炎は消えず

蒼月ヤミ

第1話 希望の種火(1)

 その日は、『炎が消えた日』と呼ばれた。希望というの名の炎が。


 大陸の北東の端にある国、ハグストレーム。その北西の端、隣国がほど近い酒場、赤い鳥亭に、一人の男が現れた。光を吸収してしまうような真っ黒の、適当に切られたざんばらな髪に、一目を引く長身。その表情は暗く、瞳もまた、光のない土のような色をしている。顔を斜めに覆う包帯のせいで、その顔様ははっきりと分からないが、その通った鼻梁といい、細い顎の線といい、顔立ちは整っているように見えた。ただ、身に纏う雰囲気があまりにも重々しく、気軽に声をかけられるような人物ではなかった。


 乾いた床板の上を、重い足音がゆっくりと進んで行く。丁度その場に居合わせた人々は、彼を見ると、一様に口を噤んだ。かと思えば、仲間内で顔を寄せ合い、囁き合う。「おい、見ろ。傭兵王だ」と、口々に言いながら。


 傭兵王と飛ばれた男は、そのまま真っ直ぐに店のカウンター席へ向かうと、椅子を引き、どっかりと腰かける。カウンターの天板に彼が片腕を肘まで載せれば、即座にゴトンッという音がして、琥珀色の液体が入ったグラスが置かれた。イーサクという名のこの店の主人にとっては、傭兵王だろうとただの客にかわりはない。ある意味、この国を守護してくれている守り神のような存在だとは思っていたが、それはまたそれ。席に座れば、やはり客でしかないのだった。




「デメトリオ。久々に顔を出したな。今回はどこで仕事をしてたんだ?」




 イーサクが問いかければ、すでにざわめきと化していた酒場の客たちの囁き声がぴたりと止まる。傭兵王などという仰々しい名で呼ばれる彼のことが、気になって仕方がない様子だった。


 デメトリオはイーサクが置いたグラスに手を伸ばすと、悠々とそれに口を付け、一息に飲み干す。ゴトンッ、と再びそのグラスがカウンターの天板に置かれた時、そこには何の液体も入ってはいなかった。




「ヤルヴェラの西部にいた。……もっとも、ここ数日の内に、ヤルヴェラではなくなったという話だが」




 低く、ひやりとした声でさらりと告げられた言葉に、またしてもその場にいた者たちがざわめき始める。「そういうことか……」という、何やら納得するような声も聞こえた。




「ヤルヴェラの西部といやぁ……、数日前にデマンティウスが乗っ取ったって話じゃねぇか。それまでは何とか持ち堪えてるって聞いてたから、突然どうしたんだって思ってたが……持ち堪えてたのは、あんたがいたからか」




 酒瓶から、デメトリオのグラスへと酒を注ぎつつ、イーサクは頷きながら呟く。デメトリオは気にする様子もなく、それを口にした。

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