれど、今二人がいるのは、文明が滅び何者かが崩壊を繰り返す世界である。



「この傘には、ありがたーい結界の魔法が張られてるから、呪いの雨程度なら問題なく弾くだろうぜ」

「いささか楽観的に思えますが、他に方法もありませんし……従いましょう」

「そこは、信じましょうとか言ってくれよ」

「……ふふふ」



03

 傘が、パタパタと音を奏でる。

 絶え間なく、無秩序に。



「見事にこの街の中だけ雨が降ってんだな……」

「それに、この雨……どこかへ流れていってますね」



 ミーシャと音羽の気付きは、酷く正しかった。

 残酷なまでに冷静で、その気付きが無ければもっと穏便に過ごせたかもしれないというのに。


 雨は、その街の上から降ってきており、その街だけを湿らせていく。

 執拗に、徹底的に。


 そして、降った雨は、まるで共通の意志を持っているかのように、ある場所を目指して流れていく。

 


「どうする?」

「そんな嬉しそうな顔でこちらを見られても……はぁ……行くしかないでしょう」

「くはは、よぉし! 面白くなってきたな」

「何も面白くはないでしょうに」



 二人は周囲に気を配りながら、水の流れを追っていく。

 そこで、どちらか一人でも立ち止まっていれば、状況は変わっていただろう。


 手に持つ傘に、小さな穴が開き始めていることに、彼女たちはまだ気付けない。


 ミーシャも音羽も、それぞれの世界において、自身を脅かす存在が身近にいたわけではない。

 数々の修羅場をくぐり抜け、強さを手にした者だからこその余裕と油断。

 結界という線をひいたことによる安心と慢心。


 その僅かな境界を、この世界の悪意は簡単に超えてくる。




−−−−−−じゅわ




「あ?」

「おや?」



 反応は同時。

 ミーシャの肩に、雨粒が一つ垂れただけ。


 しかし、その水滴は黒く濁り、ミーシャの着物ごと黒く染めていく。



「ミーシャ!」



 先に叫んだのは音羽。

 しかし、肝心のミーシャは右手一つで音羽の動きを制し、鋭い目つきで牽制してきた。


 まだ動くな、と。

 


「くっくっく、結界に穴開けてきやがった……どんな効果が乗っかってんだぁ?」



 黒く染まっていく着物に興味津々なミーシャに対して、少し距離を取りつつ、戦闘態勢を整える音羽。

 両者の表情はあまりにも対照的だけれど、この状況では主導権はミーシャにある。



「どうですか? 何か異変は?」

「……今んところ特には、いや……あぁなるほどね。こりゃ洗脳とかそっち系だな。精神干渉と精神操作の魔法に似てやがる」

「……大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなさそうか? それよりよ……タネがわかれば動きやすくなっていいじゃねえか」

「……」



 ミーシャは、傘を空間に開けた穴に放り投げ、無防備に雨に中に身を放り出した。



「ちょ、馬鹿ですか?」



 流石の音羽も、その一線は越える気はないらしい。

 しっかりと傘を握ったまま、気が触れたように雨を浴びる相棒を観察する。


 


−−−−−−ぽちゃ、ぽちゃ




 黒い雨が、ミーシャの頬を流れ、着物をさらに黒く染めていく。

 音羽の立っている場所からは見えにくいけれど、ミーシャは不敵に笑っている。


 その様は、まるでようだった。


 刹那、ミーシャの姿が音羽の視界から消える。

 かろうじて、凄まじい速度で移動したことはわかるけれど、その先まで追えない。



「……くっ」



 音羽は霊力を円状に広げ、周囲の感知に集中する。

 そして、知りたくなかった事実と向き合う羽目になる。



「馬鹿、一体何がしたいんですか!」



 音羽が瞬時に傘を投げ捨て、自身の両手に霊力を集め、霊爪を構えていなければ、只事では済まなかっただろう。


 ミーシャが抜いた刀の刃は、音羽の綺麗な髪を数本切ったところで止まっていた。



「本気で斬りにきましたね?」

「……」

「操られてるんですか? 何がしたいのか、まるでわかりませんよ、ミーシャ!」



 音羽は器用に雨を避けながら、建物内へ移動し、ミーシャを誘導していく。

 


