人見知りな私が、伝説の落語家幽霊とVTuberになってバズった件
ぴざ食べたい
第1話 画面の中の蜃気楼
スマートフォンの画面だけが、私の世界に色彩を与えていた。
時刻は二十時。遮光カーテンの隙間から漏れる街灯りが、勉強机の上に散乱した参考書と、剥がれかけた風景画のポスターを頼りなく照らしている。
朝日奈結衣(あさひな ゆい)は、ベッドの上で膝を抱え、掌の中の小さな発光体を凝視していた。画面の向こうでは、数万のコメントが光の奔流となって流れ落ちている。
静寂。心臓の音だけが、やけに大きく耳の奥で響いていた。
画面の中では、無数のコメントが滝のように流れ落ちていく。《待機》《wktk》《REIちゃんまだー?》
同時接続者数、二万三千人。私が通う高校の全校生徒を十回集めても足りない数が、たった一人の少女の登場を待ちわびている。
テレビ番組でもなければ、アイドルのコンサートでもない。これから始まるのは、たった二人のVチューバ―による、雑談配信だ。
私は、その二万分の一の、名もなき一点だった。ごくり、と喉が鳴る。
「――皆さん、お待たせしました! こんばんは、REIです!』
カウントダウンがゼロになった瞬間、画面が一気に光に満ちた。洗練されたエレクトロサウンドと共に、きらびやかな仮想空間に一人の少女のアバターが舞い降りる。銀糸のように輝くロングヘア、アメジストを思わせる紫紺の瞳。未来的なデザインの白いドレスを身に纏い、腰からは純白の羽根。その姿はまるでデジタル世界に舞い降りた大天使のようだった。
大手Vチューバ―事務所『ヴァーミリオン』が誇る人気Vチューバ―、『REI』。
チャンネル登録者数は、間もなく百万人に届きそうだ。
「今夜は月曜日から夜更かしスペシャル! なんと、あの方をゲストにお呼びしています! 『ブリッツ・ゲーマーズ』所属、豪腕スナイパーのKAIさんです!」
玲奈が華麗に腕を振ると、隣にワープするようにしてもう一人のVチューバ―が現れた。黒いライダースーツに身を包んだ、赤いメッシュの入った短髪の青年。FPSゲームで名を馳せる人気ゲーマー、『KAI』だ。彼の登場に、コメント欄はさらに爆発的な速度で流れ始める。
《きゃああああああ!!》《神コラボ!》《運営ありがとう!》。歓喜の悲鳴が、文字となって画面を埋め尽くす。
私は、その熱狂の奔流を、ただ呆然と眺めていた。「すごい……」漏れた声は、誰に聞かれることもなく部屋の闇に溶けていく。まるで、夢のような世界だった。自分が生きる現実とは、あまりにもかけ離れた、輝かしい場所。
「さて、本日の企画は『AI VS 人間! 次に来るバズワード大予測』です! 私が頼りにする最新分析AI『プロメテウス』が予測したワードと、KAIさんがゲーマーの勘で予測するワード、どちらがより視聴者の皆さんの心に響くか、対決といきましょう!」
REIが進行する企画は、常にトレンドの最先端を捉えていた。
彼女自身が話術に長けているのはもちろん、視聴者を飽きさせない巧みな企画構成、コメントを拾うタイミング、BGMの切り替えに至るまで、全てが完璧に計算され尽くされている。まるで、一流のオーケストラの指揮者のようだった。
KAIも彼女の術中にはまり、持ち前の明るいキャラクターを遺憾なく発揮して、トークを盛り上げている。
私は、画面の中で繰り広げられる配信にただ圧倒されていた。自分とは、あまりにも違う。
クラスの自己紹介ですら、声が震えて何を言っているか分からなくなる。友達との雑談でも、気の利いた返し一つできず、愛想笑いを浮かべるばかり。アドリブや雑談が、死ぬほど苦手だった。
画面の中のREIは、どうだろう。彼女は、何万人という人々を前にして、淀みなく、楽しそうに言葉を紡いでいる。視聴者のどんなコメントにも即座に反応し、ウィットに富んだ返しで笑いを誘う。それは私にとって、魔法のようにしか見えなかった。
「あはは、KAIさん、そのワードは要注意トピックですよ? AI的には非推奨ですね」
「うっそ、まじか! 危ねえ……。じゃあこっち! 『〇〇しか勝たん』の上位互換、
『〇〇しか神』!」
「面白い! そのワードのポテンシャル、AIに分析させてみましょう! …出ました、十代二十代への訴求力92%! これは高い!」
二人の会話が弾むたび、コメント欄は加速し、スーパーチャットの通知が画面を彩る。赤や金の帯が流れ、数万円単位の金額が惜しげもなく投げられていく。それは、画面上のエンターテインメントに対する、最も直接的で熱烈な賞賛の形だった。
私は、ふと自分の将来を思う。このまま高校を卒業して、大学に行って、どこかの会社に就職する。きっと、その他大勢に埋もれて、誰の記憶にも残らずに生きていくんだろう。誰かを笑顔にするどころか、自分の存在価値すら見出せないまま……?
