私怨

小狸

掌編

 私は、病気を患っている。


 精神疾患である。


 まず治らないと思った方が良い――治るとしても途方もなく長い時間が掛かると、主治医やカウンセラーから言われている。


 その原因は――こんなことを言うと、他責思考であるとそしりを受けることを承知の上で言うが――他人である。


 時に家族であったり。


 時にクラスメイトであったり。


 時にサークルの先輩であったり。


 多種多様ではあるが、私に病名が付いた時にまず思い浮かんだのが、その三組である。


 私の人生を一文で表すのなら。


 機能不全家族で虐待されながら育ち、いじめを受け、性被害を受けた。


 それだけである。


 それだけで記述を終えることができてしまえるという事実を、私は正直認めたくない。

 

 私の苦しいだけの辛いだけの死にたいだけの人生が、たった一行で表現できてしまえるのだ。


 認めてたまるか、という感じである。


 人々は、この私の一行を見、聞き、知り、口を揃えてこう言う。


「分かる」


 後学のために教えておくけれど、凄惨な現実に対して、安易に「分かる」などと口にしない方が良い。


 いや。


 お前に何が分かるんだよ。


 あの時の痛みも、苦しみも、辛さも、そういう記号があることを知っているというだけで、実際に体験したわけではない。


 実際、別の人が私の人生を追体験したら、八割は途中で自殺するだろうと、カウンセラーが言っていた。


 分かりもしないのに、同情で、可哀想なものにふと声を掛けるように、「分かるよ」なんて言うくらいなら、初めから分かってもらえない方が楽である。私はもはやマトモな人間ではない。人間ですらないのかもしれない。少なくとも、もうほとんどの人の言葉は私には通じない。


 お前らと私は違う。何もかもが。


 同列に語ることが、まず間違いなのである。


 幸せで、恵まれて、満たされて、当たり前に生きることを許されている奴らは、楽しく皆で、人間ごっこを楽しめば良い。


 私はそこに混ざらないように、枠の外で眺めて、忘れ去られていくだけだ。


 そして最悪なことに、私の人生を台無しにした人々は、私のこの精神疾患について、何ら責任を負わなかった。


 自己責任だ、自分で動かなかったのが悪い、自分の人生なのだから自分の手で何とかしろ。

 

 とか。


 きっと恵まれた人は、当たり前のようにそう言う。


 否。


 実際に言われた。

 

 もうそういう人々とは、確実なる隔絶があると、私は認識している。この人たちには私の気持ちは一生分かってもらえることはないのだろう。彼らは恵まれていて、私は恵まれなかった。前述の通り、生育環境があまりにも異なるのだ。


 いや、動けるわけがないだろう。


 お前らみたいに、いつでも頼れる仲間がいるわけでもなし。


 お前らみたいに、何でも相談できる家族がいるわけでもなし。


 お前らみたいに、感情を殺して事実だけで話せるほどの冷静さがあるわけでもない。


 誰もがお前らみたいに、恵まれていると思うな。

 

 仕事を辞め、外出も怖くてままならず、市と国の制度でぎりぎりのところで何とか生きている振りをしている私を、もう普通の幸せなんて一生手にすることが許されないようなところまで堕ちた私を、助けてくれる人は、誰もいなかった。


 私が一番辛い時、私はいつも独りだった。


 本当は、問いたい。


 一体いつ、私は普通になれる?


 一体いつ、私は皆と一緒になれる?


 一体いつ、私の病気は治る?


 誰もそれを、保証してはくれない。


 一度壊れた心は、治らない。


 突き詰めたい。追い詰めたい。同等以上の苦しみを与え、生きていることそのものを後悔させてやりたい。


 そして、言いたい。


 私の人生を返してくれ。




(「私怨」――了)

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