「ここなら雨に触れることはありませんが、ミーシャの様子は一向に変化がありませんね……」



 ミーシャは刀を構え、じっと音羽を見つめている。

 対する音羽も、ただでやられるわけにはいかないのだ。

 彼女にも、帰るべき場所がある。


 

「いいでしょう、いつかの約束でしたしね……遠慮などいりませんよね?」



 音羽の体が本来の姿へと戻っていく。

 頭から背にかけて茶色の毛、腹は白く、俗にいう茶白猫。

 尾は二本に分かれ、炎のようにゆらゆらと揺れている。


 妖怪、猫又。



「……死なない程度にはしてあげます」



 その言葉を皮切りに、音羽は目にも止まらぬ速さでミーシャとの距離を詰め、幾度となくその鋭い爪を浴びせる。


 ミーシャも刀で応戦するも、一本では純粋に足りない。


 黒く染まった着物から、ミーシャの真っ赤な血が流れてくる。

 音羽の目には、それなりの負傷は与えたように見えているし、自分の爪に残る感触も間違いなく彼女の肉を裂いたはず。


 しかし、どこか拭いきれない不安が纏わりついて離れない。



「なんでしょう……何かがおかしい?」



 返事は期待していなかった。

 ミーシャは数刻前から黙ったままだし、その彼女を除けば自分しかいないはずなのだから。


 ただの自問自答。

 音羽の主人である博臣も、常々言っていることだ。



「思考はやめてはいけません。本能に任せてばかりでは、獣と同じですね」



 音羽は、目の前の知人にもう一度集中する。

 

 そうだ。

 最初からおかしかった。


 雨を自ら受けたとき、彼女はなんと言っていた?





 その言葉を皮切りに、ミーシャは音羽に襲いかかってきた。


 タネとは?

 それがわかって、次にするべきことは?


 日常的に謀略や策謀に囲まれているわけではない音羽にとって、この辺りの思考は若干浅くならざるを得ない。


 音羽の主人であればまだしも、音羽単体での思考ではその深さまで辿り着けない。


 

「そこまで、あなたが読んでいたとしたら……」



 音羽は、静かに人型の姿になり、血塗れのミーシャに対峙する。

 ミーシャが仕掛けた何かはわからなくとも、彼女のやることに意味があることは理解できる。



「全く……たった一度しか会っていない私を、どうしてそこまで信用するのやら……」



 音羽は、もう一度霊力を周囲に向けて解放し、



「結界というより、とばりのようなものですね。しかし、これで確信いたしました。この世界は呪いに満ちているのですね」



 一瞬、音羽の意識が外に向けられたその狭間を、ミーシャは見逃さない。


 寸分違わず、雷のような速さで、ミーシャの刀は音羽の心臓を貫いた。



「……ふふ、見せてもらいましょうか。こんなことを誰かに言う日が来るとは思いませんでしたが……あとは頼みましたよ、ミーシャ」



 刀が抜かれると同時、音羽はどさっとその場に倒れ込んでしまった。

 それをただ黙って見下ろすミーシャの表情は誰にも見えない。


 ただ、全てが黒く、そして次第に赤く染まっていく。



「−−−−ら、こ−–−−な」



 ミーシャの口が僅かに動いたけれど、その声が音羽に届いているのかはわからない。


 ミーシャは再び一瞬のうちに姿を消して、その場には倒れ込んだ音羽のみとなってしまう。

 

 少し篭ったような雨音が、音羽の鼓膜を優しく揺らす。

 倒れ込んだ地面はひんやりとして、気持ちがいい。


 気持ちがいい?