「私も……あんなふうに……」
なりたい。輝きたいなんて思っちゃだめだ。どうせ無理だと、自分自身が一番よく分かっていたから。
配信はクライマックスに差し掛かり、KAIとの勝負はREIのAIが勝利した。
「はい、おしまい! KAIさん、私のチャンネルの視聴者はこういうのが大好きなんです。これも全てデータに基づいた最適解ですよ」
「いや、参りました。REIちゃん、あんた最高だよ」
「相手がKAIだからですよ。盛り上げ上手ですね♡」
あっという間の一時間が過ぎ、エンディングの音楽が流れ始める。
「皆さん、今夜も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。KAIさんも、本当に楽しかったです!」
「こちらこそ! マジで秒だったわ」
「来週は、私の活動三周年記念配信を予定しています。皆さんが見たことのないような、最高のステージをお約束します。これからも、REIとKAIをよろしくお願いしますね」
REIは深々とお辞儀をした。その姿に、コメント欄は《おつかれさま!》《最高だった!》《3周年待ってる!》という感謝と期待の言葉で溢れかえった。
画面の隅に今日の配信をリアルタイムで評価するAIスコアが表示される
。
【総合スコア:82.4点】
・トーク構成:S
・視聴者エンゲージメント:A+
・テンポ/間:A
REIの配信は、常にこのスコアで80点以上をキープすることで知られていた。それは並大抵のことではない。Vチューバ―界の常識では、80点を超えれば人気V、90点を超えればトップVの領域とされているのだ 。
そして、ぷつり、と。
祭りは終わり、画面は真っ暗になった。チャンネルのトップページに自動で遷移し、次の配信予定のサムネイルが表示されている。
私の部屋に、再び深い静寂が戻ってきた。さっきまでの熱狂が嘘のように、耳が痛くなるほどの静けさ。スマホの画面には、照明の消えた部屋で、ぼんやりとした表情を浮かべる自分の顔が映り込んでいる。冴えない、何の取り柄もない、ただの女子高生。
「はぁ……」
大きなため息が漏れた。画面の向こうは、夢のような世界。でもそれは、手を伸ばしても決して届かない、蜃気楼のようなものだ。憧れれば憧れるほど、自分の無力さが、平凡さが、どうしようもなく浮き彫りになる。
壁に立てかけた姿見には平凡でどこにでもいそうな黒髪の少女が映っていた。
「誰かを笑顔に、か……」
自嘲気味に呟く。
そんなこと、自分にできるはずがない。
自戒の気持ちと裏腹に、まぶたの裏に焼き付いた熱狂が、私の心臓をドクドクと打ち鳴らしていた。
――これは一人の少女、結衣が最高のエンターテイナーへと至る軌跡。
この小さな部屋で物語の幕が、静かに上がろうとしていた。
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