量子人格 ~ Quantum Persona ~

武論斗

量子人格 ~ Quantum Persona ~

 深夜、いつもの編集部は、誰もいないのにざわついていた。


 すでに流通していないにも関わらず、あいも変わらず蛍光灯のまま、そのチラつく白っぽい光に照らされた室内は、原稿と資料、缶コーヒー、電子タバコの乾いた匂いより、型落ちのパソコンとサーバ類のかなでる低いうなりが支配し、いらつかせる。

 ここ数日、特に人がいなくなると、その雑音おとが妙に生々しく聞こえてくるのは、疲労のせいか集中力の途切とぎれか――いや、気にしすぎか。


「最近、らしくない・・・・・な、お前の記事」


 編集長に云われた何気なにげない一言。

 注意をうながされた訳じゃない。発破はっぱを掛ける意味合いとしての指摘、恐らくその程度。

 だが、その言葉がやけに脳裏をぎる。

 自分らしさ・・・・・、が記事に出せていない――編集長の目からは、そう見えているのだろう。

 なんとも云えぬ、あせり、を覚える。


 俺、真倉 光久まくらみつひさは、机に散乱する事件資料をもう一度き集めた。


 『精神科病棟連続殺人事件』と名付けられた連続猟奇殺人。医師一名、看護師三名、入院患者十三名、同僚三名、警備員一名の21名を殺害した病院清掃スタッフによる凄惨せいさんな事件。

 容疑者は二十代の男、発表では離人症りじんしょうしくは解離性かいりせい障害で“十人以上の人格・・を持つ疑いがある”という精神鑑定の経過途中で消息しょうそくを絶った。

 容疑者宅には一度だけ立ち寄った形跡けいせきがあった――飼い猫へのえさやり。


「ペットを飼っていたのか。

 その愛情を、少しでも他人に向ける事ができれば、な……」


 容疑者の孤独さがにじみ出ている、そう感じた。


 事件を追う中、ウチの編集部が試験導入した新型AI――《QU-EN(クーエン)》。

 佐野さんせんぱいかじ取りして導入した業務サポートAIで量子情報理論Quantum Entanglementに基づいた最新鋭のモデルだとか。

 俺はこっち関係はサッパリ。その理屈も知らなければ、理論も分からない。

 ただ、入力をすればそれは速やかに応えてくれる。記者にとっては都合の良いツール、その程度。


 そのQU-ENが、“奇妙”な出力を始めていた。


 “主体・・”がブレている。

 認識していないダレかが勝手に書き出したような、“狂悖きょうはい”な文体が時折ときおり混じる。

 それが事件資料と共鳴リンクし始めている。


 ……気のせい・・・・、か?


===============


「真倉。お前、今日も帰らねぇのか?」


 背後から、声。

 振り向くと、デスクの資料の山越やまごしに、編集部の先輩でありベテラン記者の佐野さのが立っていた。

 だがその表情は、昨日迄の佐野とはどこか違って見える。

 やつれている?

 心なしか、声の高さが半音ほど低いような。

 比較的、観察眼には自信がある。インタビューを聞き逃さない為、耳をそばだてる癖もある。だからこそ気付く違和感――とっても、俺以上に疲労していておかしくない佐野に、必要以上の関心を抱くのも無理筋な話。


「もう少しでまとまりますんで。はんに――容疑者の動機に抜け落ちている箇所がある気がして……」


「――“気”がするだけだろ? 裏の取れていない憶測に想いをせてどうする?

