荒ぶる龍は嵐となりぬる

きゅい、と天にこだまする声を聞いたお滝は、不意に上機嫌になり、きょろと辺りを見渡すと、欄干をよじ登り、ぴょんと跳ねて庭に出た。康隆もおむらも、はしたないと小言を言うがお構いなしである。既にお稽古は終わっているし、なんの問題もないのだ。


(雨に打たれるのも、雨音を聞くのも、幸せなことなんやけど……おたあさまが2年前に儚くなりはってからは、余計にあかんって言わはる……)


分かっている。分かっているのだ。父が良い嫁ぎ先に自分を嫁がせて幸せになって欲しいと願うあまり、自身の行動を制限しようとしているのは。

裳着も来年に控えているので、あまりはしたない振る舞いをして欲しくないことくらいは。

だがお滝が雨に打たれるのには訳があった。


雨の時にしか、聞こえない声があるからだ。


(そやかて……雨はうちの味方やもん……あの声も、雨音も、雨に当たらないとよう聞こえへんもん……)


さああと聞こえるその音に身を任せ、お滝は庭の中心でくるくると回る。ぬばたまの髪も、着物の袖も、裾も濡らしてもなお、お滝の軽やかさは失われない。視界が霧色に包まれていくが、お滝はその唇に笑みを浮かべた。池の端に、ある影を認めたからである。


「お滝、今日も来てくれたんか!」


ぽちゃりと身じろぎをする鯉達は、楽しげに水の中で踊っている。どうやらお滝の来訪を待ちわびていたようだ。


「あ、鯉はん! いい雨やね!」


蕾が開いたような笑みのまま、掛けてくれた声に応える。お滝は頭を下げてから勢いよく首を上げると、雫が舞って霧色に溶け込んでいった。


池には鯉が九匹いる。その中でもとりわけ髭の長く、体も大きな鯉を、ヌシとお滝は呼んでいるのだ。ヌシは髭を満足そうにそよがせてくるりと回り、複数の鯉を連れてきた。

 

「いや、それがやな……これを見てほしいんや」


鯉達の頭の上に、何やら大きな玉のようなものがあるのを見たお滝は、大声を出そうとしたが、おむらに見つかることを恐れ、驚きをさああという雨音に隠した。


「へえー! 綺麗な玉やなあ! でも何で池に玉があらしゃるん?」


「それがやな……儂も分からんのや……美々しゅう輝く玉なんは分かるんやけど……」


他の鯉も、てんでバラバラに泳ぎ出した。何だかその様子は、首を横に振っているようで、思わずお滝を微笑ませた。

 

「うーん、おもうさまなら知ってはるかな。ヌシはん、それ預かってもよろしゅうございますか?」


ヌシはパシャリと跳ねて、肯定の意を示した。他の鯉達も次々と跳ねて、霧色の雨音と混じり、束の間涼し気な調べとなる。

 

「おおきに! ほんならおもうさまに渡してくる!」

 

お滝はパタパタと玉をしっかりかかえ、少し遠回りをして廊下まで走り、康隆の姿を認めると、その勢いのまま父にぶつかった。

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