抱きしめていたのは

@suigyoku_create

抱きしめていたのは

私の部屋にはテディベアが置いてある。体長は1mくらい。今年の9月、友人と渋谷のIKEAに行ったときに買ったものだ。


売り場ではじめてそのテディベアに触れたとき、その毛並みの手触りと質感に惚れこんでしまった。「でもこんな大きいぬいぐるみを買うのはな……」とためらった私だったが、友人に購入を激推しされて結局買った。その友人は誰かに物を買わせるのを理由なく好む。


同居する弟は「こんなご時世にクマを連れて帰ってくるのは不謹慎だ」と抗議したが、それでも私は満足だった。


寒くなるにつれ、テディベアとともに布団に潜り、テディベアを抱きしめながら寝ることが増えた。今ではそれがほとんど日課のようになっている。




私がなぜテディベアを抱きしめるのか。肌触りが心地いいから、ぬくもりに安心できるから。もちろんそれも理由のひとつだが、本当の理由は他にあることに気がついた。


私は、自分を抱きしめるためにテディベアを抱きしめているのだ。


本当は、自分で自分の体を抱きしめたい。だが、そうすることはできない。セルフハグという方法もあるが、個人的にはそれでは物足りない。なんというか、ダイナミックさが足りない。だから、テディベアを自分に見立てて抱きしめているのだ。


私が抱きしめていたのは、自分だった。


私がテディベアを胸の中に包みこむと、自分の体熱がテディベアに移っていく。その感覚がなんとも心地よい。それは、自分で自分をあたためているからだ。




自分は、いちばん身近な他人だ。だから、私たちが最も注意を払うべき人間関係は、自分との関係だ。自分を承認し、寄り添うように接すること。


私は、自分しか見返さない日記やメモをつけるときも、言葉が強くなりすぎないように気をつけている。半ば壁打ち的に書いているこのnoteでも、あまりネガティブなことを書きすぎないようにしている。それは何より、自分に向けた言葉だからだ。


私たちは、自分を肯定し、受け入れなければならない。自分を突き放してしまえば、隣に誰かがいないとき、本当の意味でひとりになってしまう。本当の孤独は、容易く人の心を侵食する。だから、ぬくもりを持って自分を抱きとめるのだ。




そういえば、私はあのテディベアに名前をつけていない。可愛がっているぬいぐるみには名前をつけても良さそうなものだが、私はそれをしていない。名前をつける気もない。


それは、あのテディベアが自分だからかもしれない。

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