定則の矜持

江賀根

定則の矜持

両親が「規定や規則を守る人になってほしい」と願って付けた名に恥じぬよう、定則さだのりは人生を歩んできた。


小学生のころ、遠足に300円以上のおやつを持ってきた級友を見つけ、すぐに先生に報告した。そのせいで友達がいなくなったが定則に後悔はなかった。

世間の流行に乗って少年サッカーに入ったが、ルールを守らず体を押したり足をかけたりする者が多く、コーチに言ったが「それもサッカー」と返され、辞めた。


中学では、短ランや長ランといった校則違反の服装が許せず、入学早々に上級生に直接注意した結果、病院に行くほどの怪我を負った。

見かねた父から「お前さえルールを守れば良い」と言われ、以降、他人には干渉しないようにした。


高校に入ると、男女交際禁止の校則を破る者が多かった。誤解されないよう、彼は女子生徒とは必要最小限しか関わらなかったが、幸い向こうから話しかけてくることもなかった。


そんな定則に対して、周囲は警察官になることを勧めたが、彼は拒んだ。

警察官はルールを破る者を相手にする仕事で、定則はそのような人物と関わりたくなかったからだ。

そもそも、全員がルールを守れば警察は要らないとさえ思っていた。


そうして定則は、高校を卒業すると、極力他人との関わりが少ない運送会社の配達員を仕事に選んだ。

運転していると、周りのスピード違反や信号無視などが目について苛立ちを感じることもあったが、そんなときは父の言葉を思い出すようにしていた。


二十歳の誕生日。日付が変わったのを確認してから喫煙と飲酒を試みたが、どちらも定則には合わなかった。

やがて、そんな定則の「真面目なところが良い」と言った会社の事務員の規子つきこと籍を入れて家庭を持った。

翌々年に生まれた双子の男児には、自分の両親と同じ願いを込めて「順」と「守」と名付けた。


それから数十年が過ぎた。

妻は七年前に病魔に襲われ、最後に「あなたの真面目なところが好きだった」と言って先立った。

二人の息子はそれぞれ就職して県外へ出ていた。

定則本人は変わらず配達員を続けており、その間に何度か無事故無違反の優良社員としての表彰を受けていた。

そして気づけば、定則は定年まで残り数週間となっていた。


とはいえ、その日もいつもと変わらず、彼は軽トラックで荷物の配達を行っていた。

その日の最後の配達場所は、初めて訪れる山間部の小さな鉄工所だった。無事に荷物を届け終え、あとは家へ直帰するだけだ。

定則は法定速度を守りながら、翌日から始まる有給消化期間の予定を、頭の中で整理していた。


紅葉の盛りを迎えた山道を、定則の軽トラックは走り続ける。

旧道のため、定則以外に車も人も一切見当たらないが、彼は気を緩めることなく、安全運転を続けていた。


やがて、前方に赤信号が見えてきた。

徐々にスピードを減速し、白線の前で停止する。

片側一車線の道路が交差する信号で、歩行者用信号は無い。

定則の家へ帰るには、このまま西方向へ直進だ。


数分待ったが、信号はまだ変わらなかった。

もしや感応式信号かと思い辺りを見渡したが、それらしき装置は見当たらなかった。

日が傾いてきたことで、車内に西日が差し込み始めたため、定則は信号を見間違えないように、頭上のサンバイザーを下げた。



三十分ほどが経過した。

定則は、全く車が通らないこの場所に、なぜ信号が設置されているかを考え、一つの結論にたどり着いた。

おそらく、ここは通勤時間帯の朝夕のみ交通量が多いのだ。そのため、十七時を過ぎた今から、きっと交通量が増えてくるはずだ──と。

それならば、一層の安全意識を持たなければと、彼はハンドルを握る手に力を込めた。



一台の通行もないまま、太陽はゆっくりと山の稜線へ沈みかけていた。

定則は「早めの点灯」を心がけ、ヘッドライトのスイッチを入れた。

彼の視界には朱色に輝く太陽と、赤く光る信号があったが、しばらくすると太陽は消え、信号だけとなった。



月のきれいな夜だった。

月は徐々に高度を上げていき、その動きが定則に時間の経過を知らせている。

赤信号は変わらず同じ位置で、光を発していた。

普段なら夕食を終え、そろそろ風呂に入る頃だ。

空腹と寒さを感じ始めた定則は、ここで一つの可能性を考えた。

──二時間も変わらないのなら、故障かもしれない。

そうであれば通報が必要だが、運転中に携帯は触れない。

まして交差点で駐停車などありえない。どちらもルール違反だ。

「──お前は、ルールを守れ」

頭の中で父の言葉がこだまする。

ガソリンを確認すると、まだ八割以上は残っていた。

──問題ない。

彼は一度大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。






車内に備え付けのデジタル時計が「0:00」に変わった。

ガソリンを節約するために暖房を切った車内の空気は、すっかり冷え切っている。

ヘッドライトの明かりの先では、蛾がひらひらと舞っていた。

しかし、今の定則にとって、それらはなんの意味も持たなかった。

彼の思いはただ一つ。

……俺は守る。ルールを。






***


○○市の配達員、堅田定則(かただ・さだのり)さん(59)が、一昨日から行方不明となっています。

警察によりますと、堅田さんは八日の夕方、市内の鉄工所に荷物を届けたあと行方がわからなくなり、本日、ご家族から捜索願いが出されました。

堅田さんの携帯電話は、呼び出し音は鳴るものの応答はなく、車両も確認されていません。

警察は周辺の防犯カメラ映像を解析するなどして、行方を捜しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

定則の矜持 江賀根 @egane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画