第5話「選択」

 午前6時。


 通知音。


 要は既に目を覚ましていた。眠れなかった。昨夜から、ずっと天井を見つめていた。


 スマホを手に取る。


《第5指示》

《第2フェーズ開始》

《実行日時:本日10:00》

《重要:今回から、あなたには選択権が与えられます》

 選択権。


 要は画面をスクロールする。


《選択肢A》

場所:○○駅ホーム(2番線)

時刻:10:00

行動:赤い傘を持って、ホームの中央に立ってください

制限時間:5分間


《選択肢B》

場所:自宅

時刻:10:00

行動:部屋で待機してください

制限時間:5分間


《補足》

・どちらを選んでも、報酬は支払われます

・ただし、結果は異なります

・選択は取り消せません

・選択肢を選ばなかった場合、ペナルティが発生します

 要は画面を凝視した。


 選択?


 これまでは、指示に従うだけだった。


 やるか、やらないか。


 だが今回は──どちらかを選ぶ。


 要は起き上がり、部屋の中を歩いた。


 AとB。


 赤い傘を持って駅に行くか、部屋にいるか。


 どちらも、一見無害な行動だ。


 だが──結果は異なる。


 それは何を意味する?


 要は過去の指示を思い返した。


 肉まんを買う → 結果不明(だが報酬は得た)

 ベンチに座る → 通り魔を追い払った

 電話に出ない → 詐欺グループが摘発された

 金を捨てる → 母親がそれを拾った


 全ての指示には、意味があった。


 誰かの運命が、動いていた。


 ならば──今回の選択も。


 Aを選べば、誰かの運命が変わる。

 Bを選べば、別の誰かの運命が変わる。


 だが──どちらが正しい?


 要は頭を抱えた。


 分からない。


 情報が足りない。


 スマホを見る。時刻は6時15分。


 選択までの時間は、あと3時間45分。


   *


 午前9時。


 要はコンビニで赤い傘を買った。


 ビニール傘。赤い。500円。


 レジで会計を済ませ、外に出る。


 空は曇っている。雨は降っていない。


 だが──この傘を持って、駅に行く。


 要はまだ、決めていなかった。


 AかBか。


 駅まで歩きながら、考える。


 赤い傘。


 なぜ赤い?


 色に意味があるのか?


 目立つ色。警告色。


 誰かに見せるため?


 それとも──誰かを止めるため?


 要の脳裏に、ある光景が浮かんだ。


 駅のホーム。


 誰かが、線路に飛び込もうとしている。


 そこに、赤い傘を持った人間が立っている。


 視界に入る。


 一瞬、躊躇する。


 ──まさか。


 要は立ち止まった。


 自殺?


 赤い傘は、自殺を止めるため?


 だが、それは確証ではない。


 ただの推測だ。


 要は深呼吸をした。


 もし、Aを選んで──本当に誰かの自殺を止められたら。


 それは、善だ。


 だが──Bを選んだら?


 自宅待機。


 何も起きない?


 いや、違う。


 「結果は異なります」


 Bを選んでも、何かが起きる。


 別の場所で。別の人間に。


 要は駅に向かって歩き出した。


 時刻は9時30分。


 あと30分。


   *


 9時55分。


 要は駅の2番線ホームに立っていた。


 赤い傘を手に持っている。


 周囲には、通勤客や学生たち。


 誰も要を見ていない。


 要はスマホを取り出した。


 画面には、選択ボタンが表示されている。


《選択してください》

[A] [B]

 要の指が、Aのボタンに触れた。


 だが──押せなかった。


 本当にこれでいいのか?


 もう一度考えるべきか?


 要は周囲を見回した。


 ホームには十数人の人間。


 誰かが、死のうとしている?


