第一章 燃ゆる黎明

かつて、存在した者達へ

 かつて、この世には人間ヒトとは異なる存在がいた。


 異形とも、

 妖怪とも、

 魔物とも、

 精霊とも、

 はたまた、神とも。


 様々な名で呼ばれ、様々な形をしている『人ならざる者』達が存在していた。


 人間ヒトの理解を及ばない奇怪で異常な事物や現象あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在。

 人間ヒトに恐怖感を与え、さらには災厄をもたらすこともある存在。

 一方で人間に福を授けて、神としてまつられている存在。


 今や、現世うつしよの表舞台に、その者達は現すことはなくなった。

 消えたと思われた――しかし、それは表舞台のこと。


 ただ、目には見えないだけ。

 その者達は何処かに……そう人間の近くに、静寂にうごめいているかもしれない。


 それは――人間と『人ならざる者』は、鎖に繋がれているかのように、ゆびきりを結んだ『』のように、切り離せないのだから。






 細く、頼りなく、照る月が浮かぶ深い藍色の夜闇。

 いつもより闇が深かったが、街は明かりでそれも物ともしなかった。時刻は真夜中に近いが、一向に街は眠らない。

 明かりが消えたビルの窓ガラスには、散りばめられた星々とは異なる街灯の光が反射する。

 煌びやかなネオン街。深夜営業のファミレスや、コンビニエンスストア。さらに、路上には若者達が溢れている。


 とある十階以上あるだろう高層ビルの屋上。そこは下より薄暗く、静まり返っている。

 その空間に、紫煙が漂っている。その、紫煙を辿る。


「……明日あすは、新月かァ」


 低音の、落ち着いた声が、静かに響く。

 煙管キセルくゆらす……着物を纏い、長身で逞しい体躯と、浅黒い肌を持つ男が、ビルの屋上の手摺りに立ってただんでいた。


 闇に溶けるような黒髪に、色付きサングラス。時折、隙間から見え隠れする、満月のような金の双眸が闇の中で光る。目許は隠されているが、端整で精悍なかおがわかる。纏った着物は、礼装の着物というよりも着流しの方が近いかもしれない。藍地に、鮮やなか朱い色で彼岸花のような柄が描かれている着流し。


 着流しの袖は緩い夜風で靡く。


 一見、人間ヒトに思われる。

 しかし、男の纏った空気が、人間ヒトとは異なる言い知れぬ違和感がある。まるで――人間ヒトではないかのように思える空気を纏っている。


「――……、」


 男は煙管の吸い口をくわえる。下向きでう。

 雁首かりくびの火皿に丸めた刻みたばこが夕日色のように赤く、あかく、燃える。ゆっくりと煙管の吸い口から離し、上を向いて口から紫煙を吐く。吐かれた紫煙が流れるように高く夜の空へと、昇る。そして消えていった。

 男は夜闇に浮かぶ月を眺めていた。色付きサングラスで目許が隠されているため、何を考えて眺めているのか分からない。

 月が雲で覆われ、より闇が濃く、深くなった。

 緩く夜風が吹いて、黒髪と着流しが靡く。


「……さてと、行くかィ」


 微かな呟きは、風に紛れる。


 男は燃えた刻みたばこを下に落とし、手摺りを蹴る。音もなく、静かに闇の中に溶けていった。


 その場に最初からいなかったように、何もなかったように、消えたいった。

 そこにいたことを知るのは、誰もいない――否、貴方だけが知っているだけだ。

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