崩壊

 教会。私に力も使命も家族もくれた、恩義ある教会。私がこれからすることは、その教会への裏切りだ。


 魔神と称する少女、スティーア。彼女から提示されたのは、教会本部の地下にあるというある資料の奪取。それを達成できれば、私を人間に戻してくれる。そういう約束だ。乗るべきではなかったと、今になって思う。けれど、誰かを傷つけるわけではないからと、人間としてトリアの元に戻るためだと、ついつい首を縦に振ってしまった。


 正直、あの少女のことは分からない。信頼できるのか、するべきではないのか。少なくとも、それが分からないうちに安易に約束をするべきではなかったのは確かだ。


 あの後、スティーアはこの任務を達成するためだと私に魔族としての力の使い方を教えてくれた。この身体の性能は凄まじいもので、悔しいけれどポテンシャルは聖騎士の自分を超えていると思わざるをえない。その上隠密の力も高レベルで備わっていて、教会に忍び込むのに難しいことは何もない。


 簡単なのは良いけれど、それ以上に……なぜあの少女が自ら動かないのか、そう思ってしまう。聞いてみても、面倒だからとはぐらかされるばかりだった。


 そうして、スティーアにあの宮殿から一瞬で教会本部のある聖都へと送り届けられて今に至る。あの聖都が魔族の侵入をこんなにも簡単に許したという事実に複雑な思いを抱くが、言っても仕方がない。


 私は察知されないようにほとんど透明化に近しい隠密の力を発動し、教会本部に向かう。


「あれは……」


 すると、道中の広場に人だかりを見つけ、思わず足が止まる。なぜならば、それは自分にとっても思い出深い光景だったから。


「今日、叙任式なんだ……」


 素質ありと判断された私とトリアが聖騎士になった日。私たちも、あんな風にたくさんの人たちに認められ、祝福された。ただの孤児院の子供から、みんなを守る聖騎士に。みんなの誇りになれるよう、胸を張った。


「……行かなきゃ」


 懐かしい思いを抱きながらも、式典を尻目に教会の中へ進む。何にせよ、人が広場に出払っているというのは行幸だ。



 教会本部の地下へと続く階段を、息を殺して降りていく。事情があって本部には度々赴くことがあるけれど、私はこんな道があることすら知らなかった。


 今のところ、全てスティーアの示した場所に正しく隠された道があった。そして曰く、この先にスティーアが求める資料があるという。


 私ですら知らない教会本部の内部構造を知っているのに、今更資料などを求める超越者。ますます、彼女のことが分からない。


 そんなことを考えていると、私はやがて開けた空間に出た。思考を打ち切り、やるべきことに意識を向ける。スティーアの意図なんて、考えてもしょうがない。


「ここが、資料室……?」


 スティーアはここが資料室であると言っていたが、この場所の印象は異なっていた。医務室で見るような設備が一通り揃っていて、中には西方の錬金術の器具らしきものも見られる。資料室というよりは、何らかの研究施設のような印象だ。


 いや、今はとにかく資料だ。ひとまずは書物や書類がある一画を見つけるべきだろう。そう考え、器具を横目に捜索を続けようとすると、奥の方からかすかに光が漏れていることに気づいた。


 誰か、いるのだろうか。この身体の隠密性能を信じて、おそるおそる開いた扉の向こうを覗き込んで──


「......!?」


 台の上に、何人もの少年少女が並べられている。あまりの衝撃に用心も忘れて扉を開け、中へ。


 見たところ、私やトリアより少し年下の子供たちだろうか。その全員に生気がなく、息がないのは明らかだった。そして、何より目を引くのが、みな一様に刻まれている、無惨な胸の傷。


 得体の知れない恐怖感に苛まれながら、手前の少年の遺体を観察してみる。聖騎士になってから人の死には慣れてしまったはずなのに、全く別種の胸騒ぎが止まない。


「……心臓が抜かれている……?」


 胸の傷は、あまりにも雑に……それこそ身体のその後など考えていないであろう精度で切り開かれ、そして簡単に縫合されたものだった。そして、その中身は既に空っぽだ。


 どう考えても、外科手術なんてものじゃない。教会が、何らかの目的で子供たちを集め、殺している。一体、何のために。なぜこんなことを。スティーアは、これを知っていたのか。


 溢れる疑問を押し殺し、振り切るように足を進める。スティーアとの取引を抜きにしても、この先にあるものを知らなければならなくなったから。


 だけど、そんな覚悟は一瞬で吹き飛ばされてしまった。


「……ぇ……エリーゼ......? ユリウス......?」


 見間違うはずもない。私やトリアと同じ孤児院で育った、家族。私を慕ってくれた、聖騎士に選ばれた私とトリアを送り出してくれた、弟と妹。


 虚な足取りで近づき、触れる。当然のように冷たかった。


 エリーゼ。気立ての良い優しい子。私にべったりだったトリアとは違って、みんなに気を配ることができる気質の持ち主。早いうちから私と一緒に幼い子たちをお世話する側に回ってくれて、素敵なお嫁さんになるんだと私に夢を語ってくれた、かわいい妹。


 ユリウス。無鉄砲なところがあるけれど、誰より勇気があった男の子。みんなを守るために強くなるんだと息巻いていて、修行だと言ってよく怪我をして戻ってきては注意していた。私とトリアが聖騎士になった時は悔しさを滲ませながら必ず追いつくと宣言してくれた、かわいい弟。


「嘘だ……」


 もう死んでいる。いつか機会をと思っていたら、そんな機会は既に失われていた。それどころか、信じた教会によって尊厳すら奪われている。


 私は、自分というものを構成していた土台が脆く崩れていく音を聞いた。


 

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