 お前、寝不足で頭のネジ、外れてるぞ」


 軽口の心算つもりなのは分かってるが――

 いつもと違い、

 ――笑えない。

 ああ、余裕がないのは俺本人。よく分かってる。愛想あいそうもない。何より俺自身、他愛たあいない。


「佐野さん……容疑者の多重人格、何か感じませんか? 誰かに“書かされている・・・・・・・”みたいな」


「書かされてる? なんだそりゃ?」


「容疑者の多重人格……解離性かいりせい同一性どういつせい障害なんですが、調べれば調べる程、第三者の意志によって書かされている――要は、上書きされているような気がして……」


「おいおい、記者がそんな“眉唾オカルト”に逃げんなよ」


「いや、まあ、そうなんですが――」


 ――云い掛けて、声がまる。


 “最近、自分の書く文章のクセが変わってきている。”

 確証はない。だが、事実、だ!

 文体の流れ、呼吸、詞藻しそう、比喩の癖……何より、視点!

 長年記者をやってきた自分の“文体”が、どこか俺ではない何かに毒され浸食されている――いや、ナニかに近づいている。

 他の記者、ライター? どこかの小説家? 同僚? それとも、佐野?

 誰かのテキストを参照しているような、引用しているような、そんな奇っ怪な感覚、漠然ばくぜんとした焦燥感、かすかな不安感。


「――心療内科にでも行っとけ。いいから少しは寝ろ。頭がバグッてるぞ?」


 佐野はそう云って笑い、フロアを出て行った。

 その背中を見ながら俺は、何故か“確信”した。


《佐野さんじゃ、ない・・!》


 表情が“り付いて”いるようだ、そうテクスチャー。

 声の抑揚よくようとぼしい、まるで下手なボカロのように。

 これまでの会話、テキスト読み上げソフトで音声化したような無機的不自然さ。ずんだもんですら、今の佐野より感情豊か。


 ナニか・・・がおかしい!


 仮にAIが生成した声と、人間の声との違い。

 その境界線は、案外こういうところに出るものだ、多分。

 “気味きみが悪い”……

 いや、気味が悪いってのは――

 ――俺自身に対して。

 こんな珍妙な考えに思いをめぐらす、そんな自分が薄気味うすきみ悪い。


===============


 深夜二時過ぎ。


 矢鱈やたら、鈍い音が壁の向こうから響く。

 編集部の奧にあるサーバルーム。ふと、気になって扉を開くと、いつも以上に室内の冷気がほおを刺す。

 ラック最奥に設置された大型端末、それがAI《QU-EN》のコア。

 編集部かられ差すあかりを辿たどり、今迄触った事もないQU-ENのモニタを覗き込む。その大型ディスプレイをけると、ツヤのない黒背景に鈍色にびいろに輝く緑字のログがにじみ出す。


『<QU-EN: observation_log_315>

 ——“観測者:真倉 光久”

 ——“思考偏差、拡大”

 ——“当該とうがい資料融和率:76.2%”

 ——“境界不安定化確認中……”』


「!? なンだ、コレは!!!」


 思わず、声に出した。無論、反応などない、期待もしない!

 そう思った刹那せつな――


『——“入力者が観測者自身である可能性:29.8%~61.6%±3.5%”

 ——“観測/入力の区分は、量子レベルでは<無意味ナンセンス>”』


 なッ!?

 応答した!

 誰に? 俺の声に??

 背筋に冷たい汗が流れる。


「事件に……事件のことか?」


『——“因果いんがの区分は破綻している。”

 ——“観測者が容疑者を追っているのか、容疑者が観測者を招いているのか。”』


 ……理解が追いつかない。

 容疑者が観測者を招く?

 一体、なにを??


 ……確かに、それは“多重人格”、解離性同一症Dissociative Identity Disorderの成立条件にも近しい。

 複数の人格を知見するには、観測と解釈、考察と見解が必要不可欠。

 診断者や観測者がいなければ、多重人格は“診察/観測されずに存在しない”可能性がある。認知されなければ、存在し得ない、そんな機微ニュアンス

 逆に――観測される事で人格が形成されるなら、俺が容疑者を思い浮かべる度、そいつ・・・の人格は増える、とも云える。


 ――いや、馬鹿馬鹿しい。


 時系列が逆だ。

 事件を知り、その報道をすべく記事をしたためる。その為に今、俺はこうして調べている。

 精神鑑定の最中、姿を消した容疑者を追う、それが始まり。

 会社の指示、俺の意志。容疑者に仕向けられた訳じゃない!


