【第41話】 参謀の孤独な戦い、あるいは「国を回すたった一人の大人」
(視点:ドワルガ)
「……宰相閣下たちは、まだ『会議中』かしら?」
王都、特別技術参謀室。 窓の外では、南の空に黒い煙が上がり始めている。 暴動の狼煙だ。 遠くから、怒号のような地鳴りが響いている。
けれど、私の執務室は静まり返っている。 氷が解ける音だけが、チリ、と鳴る。
「は、はい! 『暴徒の鎮圧手順について、慎重に協議を重ねている』とのことで……」
伝令の兵士が、青ざめた顔で報告する。 可哀想に。無能な上司を持つと、部下が一番割を食うのよね。
「そう。ご苦労様」
私は手元の書類――宰相名義の『聖騎士団出動要請書(案)』を、無造作に机の端へ追いやった。 インクの染み一つない、机上の空論の塊。
「……まったく。上が無能だと、下の苦労が増えてかなわないわね」
私は椅子に深く腰掛け、冷めた紅茶を啜った。 渋い。でも、今の気分には合っている。
焦る必要はない。 手は、すでに打ってある。
この暴動は想定内だ。 飢えた民を追い詰めれば、いずれ爆発する。 問題は、その爆発をどう「着地」させるかだ。
「セリナ。状況は?」
部屋の影から、銀髪の美女が音もなく現れた。 闇に溶け込むような漆黒のドレス。 その太腿には、冷たい輝きを放つ短剣が仕込まれている。
「順調よ、ドワちゃん。 北の船団は、混乱に乗じて第3埠頭の裏手に接岸済み。 積荷の『歌うニンジン』、干し肉、防寒具……全部陸揚げ完了。 いつでも配れるわ」
彼女は悪戯っぽくウインクする。
「オルガン船長たちが張り切っちゃって大変よ。 『久しぶりの荒事だ!』って、食料袋を担いで準備運動してるわ」
「よし」
私は地図上の「南門」に、赤いチェスの駒を置いた。 カツン、と硬い音が響く。
正直なところ、私にとって、この王都の政治はどうでもいい。 私たちの拠点は北にある。幸か不幸か、寒さと悪路もあり難民はなかなかやってこれない。そして、水も食料も潤沢で、強力な軍事力もある「楽園」だ。
この国がどうなろうと、知ったことではない。
――そう思えれば、どれだけ楽だったか。
「……見捨てるわけにはいかないのよね。あの子(エリシア)がいる限り」
私はため息をついた。 御前会議に出ているはずの王女は、今ごろグレオスたちに言いくるめられて、無力感に震えているだろうか。 あの美しい顔を歪ませて、涙を堪えているのだろうか。
想像するだけで、胸くそが悪い。
「ドワちゃんも甘いねぇ」
セリナが私の首筋に指を這わせる。 冷たくて、心地よい。
「乗りかかった船よ。 それに、私の『最高傑作(アル)』が、あの子を放っておかないでしょうからね」
机の上の水晶が青く明滅した。 北からの定時連絡だ。
『こちら“叔父”。 ……配置につきました。いつでも動けます』
低く加工された声。 だが、その向こうにある「余裕」は、私と同じ種類のものだ。 盤面を支配している者特有の、静かな興奮。
「了解。 タイミングは任せるわ。一番“おいしい”ところで出てきなさい」
『了解。……先生も、悪趣味ですね』
「最高の褒め言葉よ」
通信を切る。 準備は万端。 宰相も、教会も、私の掌の上だ。
あとは―― **「最後のピース」**が、ここに来るのを待つだけ。
あの子が、自分の足で、自分の意志で、ここに来るかどうか。 それが、この作戦の成否を分ける。
その時。
バン!!
ノックもせずに、扉が乱暴に開かれた。 静寂が破られる。
「ドワルガ参謀! 力を貸してください!」
ドレスの裾を翻し、息を切らせて飛び込んできた少女。 金髪が乱れ、白い肌が紅潮している。 目は真っ赤だが、そこには強い光が宿っている。
「お飾り」の王女の顔ではない。 一人の「覚悟を決めた女」の顔だ。
私は、口角を吊り上げた。 こみ上げる笑いを、グラスで隠す。
(……合格よ、エリシア)
私が待ち望んでいたのは、その顔だ。 泣いて縋るだけの子供なら、無理やりにでも北へ連れて帰るつもりだった。 だが、彼女は自分で選び、ここまで走ってきた。
なら、大人が全力で応えてやらなきゃ嘘でしょう。
「あら、殿下。お待ちしておりましたよ」
私は椅子から立ち上がり、恭しく一礼してみせた。 今日一番の、いい笑顔で。
「宰相閣下はお忙しいようですので…… 私が代わりに、この国の『尻拭い』をさせていただきましょうか」
部屋の奥、カーテンの影から、一人の男が歩み出る。
黒い仮面。 分厚い靴。 全身を覆うローブ。
私の用意した「奥の手」。 そして、彼女が一番会いたかったはずの「奇跡」。
「紹介します、殿下。 北の領主代行――“アル殿の叔父”です。 ……最強の助っ人をご用意しておきました」
エリシアが目を見開く。 時が止まる。
さあ、反撃の時間だ。 無能な大人たちに、本当の「政治(まつりごと)」というものを見せてあげましょう。
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