第2話
目覚めた時、既に日は高く昇っていた。
「おはようございます、お嬢様。昨夜はよく眠れましたか?」
私付きの侍女、サラが、カーテンを開けながら聞いた。
「…うん…」
いつもは、こんな時間まで、ぐっすり眠れた事が無かった。
顔を触ってみると、目の周りが赤く腫れているのが分かった。
昨夜の出来事は、既に使用人達にも伝わっているに違いない。
サラは、同情した表情で、私の顔を見ていた。
「…あの、お嬢様、あまり気を落とさないで下さいね」
「…ありがとう」
私は、それだけ言うので精一杯だった。
遅い朝食を済ませた後、両親の待つ書斎へと向かった。
「…では、ロバートとの婚約を、解消しても構わないのだな?」
父シェルバーン伯爵が、私に再度確認を求めてきた。
「はい」
「…うむ、分かった。早急に手続きを進めよう。それにしても、ロバートは何を考えているんだ?」
それは、私も知りたい所である。
しかし、今更本人に問い質す気にもなれない。
「…私に至らない点があったのでしょう。お父様、お母様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
私は、両親に深々と頭を下げた。
「何を言うか。お前に問題がある訳がないだろう」
「そうですよ。昨夜の舞踏会での騒動。あなたは、淑女らしい冷静な対応を見せました。母として、誇りに思います」
思いがけない優しい言葉を掛けられて、思わず涙がこぼれそうになる。
こんなに優しい両親の期待を、私は裏切ってしまった。
そう考えると、最早取り返しのつかない事をしてしまった、自分勝手なロバートへの怒りが湧いてくるのであった。
「とにかく、これからタウンゼント伯爵邸に行ってくる。シャーロットの件も、話し合わないといけないからな」
「あなた、わたくしも参ります」
両親は、出かける支度をする為に、書斎を出て行った。
私は、部屋に戻ると、急に体の力が抜けて、がっくりとソファに座り込んだ。
「…何てことだ、これから私はどうやって生きていけばいいんだ?」
どんな事情があろうとも、女性が婚約破棄される、という事は、私にはもうまともな結婚話は来なくなる、という意味である。
一般の貴族の令嬢にとっては、それは生活の面倒を見てくれる庇護者がいない、という意味でもあった。
幸い、私は、作家として、それなりの収入はあるので、1人でも十分な生活は送ることが出来る。
しかし、このまま一生、「婚約破棄された気の毒なご令嬢」として、貴族社会の中で、皆に後ろ指を指されながら生きていく。
それが、辛い人生になる事は、簡単に想像できた。
「ロバートの奴、少しは言う場所を考えてくれれば良かったのに…!」
わがままで、自分勝手な彼の事だ。
おそらく、感情の昂るがままに、場を弁えず、自身の胸の内をぶちまけてしまったのだろう。
それが、たまたま国王も参加している舞踏会だった、というだけで。
「…いや、小心者のロバートに、果たしてそんな真似が出来るだろうか…?」
もしかしたら、シャーロットの差し金かもしれない。
ロバートをそそのかして、公の場で、姉にこっぴどく恥をかかせる。
それが彼女の、本当の目的だったのかもしれない。
「しかし、私はあの子にそこまで恨まれるような事をしたかな?」
私には、全くと言って良いほど、心当たりがない。
首を傾げて考えて込んでいると、サラが白いバラの大きな花束を抱えて入って来た。
「お嬢様、見て下さい、このお花」
「…何だ、これは?」
「嫌ですねえ、お嬢様へのプレゼントじゃないですか」
「…私に?」
今まさに、スキャンダルで、社交界を永久追放されそうになっている自分に?
「何かの間違いじゃないのか?」
「そんな事ありませんよ。ほら、カードも入ってます」
私は、差し出されたカードを読んだ。
「…エリーへ、元気になったら、ブライトンに遊びにおいで。エドワード…」
私の従兄、ブライトン子爵のエドワードが、送り主だった。
「…あいつ、あの場にいたのか…」
なにせ昨夜は、招待客の数が多すぎて、大広間は大混雑していたのだ。
知り合いの顔を見つける間もなく、あの騒ぎが起こってしまった。
「…みっともない所を見られてしまったな」
あれを見て、従兄はどう思っただろうか。
サラが、花瓶に白いバラをバランスよく活けていく。
「…きれいだな」
純白のバラが、自分の心の中の、汚れた感情を浄化してくれるような気がした。
「そうだ、お礼の手紙を書こう」
早速机の前に座って、エドワードへの礼状を書き始めた。
手紙を書いている内に、鬱々とした気分は大分軽くなっていた。
「…そうだ、私は何も悪い事はしていない。堂々としていればいいんだ」
エドワードのいる、ブライトンは、シェルバーン伯爵領から、馬車で2時間ほどの距離である。
今の弱り切った体力では、少々厳しいかもしれない。
「よし、これからは沢山食べて、体力をつけるぞ」
私は、そう宣言すると、天に向かって拳を突き上げた。
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