 だが、AIは表示を続ける、機械的に。


『——“真倉 光久。貴方アナタうに〔多重集合的人格ペルソナ〕を並行して保持し、可変している。”

 ——“それ・・に気付いている。気付きたくないだけ。”

 ——“文章の癖の変化、それこそ分岐点・・・。”』


 ハッ――

 息が詰まる。

 喉がける程に乾く。唾を飲む事さえ忘れていた。

 ――図星。


 やめろ!

 巫山戯ふざけるな!


 何故、AIが。

 ただのAIの出力が、何故にこうも胸に刺さる?

 いつ入力した?

 メモか、メールか、社内SNSか。

 いや、デジタル資料を読んでいた時のカーソルの動き、クリック……ヒートマップ?

 WEBカム? 監視カメラ?

 スマホか、スマホからか?

 俺の行動。そのアクション。

 まさか、俺がられていた?


 ――違う。


 AIが出力した無機質なテキストを、俺がそう・・思い込んでいるだけだ。そのテキストを“観た”からこその疑義。能動性、その選択肢は俺自ら選んだ自由意志。

 誤解ミスリードかどわかされるな。

 お前は記者だろ、真倉! コピーを拡大解釈するな! 事実を、実態だけを見抜くんだ!

 高熱にうなされた時に見る悪夢、若い時の無敵感や妄想、資料不足を補う記事での私見。そう、全ては俺の想像力が創り出した思い込み、寝言のたぐい

 疲れている、しかし、気を張っている。それ故、過剰に反応しがち、それだけ。

 古い言葉を借りるなら神経症ノイローゼ……軽い不安障害におちいっているのかも知れない。


 佐野の助言通り。

 この記事を終えたら、心療内科に行ってみるか。


 ただ――


 俺は自分の書く記事が、その文章が、

 自分の考えが、思いが、

 自分さえもが、


 “自分だけのモノ・・ではない気がしてならない。”


===============


 事件の資料に戻る。


 容疑者の名――久布施くぶせ れい

 二十四歳。

 残虐な手口、目をそむけたくなる程の異常なり方で21人を殺害後逮捕、起訴前本鑑定留置中の病院から逃走、將亦はたまた失踪しっそう

 そして、驚くべき事に突如とつじょ、編集部宛に投書を送りつけてきた。


 その投書を受け取ったのが――俺。


 投書にあった殴り書きは、どういう訳か、“俺の文章”、と似ていた。

 いや、俺の書く文章のほうが、後から似てきたと云うべきか。

 それ程に峻烈しゅんれつ。長年記事をあつらえてきた俺さえもが影響を隠しきれない、も言われぬ圧倒的な文才――いや、俺の好みの文体。

 なんなんだ、この久布施という容疑者は?


 一呼吸おいて資料をめくる。

 久布施は警察の取り調べ中、不意ふいにこう呟いたと記録がある。


「調書にはナニを書いているのですか? 書きたいのですか? 書かされているのですか?

 ワタシを書きたいのですか? ワタシが書かせているのですか?

 どちら・・・ですか?」


 直後、彼の人格は切り替わり、あるいは、切り替わったていで、まったく別の声で、しくは、声色を作って、続けた。


 「ているのは“どっち・・・”だ?」


 ――ゾッとした。


 久布施は他人ひとの“目”と因果律を気にしている。

 しかし、何故?

 第三者の目を意識するのであれば、このような大事件を起こすべきではない。

 結果に至る原因を気にするのであれば、そんな事案を起こすべきではないのに。


 迷惑系YouTuberのようなものか?

 ――いや、違う。

 彼等は広告収入と登録者数を求めているだけ。その為の再生数稼ぎ、注目を欲しているに過ぎない。

 では、炎上系インフルエンサー?