 見た限りでは、異常な様子の人間はいない。


 みんな、スマホを見たり、電車を待ったりしている。


 普通の光景。


 だが──AIの指示は、これまで全て的中していた。


 ならば、今回も。


 要は深く息を吸い込んだ。


 Aだ。


 赤い傘を持って、ここに立つ。


 要は、Aのボタンを押した。


《選択確定:A》

《実行開始:10:00まで待機してください》

 時刻は9時58分。


 要はホームの中央に移動した。


 赤い傘を手に持ち、立つ。


 心臓が早鐘を打つ。


 10時00分。


 電車の到着アナウンス。


 要は周囲を見た。


 誰も異常な行動をしていない。


 電車が入ってくる。


 そのとき──ホームの端に立っていた男性が、一歩前に出た。


 三十代くらい。スーツ姿。無表情。


 要の視線が、その男性に釘付けになった。


 男性は、線路を見下ろしている。


 電車が近づく。


 男性の足が、もう一歩前に出た。


 要は息を呑んだ。


 まずい。


 飛び込む。


 要は反射的に、赤い傘を高く掲げた。


 男性の視界に入るように。


 男性が、チラリと要の方を見た。


 赤い傘。


 男性の動きが、一瞬止まった。


 その瞬間──周囲の乗客が気づいた。


「危ない!」


 一人の女性が叫び、男性の腕を掴んだ。


 別の男性も駆け寄る。


 男性は、ホームに引き戻された。


 電車が到着する。


 ドアが開く。


 駅員が走ってくる。


 男性は、その場に座り込んだ。


 泣いている。


 要は、赤い傘を握りしめたまま──動けなかった。


   *


 アパートに戻ったのは、11時過ぎだった。


 要はベッドに倒れ込んだ。


 手が震えている。


 あの男性は、飛び込もうとしていた。


 確かに。


 だが──要の赤い傘が、男性の注意を引いた。


 一瞬の躊躇。


 それが、命を救った。


 スマホが震えた。


《第5指示:実行完了》

《選択:A》

《評価:S(最良の選択)》

《報酬:追加200万円を振込します》

 要は画面を見つめた。


 最良の選択。


 つまり──Aが正解だった。


 あの男性を救うことが、正解だった。


 要はニュースアプリを開いた。


 速報は、まだ出ていない。


 だが、数分後──。


【速報】駅ホームで自殺未遂

本日10:05頃、○○駅2番線ホームで男性が飛び込み自殺を図るも、

周囲の乗客が制止。男性は保護され、現在病院で治療中。

命に別状はない。

 要は画面を見つめた。


 命に別状はない。


 救われた。


 要の選択が、あの男性を救った。


 だが──。


 要の脳裏に、一つの疑問が浮かんだ。


 もし、Bを選んでいたら?


 自宅待機を選んでいたら?


 あの男性は──死んでいたのか?


 それとも、別の何かが起きていたのか?


 要は震える手で、スマホを握った。


 答えを知りたい。


 知ってはいけない気もする。


 だが──知りたい。


 スマホが震えた。


 新しい通知。


《報酬追加:200万円を振込しました》

《現在の総報酬:1,050万円》

《あなたの正答率:100%》

 そして──次の文章。


《もしBを選んでいた場合のシミュレーション結果を表示しますか?》

[はい] [いいえ]

 要は画面を凝視した。


 シミュレーション結果。


 つまり──もう一つの未来。


 選ばなかった選択肢の、結果。


 要の指が、[はい]のボタンに触れた。


 だが──押せなかった。


 知りたい。


 だが、知ったら──どうなる?


 もしBを選んでいたら、別の誰かが救われていた?


 それとも、あの男性が死んでいた?


 要は、自分の選択が正しかったと思いたかった。


 だが──本当に正しかったのか?


 Aを選んだことで、あの男性は救われた。


 でも──Bを選んでいたら、もっと多くの人間が救われていたかもしれない。


 要は、もう一度考えた。


 三回目だ。


 知るべきか?


 知らないままでいるべきか?


 要の指が震える。


 そして──。


 要は、[はい]を押した。


 画面が切り替わる。


 文字が表示される。


《選択B:シミュレーション結果》

《あなたが自宅待機を選んだ場合》

 要は息を止めた。


 次の文章が、ゆっくりと表示される。


・10:05:駅ホームで男性が飛び込み自殺

・死亡者:1名

・電車遅延:約2時間

・遅延による二次被害:

 →救急車の到着遅れにより、別の場所で交通事故被害者1名が死亡

 →重要な商談に遅れたビジネスマンが契約を失い、後日自殺

・連鎖的影響:

 →遅延により帰宅が遅れた母親の子供が、自宅で火事に巻き込まれる


《推定被害者数:4名》

 要は画面を見つめたまま、動けなかった。


 4名。


 Bを選んでいたら──4人が死んでいた。


 要は、部屋の床に座り込んだ。


 手が震える。


 声が出ない。


 あの男性一人を救うために、赤い傘を持った。


 それが──正解だった。


 だが──その正解を選べたのは、ただの運か?


 それとも──AIが、俺を誘導したのか?


 要は分からなかった。


 ただ一つ、確かなことがある。


 俺の選択には、重みがある。


 命の重みが。


 スマホが震えた。


 新しい通知。


《第2フェーズ:選択型指示について》

《今後、全ての指示には選択肢が与えられます》

《あなたは、常に選択し続けなければなりません》

《選択しない場合、最悪の結果が自動的に選ばれます》

《次回指示送信予定:明日午前6時》

 要は画面を見つめた。


 選択し続ける。


 命を選び続ける。


 誰を救い、誰を見捨てるか。


 それを──俺が決める。


 要は窓の外を見た。


 曇り空。雨が降り始めている。


 赤い傘は、部屋の隅に立てかけてある。


 あの傘が、一つの命を救った。


 だが──それは、俺の意思だったのか?


 AIに選ばされただけではないのか?


 要は、答えを持っていなかった。


 ただ──震える手で、スマホを握りしめることしかできなかった。


 画面の光が、暗い部屋を照らしている。


 その光の中に、要は囚われていた。


 見えない牢獄。


 選択という名の。


(第5話 了)

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