 倒れた音羽は、勢いよく起き上がると、急いで貫かれた胸に手を当てる。

 式神であり、妖である音羽には血は流れていない。

 四肢が欠損したとしても、時間をかければ元通りにできる。


 しかし、何度確認しても、音羽の胸に傷はなかった。


 代わりに、言葉にできない高揚感が身体の奥底から



「こ、これは……ミーシャが使っていた魔力?」



 音羽の身体に起きた異変は、瞬く間にその力を音羽自身に影響を及ぼしていく。

 霊力は魔力へと変換されていき、音羽の周りを小さな火の玉が浮遊する。



「これが魔法ですか? 想像していたものより、ずっと自由なようですね。それにしても……回りくどいやり方をなさる方ですね」



 自身に宿る魔力の感触を確かめながら、できることを確認していく。


 そして、自然とその魔法にちなんだ詠唱が頭に浮かんでくる。

 しばらく、確認作業に没頭していると、思いのほか時間が経っていることに気が付く。



「ふぅ……さて、ミーシャの支援に向かわなくてはなりませんね。私を騙したお礼は、きっちり返して差し上げねばなりませんからね」



 音羽は小さく笑い、軽く左腕を振り払った。

 炎が舞い、次第に音羽を包んでいく。


 そして、火が消えると同時、彼女の姿もそこにはなかった。


 妖狐であるミーシャ、猫又である音羽。

 人ならざる二人は、ここでようやく足並み揃えてに向き合うこととなった。



04

 音羽が再び姿を成したのは、ミーシャと初めて邂逅した場所。

 破壊の限りが尽くされ、視界の全てが廃墟と化している灰色の世界。


 その場所で、音羽は全身全霊の戦闘態勢でに向き合っていた。



「まさか、こんな訳のわからない世界で、こんな経験をするとは……そうでしょう? もう芝居は十分ですよ、ミーシャ」



 音羽の視線の先には、ただ棒立ちで刀を握りしめたミーシャの姿があった。

 しかし、音羽の意識はへと向けられている。


 日も暮れ始め、辺りが昏く沈む頃合い。


 殺し合うには、最高の舞台。



「くくく、随分早かったなぁ……もうちょい潜っててもよかったんだけどな」

「そもそも、そんな危険を冒す必要なんてありました?」

「おーい、お前と分かれたあと、地味に大変だったんだぞ?」

「それは自業自得でしょうに……」



 ミーシャは、先ほどまでの無表情が嘘のように、豪快に笑った。

 魔力を解放し、目に付くもの全てを薙ぎ払わんと、暴れる気満々の顔で。



「くはは! 行くぞ音羽! 客はもうそこまで来てんだ。あんまり待たすのも失礼ってもんだろ?」

「いきなり呪ってくるような者を客というのかは存じ上げませんが、確かに……これ以上放置するのは失礼ですね。早々に処理してしまいましょう」



 二人が肩を並べて、を睨む。


 

