第2章「公園の地図と、防空壕の痕跡」
夢が始まって一年半ほど経った頃。
僕は、ある“変化”に気づき始めた。
赤いワンピースの女が
ほんの、ほんの、わずかに。
近づいている。
けれど、その距離の縮まり方は、
子どもの僕の世界では説明できないほど“微細”だった。
例えば、縄跳びの一回分。
歩幅の半分よりも短い。
そういう、半端な変化だった。
ある朝目覚めたとき、僕は強烈な違和感を覚えた。
夢の女の立っている位置を思い返そうとした途端、
昨日と違う位置に立っていたと気づいたのだ。
でも、どれくらい違っていたのか、明確には言えない。
ただ、確実に“距離が縮んでいる”のだけは分かった。
夢の中では気づかない。
けれど、起きたあとに思い返すと、わずかに位置が違う。
それが、次の日も、また次の日も連続して起こった。
「……なんか、変だ」
僕はとうとう、現実の公園で確かめてみることにした。
■ 現実の公園を“地図”として見る
学校から帰ると、ランドセルを放り投げて公園に向かった。
夕方。
夢と同じ時間帯。
鉄棒は冷たく、ブランコの金具が微かな音を立てる。
でも、夢の中ほど整った景色ではなかった。
現実は、乱れがある。
芝生の濃淡、落ち葉の散り方、砂利の荒れ。
それが妙に安心した。
夢の中は
“整いすぎていた”ことを実感した。
僕は地面に棒を使って地図を描いた。
滑り台の位置
ブランコ
ベンチ
出入り口2つ
女が立つ“右側の門の前”
「……ここだよな」
夢と現実の両方の景色を一致させようとして、
僕は何度も描き直した。
そのとき、背後から声がした。
「お前、何してんだ?」
同じ団地に住む、2つ上の男の子だった。
僕は適当にごまかした。
「え、あ、別に……地図描いてただけ」
「地図? こんなとこで?」
「うん……夢の、場所が……変わるから……」
言ってしまってから、僕は「あ」と思った。
馬鹿にされる、と思った。
でも、彼は意外な顔をした。
「夢の話……?」
「うん……毎日同じ夢見て……」
「お前もかよ」
「……え?」
「いや……いいや。なんでもねぇ」
そう言って彼は行ってしまった。
僕はそのとき意味が分からなかったが、
後に、この“なんでもねぇ”が
とんでもない伏線だったと知る。
■ “防空壕”という言葉
その日の夜、夕食を食べていたときのことだ。
何気なく、母に公園の話をした。
「今日、公園の地面に地図描いて遊んでた」
「またそんなことして……よその家の人に怒られちゃうよ」
「……ねぇ、
公園ってさ、昔からあったの?」
母は箸を止めた。
「ああ、あそこね。
おばあちゃんの時代は、ただの荒れ地だったんだって」
「荒れ地?」
「うん。もっと昔はね、
防空壕があった場所なのよ」
僕は箸を落としそうになった。
「……防空壕?」
「そう。戦争のときの避難場所。
今の滑り台の下あたりに、
入口があったらしいよ。
戦後に全部埋め立てられて、
今の公園になったんだって」
僕は凍りついた。
夢の中で赤いワンピースの女が立つ出入り口
滑り台の横。
現実でも、
防空壕の入口跡がその近くにあった。
偶然じゃない。
そう思った。
子どもながらに、
胸の奥に“冷たい手”が触れるような感覚が走った。
夢に出てくる女と、
防空壕。
関係なんてあるはずがない。
けれど、僕の中では
ふたつは強烈に結びついてしまった。
■ 夢の“距離”の異変
その日の夜。
僕は寝たくなかった。
でも、子どもは疲れると寝てしまう。
気づけば、夢の中にいた。
公園。
夕方。
滑り台。
ブランコ。
ベンチ。
二つの出入り口。
そして右側の門には
赤いワンピースの女が立っていた。
でもいつもと違った。
近い。
明らかに、昨日よりも。
一昨日よりも。
一週間前よりも。
確実に近い。
昨日までは、
出入り口の枠の中、
門の“向こう側”の線に立っていた。
しかし今日は、
枠から半歩分、こちら側へ踏み出していた。
ほんの数十センチ。
けれど、その差は決定的だった。
僕の足が動かなくなる。
視線が刺さる。
胸が締めつけられる。
女はまだ俯いている。
顔は見えない。
でも、視線だけがまっすぐ“僕”を向いている。
その瞬間、心のどこかで理解した。
これは“偶然の夢”じゃない。
何かが目的を持って、近づいてきている。
そして目覚めたあと、僕は確信した。
あれは夢の中の存在ではない。
僕の無意識が作り出したものではない。
あれは
僕を“見ている”何かだ。
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