英雄、休暇をとる

うめたろう

英雄、休暇をとる

 トリスタンは、コラン王国が誇る英雄である。


 たった1人の供を連れるばかりで、邪悪なる魔物どもと勇猛果敢に戦い、その侵攻を食い止め、ついには奴らを生み出し操る『始祖』さえも滅し、王国に平和をもたらした。

 高貴な身分でありながら、民にも隔てなく気さくに接する好人物で、その上、凛として整ったかんばせは、金糸の髪とアメジストの瞳に鮮やかに彩られており――


「――っていう設定に、疲れてしまったんですよね」


 ド真っ赤な半袖のシャツ(南方の国で育つという花々や果物が、全体に派手派手しく踊っている)を着た連れ合いが、フレッシュ・ジュースを飲むのを中断してぼやく。

 その様子を横目に見ながら、ダグは自分のジュースをすすった。

 程良い酸味とやや水っぽい甘さが喉を通って、夏の陽射しに渇いた身体を癒していく。

 あちこちを飾る『おいでませテレス』の幕が風にたなびいて、明るい街を歩くダグ達を歓迎していた。


 『始祖』の娘たる海の魔女に支配されていたのも今は昔。

 テレスは今や、コラン王国有数の観光地だ。

 目玉は、美しい海と独自の食文化。

 更に、英雄トリスタンのファン達も、聖地巡礼とばかりにこぞって訪れる。


 すれ違う人々の笑い声を耳に、ダグはそっと目を細めた。

 街をのんびりと巡りたいというのは、ダグのたっての希望だった。


「……ここに来るのは、久しぶりだな」

「ちょっと。僕の衝撃の告白をスルーしないでくれますか?」


 レンズが星の形をしたご機嫌なサングラスを少しずらして、傍らの男が口を尖らせる。


 こちらを睨む目は、日の光に煌めくアメジスト。

 ついでに、ハットから覗く髪は、見惚れるような金色だ。


「別にスルーはしていない。特に反応する必要がなかっただけだ」

「いや、反応してくださいよ。なんでそんなことを言うんだ、とか、色々あるでしょうに」

「そうは言っても、英雄とて疲れることもあるだろう。なあ、トリスタン」

「その名前で呼ばないでくださいってば。バレたら、バカンスどころじゃなくなるんですから」


 トリスタンが、整った顔に渋い色を纏わせる。

 熱狂的なファンには見せられない顔だと思ったあとで、いや、彼ら・彼女らは、トリスタンがどんな表情をしても喜ぶかもしれないなと思い直す。

 自分のようにゴツゴツとした、身の丈の高さ以外に目立つ点のない男とは違って、トリスタンはどんな顔をしても絵になるのだ。


 トリスタンが、いらついたようにため息をついた。


「いずれにせよ、そもそも僕は英雄なんかじゃないですしね。魔物と戦ったのも、『始祖』を滅したのも、ダグ、本当はあなたなんですから」


 魔物退治の立役者として自分が表に出た方が良いと、自ずからそう提案したのはトリスタンだった。

 王侯貴族からの支援を募るには彼の弁舌ときらきらしい身分が必要で、民からの協力を得るには彼の容姿と外面の良さが役に立った。


 ダグとしては、生まれ育ったコランの人々を救えるならば肩書にははなから頓着はない。

 だから、友人の提案に心から賛同し、『冴えない従者』の役を黙々と演じた。


 気がかりがあるとすれば、口は悪いが根は善良な親友があれこれ気に病むのではないかと、そればかりだった。


「お前が『英雄』役を引き受けてくれて、俺は助かった。楽をさせてもらった。そのおかげで、本来やるべきことに注力できた」


 そう告げると、トリスタンは今度こそ彼のファンの前には出せない顔になった。

 思わずくっくと笑ってしまったあとで、ダグは続ける。


「戦場でだって、お前の支援魔術がなければ、『始祖』になんて勝てなかったよ」

「あんなのは、教科書通りの後方支援ですよ。優秀な魔術師なら誰だってできます」

「だが、無謀な戦いに共に赴いてくれた優秀な魔術師は、お前だけだ」


 ぬるくなったジュースの残りを、ダグは飲み干した。

 トリスタンが、先程よりも大仰な息を吐く。


「全く、馬鹿らしい話ですよ。救国の英雄がこの僕みたいな高貴な身分か否かなんて、どうでもいいことでしょうに」

「だが、どうでもよいとは思わない者もいた」

「僕のように容姿端麗である必要だってない」

「それも、多くの人にはその必要があった」


 吹く風に混じって、音楽が耳に届く。

 テレスに古くから伝わる曲とそれに合わせた伝統的な舞踏は、観光客達に人気であるらしい。


 それらは、魔物どもに奪われなかった。

 自分達が、奪わせなかった。


「コランは平和になった。すれ違う人達も幸せそうだ。俺にも報酬が与えられるべきだという話なら、それはもうとっくに支払われている」

「……」

「何より、最高の戦友とこうして休暇を楽しめるんだ。俺達の戦いにも、ついた嘘にも、意味があった」


 トリスタンが、また、ため息を零す。

 そうしたあとで、ぐんと顔を上げて、


「……ビーチのそばに、海鮮料理の店があります」


 と、ごく真面目な顔で言った。


「……うん?」

「新鮮な魚介を、この辺りでは昔からある調理法と味つけで食べられるそうです。しかも格安。テレスの人々の間では有名らしいですが、観光客にはあまり知られていない。穴場ってやつですね」

「詳しいな、トリスタン」

「だからその名前で呼ばない! ……まあとにかく、行ってみようじゃないですか。英雄の休暇なんですから、派手にいきましょう」

「格安メシで」

「何か不満でも?」


 不満はない。

 あるはずがない。

 ずっとそうだったし、今だって勿論そうだ。


「いや。最高の休暇にふさわしいご馳走だ」


 トリスタンが、ふっと口の端を上げる。


 夏の陽射しの眩しさが、2人が並び行くテレスの街を陽気に彩っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英雄、休暇をとる うめたろう @pocchipochi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画