第1.5話 夢現

 名前も分からない、細長い木が並ぶ小道を歩きながら、零は恐ろしいくらいに美しく青い空を眺めていた。非日常的な光景にわくわくして、踊るような足取りになる。


「探したよ。零」


 もうすっかり聞き慣れた、優しくて暖かい声が零の鼓膜に触れる。

 振り返ると思っていた通り、そこには彼の姿があった。零は安堵し、頬を緩める。


「……イチカ」


「ふふ、なぁに?」


 イチカはいたずらっぽく微笑んで、小道に並ぶ細長い木を不思議そうに眺めた。


「急にいなくなったと思ったら、こんな場所にいたんだ」


「綺麗でしょ?ここ」


「僕はあんまり好きじゃないな」


 へぇ?と零は首を傾げる。そんな零にイチカは苦笑し、手を差し出した。


「戻ろう。糸杉なんて……お前には似合わない」


「糸杉?」


「この木の名前だよ」


 そう言うとイチカは零の手を取り、糸杉並木を抜けるために歩き出した。はぐれないように。と零の手が強く握られ、少しこそばゆい。


「僕がいないと寂しかった?」


「寂しくないよ。もうそんな年でもない」


 いつだったかなんて覚えていないけれど、何年か前、綺麗な蝶を追いかけて迷子になってしまったことがあった。イチカの名を何度呼んでも返事は無く、寂しくて、心細くて、いつもと変わらないはずの街の風景が、とても恐ろしいもののように映った。

 偶然そこを通りかかった大人の男性に見つけてもらい、家に戻ることはできたけれど、それ以来、イチカの心配性は悪化したように思う。


「懐かしいなぁ。もう僕の名前を呼んで泣いてくれることもないのかな」


「ない……かもね」




 いつの間にか糸杉並木を抜けたようで、そこにはだだっ広い花畑があった。黄色く輝く向日葵が咲き乱れていて、零は目を細める。


「零」


 イチカは零の手を離すと、突然足を止めた。


「何……?」


 急に空気が変わったように感じ、零はイチカの顔を見た。イチカはほんの少しだけ頬を緩めると、小さな声で呟いた。


「僕はここまでしか来られないから」


「え……」


 とんっと強い力で、零は背中を押された。何が起こったのか分からないまま、向日葵畑に倒れ込む。


「ごめんね。でも……ありがとう、零」


 零はイチカの方を振り返る。視界いっぱいに背の高い向日葵が映っているせいで、彼の顔は隠れてよく見えない。だが――


「イチカ?なんで……」


「……ふふ、なぁに?」


「なんで?」


 そんなわけない。彼が、涙を流せるはずはないのに。そもそも――


 朝桐イチカは、もういないのに。

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蠢動を封じて 東海林 @bosyoku

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