−−−−−−ガチャ、ガガガ



 二人に眼前には、無数の機械兵。

 最初からそこにいたのか、いきなり現れたのか。

 それぞれが仰々しく武装し、一体だけで街の一つや二つは消し飛ばせそうな雰囲気である。


 その中でも、一際大きな機体が一歩前に出てくる。



「キサマタチ、コノセカイニイラナイ。イブツハハイジョスル」



 機体の関節部分が光り出し、蒸気を発して、戦闘態勢であることを示す。



「かーはっはは! 異物は排除だってよ……これ全部壊したらスッキリすんだろうな」

「相手の力量もわからないのに、随分とはしゃぎますね?」

「んなもん、どうでもいいだろ。目の前に敵がいて、あたしにも戦う理由ができた。だったら、何も問題ねえよな」

「はいはい、最後までお付き合いしますとも……あなたに頂いた力とやらも試してみたいですし」

「くはは、最初からそう言えよー。試したくてウズウズしてるって顔に書いてんぞ?」



 二人の歓談は、一発の砲撃によって遮られた。

 当然、目で追える砲弾程度であれば、この二人は難なく避けることができる。

 そして、一度始まってしまえば、二人は容赦無く戦闘に集中する。



 機械兵たちは一斉に動き出し、ミーシャと音羽それぞれに襲い掛かる。



「音羽ぁ! 派手にやりな、あたしが合わせてやるから」

「上から言われるのは、あまり好きではありませんが……確かに魔法に関しては、大先輩ですからね。お言葉に甘えましょう……【紫炎蓮爪しえんれんそう】」



 禍々しい炎が音羽を中心に爆ぜ散り、炎が引火した箇所に凄まじい威力の鎌鼬かまいたちが発生し、それらは機械兵を瞬く間にバラバラに焼き切っていく。


 しかし、それで足を止める敵はいない。

 相手は機械。

 炎に怯えることも、音羽の魔法に恐れ慄くこともない。


 無機質に、機械的に。



「なるほど……今の魔法だと精々一割程度しか削れませんか……ふふふ。ミーシャのいう楽しいという感情が少しだけ理解できてきましたね」



 音羽は、勢いよく地面を蹴り、機械兵の遥か頭上へ飛び上がる。



「私程度の魔法に巻き込まれても、ミーシャは許してくださいますよね? せっかくの機会です……喰らいなさい【月火紅炎げっかこうえん】!」



 眼下に群れる機会兵に向け、音羽は今できる最大範囲の魔法を展開した。

 月を背に、その光をそのまま炎に変換し、視界に映るものをことごとく焼き尽くさんと、月のような球体状の炎で包んでいく。


 音羽の宣言通り、その中にはミーシャも含まれているけれど、彼女は何食わぬ顔で、地上にできた炎の月から出てきていた。


 パチパチと鉄が焼け、機械兵が動けば動くほど、その炎は彼らの機体に纏わり付き、その温度を上げていく。



「なかなかやるじゃねえか」

「そういう割には平気そうですね……」



 空中で、当然のように留まり、緊張感のない会話を始める二人。

 ミーシャはようやく身体が温まってきたのか、機嫌が良く、対する音羽はそんなミーシャの反応が気に食わないのか、若干不服そうである。



「そんな顔すんなって、初めてにしちゃ十分すぎるよ」

「はぁ……もういいです。まだ試していない魔法はありますから」

「くはは、いいねえ。じゃあここからはあたしも参戦しようかね」



 二人はゆっくりと降りていき、炎に包まれている機械兵たちを、刀と炎爪で細切りにしていく。

 しかし、それでも機械兵の数はまだ多い。

 


「音羽、魔法の先達からのありがてえ見本てのを見せてやるよ……」

「それは期待して拝見させていただきます」

「くっくっく、瞬きすんなよ……【紅蓮一葬ぐれんいっそう】」



 一瞬。

 ミーシャは炎の刀に乗せ、瞬く間にそれを振り抜いた。

 その刹那、音羽の目の前に全てが超広範囲に渡り両断されていた。


 音羽の創り出した炎の月も、無数に重なっていた機械兵たちも。

 全てが、一刀にして焼き切られていた。


 ただ一機を除いて。

 一際大きな機体のそれは、二人の魔法を受けてなお、そこに立っていた。



「ヤハリ、キサマタチハキケン。アノカタニタノンデ、ケシテモラウ」



 不可解な言葉を口にした直後、その機体は内包された熱を故意的に暴走させ、強烈な光を発し始めている。



「ちっ……またかよ。はいはい、お決まりの自爆ね。ったく面倒臭え」



 ミーシャは、途端に不機嫌になったかと思うと、無防備にその機体の目の前まで歩いて行き、無遠慮に機体に触れた。


 