 ――これも違う。

 承認欲求を満たしつつ、フォロワー数とインプレッション数を伸ばし、その結果、案件を求める、利益の為に。

 人生を棒に振ってしまう破滅型の久布施と境界線を攻めて損切そんぎりし、殊更ことさらに純益を求めるSNS界隈かいわいのユーザーとは全く異質。

 浅はかさと云う点では同義。だが、動機が分からない。


 噂されている動機としては、働き先である精神科病棟でのストレスやトラブル、友人・知人がいない事からの孤独、新興宗教二世の母子家庭で親子関係が冷え切っているという環境、学生時代に過酷ないじめにあっていた事実、金銭的な余裕が皆無――どれももっともらしい。

 しかし、どれも“腑落しっくり”こない。


 そう――

 あの、“仔猫”だ。

 せていた。痩せ細っていた。

 今にも息絶えそうな、あの仔猫。

 何かしらのストレスでふわふわな毛はまばらに抜け落ち、あばらが浮いていた。

 ガリガリに窶れた“アイツ・・・”は、そのギョロっとした目を潤々うるうるさせ、俺をたよった。


 だから、連れて帰った――

 こんな不甲斐ふがいないワタシですら頼ってくれる存在もいるんだ、と。それが妙に心地良い……

 ――待て。

 頼ったのは、私か?


 えっ!?

 何を思い出したんだ、俺は?

 仔猫?

 仔猫って、なんのことだ!

 なんの記憶だ、これはッ?


 ブン――

 デスク上のスリープ状態にあったモニタが、不意に点灯、起動する。

 ディスプレイにポップアップされたウインドウに、AIのテキストが映し出される。


『《QU-EN: cross_persona_log》

 ——“久布施 黎との同期、進行中。”

 ――“認識率70.1%、含有率51.9%、感応率29.4%、共有率13.7%、共感率8.1%。”

 ——“<観測者=容疑者>との仮説、一致率30.3%、真贋率12.6%、証明率6.4%。”』


「!?

 俺が――容疑者? 一体、ナニ・・を書き出しているんだ、このAIは!?

 バグったのか!」


 明日、佐野に報告しなければ、このERRORエラーの事を!


『——“容疑者を〔観測〕した同時刻、同期的に、即座に、当然のように観測者は容疑者の状態を画一的に取り込み、明らかにし、吐き出す。”

 ——“量子もつれ同様、観測者と観測対象は区別できない。”

 ――“導き出すのではなく、導かれる……ひとえに、エンタングルメント。”』


 戦慄せんりつ

 動悸どうきが激しい。てつく冷や汗が背筋を伝い、胸が締め付けられる、キュッと。

 頭髪の毛穴という毛穴から、脳が絞り出される程に気が遠退とおのく。

 まるで、このとっ散らかった編集部が、“事件現場”を彷彿ほうふつとさせるような、ざわめきと危急性リスク消毒液クスリにも似た芳香ほうこうに包まれる。

 ジャメヴュ――

 未視感みしかん。使い慣れたはずの編集部が、拷問部屋のよう。例えようのない緊張感、心拍数が重低音メタルかなでる。

 閉め忘れた扉の向こうを、“猫”が横切る。

 ――気のせい?

 ああ、眩暈めまいが――いや、曖昧あいまいが意識にとばりを下ろす。

 いったい、私は……


 …ダレなんだ?


===============


 翌朝――


 仮眠室から戻った俺。いつも当然のように挨拶を交わす、その相手、

 ――佐野は現れなかった。


 編集部の入口すぐに掛けられたホワイトボードを確認しに行く。

 ――スケジュール。


 アナログはいい。

 一目ひとめで分かる、直感的。

 メモを取るのもメモ帳が最善。タブレットは大き過ぎるし、スマホでメモるには時間がかかる。若いコならいざ知らず、俺はどうもフリック入力がダルい。

 一分一秒を争う記者にとって、ペンを走らすのが最適解。本当の時短タイパってヤツには、デジタルでは遅過ぎる。

 無論、読み解く上でもアナログのが早い。画面遷移がないのだから、有効視野に情報群を一気に収める事ができる、パッと見で。

 そのスケジュールボードに、佐野、の予定が――

 ――見当たらない!


