HOMESICK pt.2&3
ぜろ
Pt.2
一か月ぶりに眼を覚ますと相変わらず身体は死後硬直のように軋んで痛んだ。とりあえずシャワーを済ませて部屋のドアノブに手を掛けるが、それがいつものようにクルリと回る気配はないことに、僕は訝ってしまう。
どうしたんだろう。停電ではないはずだけれど、ロックが掛かってしまっている。否、停電時はすべてのロックが解ける設定になっているはずだからどうにしろこの状態はおかしい。誰かが操作をした? でもアナログキーなんて伯父さまにしか預けてないはずだ。伯父さまが僕を閉じ込めるいわれは、今更ないだろう。純怜にも渡していない。じゃあ誰が? 消去法はおかしな方向に飛んでいく。
僕は呟いた。
「イクォール……?」
※
「状況説明を頼む」
ぜーぜー走ってきた最後は『ロビン』と『ジェーン』の二人だった。宇都宮コンツェルン本社ビル地下階某所、そこはメインコンピューターである『イクォール』と直接コンタクトできる唯一の場所だ。周囲百メートルにはサイコキノ結界も張ってあるからあたしの相方である『スノウ』のテレポーテーションも効かない。トレードマークのおさげを揺らしながらあたしの隣を抜けて『イクォール』直接回線を開こうとしているジェーンは、それが音声認識を必要としていることに対してキーボードを打つ手を止めてしまった。そりゃそうだろう。今までそんな画面、見た事もない。
全員が集まるまでと説明を後回しにしてきたあたしを、『スマイル』くんが睨む。そんなことされたって怖くはないし、今更だ。彼は自分よりイルに近い人間を敵対視しているところがある。仮にも愛人、と言う立場にいるからだろう。……その立場の危うさをだれよりも知っている彼だからこそ、あたしやヨウ、キョウちゃんみたいな相手には容赦がない。もっともジル君は兄だから嫌っていないし、隊長先輩……もとい、ナルくんには、殺意めいたものすら持っているのを。臨床心理学者であるあたしは知っている。八月朔日夜桜は、知っている。
「ねーちゃん、」
『ゼロ』くんが珍しくあたしをそう呼びながら見上げて来るのに、あたしは大きく息を吸った。クイックマスター ――『DOLL』の情報源達の中でも精鋭部隊に入る皆が、あたしの言葉を待って居るって言うのは、ちょっとした緊張もする。
「状況の開始時刻は不明。観測時刻は今朝、あたしがいつも通り『DOLL』のネットワークで患者の動きを調べようとしたところからかな。イクォールに接続できなくなった。ヨウにも試してもらったけれど、そっちからも入力すら受け付けない状況だった。急いでイルの家に向かったけれど、こっちは施錠されてて――そのロックの担当はイクォールだった。そして今イクォールには接続できない。イルは家の中に閉じ込められている状態、ハッキング班に動いてもらってるけれど状況は動きなし。理事会は欠席。って所かな」
「まさかイクォールが誰かにハッキングでィも?」
「ありえない。企業コンピュータ最新鋭の鉄壁プロテクトに数百を超すトラップが仕掛けられてるんだよ、それはキョウちゃんが一番良く知ってるでしょ?」
「そうだけィど……」
『そうそう、そんな事はぜーったいに有り得ないのさぁ!』
突如響いた声にビクッと全員が肩を怯えさせる。照明が落ちて、天井のプロジェクタからその姿を現したのはピンク色のアマゾンカワイルカ――イクォールが好んで使う、投影だった。ぐるりんっとあたし達を見回してから、くつくつとイクォールはその身体を揺らして笑って見せる。
『これはあたしの意思であたしが行っている、一種の自己防衛だよ、ヨル』
「自己防衛? 情報を遮断することが、それともイルを閉じ込めることが?」
