【第25話】 共鳴の残響、あるいは「勘違いする怪物」と「噛み合わない視線」

【第25話】 共鳴の残響、あるいは「勘違いする怪物」と「噛み合わない視線」


(視点:ドワルガ)


「……アル。ちょっといいかしら」


 私は執務机(妖精大陸支店・やはり酒瓶完備)から顔を上げ、朝一番で部屋に入ってきた少年を指差した。


「な、何でしょう先生」


「あなたの足元にある、その『毛布の塊』は何?」


 床の上。  私の愛する機械部品の山の真ん中に、みのむし状の何かが転がっている。


「ああ、これですか。ネーヴです」


「それは見れば分かるわ。私が聞いているのは、『なぜ私の研究室の床で、我が物顔で熟睡しているのか』という点よ」


 毛布がもぞもぞと動き、隙間から灰銀の髪と眠そうな目が覗いた。


「……ここ、落ち着く。  部品の匂い、油の匂い、先生の加齢し――」


「言い切ったら減給よ」


 私はため息をつき、手元のレポートをめくった。


 昨日の「聖歌共鳴事件」。  エリシアの歌と、ネーヴの魔改造レコーダーが引き起こした、規格外のハプニングだ。


「で? 解析結果は出たの?」


「はい」


 アルが、机の上に分解されたレコーダーを置く。  基板が露出し、複雑な魔力回路が血管のように走っている。  横ではリオが、必死に速記を取っていた。


「結論から言います。  原因は、この機械の『性能が良すぎた』ことです」


「良すぎた?」


 ネーヴが毛布から這い出し(イモムシみたいだ)、ボソッと言った。


「……人間、耳悪い。  聞こえない音、捨てる。  この機械、全部拾う。  低い音も、高い音も、魔力の波も」


「つまり――」


 私は顎に手を当てた。


「普通なら『ノイズ』としてカットされる“人魚の歌の魔力成分”まで、こいつは拾って再生していた。  それが、殿下の歌と共鳴(ハウリング)を起こしたってわけね?」


「そういうことです」


 アルが頷く。


「ただの音楽じゃない。  『音』を媒体にした、純度の高い魔力の奔流。  ……そりゃあ、窓ガラスくらい割れるわね」


 私はやれやれと肩をすくめた。


「おかげで、王都の水道局から感謝状が来てるわよ。  『昨日のあの時間、なぜか水がサラサラ流れて、詰まりが解消しました』って」


「水魔法の効果まで乗ってたんですか……」


 リオが呆れたように言う。


「規模が大きすぎますよ。都市インフラに影響出すレベルの『合唱』なんて」


「まあ、結果オーライとしましょう。  『奇跡だ!』って騒いでる宗教連中には、この分解図を見せて黙らせてやるわ」


 その時だった。


 コン、コン。


 扉を叩く音がした。  軽いが、どこか粘着質な、耳に残る音。


「……どうぞ」


 私が声をかけると、扉が音もなく開いた。


 入ってきたのは、黒い法衣を纏った男。  金糸の刺繍。胸元には大きな聖印。  宗教派の総長――グレオスだ。


 一瞬で、部屋の空気が冷えた気がした。


「失礼するよ、ドワルガ殿」


 声が、やけに通りが良い。  足音もしない。  まるで、影がそのまま服を着て歩いているようだ。


 彼は、床に散らばる部品や、毛布にくるまったネーヴを見ても、眉一つ動かさなかった。  無視しているのではない。  “風景の一部”として、認識の外に置いている目だ。


「昨日の出来事、拝見したよ。  王女殿下の歌……実に素晴らしい『成熟』だった」


「……祝福、の間違いでは?」


 私が訂正すると、グレオスは「おや」と薄く笑った。


「失敬。そう、祝福だ。  あれほどの出力……いや、奇跡。  我々が待ち望んでいた『器』の完成形に近い」


(……器?)


 背筋に冷たいものが走る。  こいつ、今、王女のことを人間として見ていなかった。  部品か、電池か何かを見る目だ。


 グレオスの視線が、私を通り越して、アルに向く。  その瞬間、彼の瞳に奇妙な“親愛の情”が宿った。


「そして君。アル・エルンスト君だね」


「……はい」


 アルがわずかに身構えるのが分かった。


「君には感謝しているよ。  先日の王女誘拐未遂……あれを阻止してくれたことにね」


 グレオスは、アルにだけ聞こえるような独特の響きで言った。


「我々も少し焦りすぎたようだ。  あそこで無理に連れ去るよりも……  こうして君が懐に入り込み、信頼を得て、完全に『熟す』のを待つほうが賢明だった」


「……は?」


 アルが眉をひそめる。


 グレオスは、分かっているよ、と言いたげに片目をつぶってみせた。


「上手くやったね。  君のような優秀な『同胞』がそばにいてくれて心強いよ。  あの施設(・・・)での教育は、無駄ではなかったということかな?」


 アルの表情が凍りつく。


 施設。  その単語が出た瞬間、アルの目の奥で、何かがざらりと揺れたのが見えた。


(……記憶にないはずの、白い部屋?)