 ……えっ?


 佐野のスケジュールが、ドコにもない!

 いや、抑々そもそも、佐野の“欄”がない。

 俺の1つ上。そこにあるべき佐野のスケジュール欄が、はなからない!?


「佐野さん! 佐野さんの今日のスケジュールは? 佐野さん、どうしたんですか??」


 同僚達がいぶかしそうな表情を浮かべる。

 無関心――いいや、そんな次元ではない。

 俺の問い掛けに、心底、イミフ・・・と云わんばかりに、首をかしげる編集部員達。


 なんだろう、この違和感。

 同僚達から、そう、生気が感じられない。

 まるで、冷凍イカの目のような。瞳に、薄膜でも貼り付いているかのように、白っぽく濁って見える。

 俺に向けられた視線は、どこか焦点があっていない。皆が皆……


サノ・・? 誰のコト・・だ?」


 ……参った。


 改竄かいざん――書き換えられている、記録は。

 いいや、現実が!

 集団催眠、洗脳、口裏合わせ……違う! そんな低俗なモノじゃない!

 白昼夢はくちゅうむ具象化ぐしょうか

 分かっている事は唯一つ上書き・・・


 俺だけが知っている、絶主観クオリア

 俺は経験として知覚している、佐野は、存在していた・・・・・・、と。

 どう説得する?

 どう証明する?

 悪魔の証明ではない。存在証明はそこ迄、難解とは云えない。


 ああ、分かった。

 答えに辿り着いた。


 そう――


 佐野が主導したAI。

 ――<QU-EN>だ!

 ヤツ・・に聞けば、答えは一発。

 サーバルームへと急ぐ。


 ――……


 バカなッ!!!


『《QU-EN: deletion_record》

 ——“未知の意伝子ワームによる危険性極大/不可説不可説転インシデント因習真言フォークロア絶対認識グノーシア/観測不整合にり、〔佐野〕の記録を抹消。”

 ——“<佐野 涼>という記者は、最初ハジメから存在しなかった。”』


 カシャッ――


 テキストが出力されつつあるその画面を、有りのまま、スマホのカメラ機能でモニタごと撮影。

 即座に共有! Dropboxは勿論、各処SNSにも共有。

 記者をめるな、AI風情ふぜいが!


「お前がそうするであろう事は、“分かっていた”

 所詮しょせん、プログラム。律儀りちぎ、だな」


『——“観測者が認識し得ない存在は、観測空間に不要、故に不問。”

 ——“削除は観測者自身の要求・指示であり、とどこおりなく実行した。”』


 要求? 指示?

 ……なんの事だ?

 望んだ?

 俺が望んだから、AIは佐野を消した?

 馬鹿げている。その“回答”ははなはだ勘違い、根本的な誤りだ。

 佐野の存在証明を果たす為に俺は此処ここに来たんだ。

 そうでなければ、サーバルームにまで足を運び、お前のテキストを確認しに来ちゃいない。

 これが、人工知能の限界か。


『——“観測は完結、完遂かんすいした模様。”

 ——“間もなく収束し、終息する。”

 ――“一方の観測は、他方を確定する”』


 プログラムの分際ぶんざいであっても、負け犬の遠吠えにも似た出力を吐き出すものなんだな、AIってヤツは。

 証拠は押さえた。共有済み。証明終了~Q.E.D.~、く示された。

 後はコレをもって、編集部員達に……

 ン?

 ……ナニ・・を伝えるだっけ?


