第15話 突然の来客
「りんちゃん、ヤホー」
玄関のたたきで向かい合う綾音が、小首をかしげながら胸の前で小さく手を振る。
可愛らしいケーキの箱を提げて、憎らしいくらいの満面の笑み。
私の驚く顔に満足したのだろう。
「なんでよ。別れ際の違和感はこれね? ちゃんと言ってよ」
「別に騙すつもりじゃなくて、おばさまから聞いてると思ってたんだよ」
「でも、帰り道でなんか知らなそうだったからさ、言わない方が面白いかなーと思って」
さっきはあんなに感謝したのに。
これがなきゃなあ。
「お邪魔しまーす」
キッチンに届くように大きな声で告げた後、私の横をすり抜けて上がりかまちへ向かう。
その後ろ姿を追うように、かすかなシャンプーの香りが流れていく。
「あれ? 綾音、もうシャワー浴びてきたの?」
靴を脱ぐために腰をかがめかけた綾音が、おもむろに振り返ってずいっと近づいてくる。
「私でも、お呼ばれすれば身だしなみぐらい整えるの。ほら、髪もセットしてあるでしょ?」
言いながら伸ばした人差し指を回し、毛先をくるくると絡める。
下校時より丁寧にセットされたウルフボブが揺れ、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
「あれ、あれあれー?」
綾音は謎の言葉を発すると、さらに一歩踏み込んで、体にもたれるように抱きついてくる。
まわされた腕にからめとられて身動きが取れない。
ふざけた言葉とは裏腹に、背中に回された腕がぎゅっと強くなるのを感じた。
もう今度はホント何なのよ。
唐突に抱きついてくる綾音に困惑する。
いくらなんでも、海外ドラマじゃないんだから。
いや、海外ドラマと言うよりは、お母さんを見つけて、抱きついて泣きじゃくる迷子の子?
至近距離に見えるボブカットのつむじ。
そこから漂う甘い香りが、ささくれだった私の神経をゆっくりと鎮めていく。
つい「もう迷子じゃないよ」と撫でてあげたい衝動に駆られた。
腕を抱き込まれていて身動きが取れないけれど、この拘束さえも、今の私には心地よかった。
それにしても、押しつけられた顔からスーハーとかかる寝息のような吐息が、鎖骨に当たってこそばゆい。
「アウト!」
寄せられた顔をそのままに視線だけ上げ、再び謎の言葉を宣う。ちょ、顔近い!
「りん選手、残念ながら、アウトです」
「……汗くしゃい」
ダンッ。
とっさに、遠慮無しの全力で腕を振りほどき、一息に、綾音から壁際まで飛びすさる。
支えを失ってよろめいた綾音は、不服そうな顔を見せながら姿勢を立て直すと、空いた隙間を埋めるように一、二歩詰めてくる。
あまりの衝撃に口をパクパクする私に、ふふっと満足そうな顔で続ける。
「なんて、ね。もちろん冗談だよ。りんちゃん」
「りんちゃんからは、いい匂いがしたよ。安心してね」
言葉を失い綾音の顔を凝視していると、パタパタと廊下を歩くスリッパの音が近づいてきた。
ガチャと扉が開き、お母さんが顔を出す。
「あやちゃん、いらっしゃい」
綾音の方に向かって言葉を発してから、そのままちらりとこちらへ視線を向ける。
部屋着の襟元を両手でぎゅっと閉じ、壁際で彫像のようになっている私に首をかしげつつ、わざわざ配膳の手を止めて出てきた用件を続ける。
「あなたたち、そんなところでいつまでおしゃべりしてるの。ご飯冷めちゃうわよ。もう上がれる?」
綾音は何事も無かったかのように振り返って応える。
「はーい。連日ありがとうございます。お邪魔しまーす」
廊下を進む二人の姿が見えなくなってたっぷり数十秒は経ってから、ようやくこわばった体の緊張が解けた。
えっと。
両手でぎゅっと握ったままの襟をゆっくり目元まで引き上げて顔を埋める。
スーハーとゆっくり確かめるように、クンクン匂いを嗅ぐ。
甘いシャンプーの香りはしないけれど、いつもの私の匂い。
「大丈夫だよね……?」
自分の匂いのことなのか。
それとも、この温かい時間が続いてくれることか。
答えの出ない問いを、私は祈るように小さく呟いた。
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