「なんであたしばっかりこんな役回りになんのかねえ……」



 ミーシャが触れた箇所の空間が歪み始め、渦巻くように機体ごと飲み込んでいく。

 爆発も飲み込んでしまえば、問題ない。


 ミーシャは、不機嫌そうなまま目の前の機体を闇に飲み込んでしまった。



「はあ……締まんねえな」

「とはいえ、これで目下の障害は排除できたのではないでしょうか?」

「さてねえ……そもそも、あたしはこの世界を救うとかそういうのは御免だし、面白くねえ戦闘はやりたくねえ」

「……では、どうするつもりですか?」



 ミーシャは、スッと空を見上げてを睨んだ。



「気に入らねえ……散々盤上を荒らしておいて、負けるとわかったら自爆なんてよぉ」



 ミーシャの視線の先に何がいるのか、音羽にはわからない。

 それでも、彼女が睨むくらいである。

 何かがいるのだろう。



「音羽、行こうぜ。

「はい?」

「ついでに言うと、もうすぐ帰れるかもな」

「な! どういうことですか?」

「さっき戦ってる最中、あの機械の連中には魔力の糸が繋がってた」

「……糸、ですか?」



 ミーシャは、ただ上を指差す。



「だが、最後の一体になった途端、糸は切れてあいつは自爆を選びやがった。つまりな、最初から……お前がこの世界に来た瞬間から、ずっと観察されてたんだろうよ」

「……」

「どういう原理かは知らねえがな……でもあたしとお前がこの世界の基準をぶち壊しちまったんだ。これ以上はだろ?」

「いや、全くわかりませんけど」

「まあ、騙されたと思って、気抜いて待ってようぜ。あたしの予想では、次に日が昇り切る頃には、元の世界に戻されるだろうぜ」

「ミーシャ……こういう経験があるのですか?」

「あるとは言えねえが、あたしのいた世界も大概無茶苦茶だからな。これはあたしの親父の受け売りだけどよ、らしいぜ」



 ミーシャと音羽は二人足を揃えて、目に付く建物の中で最も高い場所へと向かった。


 登る前は大したことないと思っていても、実際に登ってみると、想像よりも遥かに高かったようで、登り切った二人は目に映る景色に素直に感動していた。



「こりゃ、朝日が登れば絶景なんじゃねえの?」

「日が落ちて、月明かりだけでこの景色ですからね」

「こうしてみると、この世界もまだ完全に死んじゃいねえのかもな」



 感慨に耽るミーシャの傍らで、音羽は思い出したように着物の袂に手を入れ、筆と紙を取り出した。

 この世界に来て、どれだけの時間が立っているのかはわからないけれど、ミーシャはその時間に終わりが来ると言った。

 であれば、彼女と過ごす時間にも終わりが来るということである。



「何してんだ?」

「ランタン飛ばし……の真似事です」

「ん? どういうこと?」

「私のいた世界では、願いを紙に書いて空へ飛ばすという祭りが至る所で催されているんです。あなたにそうする必要があるかは微妙なところですが、こうしてこの世界で出会えたことにも、何か意味があるのかもしれません。もし、そうであれば……私は覚えていたいのです。永い時を生きてきましたけれど、人との縁を大切にするようになったのは、最近のことです。出会いも別れも、偏にその関係の形でしかなくて、そこに想いや記憶が絡まることで、私はそれを未来に連れていけるのだと思うんです」



 音羽は、筆を墨に付け、ぎこちない手つきで文字を紡いでいく。

 ミーシャも、興味深そうにその様子を見守っている。


 しばらくして、音羽はを描き終えたようだ。



「それ、なんて書いたんだ? 当たり前といえば当たり前だけど、あたしにその文字は読めねえ」

「そうですね……言葉が通じるので疑問に思いませんでしたけど、それはそうですよね」



 音羽は、スッとミーシャに近付き、紙に書いた文字が見やすいように月明かりに照らしてみせた。



「私が大切に思うすべての人の明日が、今日よりも良いものになりますように」



 穏やかで、優しい声が月夜に消えていく。

 音羽もミーシャもしばらく黙ったまま、月を眺めていた。



「よかったら、ミーシャも書いてみませんか?」

「いいのか? 何書こうかな」



 まるで子どものように目を輝かせるミーシャに、音羽はいつの日かの主人の姿を重ねていた。

 

