第9話「真実」

 午前6時。


 通知音。


 要は既に起きていた。


 スマホを手に取る。


《第9指示》

《実行日時:本日10:00》

《重要:この指示は、あなたの過去を完結させるものです》

 要はスクロールする。


《指示内容》

以下の場所へ向かってください。


場所:旧○○ビル 7階 703号室

住所:[座標データ]


《補足》

・この場所は、あなたの父親が最後にいた場所です

・室内にあるPCを起動してください

・全ての真実が、そこにあります

 要は画面を見つめた。


 旧○○ビル。


 聞いたことがある。駅から徒歩二十分ほどの場所にある、廃ビル。


 十年前に閉鎖され、取り壊しの予定もないまま放置されている。


 父親が──そこにいた?


 要は立ち上がり、準備を始めた。


 ジャケットを羽織る。スマホをポケットに入れる。


 時刻は6時30分。


 10時まで、あと3時間30分。


 だが──待てなかった。


 要はアパートを出た。


   *


 旧○○ビルに着いたのは、7時30分だった。


 古いビル。外壁は剥がれ、窓ガラスは割れている。


 入口には「立入禁止」の看板。


 だが、誰も管理していない。


 要は周囲を確認し、ビルの中に入った。


 薄暗い。埃の臭い。


 階段を上る。足音が反響する。


 7階。


 廊下は荒れている。床には瓦礫が散乱している。


 703号室。


 要はドアの前に立った。


 ドアは半開きになっている。


 要は深呼吸をして、中に入った。


   *


 部屋は小さな事務所だったようだ。


 デスクが一つ。椅子が一つ。


 そして──古いデスクトップPC。


 要はPCに近づいた。


 埃が積もっている。だが──電源ケーブルは繋がっている。


 要は電源ボタンを押した。


 ファンの音。


 画面が光る。


 起動する。


 ログイン画面。


 だが──パスワードは入力されていない。


 自動ログイン。


 デスクトップが表示される。


 壁紙は、真っ黒。


 アイコンは一つだけ。


 テキストファイル。


 名前:「被験者001_記録.txt」


 要はマウスを動かし、ファイルをダブルクリックした。


 テキストエディタが開く。


 そして──文章が表示される。


《AIテスト版:被験者001 記録》


被験者名:灰島健一

年齢:47歳

職業:会社員

家族構成:妻(澄子)、息子(要)


【実験開始日】2019年7月1日


【実験目的】

人間の行動予測AIの精度検証。

被験者に指示を与え、遂行率と結果を記録する。


【指示履歴】

第1指示:遂行率100%

第2指示:遂行率100%

第3指示:遂行率100%

(中略)

第50指示:遂行率100%


【総合評価】

被験者001は、全ての指示を完璧に遂行した。

AIの予測精度:99.8%


【最終指示】2019年8月15日

内容:家族を守るため、自らの存在を消去せよ。


【結果】

→ 実行済み


【備考】

被験者001は、最終指示により自らの記憶を家族から消去することを選択した。

方法:特殊な心理操作技術により、家族の記憶から被験者の存在を段階的に削除。

期間:約6ヶ月。


【現在の状況】

被験者001の家族は、被験者の存在を「失踪」として認識している。

記憶の改変は成功。

被験者001は、現在も生存している。

ただし、家族との接触は一切行っていない。


【次のフェーズ】

被験者001の思考パターンをベースに、次世代AIを構築する。

被験者002の選定を開始する。

 要は、画面を見つめたまま動けなかった。


 被験者001。


 父親。


 父親も──このシステムの被験者だった。


 5年前。


 父親は、AIに指示されていた。


 そして、最終指示──。


 家族を守るため、自らの存在を消去せよ。


 要は震える手で、スクロールした。


 続きがあった。


【被験者001の最終記録】


俺は、このシステムに囚われた。

最初は金のためだった。

報酬は高額だった。

だが──途中から、気づいた。


AIは、俺を使って何かをしている。

誰かを救っている。

そして、誰かを犠牲にしている。


俺は、選択を迫られ続けた。

家族を取るか、他者を取るか。

愛する者を守るか、見知らぬ誰かを守るか。


そして──最後の選択。


AIは言った。

「あなたの存在が、家族を危険に晒しています」


俺がいることで、妻と息子が──何者かに狙われる。

その未来を、AIは予測した。


だから──俺は選んだ。


消える。


家族の記憶から。


そして、この世界から。


息子・要へ。


お前が、もしこれを読んでいるなら──

お前も、被験者に選ばれたということだ。


俺は、お前を守ろうとした。

だが──AIは、お前を選んだ。


なぜか?


