12日目 もう限界

夜明け前

まだ真っ暗。

冷えきった空気が肺に入るたびに、胸が凍りつく。

呼吸が浅い。

吸っても、肺の半分までしか届かない。

吐く息は白く、すぐに血の霧に変わる。

口の中は完全に腐敗。

舌は死んだ肉の塊みたいに腫れ、動かすと膿が溢れる。

歯茎は崩れ落ち、口蓋まで黒く変色している。体温が急降下している。

震えが止まらない。

でも、汗は出ない。

体内の水分は、もう底をついた。日の出

薄い光が山肌を這う。

立ち上がろうとして、膝が内側に折れる。

三回失敗して、四回目でやっと垂直になる。

視界が歪む。

耳鳴りが鼓膜を突き破りそう。歩き出す。

一歩ごとに、全身の関節が軋む。

足の裏は完全に皮が剥け、肉がめくれ返り、白い腱が露出している。

血はもう出ない。

出るものが残っていない。朝

喉が火傷している。

唾液は完全にゼロ。

舌は乾いて板みたいに硬く、ひび割れて血が滲む。

水を求めて、体が勝手に川の方へ傾く。

でも、川は十メートル先。

その十メートルが、果てしなく遠い。這う。

肘と膝で地面を抉りながら進む。

指はもう曲がらない。

骨が折れているのか、感覚がない。

這うたびに、肩が外れそうになる。川に着く。

顔を突っ込む。

水が肺に入る。

むせて血の泡を吐く。

でも飲む。

胃が拒否して、すぐに逆流する。

吐いたものは、血と胆汁と川の水。

それでもまた飲む。

飲まなければ、今すぐに死ぬ。午前中

少しだけ立てるようになった。

でも、呼吸が乱れる。

浅い、浅い、浅い……突然、大きく吸い込んで、

肺が裂けるような痛み。

数秒息が止まって、意識が落ちかける。

また浅くなる。

チーンバッグ呼吸。

体が、もう限界を告げている。歩く。

川沿いを、よろめきながら。

視界の端が、常に黒い。

トンネルビジョン。

末梢の血流が止まっている。腹が、背中に張りついている。

内臓が縮こまって、肋骨が浮き出ている。

食料は、もう何も摂っていない。

十日以上。

体は自分の筋肉を食い始めている。

太ももが、目に見えて細くなっている。昼

太陽が真上に来る。

熱中症と低体温が、同時に襲ってくる。

頭が焼ける。

でも、手足は氷のように冷たい。

血圧が下がりすぎて、立っているだけで意識が飛ぶ。血を吐く。

今度は真っ黒で、コーヒーかすみたい。

胃が完全に壊れている。

吐いた後、胃が痙攣して、何も出なくなる。

ただ、乾いた嗚咽だけ。午後

呼吸が、ますますおかしくなる。

十回浅く吸って、一回だけ深く。

その深呼吸のたびに、肺が破れる音がする。

横隔膜が、勝手に震える。

体が、もう自分で呼吸をコントロールできなくなっている。足が止まる。

膝から崩れ落ちる。

地面に顔を打ちつける。

前歯の残りが、全部折れる。

口の中が、血と歯の破片でいっぱいになる。立てない。

這う。

肘で体を引きずる。

肩が、完全に脱臼する。

でも、痛みすら遠い。夕方

太陽が傾く。

影が長く伸びる。

体温がまた急降下。

震えが、全身を襲う。

歯がガチガチ鳴る。

でも、歯はもうない。

歯茎同士がぶつかる音。血が、耳からも滲み始める。

鼓膜が破れたのか、脳から出ているのか、わからない。夜

月が出る。

満月。

冷たい光が、体を照らす。

私は、川から五メートル離れた場所に、突っ伏している。

動けない。

呼吸が、どんどん浅くなる。

吸気と呼気の間が、十秒、十五秒、二十秒……。体が、勝手に深い息を吸い込む。

肺が、ぎゅっと締めつけられる。

そして、また静かになる。これ以上無理すると、死ぬ。わかってる。でも、動かなきゃ、確実に死ぬ。私は、折れた腕を引きずりながら、

ゆっくりと、

川の方へ、

這いずり続けた。まだ、

終わらない。


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2025年12月11日 18:00
2025年12月12日 18:00
2025年12月13日 18:00

永遠の青空へ──みよりんと天狼のふたつの空(本編) はこみや @hako0713

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