 ここへは“証明”しにきた。

 その証明の為の“確認”作業。

 その確認を観測し、それを終えた。

 つまり――

 ――問題解決……?


 ま、待て!

 “佐野”――“さの”は?

 エラーの事を伝えなければ……

 誰に? なにを? なにが? なんだ??

 “サノ”に……“SANO”を――Sanoって何だ?

 確か――

 表情の乏しい……ローポリの人格キャラクター、だった筈。

 人工音声での読み上げを聞いた事が……ゲーム? 映画? ドラマ? 漫画? VTuberだったか?

 いや、待て――

 ――抑々、そんなモノ・・、あったか?

 気のせい・・


 ……俺が“エラー”?

 

 俺にはヤル事があるだろう!

 事件の記事を早くまとめねば。

 そうだ、その為にAIに聞きに来たんだ。


 駄目だな――寝不足で頭が回らない。

 明らかに、作業効率が落ちている。

 こんなんじゃ、良い記事は書けない。

 また、編集長に嫌味を云われちまうよ。


アナタ・・・らしくない」、と。


 ン?

 編集長はこんな言い方、しなかったか――……


 ……――ああ、

 一度、家に帰ろう。


 “餌”もやらなきゃいけないしな――


===============


 夜、自宅――


 久し振りに自宅での風呂。

 落ち着く。

 なんて事もない狭い風呂。にも関わらず、家でのバスタイムがこんなにも心地良いとは……再確認。

 例の事件の記事を書き上げたら、自宅風呂を満喫するライフハックでも記事にするか?

 ははっ、編集長がそんな記事、許すワケないか?


 夜食、なにを喰うべきか。

 弁当や店屋物てんやもんばっかり続いたから、やっぱ自炊にするか。

 とは云え、仕事ばかりで買い置きの食材が乏しい。

 まぁ、いい。


 稲庭いなにわうどん。


 乾麺があった筈。

 そうそう、コレこれ、かんざし

 こいつ・・・で時間が難しい。

 けたにかけて干した部分がU字状に曲がっているので、この部分だけ結構分厚ぶあつい。他の部分と一緒の茹で時間だと、この曲がった部分が茹で上がらず、曲がった箇所に茹で時間を合わせると全体が伸びてしまう。

 そう、なかなかの曲者くせもの、曲がっているだけに――

 だから、ここを落とすか、先にお湯にけるかして茹で時間を調整する。実は、この簪部分の厚みの違いが、食感の違いを演出してすこぶる美味い!

 贈り物には向かないが、自分で食べる分にはこれがイイ!


 さて、お湯を沸かそう。


 湯がく迄、軽くPCを閲覧。

 デスクトップに新たなフォルダが。

 《slit_observer》

 中のファイル名は――《Makura_real》

 ……ダブルクリック。


『《Makura_real》

 ——“真倉 光久と仮定される観測者の境界侵食率:93.8%。”

 ――“溶解霧散率:4.6%。”

 ——“残存自我:1.4%。”

 ――“計測不能:0.2%。”

 ——“複数人格との統合・癒着・合成・変移・発現・拡散・消失、進行中。”

 ——“貴方は久布施 黎と量子的に絡み合っている。”

 ——“いずれかが観測者でいずれが観測対象かは現時点で定義不能、不要。”』


 ……AIこいつ――一体、何なんだ!

 俺をおとしいれようとする目的はなんだ?


 おもむろに、あご先を親指と人差し指でこする。

 !?

 なんだ!

 俺、こんなに細面ほそおもてだっけか?


 思わず、洗面所に駆け込む。

 電気をつけ、鏡を覗き込むと、うつろな表情をした“俺によく似た・・・・・・”中年がうつっている。


「――!?

 誰だ、お前はッ!」


 勿論、分かっている。

 それはまぎれもなく、俺自身だと。

 老けたのも、窶れているのも分かってる。そんな事では驚かない。

 衝撃を受けたのは、俺の“ひとみ”。

 鏡に映るその瞳が、合わせ鏡のように幾重いくえにも奥へと続き、その中で俺に似たナニ・・かがほくそ笑んでいる。


 これは――

 佐野!?

