第52話 考え事

「主上」


 聖職者が去った後も、その場に座り続ける朝陽。体を硬直させている朝陽に、織也は声をかけた。


「織也……」


 朝陽は俯いたままぎゅっと扇を握りしめた。

 その手はわずかに震え、何やら思い込むように目を閉じる。


「俺は守れるのか? この国を、聖職者たちを……」

「守れますよ」


 そんな朝陽の葛藤。それに寄り添ってきたのは、今も昔も織也だった。

 織也は、ふっと優しく微笑む。


「守れるのかではなく、守ると言う気持ちが大切です。父上さまがおっしゃっていたでしょう?」

「だが……」

「国の頂点たる帝が信じなくてどうするんですか。大丈夫ですよ、聖食師、聖薬師、聖香師に武を叩き込んだのは俺です。あいつらは絶対に琴を守り通せます」


 織也の力強い言葉を聞きながら、朝陽は父の言葉を思い出していた。

 既にこの世にいない、亡き父の頼もしい声を。


 ──武で勝てなくとも、頭脳で勝ってくる者は少なからずこの世にいる。


 もう聞けない、聞くことのできない父の声。


(頭脳……か)


 胸の中が少しひんやりしたのは気のせいだろうか。

 朝陽は、嫌な予感を振り払うようにそっと頭を振るのだった。



 聖和殿の歩廊を、朝陽は重い足取りで歩いていた。

 欄干に肘をつき、庭を眺める。

 底まで見える透き通った池の水が、小さく風に揺れている。同じ波紋を作らないそれは、帝の目を飽きさせないようにしているのだろうか。


「……主上はどうなさったのでしょう?」


 その様子を離れたところで見ていた織也は、自分の少し前に立つ和之に聞いた。

 和之は、険しい顔をして朝陽を見ている。


「ただの悩み事ではないですよね。扇が震えていない」

「たぶん、巫女と関係している」

「巫女と?」

「あぁ」


 和之は小さくうなずく。


「巫女は危機を教えてくれるが、回避はしてくださらない。回避するのは自分だという思し召しだそうだ。前帝に聞いたことだが」

「では、陛下は危機を察知した……ってことですか?」

「そうなるな。あの方は頭脳明晰だ。いつか必ずその頭脳が必要なときが来る。だから巫女から試練を与えられているそうだ。しかし……」

「何か?」


 和之は、己の顎を撫でながら言葉をつぐんだ。

 その先を知りたい織也は、急かすように問いかける。すると、和之は真剣な光をその瞳に宿した。

 

「代々の帝は、巫女を祀る聖殿に入らない限り、危機を察知することはできなかった。わたしが知る限り、主上は聖殿に入っていない。お前は見たか」

「いえ。主上はずっと俺と一緒にいましたから。入っていないはずです」

「そうか」


 朝陽は宙でない何かを見ている。その横顔は儚げだった。

 歴代の帝とは異なる雰囲気と、類まれな美形。巫女が特別に愛していると言っても、文句は何もないだろう。それくらい、朝陽には魅力があった。

 じっと池の水を見つめ続ける朝陽。織也は、その背を見守るように佇むのだった。

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