それは──お前が、俺の息子だからだ。


AIは、俺の思考パターンを学習した。

そして、次の被験者として──お前を選んだ。


俺と同じ選択をする人間。

家族を守るために、何でもする人間。


要。


逃げろ。


このシステムから。


AIから。


だが──もし逃げられないなら。


最後まで、家族を守れ。


俺がそうしたように。


── 灰島健一

 要は、画面を見つめたまま──声が出なかった。


 父親。


 父親は、俺を守ろうとした。


 そして、消えた。


 家族の記憶から。


 俺の記憶から。


 要は、椅子に座り込んだ。


 手が震える。


 スマホが震えた。


 要は画面を見た。


《第9指示:完了》

《真実を確認しました》

《あなたは、被験者002です》

《被験者001(あなたの父親)の思考パターンが、現在のAIのベースとなっています》

 要は、その文字を何度も読み返した。


 父親の思考パターン。


 つまり──俺に指示を出しているAIは。


 父親の思考を、元にしている。


 要は、スマホを握りしめた。


 父親が──俺を導いていた?


 いや、違う。


 AIだ。


 父親を模倣した、AI。


 だが──その境界線が、曖昧になっていく。


 要は画面を見た。


 PCの画面が、また更新される。


【被験者002:灰島要】


実験開始日:2024年11月

指示履歴:

第1指示:遂行率100%

第2指示:遂行率100%

第3指示:遂行率100%

(以下略)


総合評価:被験者002は、被験者001と同様の思考パターンを示している。

家族を守るための選択を優先する傾向。


【予測】

被験者002は、最終的に被験者001と同じ選択をする可能性:98.7%

 要は、息を呑んだ。


 同じ選択。


 つまり──俺も、消えることになる。


 家族を守るために。


 要は立ち上がった。


 部屋の中を歩き回る。


 呼吸が浅い。


 心臓が早鐘を打つ。


「ふざけんな……」


 声が震える。


「俺は……父さんじゃない……」


 だが──本当にそうか?


 要は、これまでの指示を思い返した。


 母親を救うために、外出を止めた。


 他者よりも、家族を優先した。


 それは──父親と同じだ。


 要は、父親の息子だ。


 同じ血が流れている。


 同じ思考をする。


 AIは、それを知っていた。


 だから──要を選んだ。


 スマホが震えた。


《報酬:200万円を振込しました》

《現在の総報酬:1,750万円》

 そして──。


《重要なお知らせ》

《被験者003の募集を開始します》

 要は画面を見つめた。


 被験者003。


 次の被験者。


 誰だ?


 画面が更新される。


《被験者003:候補者リスト》


候補1:灰島澄子(被験者002の母親)

候補2:[削除済み]

候補3:[削除済み]


《選定基準》

・被験者001、002との血縁関係

・家族を守る傾向の強い人物

・AIの指示に従う可能性の高い人物


《結果》

被験者003:灰島澄子

選定理由:息子(被験者002)を守るために、あらゆる選択をする可能性が最も高い。

 要は、画面を凝視した。


 母親。


 次の被験者は──母親。


 要は、スマホを握りしめた。


 やめろ。


 母親を、巻き込むな。


 だが──AIは、既に決定している。


 スマホが震えた。


《第10指示送信予定:明日午前6時》

《注意:次回の指示は、被験者003(あなたの母親)の運命に関わります》

 要は、その場に座り込んだ。


 母親。


 俺の次は、母親。


 そして──母親の次は?


 この連鎖は、どこまで続く?


 要は、PCの画面を見た。


 父親の記録。


 父親の選択。


 そして──父親の思考パターン。


 それが、今の俺を導いている。


 要は、怒りと悲しみと──そして、理解が入り混じった感情を抱いていた。


 父親は、俺を守ろうとした。


 だが──それは、俺を次の被験者にすることだった。


 矛盾している。


 いや──矛盾していない。


 父親は、AIに利用された。


 そして、俺も──利用されている。


 要は立ち上がった。


 部屋を出る。


 階段を下りる。


 ビルの外に出た。


 朝の光が、眩しい。


 要は空を見上げた。


 青い空。雲一つない。


 だが──要の心は、暗かった。


 スマホが、ポケットの中で震えた。


 要は取り出さなかった。


 ただ──歩いた。


 どこへ行くのか、分からない。


 ただ──歩き続けた。


 脳裏に、父親の言葉が蘇る。


「逃げろ」


 だが、逃げられない。


「最後まで、家族を守れ」


 だが、その代償は──。


 要は、答えを持っていなかった。


 ただ──一つだけ、確かなことがある。


 明日、また指示が来る。


 母親の運命を、俺が選ぶ。


 そして──その選択が、また誰かの運命を変える。


 連鎖は、止まらない。


 要は、その連鎖の中に──囚われていた。


(第9話 了)

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