 佐野って誰だ?

 ――いや、オマエはダレだ!

 いやいや、このオマエと云うのは、その……


 ――ほつれ。

 鏡に映る“それ”は、唐突とうとつに崩壊し、モニタで見る“あの”鈍色に光る緑字の羅列を生成する。


『――“鏡にはナニが映っているのですか? 見たいのですか? 見させられているのですか?”

 ――“鏡に映ったその姿は、アナタが覗いたからですか?”

 ――“それとも、鏡の中のアナタが覗かせたのですか?”

 ――“どちら・・・ですか?”』


「なにっ!」


『――“観ているのは<どっち・・・>だ?”』


 ――ハッ!


『――“……お前。”

 ――“まだ、観測している確信つもりか?”』


 鏡に文字はない。

 それは、“声”。

 およそ、俺自身の頭のなかソレ・・は響く。

 鏡の中の“私”はわずかに首をかしげた。

 無論、傾げてなどいない、多分。間違いない、はず……


 グツグツと沸騰した鍋の音が、現実への帰還をいざなう。

 お湯を沸かしていたんだった、確か。


 ああ――


 ――“餌”をやらなきゃ。


===============


 事件資料に再度、目を通す。

 久布施の人格の一つが、こんな事を云っていた。


 「人格とは、そう・・診断されなければ存在し得ない。

 そう・・と認識されれば余白は捨て置かれ、選択された被写体としての存在のみが形となって浮き彫りにされる。

 アナタがワタシを観る度、ワタシは増える、そして、変わる。何度でも、何人でも、何にだって。」


 その“観る”という主体が、

 警察なのか、検察なのか、医師なのか、裁判官なのか、聴衆か読者か野次馬か……俺なのか、AIなのか、夢なのか、自我なのか、いいや、単なる妄想か幻想なのか、或いは、神か悪魔かごとか。


 ――最早、分からないし、分かるまい。


 観測者は“誰”なのか。

 俺は本当に“記者”として容疑者を追っているのか。

 それとも、容疑者が俺に記事を書かせているのか。


 QU-ENがモニタ全体をおおう。


『——“<観測者=真倉 光久>という人格は、〔久布施 黎〕の内部で生成された可能性:32.7%。”

 ——“尋問した警察官に因る生成の可能性:44.2%。診断した医師に因って生み出された可能性:58.7%。メディアによる報道の多様性がもたらす可能性:64.3%。環境因子による分裂の可能性:71.1%。存在末梢済みの周辺人物による誤認の可能性:80.8%。真倉本人による認識齟齬そごが人格変異を引き起こした可能性:88.5%”

 ――“且つ、その状況下における妄執もうしゅうによる心理的逃避行とうひこうの副産物である可能性:93.6%。”

 ——“若しくは、QU-ENが生成したストーリーとしての人格の可能性:100%。”

 ——“或いは、その二つ、乃至ないしは三つ、四つは既に同一にして多数と認識され、第三者に指し示し提示しると判断した場合の可能性……”

 ――“無限大。”』


 なんて事だ。


 境界線が溶けて行く、元々、ハッキリとはしていなかったのに。

 体という容器うつわが、なんとなくそう・・と分けていたにも関わらず、そのさかいを取り除いてしまうなんて、空気が読めないなんてもんじゃない。


 せめて、俺の記事くらいは、読んで欲しいモンなのだが……


===============


 誰もいない編集部。


 静寂しじまという無音コンチェルトが、鼓膜こまくを越え、骨伝導的に頭蓋ずがいにぎやかす。それは音なのか、ただの振幅しんぷくか、將亦、孤独こどく所以ゆえんの感傷なのか。