『どっちも、って言わせてもらおうかな。結果によっちゃイルは死ぬかもしれないし、あたしも死ぬかもしれない。でもここ一番賭けるしかなかった、大一番さ。何となく気付いている人もいるんじゃないかな? ねえ、スマイルくん』
「っ」
「スマイルくん?」
『とにかくあたしにアクセス出来なきゃイルは家の中で餓死だ。精々頑張ってくれ給えよクイックマスター諸君。アグリアスに百目鬼地獄もかな。誰でもいい、あたしを止めてごらん。そうしたらきっと、眠れる森の姫は動き出すよ』
ぷつん、と映像が切れて、LEDの電灯が明かりを取り戻す。眠れる森の姫。って事はイクォールは差し詰め茨の城って所なのか? 訳が分からない、中学時代から変わらずにヘアバンドで留めているおかっぱ頭をぐしゃぐしゃ掻き混ぜると、ジェーンに代わってPCをいじりだしたのは『ヴァニラ』――クリスちゃんだった。傍らの『ユール』と『ノエル』の姉妹にも少し声を掛けて、三人で文字通りのタワー型コンピューターに向かい始める。
「何を?」
「イクォールが意思を持っているのなら、その無意識に潜り込めるかもしれないと思って――とこか抜け道が、無いかと思って」
「無駄だと思うよ、朝から四百五十三回試した。あたしとヨウとキョウちゃんの端末で」
「お三方は本当に仲がよろしいですね、昔から」
ちょっと羨ましそうに言ったクリスちゃんだって、あたしに言わせたらあたしたちの知らないイルを知ってる。欧州での呪遺物集めのサポートは彼女とロビンが受け持っていたというんだから。あたしたちは何が出来ていただろう。最後の最後にちょっとだけ手を貸すことができた程度じゃないだろうか。ふっと目を伏せると、もどかしそうなゼロくんはカタカタ鳴る三つのキーボードの操作音にあたしの白衣の裾を掴んだ。医者なら医者らしく、をモットーにあたしは休日でも白衣を着ていることが多い。今日は急病だな、思っているとクリスちゃんがマイクに何かを囁く。途端にユールとノエルの身体が弾かれたように尻餅をついて――
「「むむむむむむだだよヴァニラ、コンピューターのあたしに意識はあっても無意識はないいいい。あったとしてもそれは共有された幻想だだだだだ、そそそそしてあたしと意識を共有しているのはイルだけだだだだ。イルに入れない君にあたしを解くことは出来ないよよよよよ」」
人形のように声をそろえて言った二人が気絶する。クリスちゃんは慌てて二人に駆け寄ってその手を取った。多分意識を繋いで『治療』をしているんだろう。
正攻法。それしかないのならと、あたしは全員を見渡す。とは言え海外に言ってる欠席者も多い。DOLLは今や、世界的なネットワークになっているからだ。エジプトからは今レザーくんがプライベートジェットで向かって居るというし、飛文くんも向かっている最中だという。一人異彩を放っているのに不思議と目立たないファーザー・フロウは、ふぅっと溜息を吐いて、一歩その司祭服に包まれた身体を押し出してくる。
「イルが何を求めているのかはイクォールのみが知るところだ。恐らくそれは無意識下での願いだろう。イルは意識して自分を作ってきた。その『なれのはて』がイクォールだ。完全に切り離したはずのもう一人の自分」
「……まるで二重人格ですね、ファーザー」
「今はそういう言い方をしないと聞いたことがあるが、大体同じようなものだろう」
女顔でともすれば美少女にも見えるファーザーは、イルを育てた人だけれど、どう見たってあたしより若い。その辺の事はアルゴス・デ・ラ・フロンテーラにいるシュウくんがいつか解き明かしてくれるだろう。年を取らない。それはイルと、同じだ。
「イクォールの無意識に語り掛けるのは、イルの無意識にも触れられない私には無理です」
クリスちゃんが悔しそうに言う。相変わらず達者な日本語だ。不自然なぐらい。在日歴そろそろ十年に達そうとしているから、当たり前と言えば当たり前なのか。