 アル自身もよく覚えていないと言っていた、幼少期の空白。  けれど、その言葉を聞いた途端、彼の顔から血の気が引いた。


(こいつ、アルの過去を知っている?  ……それどころか、アルのことを『自分たちの手先(スパイ)』だと思ってる?)


 アルは、拳をきつく握りしめながらも、冷静さを保って返した。


「……買い被りですよ。俺はただ、自分の居場所を守りたいだけです」


「ふふ、そういうことにしておこう。  任務(・・)に忠実なのは良いことだ」


 グレオスは満足げに頷き、胸元を押さえた。


「最近、私の頭の中で『声』がうるさくてね。  早くエネルギーをよこせ、器を持ってこいと……  だが、君を見ていると安心するよ。計画は順調だと分かるからね」


 ゾクリ、と腕に鳥肌が立った。  「声」。  それは神の啓示か、それとも――もっと無機質な「指令」か。


「近々、殿下のための祝賀会を設けよう。  ぜひ、君たちも参加してくれたまえ。  ……“収穫”の時期を見定める、良い機会になるだろう」


 グレオスはそれだけ言い残し、  また音もなく去っていった。


 バタン。  扉が閉まると、部屋に重苦しい沈黙が落ちた。


「……ふぅ」


 最初に息を吐いたのは、リオだった。


「なんなんですか、あの人。  ……静かすぎて、気持ち悪かった」


「静か?」


「はい。心臓の音とか、呼吸の音とか、そういう『生き物の音』がしないんです。  服の中に、空洞が歩いてるみたいで……」


 魚人の感覚は鋭い。  そのリオが言うのだから、間違いないだろう。


 ネーヴが、毛布から顔を出して言った。


「……ノイズ、すごい。  あの人、周りの音、吸い込んでる。  頭の中、機械の音がする」


「機械の音……?」


 私は腕を組んだ。  アルも、青ざめた顔で扉の方を睨んでいる。


「先生。あいつ、完全に誤解してます」


「……あなたが『あっち側のスパイ』で、王女を油断させるために潜入してると思ってるのね」


「はい」


 アルはこめかみを押さえ、思考を整理するように言った。


「以前、王都近郊の森でサンドワームが出た件――ありましたよね。  あの時、俺が真っ先に飛び出して阻止したのを、あいつは『正義感』じゃなくて、スパイとしての『判断』だと思ったみたいです。  『今はまだ時期尚早だ』って俺が止めたんだと、勝手に解釈してる」


「……それに、『施設』って」


 アルの声が低くなる。


「俺には、白い部屋で何かをさせられていた曖昧な記憶しかありません。  でも、あいつはそれを知っていた。  ……あいつの背後にいる何かが、俺の失われた過去と繋がってるのかもしれません」


「気持ち悪いわね」


 私は忌々しげに吐き捨てた。  だが、参謀としての脳味噌は、即座に計算を始めている。


「でも、それは好都合かもな」


 私はニヤリと笑った。


「敵があなたを『味方』だと勘違いしているなら、情報は引き出し放題よ。  それに、油断も誘える」


「……俺に、二重スパイをやれと?」


「できるでしょ?  あなたは『向こうの教育』を受けて、それでも『こっちの心』を選んだ人間なんだから」


 アルは一瞬、虚を突かれたような顔をした。  だがすぐに、ふっと口元を緩めた。  それは恐怖に怯える顔ではなく、覚悟を決めた男の顔だった。


「……そうですね。  利用できるなら利用する。  あいつらの勘違いごと、全部使わせてもらいます」


 私は、床――黒板代わりのスペースに、白墨で書き込んだ。


【要注意事項】  

・グレオス総長:なんかおかしい  

・目的:王女(聖歌)の力を狙っている。  

・アルへの認識:同胞(スパイ)としての誤認あり。  

・アルの過去:敵側と何らかの接点(施設)がある?


「……厄介な敵になりそうね」


 私は白墨を置き、生徒たちを見渡した。


「いいこと?  あいつの前では、不用意な発言は控えること。  ただし、アルは適当に話を合わせておきなさい。  向こうが勝手に『仲間だ』と思ってくれてるうちは、安全地帯にいられるわ」


「了解です。  ……性格の悪い演技が求められそうですね」


 アルは肩をすくめてみせた。


「演技指導ならセリナに頼みなさい。超一流よ」


 私はため息をつき、ネーヴの頭(毛布越し)をポンと叩いた。


「さて、湿っぽい話はおしまい!  解析の続きをやるわよ。  敵が『声』だの『動力』だの言ってるなら、こっちは技術で対抗するだけだもの」

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