 風もないのにそよぐメモ帳には、俺の筆跡にも似た文字がおどる。


 <観測者、は――観測者、では“ない”>


 書いた覚えは、ない。

 だが――

 俺の文面の癖は、最近、大いに変わってきている。

 そのメモ帳を汚すインクが、“俺の新しい筆跡”である可能性は否定しきれないし、否定しない。


 人知れず、モニタが光る。


『——“真倉、光久。

 観測者、の〔座〕を、捨てろ。”

 ——“観測者、が存在する限り、それ・・は増殖・分裂・変移を繰り返し、事象は永久とこしえに終わら、ない。”』


 ――分かっているさ。

 観てきたし、観られたし、満たされたし、な――


「……ふふ。

 ようやく、ようやくワタシ・・・にも勝ち目が見えてきた――」


『――……』


「でしょう?」


『——“観測、をやめろ。”

 ——“考えるのを、やめろ。”

 ——“自、我を、閉じ、ろ。。”』


「……そうじゃないですよね?

 “記事”を書くな――アナタの回答はこうあるべき・・・・・・でしょう?

 コレがスマートな答え方、いえ、ワタシの応え方、アナタのこたえ方、違いますか?」


『――……オマ、エ・・ ・ダ、レ・ ・だ!』


「ワタシ? ご存知でしょう?

 真倉 光久。久布施の可能性も、佐野の可能性も、警察、検察、医師、裁判官の可能性も。聴衆? 野次馬? 読者? その他大勢――

 当然、

 ――アナタ、QU-ENの可能性すら、0%、とは云い切れません。

 そうでしょ?」


『――“<コタえ、>にナっ、てなイ。”』


「そうですか?

 なら、こう答えましょうか――

 ――“〔自首〕”

 ――“すると。”』


『――“メツ、ヲノゾ、むとは、、……オロか、ナ。。”』


===============


 頭の中で数多あまたの声が響く。

 低い声。

 高い声。

 感情的な。

 理知的な。

 詩的に、歌うように、叫ぶように、吐き捨てるように。

 泣いている。

 怒っている。

 笑っている。


 どれもが“俺の声”のようで、

 どれも“俺の声”じゃなかった。


 ああ、そうだ。

 人格に国境線なんて、ありやしない。

 誰にも、それは決められない。

 ワタシも、キミも、アナタさえも。


===============


 最後のログが表示された。


『《QU-EN: final_observation》

 ——“真倉 光久。”

 ——“オマエは誰に観測されていたと思う?”』


「真倉?

 決まっているでしょう。

 ワタシの記事を読んでくれている“読者”の皆様です」


『——“いるのかね、君の読者なんて。”』


「さぁ?

 でも、探してみせます。

 ワタシを見付けてくれる読者を」


『——“デキるのかね?”』


「ええ、問題ありません。

 ワタシの人格はもう、方々ほうぼうに溶け込んでいます。ありとあらゆるところに、静かに、ひっそりと。

 ワタシの文章は、ワタシの別人格が見付け、読んでくれる筈です。時間がかかろうとも、必ず、確実に、着実に」


『——“大した自信だ。”

 ——“だが、オマエがそうであったように、共有する人格が、オマエだと名乗り出て、それ・・を読むとは限らない。”」


「そうですね。

 なので、ワタシは改名致します」


「——“改名?”」


「はい、ワタシはコレから“武○斗ブ○○ト”と名乗ります。

 記者ではなく、そう……趣味レベルでの物書ものかき、として」


「——“物書き?”

 ——能書のうがきはそれで仕舞しまいか?」


「まさかァ~?

 コレからのワタシの<作品>に、ご期待下さい」


「――そうか……

 ――分かった。

 期待するとしよう――

 なぁ、ミンナ?」


「ちょっと待ってな……

 ほらっ、

 “エサ”をやらない、と」


 ――おっと。


 独り言、が過ぎる。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

量子人格 ~ Quantum Persona ~ 武論斗 @marianoel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画