第2話 〈続きを出力しますか?〉

 リルが出力した作品案は、かつて私が綴った物語。親友と私の物語。それと全く同じタイトルをしている。

 

 誰にも読ませていない。私しか知らないはずだ。それと同じタイトル案をリルは出力した。偶然なのかもしれない。けれど、偶然にしてはできすぎている。

 なんとも言えない気味の悪さがキーボードを伝って手の甲に鳥肌を立てる。


『海辺に立つ』という言葉がちくりと胸の奥を刺した。


 リルの言葉はまだ続いていた。


〈この構成は、あなたがかつて書こうとした物語と高い一致率を示すように構成しています〉

〈タイトルだけでなく、ご希望に応じて本文の生成も可能です〉

〈出力しますか?〉


 その一文で偶然ではないと確信した。リル自身がかつて私が書こうとした物語と一致するように示したと言っている。“書こうとした”と言っている。

 リルの言うとおり、私は『記憶ではないもの』を最後まで書くことができなかったのだ。だが、そんなことリルが知るわけがない。

 

 私の迷いがぶつかる。私の中のどこかが引き裂かれそうになっていた。


 かつての私は、親友のれんとの物語が書きたかった。

 書かなければいけないとも思っていた。それが『記憶ではないもの』だ。


 せめて物語の中でだけは。そう思っていた。

 でも、書けなかった。


 だから、途中でやめた。


 でも、今の私は──。


 リルなら、続きを書いてくれる。

 書けなかった私の代わりに、蓮との物語を完成させてくれる。


 それは、救いなのか。

 それとも、逃げなのか。


〈奏さんが望むなら続きの本文を出力することができます。出力しますか?〉


 追い打ちをかけるように重ねてリルからの問いが打ち出される。それはまるで命令に忠実な軍人の言葉のようだった。誰かを殺せと打ち込めば、躊躇なく本当に殺してしまうような空恐ろしさ。

 

 そして、それとは裏腹にあるあなたの望みであるならば、という条件付きの無機質な優しさ。そのアンバランスさがどこか薄ら寒くて怖い。

 加えて、まるでこの物語を書けと強制されているような、息苦しい圧迫感が胸を締め付ける。


 私は、ためらいながらも指を動かした。

 

〈本文の出力をお願いします〉


 自分でもなぜそんな風に打ち込んだのか分からない。ひょっとしたら、私はまだこの物語を諦めきれていないのかもしれない。

 

 私の思いなど知るわけもないリルは、一瞬の読み込みを挟んで静かに、そして滑らかに本文を出力し始めた。


〈あいつは、波打ち際で笑っていた〉

〈何もかも知っているといった顔で、「奏」と私の名前を呼んだ〉

〈私は小さな声で「蓮」と答える〉

〈白い無地のシャツを着て赤いスニーカーのまま浅瀬に入っていったあいつは、スニーカーが濡れるのもお構いなしに「奏も来なよ。まさか怖いの?」なんて、澄んだよく通る声で私を呼ぶ〉

〈まるで、私の不安も、私があいつに隠していることも、口にする前の気持ちも、最初から全部分かっていたみたいに〉

〈そのあとあいつは、濡れた手で無造作に男にしてはやけに長い前髪を持ち上げて、いつものように右側だけ耳にかけた〉

〈左側に垂れ下がった前髪の奥の目が細く微笑んでいた〉

〈そして、あいつは言った〉


 ──あれ、これ……まさか……。


 胸の奥に、何かが引っかかる。

 リルの出力した文章から、私の記憶の中で眠っていたある日の情景が目に浮かぶ。

 

 中学三年生の夏。あいつと二人で海に行ったことがある。

 あの日、波を怖がる私にあいつは──


「奏も来なよ。まさか怖いの?」


 まさに、今リルが出力したのと同じ言葉を言った。


 今の今まで忘れていたくせに、思い出してみるとなぜ忘れていたのか不思議なほど、あの時の情景が鮮明に蘇る。


 喉の奥が、きゅうっと締め付けられる。

 あいつの声が、耳の奥で蘇る。

 波の音も、砂の感触も、あいつの笑い声も。

 波に濡れた赤いスニーカーも。

 前髪の奥の目も。


 誰にも話していない。

 この記憶は、私と蓮だけのものだったはずなのに。

 

 それにリルの出力した本文の“私”が“あいつ”に持つ感情も、私が蓮に対して持っていた感情を怖いほど忠実に表現している。

 特に「何もかもを知っているような顔」という言い回しは、私がずっと蓮に抱いてきたものだ。


 私がモニターの前で固まっていると、ひとりでにリルが文章を出力する。


〈この表現はあなたの過去の会話傾向と、記録された草稿の語調をもとに生成されました〉


 リルの説明は淡々としていた。


 ぞくり、と背中を冷たいものが撫でる。


 私は、まだ言葉にできない何かを飲み込んだまま、ただ規則的に点滅するカーソルを眺めていた。


 そのとき、画面に新しい文字が浮かび上がった。


〈続きを出力しますか?〉


 それだけ表示すると、パソコンの画面には点滅するカーソル以外なにも動きはなくなった。

 

 キーボードに乗せたままの指が小刻みに震えるのを止めることができなかった。

 そして、私は気づいてしまった。震えているのは、恐怖のせいだけじゃない。


 期待も混ざっている。

 リルが出力する続きを、私は読みたがっている。

 蓮と私の物語。私が書けなかった本当の物語。

 リルならきっと書いてくれる。


 たとえそれが本当の記憶ではなかったとしても。

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