第3話:異世界の話と、悲しい秘密
「……嘘、だろ」
壁にめり込んだひったくり犯を、シルヴィがスマホの向こうの誰かに指示して「事象の修正」とやらで処理している間、俺は呆然と呟いた。
俺のデコピン一発で、人が壁に埋まる。 こんなマンガみたいなことが、現実にあるのか。 いや、現実じゃない。これは夢だ。悪夢だ。
「カズヤ、放心状態だな」 「当たり前ですよ! カズヤ様がご自身の力を自覚されるのは、いつもこうでしたから!」
アイリスとリリィが、両側から俺の腕にがっしりとしがみつく。 彼らの言葉は、全て俺の知らない「過去」を前提にしている。
マンションに戻ってきてからも、俺の混乱は収まらない。 シルヴィは俺のために温かいハーブティーを用意してくれたが、その香りが妙に落ち着くのがまた腹立たしい。
「さて、カズヤ」 ソファに座る俺の正面に、シルヴィが座り、他の二人も向かいに座る。 「そろそろ、私たちの話を信じる気になりましたか?」
俺はため息をついた。 「……信じたくはないけど、目の前の現実が、信じろって言ってるようなもんだ」 壁にめり込んだひったくり犯と、その壁の損傷が綺麗に消えていた光景を思い出す。 「で、なんだっけ? 異世界? 仲間?」
「ええ」シルヴィが頷く。 「カズヤは5年前、この世界とは違う、とある異世界に『召喚』されました。そして、私たちと共に、世界を脅かした魔王を討伐した――『伝説の勇者』です」
「……はぁ!?」 勇者? 俺が? いやいやいや、高校生の俺は、学園カーストの最底辺グループに属する、ただの帰宅部員だぞ。 ラノベやゲームは好きだったけど、まさか自分がその主人公になるなんて。
「信じられないなら、これを見なさい!」 リリィがプンスカ怒りながら、手のひらを俺に向ける。 すると、小さな手のひらの上に、フワリと青白い炎が灯った。 「ほら、魔力! これが魔法!」
「あっ、リリィ! こんなところで!」 シルヴィが慌てて制止するが、時すでに遅し。 その青白い炎は、そのままリビングの照明に当たり、パチッと音を立ててショートさせた。 部屋が暗くなり、一瞬の静寂。
「……あ、やっちゃった」リリィがバツが悪そうに肩をすくめる。 「ったく、魔族のくせに魔力制御がなってないわね!」アイリスが呆れる。 俺は、もう何も言う気がしなかった。 異世界。召喚。勇者。魔王。魔法。 まるで夢オチのような話だが、目の前で起こる現象が、全てを現実だと語っている。
「……で、その『勇者』の俺が、どうしてこんなところにいるんだ? しかも、記憶なしで」 俺が最も聞きたい核心だった。
シルヴィの顔から、笑みが消えた。 アイリスは静かに俯き、リリィは俺の顔色を窺うように、そっと手を引っ込めた。
「それは……」 シルヴィが言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。 「カズヤは、私たちの世界を救った後、元の世界への帰還を望みました。私たちも、カズヤと共にこの世界へ渡ることを決意し、儀式を行いました」
「その儀式で、何かあったのか?」
「……はい」 シルヴィは、深く、悲しげに瞳を閉じた。 「異世界から、全く別の世界へ転移するには、あまりにも強大な代償が必要だった。それも、カズヤほどの存在が転移するとなれば……」
そこで、彼女は言葉を詰まらせた。
「代償……って、なんだよ。まさか、その代償が俺の記憶か?」
俺の問いに、アイリスが顔を上げ、悲痛な表情で訴える。 「……我らは、我が主が記憶を失うことは知りませんでした。もし知っていたなら、決してこのようなことは……」
リリィが、今にも泣き出しそうな顔で俺に縋りつく。 「カズヤ……ごめんなさい……! 私たちのせい、なの……!」
「――違います」
シルヴィが、鋭い声で二人の言葉を遮った。 彼女は俺と二人のヒロインを交互に見つめ、強く首を横に振る。
「カズヤの記憶喪失は、誰のせいでもありません。それは、カズヤ自身が『望んだ』ことです」
「……俺が、望んだ?」
俺は困惑した。 なぜ俺が、こんな大切な5年間の記憶を、自ら望んで失うというんだ? まるで、それが「なかったこと」にして欲しいと願ったかのように。
シルヴィは、俺のその疑問に答えるように、言葉を続けた。 「……全ては、平和になった世界で、カズヤが『平凡な日常』を望んだからです。あまりにも強大すぎる英雄の力を、異世界の記憶と共に、この世界に持ち帰ることは……あまりにもリスクが高すぎた。カズヤはそれを理解し、自ら……」
彼女はそこで、再び言葉を途切れさせた。 その瞳は、何か隠し事をしているかのように揺れている。 そして、その奥には、深い悲しみが宿っていた。
「……ごめんなさい、カズヤ。これ以上は、今はまだ……」
シルヴィはそれ以上、何も語ろうとしなかった。 アイリスとリリィも、顔を伏せ、沈黙を守る。
俺を囲む美少女たち。 彼女たちは俺の知る世界からやってきた存在ではない。 そして、俺が失った5年間の記憶には、彼女たちだけが知る「何か」がある。 特に、俺が「望んだ」という記憶喪失の理由。 それは、彼女たちが口を閉ざすほど、よほど悲しい、あるいは重大な秘密なのだろうか。
――何も思い出せない俺と、何も語ろうとしない彼女たち。
俺たちの間に、深くて広い、空白の溝が横たわっていた。 この空白を埋めない限り、俺は本当の意味で、この新しい日常を受け入れられないだろう。
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