第21話 親友

「りんちゃん、ごめんね。練習中に寝ちゃうなんて……」


「いや、そこはいいよ。感想を求めて聴いてもらっていたわけじゃないし、そもそも木魚みたいに音程もなく、ただポコポコ叩いていただけだから」

「そりゃ、まあ眠くなるよ」


 この二日は、私にとって激動の二日間だったけど、綾音もその裏でかなり大忙しだったことだろう。


 私から見えている部分だけでも、竹内先生に売り込んだり、崖から勝手に落ちていく幼なじみを、何度も引き上げて、支えて、励まして……。


 ちょっと考えただけでも、目が回りそうな働きぶりだ。

 

「ぐっすり寝ていたし、家に一人は寂しそうだから、お母さんにお願いしておばさんに許可をもらったんだ。今日はここで一緒に寝ようね」


「え、いいの?」


「うん。親同士で決まっている上に、もう二時半だからね。綾音が断っても帰るのはダメってなると思うよ」


「ありがとう」


 よいしょっと立ち上がり、サイドテーブルに近づいてパジャマを取り上げる。

 

「それで、このパジャマに着替えてね」


「うん」


 手を伸ばしてそれを受け取り、そっと胸に抱く。

 

「シャワーを浴びるなら、そのタオルも使ってくれていいよ」


「一応、家で浴びてきたからもういいかな。歯ブラシも外出用で済ませたよ」


 うん。じゃあいいね。

 これでだいたい伝えることはおしまいかな?

 

「よかった。それなら、もう遅いから着替えて寝ようか。明日の朝は、ご飯を食べてから家に帰って、着替えてから登校しよう」


「うん。じゃあ、パジャマ借りるね」


 サイドテーブルの水差しから一口だけ水を含み、カップを戻してベッドの奥へ這いすすむ。


「さっき、綾音がそっち側で寝ていたから奥に入ったんだけど、このままでいい?」


「うん。りんちゃんがいいなら、それでいいよ」


 一足先にタオルケットを掛け、枕に頭を載せる。


 身体をひねって壁を背にすると、明かり取りの高窓から差し込む月明かりの中、蒼く浮かび上がる綾音のシルエットが見える。

 

 少し腰を落とし、モスグリーンの長めのキュロットから片足ずつ引き抜く。

 手早く畳んでバッグの横に置くと、そのまま取り上げたパジャマに足を通す。


 流れるような動作で、ワンポイント入った白地のTシャツを一息に脱ぎ、キュロットの上に畳み置く。


 なるほど。

 私の着替えもそろそろ小学生モードを卒業しないとまずいのかもしれない。


 ずっとテニスのことばかり考えてきたので、ファッションとかに疎すぎる点もなんとかしないと。

 今まで気づかなかった課題だらけみたい。

 どうしよう。

 

「そのTシャツ、靴下とお揃いなんだね」


「うん、そうなんだ。可愛いでしょ?」


 こちらに振り返り弾んだ声でそう答えながら、つと足下に視線を落とす。


「あれ?」


 あ、そうだった。

「靴下は洗濯機に入れておいたから、明日の朝には返せると思うよ」


「え? りんちゃんが脱がせてくれたの?」


「うん。起きずに朝まで寝るかもしれないからさ。Tシャツとキュロットはそのままでも大丈夫そうだったけど、靴下は寝苦しいかなと思って」


「……ありがとう」


 そこで着替え中であることを思い出したのか、少し恥ずかしそうに慌ててパジャマを手に取り、袖を通す。


 そのまま、ベッドに上がり、別に用意しておいたタオルケットに潜る。


「じゃあ、悪いけど、ベッド借りるね」


「うん。借りるって言っても、ちゃんと私も寝るし、無駄に広いから大丈夫だよ」

 

「それじゃ、綾音、おやすみ」


「おやすみ。りんちゃん」


 小学生の頃はお互いの家で頻繁にお泊まり会をしていた気がする。


 中学に上がるとなんとなく泊まりに行くことはなくなり、特にテニス部に入ってからは、一緒に長い時間を過ごす機会がほとんど無くなった。


 別に仲違いをしたわけでもなく、心理的な距離感が遠くなったわけでもない。


 少なくとも私は。


 会えば挨拶は交わすし、日によっては昼休みに学食で時間を共にしたり、学園祭を一緒にまわったりしてはいた。


けれど、学外で長い時間たとえば休日や長期休暇にお互いの家を行き来することはほとんどなかったように思う。


 まあ休日もテニスに充てていたので、そんな時間がなかっただけなんだけど。


 決して疎遠ではなかったし、周りからも仲良く見えていたとは思うけれど、「親友」と自信を持って言えるかというと……。


 いや私は自信を持って言えたけれど、綾音に親友だと言ってもらえる自信はなかった。


 そんな微妙な距離感での数年を経てなお、窮地に颯爽と現れて底なし沼から引き上げてくれ、躊躇いなく『親友』と呼んでくれた。


 今、隣で静かに息をする凜々しい少女に。

 私は感謝と共に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。


「りんちゃん」


 月光に彩られた蒼い穏やかな部屋で、ふわりと浮かんだ呼び声に意識を引き戻される。


「いつも、ありがとう」


 いえ、それは私が伝えるべき言葉。


「私は何もできてないよ」


「これまでもずっと、してくれてるよ」


「そんなことないよ」


「そうなんだよ」


 どこかで交わしたやりとり。


「なら、よかった」


 もし、本当に何かできているなら、それを大事にしたい。


 遠慮がちに言葉が続く。

「あのさ……子供の頃のように手をつないで寝てもいい?」


 隣で横になっている儚げな少女に答える。

「うん。もちろん」

 

 手を伸ばすと、温かい手にやさしく握り返される。


 繋いだ手を通して伝わる綾音のぬくもりに、穏やかな気持ちになっていく。



「おやすみ。また明日」


「おやすみ、りんちゃん。……ありがとう」

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