「正攻法で行くしかないね。まずは」
「俺から行かせて」
言ったのはスマイルくんだった。
勇気と無謀は違うよと、語り掛けたいぐらい悲壮な眼。
誰も返事をしない中で、スマイルはマイクに近づいていく。
「イル、俺だ、スマイルだよ」
ぴー、とエラー音が鳴る。
「次は俺っ!」
そろそろあたしに身長が追い付いてきたゼロが向かう。
「イル姉、俺だよ、ゼロだよ」
エラー音は非情だ。
「……中学から付き合いのあったあたし達から、行ってみるのが良いと思う。姫は」
「私は良い。無駄だろうからな」
さら、と姫先輩が長い黒髪を揺らす。
「ジル君はまだ太平洋上だろうから、ヨウからどーぞ」
「うぃ。イル、あたしだ。ヨウだ」
ピー。
「イル、ヨルだよ」
ピー。
「キョウでィすよ、イル」
ピー。
「……ナル、だ。イクォール」
エラー音はいつもと違った。
『正しい名前を発音してください』、と出る表示に、みんなが息を呑む。
「……瀬尋鳴砂」
ピー。
「…………ナルナル」
また電灯が落ちる。
『あっはぁ、意外と早く辿り着いたねナルナル! 待ってたよ、あたし達は君を待っていたんだ!』
「……スマイルはお前たちの恋人だろう」
『そうだね、スマイルくんは好きだよ。ヨウもヨルもキョウちゃんも姫ちゃんも、ゼロもレイカもスノウもヴァニラもロビンもジェーンも、レンジもシュウもリィも、みんなみーんなあたし達が大好きな人だ』
「イルカ。俺は?」
『ファーザーに順位なんか付けられませんよ恐ろしい。そう、そして――』
『やめろイクォール!』
PCの方から声が響く。
『ほ。ナルキッソスがプロテクトを解いたか。ギークな女子高生たね、あの子も』
『そんなことは良い、それ以上僕の心の中身をばらすな!!』
部屋にあるPCから絶叫しているだろうイルの顔が画面に大写しになる。十年前から、髪一つ伸びなくなったイルの顔を。
『みんな大好き。みんなが好き』
『イクォール!』
『でも――ナルナルはもっと好きなんだ』
絶望したイルの顔に。ファーザーが十字架を手の中で弄ぶ。
イルの姿が画面から消えた。そして――
『イルの家のロックは解いたよ。あとはイル本人から聞けばいい。お願いだよナルナル。さようなら。愛していたよ』
イルカのホログラムは。姿を消した。
「取り敢えず会長のリムジンでみんなイルの部屋に移動しよう! あたしは自分の車に救急セットが積んであるから、それを持って行く! 生理食塩水や流動食なんかもチューブごと入ってるし、ナルくんは急いでバイク使って――」
言い掛けると同時。
スマイルくんが、ナルくんの顔を殴った。
力いっぱい振り抜いて、だけどバンドマンより体幹の良かった体育教師は、少しよろけるだけだ。
「あんたの所為だ、あんたの所為で社長は死ぬんだ! 人殺し! あんたさえ社長と出会わなきゃこんな事にはッ――!!」
「蒼、銀」
「離せ、離せよっ!」
姫先輩の式神二人が両側からスマイルくんを取り押さえる。でも力は入っていなくて、単に涙でボロボロのスマイルくんはしゃくりあげるばかりだ。でも確かに、彼の言い分はもっともかもしれない。ナルくんに会った後のイルはいつも――いつも。
嬉しそうにしていたから。
この上なく心地よさそうにしていたから。
それは『愛人』だったスマイルくんには、向けられなかったものだから。
結局イルの中で、一番だったのはあたし達じゃなく、ナルくんだけだった。
それはちょっとだけ切なくて。
それはちょっとだけ悩ましくも疾しい嫉妬。
泣き続けるスマイルくんを連れて、あたし達は地上階に向かった。
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