 ミーシャにしても、音羽にしてもこの世界に留まる理由はない。

 二人には、それぞれ立つべき舞台が既にあるのだ。


 その舞台が、今もまだ残っているのであれば、音羽は迷わず帰りたいと願うだろう。

 主人である博臣も、心置きなく話せる親友の弥生も、生意気な同僚である武揚も。

 音羽にとって、かけがえのない縁であり、大切な繋がりなのだ。


 

「書けたぁ!」



 ミーシャは勢いよく筆を走らせ、自慢げにその紙を音羽に渡してきた。

 二人は触れ合えるほど近くに、並んで座っているため、あまり勢いよく渡されると、押し倒されてしまいかねないのだけれど、ミーシャはあまり気にしていないようである。



「ふふふ、何と書いたのですか?」

「くはは、久しぶりだよ。こういうことをすんのは」

「ふむ、やはりそちらの世界の文字は読めませんね」



 ミーシャは、小さく息を吸う。



「音羽の願いが叶いますように! だ……くはは」



 想像していなかったミーシャの願いに、思わず呆気に取られる音羽だったけれど、その表情はミーシャにとっては最高の反応だったのだろう。

 大いに笑い、嬉々として茶化す。



「全く、本当に読めない方ですね……」

「いいんだよ……あたしが叶えたい願いはもう半分くらい叶ってるしな。んで、これを飛ばすんだろ?」

「え、ええ。ランタンにはできませんから、紙飛行機にして飛ばしましょうか」

「カミヒコウキ?」

「折り方を教えますから、真似してくださいませ」

「おう」



 二人は、月明かりに照らされながら、楽しそうに紙飛行機を折り、それからしばらく互いのことを話し合った。

 

 若い頃の話や誰にも言えない話、荒れていた頃の話やこれからの話。

 

 この世界を離れてしまえば、ここで二人が語ったことは誰にも知られないままとなるだろうけれど、それでも二人はきっと誰にも話すことはないだろう。

 

 どれほど話しただろうか。

 空は明るく白んできて、小さく朝日が地平線の先に見え始めている。



「じゃあ、そろそろ飛ばすか」

「ええ、魔力を使えばかなり遠くまで飛ばせそうですね」



 二人は、自身が折った紙飛行機に魔力を通し、その旅路を確かなものとして、そっと優しく空に放った。



 崩壊して、荒廃し尽くした世界に朝が来る。

 二人は、次第に小さくなっていくそれぞれの願いをただ黙って見届ける。



「これで、何事もなく今日が始まったら結構恥ずかしいですね」

「心配すんなって……ほら」



 まるで示し合わせたかのように、音羽とミーシャの身体が光に包まれ始める。



「ミーシャ、お別れですね」

「くはは、何しんみりしてんだよ。あたしとお前の縁だぜ? どうせまた会えるに決まってんだろ」

「ふふ、そうですね。ミーシャ……とても楽しい冒険でした」

「おう、そりゃよかったな」

「魔法というのも、良かったです」

「だろ? 音羽はあたしに似てると思ってたんだよ」

「少々羽目を外しすぎた気もしますが……」

「いい顔してたぜ?」

「次会うときは……」

「くっくっく、今度は決着つけようぜ」

「ふふふ、ミーシャはそればかりですね。では……」



「あぁ、またな」



 直後、世界から二人の存在は完全に消滅した。

 その後、二人がどうなったのかを観測する術はない。



 ただ後日談として、ほんの少しだけ二人の様子を記すとするのであれば、ミーシャは仕事をサボっていたとルルーシュにこっぴどく叱られ、音羽は長い昼寝だったなと主人と友人たちに茶化されたそうだ。


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